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反抗期の娘に「理不尽」と言われた日|子育てと介護の中で気づいた親子の距離感

反抗期の娘に「理不尽」と言われた日|子育てと介護の中で気づいた親子の距離感

「そっちが理不尽」

3年前、17歳だった娘からそう言われた言葉が、今でもふと心に残っています。

当時の私は、フルタイムで働きながら、子育てと家族の介護を抱えていました。
母として、娘に言葉づかいや人との向き合い方をちゃんと伝えたい。
そんな思いが強くありました。

でも、娘にも娘の言い分がありました。

涙を流しながら怒る娘。
引けなくなってしまう私。
話し合っているつもりなのに、いつの間にかお互いの正しさをぶつけ合う時間になっていました。

今振り返ると、あの時に必要だったのは、すぐに答えを出すことではなかったのかもしれません。
正しい言葉を伝える前に、まずは相手の気持ちが落ち着くまで待つこと。
そして、自分の中にある怒りや責任感にも、静かに気づいてあげること。

親子関係は、いつもきれいに解決するわけではありません。
けれど、時間が少しずつ流してくれることもあります。

今回は、反抗期の娘との言い争いを通して、私自身が気づいた「家族との距離感」についてお話しします。

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投稿者プロフィール

森みな
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■ 対応しやすい時間帯:③ 18:00〜24:00|夜タイム
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■ 年齢:50代

■ キャッチコピー:「あなたのペースで大丈夫。安心できる沈黙も大切にします」

■ 得意なテーマ

- もやもやしている気持ちの整理
- 誰にも言えない話の受け止め
- 人間関係の悩み
- とにかく話を聴いてほしいとき
- 感情の吐き出し
- 転職・仕事の悩み、大人の学び直し

■ 聴き方・スタイル

- あなたのペースに合わせて、ゆっくり丁寧にお聴きします
- 話がまとまっていない状態でも、そのままお話しいただいて大丈夫です
- 決して否定せず、ありのままの感情を穏やかに受け止めます
- 沈黙も、あなたの心が動いている大切な時間として尊重するスタイルです

■ 経験

- 日々公的機関でのキャリア相談を通し多くの方の人生の節目に寄り添っています
- コールセンターでの勤務経験から、声を通じた対話で安心感をお届け
- 長時間の電話でも落ち着いて聴くのが得意です
- シングル子育て・家族の介護経験で、両立支援を実体験
- 資格:キャリアコンサルタント/メンタル心理カウンセラー/ホームヘルパー2級

■ 大切にしていること

- どんな話でも否定しません
- 話したくないことは無理に聞きません
- 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
- 泣いても沈黙してもOK

■ 人柄・ユニークポイント

- 好きなもの:サウナでの静かな時間(心身の調律)
- よく言われる性格:「和やかで落ち着いている」「安心感がある」
- ちょっとしたこだわり:対話前に挽きたてのコーヒーを淹れる
- 聴き手としての密かな強み:長時間の対話でも深く集中し、あなたの言葉の裏にある「本当の願い」を優しく感じ取るのが得意です

■ メッセージ

ここでは、どんな話をしても大丈夫です。うまく話せなくても、言葉が詰まってしまっても、泣いてしまっても全く問題ありません。社会の中での役割を一度脱ぎ捨てて、あなたのペースで、安心してお話しくださいね。あなたが少しでも軽やかな気持ちになれるよう、心を込めてお聴きします。

目次

反抗期の娘に「そっちが理不尽」と言われた日

「そっちが理不尽」

3年前、17歳だった娘からそう言われた言葉を、私は今でもはっきり覚えています。

当時の私は、フルタイムで働きながら、子育てと家族の介護を抱えていました。仕事では新しい環境に慣れようと必死で、家に帰れば母としての役割があり、さらに介護のことも考えなければならない日々でした。

シングルで子どもを育てながら、要介護の家族のことも考える。誰かに弱音を吐くより先に、「私が何とかしなければ」と思っていました。

娘は反抗期の真っただ中。私から見れば、言葉づかいや態度が気になり、親としてきちんと伝えなければいけないと思っていました。

でも、娘には娘の気持ちがあったのだと思います。

私が「ちゃんとしなさい」と伝えようとするほど、娘は反発しました。娘が怒るほど、私も引けなくなりました。話し合いのつもりだったのに、気づけばお互いの正しさをぶつけ合う時間になっていました。

今振り返ると、あの時の私は、娘の言葉だけを見ていたのかもしれません。その奥にある不満や寂しさ、わかってほしい気持ちまで、すぐには受け取れていませんでした。

この体験は、親子関係は正しさだけでは進まないことを、私に教えてくれました。

子育て、仕事、介護が重なり、心に余裕がなくなっていた

当時の私は、毎日をこなすだけで精一杯でした。

仕事ではキャリアチェンジをしたばかりで、慣れないことも多く、緊張や疲れが続いていました。新しい環境で結果を出したい気持ちもあり、気を張る時間が長かったように思います。

家に帰れば、子どもたちの生活があります。食事、学校のこと、予定の確認、ちょっとした会話。ひとつひとつは日常のことでも、積み重なると心の中に余白がなくなっていきました。

そこに、家族の介護も始まりました。介護サービスを利用していたとはいえ、気持ちの面では「自分がちゃんと見ていなければ」という思いが強くありました。

誰かに頼っているつもりでも、心のどこかでは一人で抱えていたのだと思います。

そんな状態の中で、娘の反抗的な言葉や態度に向き合うのは簡単ではありませんでした。

本当は、娘の気持ちをゆっくり聞く余裕が必要だったのだと思います。でもその時の私は、聞くより先に「直さなければ」「教えなければ」という気持ちが前に出ていました。

余裕がないと、人は正しさにすがりたくなるのかもしれません。

私にとって娘への言葉は、しつけのつもりでした。でも娘にとっては、責められているように聞こえていたのかもしれない。そう考えられるようになったのは、少し時間が経ってからでした。

親として「ちゃんと教えたい」という思いが強かった

私は、娘に言葉づかいは大切にしてほしいと思っていました。

人に対する言い方、態度、感情の出し方。親として、そこはきちんと伝えたい。社会に出た時に困らないように、今のうちに教えておきたい。そんな責任感がありました。

でも、その「ちゃんと教えたい」という思いが強くなりすぎると、目の前の娘の気持ちが見えにくくなることがあります。

娘が不機嫌な態度を取る。強い言葉で返してくる。こちらの話を聞こうとしない。
そんな姿を見ると、私の中にも怒りが出てきました。

「どうしてわかってくれないの」
「親として言っているだけなのに」
「このままではいけない」

そんな言葉が、頭の中をぐるぐる回っていました。

けれど、娘もきっと同じように感じていたのだと思います。
「どうして私の気持ちはわかってくれないの」
「言い分を聞いてほしい」
「一方的に決めつけないでほしい」

今ならそう想像できます。

当時の私は、娘を子どもとして見ていました。だからこそ、導かなければ、間違いを正さなければと思っていました。

でも、17歳の娘は、もう自分の考えや感情を持った一人の人でもありました。

親子であっても、相手を一人の人として見ること。
それは簡単なようで、近い関係ほど難しいことなのだと感じます。

話し合いのつもりが、いつの間にか言い争いになっていた

最初は、話し合うつもりでした。

娘の言葉づかいについて伝えたい。どうしてそんな言い方をするのか聞きたい。私の気持ちもわかってほしい。そう思って向き合ったはずでした。

でも、実際にはうまくいきませんでした。

娘は涙を流しながら怒り、私も引けなくなりました。娘の言葉に傷つき、私の言葉にも力が入る。お互いにわかってほしいのに、伝えれば伝えるほど距離ができていくようでした。

話し合いは、本来なら相手の言葉を聞く時間です。

でもその時の私たちは、お互いに「自分の正しさ」を守ることで精一杯でした。相手の言葉を受け取る余裕がなく、次に何を言い返すかを考えていたように思います。

だから終わらなかったのだと思います。

どちらかが悪い、どちらかが正しい。そう決められるものではありませんでした。娘には娘の言い分があり、私には私の責任感がありました。

ただ、感情が高ぶっている時に、大切なことを伝えようとしても、うまく届かないことがあります。

今の私なら、まず少し時間を置いたかもしれません。無理にその場で解決しようとせず、「今はお互いに苦しいね」と心の中で距離を取ったかもしれません。

あの時の言い争いは、親子関係の難しさだけでなく、話を聞くためには安心できる間が必要なのだと気づくきっかけになりました。

正しさを伝えたいほど、娘の気持ちが遠くなっていった

娘に「そっちが理不尽」と言われた時、私はすぐに受け止めることができませんでした。

親として、言葉づかいや態度について伝えたい。
これから先、人との関係の中で困らないようにしてほしい。
そんな思いがあったからです。

けれど、その思いは娘にとって、ただの「正論」に聞こえていたのかもしれません。

私は娘のために言っているつもりでした。
でも、娘は涙を流しながら怒っていました。
その姿を見ても、私はすぐには引けませんでした。

「ここで引いたら、伝えるべきことが伝わらない」
「親として、ちゃんと言わなければ」
「このままにしてはいけない」

そんな気持ちが強くなればなるほど、私の言葉は硬くなっていきました。

今思うと、私は娘に言葉を届けようとしていたというより、娘を変えようとしていたのかもしれません。

娘には娘の感じ方があり、娘なりの言い分がありました。
けれど当時の私は、そこにゆっくり耳を向ける余裕がありませんでした。

話を聞くというのは、相手の言葉にすぐ答えを出すことではないのだと思います。
その言葉の奥に、どんな気持ちがあるのかを急がずに感じようとすること。

でも、親子の距離が近いほど、それが難しくなることがあります。
大切だからこそ力が入る。
心配だからこそ口を出したくなる。
わかってほしいからこそ、言葉が強くなる。

この頃の私は、娘に向き合っているつもりで、実は自分の不安や責任感とも向き合っていたのだと思います。

「娘のために」と思うほど、言葉が強くなっていた

私は、娘に傷つけるつもりで言葉をかけていたわけではありません。

むしろ、娘のことを思っていました。
人との関わり方、言葉の選び方、自分の気持ちの伝え方。
そういうものは、家庭の中で少しずつ身につけていくものだと思っていたからです。

だからこそ、娘の言い方が気になりました。

強い言葉で返された時、乱暴に聞こえる態度を取られた時、私は反射的に注意していました。
「その言い方はよくない」
「もっとちゃんと話しなさい」
「相手に伝わる言い方をしなさい」

言っていること自体は、間違っていなかったのかもしれません。

けれど、正しいことでも、伝えるタイミングや伝え方によっては、相手を追い詰めてしまうことがあります。

当時の娘にとって必要だったのは、まず注意されることではなく、「何がそんなに苦しかったのか」を聞いてもらうことだったのかもしれません。

でも私は、娘の言葉の表面に反応していました。

その奥にある、わかってほしい気持ち。
思うように伝えられないもどかしさ。
母である私に対してだからこそ、遠慮なくぶつけてしまう甘えや怒り。

そういうものまで、すぐには想像できませんでした。

親としての責任感は、大切なものだと思います。
ただ、その責任感が強くなりすぎると、「聞く」よりも「正す」が先に出てしまうことがあります。

私もそうでした。

娘のために言っているつもりなのに、娘の心には届かない。
伝えたいほど、娘は反発する。
そのたびに私も苦しくなっていきました。

今なら少しわかります。
娘に必要だったのは、すぐに正される時間ではなく、自分の気持ちを置いてもいい場所だったのかもしれません。

涙を流して怒る娘を前に、私も引けなくなっていた

言い争いが続いた時、娘は涙を流しながら怒っていました。

その姿を見て、本当なら一度立ち止まることもできたはずです。
「今はお互いに苦しいね」
「少し時間を置こうか」
そう言えたら、何かが変わっていたのかもしれません。

でも、その時の私は引けませんでした。

涙を見ても、怒りの言葉を聞いても、私の中では「ここで終わらせてはいけない」という気持ちが強くなっていました。

親として負けてはいけない。
伝えるべきことは伝えなければいけない。
このまま曖昧にしたら、何も変わらない。

そんな思いが、自分の中にありました。

けれど、娘にとってはどうだったのでしょう。

涙を流すほど感情が高ぶっている時に、正しい言葉を受け取る余裕はなかったと思います。
それは娘だけではなく、私も同じでした。

私も怒っていました。
責任感もありました。
どうしたらいいのかわからない気持ちもありました。

だから、娘の言葉を落ち着いて聞くことができませんでした。

お互いに、わかってほしい。
でも、お互いに相手の言葉を受け取る余裕がない。
そんな状態だったのだと思います。

話し合いは、相手を言い負かすためのものではありません。

でも感情が高ぶっていると、知らないうちに「どちらが正しいか」を決める時間になってしまうことがあります。
あの時の私たちも、まさにそうでした。

娘の涙は、反抗だけではなかったのかもしれません。
わかってほしい気持ち、言葉にできない悔しさ、母に届かない悲しさ。
いろいろなものが混ざっていたのだと思います。

今なら、その涙の奥をもう少し静かに見つめられる気がします。

すぐに解決しようとするほど、話し合いではなくなっていった

私は、問題を早く終わらせたいと思っていました。

言い争いが続く時間は苦しいものです。
家の中の空気も重くなります。
いつもの生活をしていても、どこかに引っかかりが残ります。

だからこそ、できるだけ早く解決したかったのだと思います。

でも、親子の問題は、急いで答えを出そうとすると余計にこじれることがあります。

「今ここで話し合おう」
「ちゃんとわかって」
「どうして伝わらないの」

そう思えば思うほど、娘の心は閉じていったように感じます。

そして私もまた、娘の反応に傷つきながら、さらに言葉を重ねていました。

本当は、話し合いには準備が必要なのだと思います。
相手の話を聞ける状態か。
自分の気持ちを落ち着いて伝えられる状態か。
今、言葉を届けるタイミングなのか。

その判断ができないまま、私は娘と向き合い続けていました。

だから、話し合いのつもりが、いつの間にか言い争いになっていたのです。

今振り返ると、解決を急がないことも大切だったと思います。

その場で結論を出さなくてもいい。
全部をわかり合えなくてもいい。
少し距離を置いて、いつもの生活を続けながら、時間の中で落ち着いていくこともある。

当時の私は、その選択肢をあまり持てていませんでした。

親子だからこそ、すぐにわかり合いたい。
家族だからこそ、ちゃんと向き合いたい。
でも、近い関係だからこそ、少し離れる時間が必要なこともあります。

娘との言い争いは、私にそのことを少しずつ教えてくれました。

話し合いになっていなかったと気づいた瞬間

娘との言い争いが続く中で、ある時ふと「これは話し合いになっていない」と気づきました。

私は、娘にわかってほしくて言葉を重ねていました。
娘もきっと、自分の気持ちをわかってほしくて怒っていたのだと思います。

でも、お互いに相手の言葉を受け取る余裕がありませんでした。

私は娘の言葉を聞いているようで、心の中では「どう返そうか」「どう伝えればわかってくれるのか」と考えていました。
娘もまた、私の言葉を聞くより先に、自分の中にたまっていた怒りや悔しさをぶつけていたのかもしれません。

それは、話し合いというより、お互いの気持ちがぶつかり合っている時間でした。

感情が高ぶっている時、人は相手の言葉をそのまま受け取ることが難しくなります。
たとえ大切なことを伝えていたとしても、相手には責められているように聞こえることがあります。
反対に、相手が必死に気持ちを出していても、こちらには反抗や攻撃のように見えてしまうこともあります。

あの時の私たちは、まさにその状態でした。

だからこそ、すぐに解決しようとするよりも、一度時間を置くことが必要だったのだと思います。
言葉を届けるには、届ける側にも、受け取る側にも、少し落ち着いた時間が必要です。

親子だからといって、いつでもわかり合えるわけではありません。
近い関係だからこそ、感情が強く出てしまうこともあります。

この気づきは、私にとって大きなものでした。
娘を変える前に、まず私自身が「今は聞ける状態なのか」「今、伝えるタイミングなのか」と立ち止まることが必要だったのだと思います。

感情が高ぶっている時は、言葉がまっすぐ届かない

言葉は、いつでも同じように届くわけではありません。

同じ言葉でも、落ち着いている時に聞けば受け取れることがあります。
でも、怒っている時や傷ついている時に聞くと、責められたように感じてしまうことがあります。

娘とのやりとりの中で、私はそのことを実感しました。

私は「あなたのために言っている」と思っていました。
でも、娘からすれば「否定された」「責められた」「わかってもらえない」と感じていたのかもしれません。

そして私も、娘の言葉をまっすぐ受け取れていませんでした。

「そっちが理不尽」
そう言われた時、私はその言葉に強く反応しました。

親として一生懸命やっているのに。
子育ても介護も仕事も、全部何とかしようとしているのに。
どうしてそんなふうに言われなければいけないのだろう。

そんな思いが、一気に出てきました。

でも、少し時間が経ってから考えると、娘は私を傷つけたいだけでその言葉を言ったわけではなかったのだと思います。
娘なりに「わかってほしい」「自分の言い分も聞いてほしい」と叫んでいたのかもしれません。

感情が高ぶっている時は、言葉の表面だけが強く見えます。
でも、その奥には不安や寂しさ、悔しさ、助けてほしい気持ちが隠れていることがあります。

その場ですぐに理解するのは、簡単ではありません。
私もできませんでした。

だからこそ、今は「すぐに反応しないこと」も大切だと感じています。
言葉を受け取る前に、自分の心が揺れていることに気づく。
相手の言葉の奥に、どんな気持ちがあるのかを少し待ってみる。

それだけでも、言い争いの流れは少し変わるのかもしれません。

解決を急がないことも、親子には必要だった

私は、親子の問題は早く解決した方がいいと思っていました。

気まずい空気を長引かせたくない。
わだかまりを残したくない。
できるなら、その日のうちに話し合って終わらせたい。

そんな気持ちがありました。

でも、娘との言い争いを通して、解決を急ぐことがかえって苦しさを大きくすることもあるのだと感じました。

人の気持ちは、すぐには整理できません。
怒りがある時、悲しさがある時、悔しさがある時に、「さあ話し合おう」と言われても、うまく言葉にならないことがあります。

それは娘だけではなく、私も同じでした。

私自身も怒っていました。
責任感でいっぱいでした。
「何ができるだろう」と考えながらも、心の中は落ち着いていませんでした。

そんな状態で言葉を重ねても、お互いに苦しくなるばかりでした。

時間を置くというのは、逃げることではないと思います。
向き合うために、少し距離を取ること。
言葉を届けるために、気持ちが落ち着くのを待つこと。
お互いを大切にするために、その場で結論を出さないこと。

そういう選択もあるのだと、少しずつわかってきました。

親子だからこそ、すぐにわかり合いたくなります。
親子だからこそ、ちゃんと話さなければと思います。

でも、家族の関係は、白黒はっきり答えを出せることばかりではありません。
わかり合えない部分を残したまま、それでも生活を続けていくこともあります。

完全に解決しなくても、時間が少しずつ気持ちをやわらげてくれることがあります。

そのことに気づけた時、私は少しだけ肩の力が抜けました。

娘を変える前に、自分の聞き方を見つめ直した

娘とのやりとりの中で、私はずっと「どうしたら娘に伝わるのか」を考えていました。

どう言えばわかってくれるのか。
どう注意すれば受け止めてくれるのか。
どうすれば、この言い争いが終わるのか。

でも、途中から少しずつ考え方が変わっていきました。

娘を変えることばかり考える前に、私は娘の話を本当に聞けていたのだろうか。
娘の言葉の奥にある気持ちを、受け止めようとしていただろうか。
自分の正しさを伝えることに、気持ちが向きすぎていなかっただろうか。

そんなふうに、自分の聞き方を見つめるようになりました。

話を聞くというのは、ただ黙っていることではありません。
相手の言葉を急いで判断しないこと。
すぐに正そうとしないこと。
その人の中で何が起きているのかを、少し想像しながらそばにいること。

私はこの経験を通して、その大切さを感じました。

もちろん、当時すぐにできたわけではありません。
娘との対決はしばらく続きました。
私も何度も感情的になりました。
うまく聞けない日もありました。

それでも、「今は話し合いになっていないかもしれない」と気づけるようになったことは、大きな変化でした。

気づけると、一度立ち止まることができます。
言葉を重ねる前に、少し間を置くことができます。
相手を責める前に、自分の心の状態を見ることができます。

娘をすぐに変えることはできませんでした。
でも、私の聞き方や距離の取り方は、少しずつ変えていけました。

その小さな変化が、親子の空気をほんの少しずつやわらげていったのだと思います。

完全に解決しなくても、親子の距離は少しずつ変わっていく

娘との言い争いは、ある日を境にすっきり終わったわけではありません。

「これで解決しました」と言えるような、わかりやすい結末があったわけでもありません。
相変わらず言い合いになることもありましたし、お互いに「理不尽だ」と思う気持ちは、どこかに残っていたように思います。

それでも、時間は少しずつ流れていきました。

娘も年齢を重ね、生活環境が変わり、私自身も毎日の中で少しずつ考え方が変わっていきました。
子どもとして見るだけではなく、一人の人として娘を見ること。
親として正しさを伝える前に、今この子は何を感じているのだろうと立ち止まること。
そして、すぐに答えを出そうとしないこと。

その大切さを、私はこの経験から学びました。

親子関係は、きれいに整理できることばかりではありません。
謝れば終わる、話せばすぐにわかり合える、時間をかければすべて忘れられる。
そんな単純なものではないのだと思います。

でも、未解決のままでも、関係が少しやわらぐことはあります。
完全にわかり合えなくても、お互いに大人として対応しようと努力できるようになることもあります。

あの時の私は、早く正解を見つけたかったのかもしれません。
でも今は、正解を急がないことも、家族との向き合い方のひとつなのだと感じています。

「理不尽」という言葉は、今でも心に残っています。
けれどその言葉は、ただ傷ついた記憶ではなく、私にとって家族との距離感を見つめ直すきっかけにもなりました。

時間を置くことは、あきらめることではなかった

以前の私は、時間を置くことに少し抵抗がありました。

その場で話し合わないと、逃げているような気がしたからです。
親子なのだから、ちゃんと向き合わなければいけない。
気まずい空気を残したままにしてはいけない。
そんなふうに思っていました。

でも、娘とのやりとりを通して、時間を置くことは逃げることではないのだと感じるようになりました。

感情が高ぶっている時に、無理に話し合おうとしても、言葉はなかなか届きません。
こちらが大事なことを伝えているつもりでも、相手には責められているように聞こえることがあります。
相手の言葉も、こちらには攻撃のように感じてしまうことがあります。

そんな時に必要なのは、さらに言葉を重ねることではなく、少し間を置くことだったのかもしれません。

時間を置くと、怒りの熱が少し下がります。
相手の言葉を別の角度から思い出せることがあります。
自分の言葉も、少し冷静に振り返れるようになります。

もちろん、時間がすべてを解決してくれるわけではありません。
何もなかったことになるわけでもありません。

それでも、時間が流れることで、受け止め方が変わることはあります。
「あの時はお互いにつらかったのかもしれない」
「娘にも娘の言い分があったのかもしれない」
そんなふうに考えられる余白が、少しずつ生まれていきました。

時間を置くことは、相手を放っておくことではありません。
もう一度向き合うために、自分の心を整えること。
言葉を届けるために、落ち着く時間を持つこと。

私にとってそれは、家族との関係をあきらめないための、大切な距離の取り方でした。

子どもではなく、一人の人として娘を見るようになった

娘との関係を振り返る中で、私にとって大きかったのは、娘を「子ども」としてだけ見ないようになったことです。

もちろん、親にとって子どもはいつまでも子どもです。
心配もしますし、口を出したくなることもあります。
間違ってほしくない、傷ついてほしくない、困らないようにしてあげたい。
そう思うのは自然なことだと思います。

でも、17歳の娘には、娘なりの考えがありました。
感じ方があり、言い分があり、自分の世界がありました。

私は、そこを十分に見られていなかったのかもしれません。

「親として教えなければ」という思いが強くなると、相手の未熟な部分ばかりが目に入ります。
言葉づかい、態度、反応、返事の仕方。
気になるところを直そうとする気持ちが先に立ちます。

けれど、娘を一人の人として見ると、少し見え方が変わります。

なぜその言葉になったのだろう。
何をわかってほしかったのだろう。
どんな思いを抱えていたのだろう。

そう考える余地が生まれます。

一人の人として見るというのは、何でも許すことではありません。
親として伝えたいことを全部飲み込むことでもありません。

ただ、伝える前に、相手の気持ちを想像してみること。
正す前に、少し聞いてみること。
「あなたにもあなたの理由があるのかもしれない」と思ってみること。

それだけで、言葉の出し方は変わっていきます。

私もすぐに上手にできたわけではありません。
今でも迷うことはあります。
それでも、娘を一人の人として見ようとする意識は、親子の空気を少しずつ変えてくれたように思います。

未解決でも、寄り添って聞くことはできる

娘とのことは、今でもすべてがきれいに解決したわけではありません。

もしかすると、娘の中にも「理不尽だった」という気持ちは残っているかもしれません。
私の中にも、あの時の言葉が静かに残っています。

でも、それでいいのだと思えるようになりました。

家族の問題は、全部に答えが出るわけではありません。
どちらが正しかったのかを決められないこともあります。
時間が経っても、完全にはほどけない気持ちもあります。

それでも、関係を続けていく中で、少しずつ変わるものがあります。

言い方がやわらかくなる日がある。
前より少しだけ、相手の話を最後まで聞ける日がある。
すぐに反応せず、間を置ける日がある。
それだけでも、大きな変化なのだと思います。

この経験を通して、私は「話を聞くこと」の大切さを改めて感じました。

聞くというのは、すぐに解決してあげることではありません。
正しい答えを出すことでもありません。
相手の気持ちがそこにあることを、急がずに受け止めようとすること。

そしてそれは、自分自身に対しても同じです。

怒ってしまった自分。
引けなかった自分。
余裕がなかった自分。
その時の私にも、理由がありました。

娘の気持ちを聞くことと同じように、自分の気持ちにも耳を傾ける。
その両方があって、少しずつ落ち着いていけるのだと思います。

親子関係は、未完成のまま続いていきます。
完全に解決しなくてもいい。
時間が流してくれることもある。

そう思えるようになったことが、私にとってこの体験から得た一番大きな気づきでした。

親子関係に悩んだとき、ひとりで答えを急がなくてもいい

親子だからこそ、わかってほしい。
家族だからこそ、ちゃんと向き合いたい。

そう思うほど、言葉が強くなってしまったり、相手の反応に傷ついてしまったりすることがあります。

私も、娘との言い争いの中で「どうしたら伝わるのだろう」と何度も考えました。
でも今振り返ると、すぐに正解を出すことよりも、少し時間を置くこと、気持ちが落ち着くのを待つことが必要だったのだと思います。

親子関係は、すべてがきれいに解決するわけではありません。
けれど、未解決のままでも、少しずつ距離が変わっていくことがあります。

もし今、反抗期の子どもとの関係や、家族との距離感に悩んでいるなら、ひとりで抱え込まなくても大丈夫です。

「こんなことで相談していいのかな」と思うようなことでも、気持ちを整理するきっかけになることがあります。

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完全に解決しなくてもいい。
時間が流してくれることもあります。
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