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小1の壁が不安な親へ|習い事を増やしすぎた私が気づいた、子どもの見守り方

小1の壁が不安な親へ|習い事を増やしすぎた私が気づいた、子どもの見守り方

子どもが小学生になる前。

「小1の壁」という言葉を耳にするたび、私は少しだけ胸がざわざわしていました。

保育園とは違う環境。
決められた時間割。
集団生活の中で求められること。

我が子は社交的で、明るくて、周りを笑顔にするようなタイプ。
けれどその一方で、型にはまるよりも自由にのびのび過ごすことが好きな子でもありました。

だからこそ私は、入学前に少しでも“段差”を小さくしてあげたいと思ったのです。

いろいろな経験をさせてあげたい。
子どもの可能性を広げてあげたい。
小学校生活で困らないように、今できることをしておきたい。

そんな親としての思いから、習い事を少しずつ増やしていきました。

けれど、今振り返ると、その時の私は「目の前の我が子」よりも、頭の中にある“こう育ってほしい我が子”を見ていたのかもしれません。

これは、子どもの就学を前に不安になった私が、習い事との付き合い方を通して、親としての「べき」を少しずつ手放していった体験談です。

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投稿者プロフィール

綾瀬うみ
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■ 待機時間:10時~24時(シフト制)
※土日祝対応(枠が埋まりやすいため、事前予約をお勧めします)
※シフトは2週間単位で掲載します、詳しくは待機カレンダーを確認ください。

■ 年齢:30代

■ キャッチコピー:「心ほぐれる、ひとときを。」

慌ただしい毎日の中で、少し肩の力を抜いて話せる時間を大切にしています。

■ よりびとナビ対応テーマ

※よりびとナビ対応よりびと
※よりびとナビとは、よりびとの経験や視点をもとに、気持ちや考えを一緒に整理していくオプションサービスです。

・子育ての悩み(発達・保育園・学校・ママ友)
・家族関係・パートナーとの関係
・病気や闘病による不安・気持ちの整理

■ こんな話をよく聴いています

・子どもの発達や関わり方の悩み
・保育園や学校に関する不安
・ママ友や保護者同士の人間関係
・夫婦関係や親子関係の悩み
・仕事と子育ての両立の悩み
・自身や家族の病気に関する不安
・恋愛やパートナーシップの悩み

■ 聴くときに大切にしていること

・相手の気持ちを深く理解しようとすること
・価値観を押し付けず、その人らしさを尊重すること
・人としてのぬくもりが伝わる関わりを大切にすること
・安心して本音を話せる時間をつくること

■ 関わり方のスタイル

・あなたのペースに合わせてゆっくり聴きます
・モヤモヤした気持ちを一緒に整理していきます
・感情を否定せず、そのまま受け止めます
・「話してよかった」と思える時間を目指します

■ 資格・職歴

・保育士
・幼稚園教諭免許
・保育士として10年以上勤務
・クラス担任、保育補助、加配保育の経験
・公的機関での育児相談経験多数
・心理学を学習中

■ これまでの経験

これまで10年以上にわたり保育現場で働き、多くの子どもたちや保護者の方と関わってきました。クラス運営や保護者対応だけでなく、職場の人間関係やコミュニケーションに関する相談を受けることも多くありました。

また、私自身も母親として子育てを経験しながら、家族の闘病、大切な人との別れ、自身の病気など、さまざまな人生の出来事と向き合ってきました。特に癌を経験した際には、不安や恐怖、自分を責める気持ちなど、多くの感情を抱えながら過ごした時期もありました。

だからこそ、言葉にならない苦しさや、誰にも話せない気持ちにも寄り添える存在でありたいと思っています。

■ こんな方におすすめ

・子育ての悩みを誰かに話したい
・発達や学校生活について不安がある
・家族やパートナーとの関係に悩んでいる
・病気や闘病中の不安を抱えている
・気持ちを整理したい
・ただ誰かに話を聴いてほしい

■ メッセージ

モヤモヤする。
誰かに聞いてほしい。
同じことを何度も考えてしまう。

そんな気持ちは、心が少し疲れているサインかもしれません。

「弱音を吐いてはいけない」「もっと頑張らなきゃ」と思わなくて大丈夫です。あなたはもう十分頑張っています。

うまく話せなくても大丈夫。
今のあなたの気持ちを、そのまま持ってきてください。

少しでも心が軽くなる時間をご一緒できたらうれしく思います。

目次

小学校入学を前に、親の私が少し焦っていたこと

子どもが小学生になる前、私は少しずつ「入学後の生活」を意識するようになっていました。

保育園とは違う時間の流れ。
毎日の登下校。
授業中に座って話を聞くこと。
集団の中で、自分の気持ちを調整しながら過ごすこと。

頭では「子どもは子どもなりに慣れていく」と分かっていたつもりでした。けれど、親としてはどうしても先回りして考えてしまいます。

我が子は明るく、周りを楽しませるのが好きなタイプでした。人と関わることも好きで、どこに行っても自然と輪の中に入っていけるようなところがありました。

その一方で、決められた型にきちんとはまるより、自分のペースでのびのび動く方が合っている子でもありました。

そんな姿を見ていたからこそ、私は「小学校に入って困らないように、今のうちにできることを増やしてあげたい」と思うようになりました。

それは、子どもを思う気持ちから始まったことでした。
でも今振り返ると、その奥には、親である私自身の不安もあったのだと思います。

目の前の子どもの声を聴いているようで、実は「こうなってくれたら安心」という私の願いを重ねていたのかもしれません。

「小1の壁」という言葉に、心が少しざわついた

「小1の壁」という言葉を聞いたとき、私はどこか他人事ではないように感じていました。

仕事と育児の両立が大変になるという話だけではなく、子ども自身にとっても、生活が大きく変わる時期です。保育園では先生が近くで見守ってくれていたことも、小学校では自分でやる場面が増えていきます。

朝の準備、持ち物の管理、先生の話を聞くこと、友だちとの関係。
考え出すと、親として気になることは次々に出てきました。

我が子は人なつっこく、場を明るくする力がある子でした。だから、友だち関係についてはそこまで心配していなかったのかもしれません。

けれど、自由に動くことが好きな姿を見るたびに、「授業中に座っていられるかな」「集団のルールに戸惑わないかな」と、つい先のことを想像してしまいました。

そのたびに私は、子どもの今の姿を見ているようで、まだ来ていない未来の不安を見ていたのだと思います。

子どもは目の前で笑っている。
楽しそうに過ごしている。
それなのに私は、心のどこかで「このままで大丈夫かな」と考えていました。

親になると、子どものために考えているつもりが、自分の不安を小さくするために動いてしまうことがあります。

私にとっての始まりも、まさにそこだったように思います。

子どもの可能性を広げたいと思い、習い事を増やしていった

小学校に入る前に、いろいろな経験をさせてあげたい。

そう思った私は、習い事について考えるようになりました。

運動もできた方がいい。
集中して取り組む時間もあった方がいい。
新しい場所や人に慣れる経験も、きっと役に立つはず。

そんなふうに考えているうちに、「これもいいかも」「あれも経験になるかも」と、習い事の選択肢がどんどん増えていきました。

最初の頃、我が子も新しいことに興味を持ち、楽しそうに通っていました。その姿を見ると、私も嬉しくなりました。

「やっぱり経験させてよかった」
「この子の可能性が広がっている」

そんなふうに感じていたのだと思います。

ただ、その頃の私は、子どもの表情を見ているようで、どこかで「できるようになること」に気持ちが向いていました。

楽しんでいるか。
疲れていないか。
本当はどう感じているのか。

そういった小さなサインを、今より丁寧には受け取れていなかった気がします。

親として何かをしてあげたい気持ちは、決して悪いものではありません。むしろ、子どもを大切に思うからこそ出てくるものです。

けれど、その思いが強くなりすぎると、子どもの歩幅よりも少し前を歩きすぎてしまうことがあります。

私はまさに、子どものためと思いながら、子ども自身のペースを見落とし始めていました。

「しっかり関わらなきゃ」という思いが、私を力ませていた

当時の私は、親として「ちゃんと関わらなきゃ」という思いを強く持っていました。

子どものことを理解したい。
必要な経験をさせてあげたい。
困らないように、できる準備はしておきたい。

そう考えるほど、自然と肩に力が入っていきました。

特に私は、子どもと関わることについて普段から考える機会が多かったこともあり、「自分の子どもにも、しっかり向き合わなければ」という思いがありました。

でも、その「しっかり」が、いつの間にか私自身を苦しくしていたのかもしれません。

子どもが少し嫌がっても、「ここを乗り越えることも大事」と思っていました。
多少大変でも、「続ける力になるはず」と考えていました。

もちろん、それも親としての願いでした。

けれど本当は、その前にもっと聴いてよかったのだと思います。

「今日はどうだった?」
「楽しかった?」
「疲れた?」
「本当は行きたくない気持ちもある?」

言葉になっている部分だけではなく、表情や声のトーン、帰ってきた後の様子。そういう小さな変化に、もっと耳を澄ませてもよかったのだと思います。

親として導くことばかりを考えていた私は、子どもの心の声を聴く余白を少し失っていました。

そのことに気づくまでに、私はもう少し時間が必要でした。

「子どものため」のはずが、少しずつ親の理想に近づけようとしていた

習い事を増やし始めた頃、私はそれを「子どものため」だと思っていました。

小学校に入ってから困らないように。
いろいろな経験をして、自信につながるように。
少し苦手なことにも向き合える力が育つように。

そんな願いがありました。

最初のうちは、我が子も新しい場所や活動に興味を持っているように見えました。楽しそうに参加している姿を見ると、私も安心しましたし、「やっぱりやらせてよかった」と感じていました。

けれど、習い事が増えるにつれて、子どもの表情に少しずつ変化が出てきました。

以前なら元気に向かっていた時間に、準備が進まなくなる。
「今日は行きたくない」と言う。
最後には、泣いて拒むようになる。

その姿を見たとき、私は戸惑いました。

「どうして?」
「子どものためを思っているのに」
「我が子なら、きっとできるはず」

そんな言葉が、頭の中をぐるぐる回っていました。

でも今思えば、その時の私は、子どもの気持ちを聴く前に、自分の中にある「こうあってほしい姿」を見ていたのだと思います。

子どもの可能性を広げたいという思いの奥に、親としての期待や不安が重なっていました。

そしてその重なりが、目の前の我が子の「もう疲れたよ」という小さなサインを、受け取りにくくしていたのかもしれません。

泣いて嫌がる姿に、私はすぐ答えを出せなかった

我が子が習い事を泣いて嫌がるようになったとき、私はすぐに「じゃあ、やめよう」とは言えませんでした。

もちろん、泣いている姿を見るのはつらかったです。
でも同時に、「ここでやめてしまっていいのかな」という迷いもありました。

子どもは、少し嫌なことがあると避けたくなるもの。
でも、乗り越えた先に自信がつくこともある。
親として、続ける大切さを教えることも必要なのではないか。

そんな考えが浮かんでは消えていました。

だから私は、子どもの涙を見ながらも、どこかで理由を探していました。

眠いだけかな。
今日は疲れているだけかな。
行ってしまえば、また楽しめるのではないかな。

そうやって、子どもの「行きたくない」という言葉を、そのまま受け止めることができずにいました。

今なら、その時の子どもにもっとゆっくり聞いてあげたかったと思います。

「何が嫌だった?」
「どんな時に疲れる?」
「本当はどうしたい?」

答えを急がず、正そうとせず、まずは子どもの気持ちをそのまま置いておく。そんな関わり方ができたらよかったなと思います。

けれど当時の私は、親として判断しなければいけないという思いが強く、子どもの声を聴く前に、どう導くかを考えていました。

涙は、わがままではなく、子どもなりの精いっぱいのサインだったのだと思います。

「我が子ならできるはず」という期待が、少し重くなっていた

私は、我が子のことを信じていました。

明るくて、人と関わることが好きで、新しい場所にも比較的なじみやすい。
そんな姿を見てきたからこそ、「この子なら大丈夫」と思っていました。

でも、その「信じている」という気持ちが、いつの間にか「できるはず」という期待に変わっていたのかもしれません。

習い事に行きたくないと言われたときも、私は心のどこかで「でも、あなたならできるよ」と思っていました。

それは励ましのつもりでした。
背中を押しているつもりでした。

けれど、子どもにとってはどうだったのでしょう。

本当は疲れていた。
本当は休みたかった。
本当は、もう少し自由に過ごす時間がほしかった。

そんな気持ちがあったとしても、親から「できるはず」と見られていると、子どもはそれを言い出しにくかったのかもしれません。

期待は、あたたかいものでもあります。
でも、受け取る側の状態によっては、少し重たくなることもあります。

私自身も、振り返って初めてそのことに気づきました。

子どもを信じることと、親の思う方向に頑張らせることは、似ているようで違います。

本当に信じるというのは、できる姿だけを見ることではなく、できない日や嫌がる日も含めて、その子の今を受け止めることなのだと思います。

子どもの声を聴くより先に、親としての正解を探していた

当時の私は、親としての正解を探していました。

小学校入学前には、どんな準備をしておくといいのか。
習い事はどれくらい経験させるのがいいのか。
嫌がったときは、続けさせた方がいいのか、それとも休ませた方がいいのか。

考えれば考えるほど、頭の中は「どうするべきか」でいっぱいになっていきました。

けれど、その間にも、目の前には我が子がいました。

疲れた表情をしている日。
準備に時間がかかる日。
いつもより口数が少ない日。
「行きたくない」と泣いて伝えてくれた日。

本当は、その一つひとつが大切なメッセージだったのだと思います。

でも私は、そのメッセージを聴くより先に、「親としてどう対応するのが正しいのか」を考えていました。

子どもの言葉を聴くことは、必ずしもすぐに言う通りにすることではありません。

まずは「そう感じているんだね」と受け止めること。
そのうえで、一緒に考えること。
今の子どもにとって何が負担で、何なら続けられそうなのかを、同じ目線で探していくこと。

その余白が、当時の私には少し足りなかったのかもしれません。

子どものために一生懸命だったからこそ、私は力が入りすぎていました。

そして、その力みがほどけていくきっかけは、思いがけず、家族の何気ない関わりの中にありました。

義実家で見えた、子どもが安心してのびのび過ごす姿

そんな私の力みを、少しずつほどいてくれたのは、義実家で過ごす時間でした。

義実家には、ふだんからよく行き来していました。
そこでは、義両親が我が子に対して、とてもゆったりと関わってくれていました。

何かを急がせるわけでもなく、できることを増やそうとするわけでもなく、ただその場にいる我が子の姿を、そのまま見守っているような関わり方でした。

我が子も、義実家ではとても自然体でした。
自分の好きなことをして、話したい時に話して、休みたい時には少しぼんやりしている。

その姿を見て、私はふと立ち止まりました。

「この子は、こんなふうに安心して過ごせる時間が必要だったのかもしれない」

そう思ったのです。

私は、それまで子どもにたくさんの経験をさせることばかり考えていました。
けれど、子どもにとって大切なのは、何かを身につける時間だけではありません。

何も求められずにいられる時間。
自分のペースで動ける時間。
大人に評価されるのではなく、ただ受け止めてもらえる時間。

そういう時間の中で、子どもは力を抜き、自分らしさを取り戻していくのだと感じました。

目の前の我が子を見る。
言葉だけでなく、表情や動き、過ごし方に耳を澄ませる。

義実家での何気ない風景は、私にその大切さを教えてくれました。

ゆったり見守る関わりが、子どもの表情を変えていた

義両親の関わり方は、私にとってとても印象的でした。

「ちゃんとしなさい」と急かすこともなく、
「これをやってみたら」と先回りすることもなく、
我が子が何かを始めれば、そばで穏やかに見守ってくれていました。

もちろん、何でも好き放題にさせるということではありません。
でも、必要以上に大人の正解へ誘導しようとしないのです。

その空気の中にいる我が子は、とても落ち着いていました。

普段の私は、つい「次はこれをしよう」「そろそろ準備しよう」「せっかくだから頑張ってみよう」と声をかけていたように思います。

それは悪気があったわけではありません。
むしろ、子どものためを思ってのことでした。

でも、義実家での我が子を見ていると、大人が少し手をゆるめるだけで、子どもはこんなにも自分のペースを取り戻せるのだと感じました。

子どもの表情は、言葉よりも正直なことがあります。

楽しそうにしているか。
安心しているか。
無理に合わせようとしていないか。
自分から動き出す余裕があるか。

そういう小さな変化を、私はもっと丁寧に見ていきたいと思いました。

「何かをさせること」だけが関わりではない。
「そのままを見守ること」も、子どもにとって大きな支えになる。

義両親の姿から、私はそんなことを教えてもらった気がします。

親の理想より、目の前の我が子を見ていなかったと気づいた

義実家でのびのび過ごす我が子を見ながら、私は少し胸が痛くなりました。

私はこの子のためにと思って、習い事を増やしてきました。
いろいろな体験をさせることが、親としてできることだと思っていました。

けれど本当は、頭の中にある「こう育ってほしい」という理想を、少しずつ我が子に重ねていたのかもしれません。

小学校に入っても困らない子。
多少嫌なことにも向き合える子。
いろいろな経験を楽しめる子。
親が安心できるくらい、しっかりした子。

そんな姿を、知らず知らずのうちに期待していました。

でも、目の前の我が子は、ただ疲れていたのだと思います。
頑張りたくない日もあり、自由に遊びたい日もあり、何も予定のない時間を過ごしたかったのだと思います。

その当たり前の気持ちを、私は「成長のため」という言葉で少し見えにくくしていました。

気づいたとき、申し訳なさもありました。
親として情けない気持ちにもなりました。

でも同時に、ここで気づけてよかったとも思いました。

子どもは、親の理想を叶えるために毎日を過ごしているわけではありません。

その子にはその子の感じ方があり、ペースがあり、好きなことや苦手なことがあります。

私が本当に大切にしたかったのは、理想に近づけることではなく、その子らしく育っていく姿をそばで応援することでした。

そのことに気づいたとき、私の中で「関わり方を変えていこう」という気持ちが芽生えました。

導くことより、まず気持ちを聴くことを大切にしたいと思った

それまでの私は、親として子どもを導くことに意識が向きすぎていました。

困らないように。
つまずかないように。
将来のためになるように。

そう思うほど、私は子どもの少し先を歩こうとしていたのだと思います。

でも、子どもに必要だったのは、いつも前から引っ張ることではなかったのかもしれません。

時には隣に並んで、
時には少し後ろから見守って、
時には立ち止まって、子どもの声を聴くこと。

「行きたくない」と言われたとき、すぐに励ますのではなく、まず理由を聴く。
「疲れた」と言われたとき、甘えだと決めつけず、その疲れを受け止める。
言葉にならない時には、表情や様子から感じ取ろうとする。

そういう関わりを、もっと大切にしたいと思いました。

もちろん、親として判断が必要な場面はあります。
子どもの言うことを全部そのまま通すことが、寄り添うことではないとも思います。

でも、判断する前に、まず聴く。
決める前に、まず受け止める。
正しさを伝える前に、「そう感じていたんだね」と一度心を置く。

その一呼吸があるだけで、親子の間に流れる空気は変わるのだと思います。

義実家で見た我が子の姿は、私にとって大きな気づきでした。

親として立派に導こうとしなくてもいい。
まずは、我が子の一番近くで、味方として声を聴いていこう。

そう思えたことが、私の関わり方を少しずつ変えていく始まりになりました。

「できるようにする」よりも、子どもの今を一緒に見ることを選んだ

義実家での我が子の姿を見てから、私は少しずつ関わり方を変えていきました。

まず見直したのは、習い事との付き合い方です。

子どもと話しながら、続けたいものと、少し負担になっているものを一緒に整理しました。
そして、習い事の数を減らすことにしました。

行きたくない日には、無理に連れていくのをやめました。
「休んでもいいよ」と言うことは、最初は正直こわかったです。

このまま逃げぐせがつくのではないか。
親として甘やかしているのではないか。
本当にこれでいいのだろうか。

そんな迷いは、しばらく残っていました。

けれど、子どもの表情を見ながら、少しずつ分かってきたことがあります。

子どもは、無理に押し出されなくても、自分の中から「やってみたい」と思えた時には動き出すのだということです。

親ができるのは、いつも正しい方向へ導くことだけではありません。
子どもの疲れや迷いにも耳を傾けながら、今どんな状態なのかを一緒に見ていくこと。

その関わり方に変えてから、私自身の気持ちにも少し余白が生まれました。

「こうあるべき」と力を入れるより、
「今日はこういう日なんだね」と受け止める。

その積み重ねが、親子の空気を少しずつやわらかくしてくれたように思います。

習い事を減らしたことで、子どもの表情が戻ってきた

習い事を減らすと決めたとき、私はどこかで負けたような気持ちになっていました。

せっかく始めたのに。
途中でやめていいのかな。
もう少し頑張れば、何か変わるかもしれないのに。

そんな思いが、何度も浮かびました。

でも、子どもと話しながら整理していくうちに、私が握りしめていたものは「子どもの成長」だけではなかったのだと感じました。

親としてちゃんとやれていると思いたい気持ち。
小学校前に準備をしておきたい不安。
いろいろな経験をさせている自分への安心感。

そういうものも、一緒に握っていたのだと思います。

習い事を減らした後、子どもには少しずつ余裕が戻ってきました。

予定のない時間に、好きな遊びをする。
家でゆっくり過ごす。
気が向いた時に、自分から何かを始める。

その姿を見ていると、「何もしない時間」にもちゃんと意味があるのだと感じました。

大人から見ると、ただ遊んでいるだけに見える時間。
ぼんやりしているだけに見える時間。

でも子どもにとっては、気持ちを整えたり、自分のペースを取り戻したりする大切な時間だったのかもしれません。

習い事を減らしたことで失ったものもあるかもしれません。
でも、それ以上に、子どもらしい表情が戻ってきたことが、私には大きな答えのように感じられました。

「行きたくない日」も、子どもの大切なサインだった

以前の私は、子どもが「行きたくない」と言うと、すぐにどう対応するかを考えていました。

休ませるべきか。
励まして行かせるべきか。
ここで踏ん張らせることが必要なのか。

でも関わり方を変えてからは、まずその言葉を受け止めるようにしました。

「今日は行きたくないんだね」
「疲れている感じかな」
「何か嫌なことがあった?」

そう聞いてみると、子どもなりにいろいろな理由があることが分かりました。

体が疲れている日。
気持ちが乗らない日。
家でゆっくりしたい日。
理由をはっきり言葉にできないけれど、とにかく行きたくない日。

大人でも、そういう日はあります。

毎日同じ調子で頑張れるわけではありません。
それなのに、子どもにはつい「頑張ってほしい」と思ってしまうことがあります。

でも、「行きたくない」は、ただのわがままではなく、今の状態を知らせてくれる大切なサインでもあるのだと思います。

もちろん、毎回すぐに休ませるということではありません。
けれど、その言葉の奥にある気持ちを聴こうとするだけで、子どもは少し安心するのかもしれません。

親が自分の気持ちを分かろうとしてくれている。
無理やり決めつけずに、一緒に考えてくれる。

その安心感があると、子どもはまた自分のタイミングで動き出せるのだと思います。

小学校入学後に見えた、子ども自身の力

心配して迎えた小学校生活でしたが、入学後の我が子は、私の想像以上にスムーズに新しい環境へなじんでいきました。

保育園とは違う生活にも、大きく戸惑うことなく、友だちとの関わりも楽しみながら過ごしていました。

その姿を見たとき、私は少し拍子抜けしたような、でも心から安心したような気持ちになりました。

あれほど先回りして心配していたけれど、子どもには子ども自身の力がちゃんとあったのだと思います。

親がすべて整えなくても、
全部を練習させなくても、
困らないように先に道をならさなくても、

子どもはその場その場で感じ、考え、少しずつ自分のやり方を見つけていくのだと感じました。

もちろん、これから先も迷うことはあると思います。
今でも時々、「こうしてほしい」と親としての理想を押しつけそうになることがあります。

でもそんな時は、あの頃の我が子の涙や、義実家でのびのび過ごしていた姿を思い出します。

親として完璧でいなくてもいい。
いつも正しい答えを出せなくてもいい。

大切なのは、目の前の子どもをよく見て、声にならない気持ちにも耳を澄ませること。

そして、子どもの一番近くで「あなたの味方だよ」と伝え続けることなのだと思います。

親の「不安」をひとりで抱えすぎないために

小学校入学を前にすると、親の方が先に不安になることがあります。

「このままで大丈夫かな」
「もっと準備しておいた方がいいのかな」
「習い事も、勉強も、生活習慣も、ちゃんとしておかないと」

そんなふうに考えているうちに、気づけば子どものためではなく、自分の不安を少しでも減らすために動いていた。
私自身、今振り返るとそう感じる場面がありました。

けれど、子どもには子どものペースがあります。

泣いて嫌がる日も、疲れて動けない日も、何もしたくない日もあります。
それは決して「弱いから」ではなく、その子なりに一生懸命、今の環境や気持ちと向き合っているサインなのかもしれません。

親にできることは、いつも正解を出すことではなく、まず目の前の子どもの姿を見つめること。
そして、「どうしたらいいか」をひとりで抱え込まず、必要な時には誰かと一緒に整理してみることだと思います。

子どもの就学や習い事との付き合い方、親としての関わり方に迷った時は、話してみることで少し見え方が変わることもあります。

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