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父の異変に気づけなかった私へ|統合失調症と向き合う中で知った“家族の限界と支え方”の体験談

父の異変に気づけなかった私へ|統合失調症と向き合う中で知った“家族の限界と支え方”の体験談

今回は、私の実父がかかった「統合失調症」についての体験をお話しします。

いま振り返ると、父の異変にはいくつものサインがありました。
けれど当時の私は、それを「よくある近所トラブル」と受け止めてしまい、深刻さに気づくことができませんでした。

そして何より難しかったのは、どう関わればいいのか分からなかったことです。
気持ちに寄り添えばいいのか、現実を伝えるべきなのか。
その間で揺れながら、私は何度も戸惑い、間違った関わり方をしてしまったと思います。

後から知ったのは、統合失調症は家族だけで抱えられるものではなく、専門的な医療やサポートが必要な病気だということでした。
そして同時に、支える家族もまた大きな負担や葛藤を抱えやすいという現実です。

この体験談では、父の変化に戸惑いながら向き合ってきた過程とともに、家族として感じた苦しさや限界についても正直に書いていきます。

同じように悩んでいる方にとって、少しでも現実的なヒントや安心につながればと思っています。

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たんべさやか
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■ キャッチコピー:「言葉にならない気持ちを、いっしょにほどく。」

■ 得意なテーマ

- もやもやしている気持ちの整理
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- ペット(おもに犬)の悩み
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- 優しく愛情深く相槌を打ちます
- 話がまとまっていなくても大丈夫
- どんな話も落ち着いて受け止めます
- 気持ちに寄り添い、共感するスタイルです

■ 経験

- 大手結婚情報誌の編集として、数多くのカップルの話に耳を傾けてきました。
- 自身は、夫と3年前に別居。共同親権法の施行を待って、離婚を見据え、子どもを夫と交代で協力して養育しています。
- 離婚が決まり、苦しかった時にオンラインカウンセリングに出会い、自分も人の力になりたいとメンタルケア心理士の資格を取得しました。
- 恋愛・婚活・結婚の悩みやパートナーとの関係、離婚や子育てなどのお悩みにお力になれたらと思っています。
- また、ペット(犬)情報誌の編集経験から、ペットの悩みにもお答えしていきたいです。
- 東京大学文学部卒。

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■ 人柄・ユニークポイント

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人と人とのつながりが希薄になってさみしさを抱えるあなたに、少しでも温かい気持ちになってもらえるようなよりびとを目指します。どんな些細な事でも、口に出すことで気持ちが楽になるはず。一緒に少しでも前を向ける温かい時間を過ごしましょう!

目次

「これって本当にただのトラブル?」違和感を見過ごしていた頃

今思えば、父の言動には明らかな違和感がありました。
けれど当時の私は、それを深刻に受け止めることができていませんでした。

父が「上の階の人に嫌がらせをされている」と言い始めたとき、私はまず「よくある近所トラブルかな」と考えました。
騒音や人間関係のもつれは、どこにでもある話だと思っていたからです。

ただ、よくよく聞いてみると、その内容は少しずつ現実とはズレていました。
父にだけ聞こえる声や音、行動を監視されているという話。
冷静に考えれば違和感のある内容でしたが、父はとても真剣で、不安そうな様子でした。

それに加えて、母も父を擁護するような言い方をしていたため、私は「自分の感覚が間違っているのかもしれない」とさえ感じてしまっていました。

今振り返ると、この時点で専門的な視点での対応を考えるべきだったのだと思います。
けれど当時の私は、「家族の中でなんとかできる問題ではないか」とどこかで思ってしまっていました。

違和感はあるのに、はっきり行動に移せない。
その曖昧な状態が、しばらく続いていくことになります。

「少しおかしいかも」と思いながらも、深く向き合えなかった理由

父の話を聞く中で、「これは少し普通とは違うかもしれない」と感じることは何度もありました。

それでも私は、すぐに何か行動を起こすことができませんでした。
理由のひとつは、「本当に病気なのか確信が持てなかった」ことです。

間違っていたらどうしよう。
ただの思い込みで、大ごとにしてしまうのではないか。

そんな迷いがあり、結果として判断を先延ばしにしてしまっていました。

また、父の言葉を完全に否定することにも抵抗がありました。
怖がっている姿を見ると、「それは違う」と強く言い切ることができなかったのです。

このときの私は、「何もしない」という選択をしていたのだと思います。
でも今思えば、その“何もしない時間”が、状況を見極める機会を遅らせてしまったのかもしれません。

家族の中で起きていた“現実のズレ”に戸惑っていた日々

気づけば、家の中の空気も少しずつ変わっていきました。

父の話は繰り返されるようになり、そのたびに母も同じように話すようになっていきました。
「上の人はおかしい」「嫌がらせをしてくる人だ」と、父の見方を共有しているような状態です。

私はその様子を見ながら、どこかで違和感を抱きつつも、強く否定することができませんでした。
家族の中で自分だけが違うことを言うことに、迷いもあったのだと思います。

一方で、「本当にそんなことが起きているのだろうか」と考え続けることにも疲れていきました。

現実と話の内容が一致しない。
でも、否定もできない。

その間で揺れ続ける状態は、想像以上にしんどいものでした。

「家族でなんとかしなきゃ」と思い込んでいた自分

当時の私は、「これは家族の問題だから、家族でなんとかしないといけない」と考えていました。

外に相談することや、医療機関につなげることは、どこか大げさなことのように感じていたのです。
まだそこまでではないのではないか、という思いもありました。

けれど実際には、その考え方自体が自分を追い込んでいたのだと思います。

どう関わるのが正しいのか分からないまま、家族の中だけで抱え続ける。
その状態は、少しずつ負担になっていきました。

後になって気づいたのは、精神疾患は家族だけで抱えるものではないということです。
専門的な支えが必要な領域であり、早く頼ることが大切だったのだと思います。

あの頃の私は、その一歩を踏み出せずにいた。
そのことが、この後の出来事につながっていきます。

現実とのズレが広がる中で、対応の難しさを感じ始めた頃

違和感を抱えながら過ごしていた時間は、少しずつ重たさを増していきました。

父の話は変わらず続き、むしろ以前よりも確信を持って語られるようになっていきました。
「聞かれている」「監視されている」という訴えは日常的になり、その中で父自身の不安や恐怖も強くなっているように見えました。

そしてその変化に、家族としてどう対応すればいいのかが分からなくなっていったのです。

ただ話を聞いていればいいのか。
それとも現実を伝えるべきなのか。

どちらが正しいのか判断できないまま、私はその場その場で関わり方を変えながら、なんとかやり過ごしていました。

けれど今思えば、この時期はすでに「家族だけで抱えられる段階ではなかった」のだと思います。

筆談での生活に変わっていった日常と強まる違和感

ある時期から、両親は日常的に筆談で会話をするようになりました。

理由は、「声を出すとすべて聞かれてしまうから」。
その言葉を聞いたとき、さすがに普通ではないと感じました。

けれど父にとっては、それが現実でした。
不安そうな表情で周囲を気にしながら、真剣に話す姿を見ると、強く否定することもできませんでした。

私はその場では「そうなんだね」と受け止めながらも、心の中ではどうしたらいいのか分からずにいました。

ただ、この時点で感じていたのは、「安心させたい」という気持ちと、「このままでいいのか」という不安の両方でした。

結果として、私ははっきりとした対応を決められないまま、曖昧な関わりを続けてしまっていたのだと思います。

話の内容が現実から離れていく中で感じた限界

父の話は、次第にさらに広がっていきました。

盗聴されているだけでなく、その影響で相手の家族の仕事に影響が出ている、周囲が関わっているなど、話のスケールが大きくなっていったのです。

その内容を聞くたびに、「さすがにおかしい」と感じる気持ちは強くなっていきました。
けれど同時に、どう関わればいいのかは相変わらず分からないままでした。

否定すれば不安を強めてしまうかもしれない。
かといって、肯定してしまうと現実とのズレを広げてしまう。

その間で、私は何度も言葉を選びながら話を聞くことしかできませんでした。

この頃にはすでに、「家族としてできることには限界があるのではないか」という感覚も、少しずつ出てきていました。

「家族でなんとかする」ことの難しさに気づき始めたとき

当時の私は、「家族の問題だから、自分たちで何とかしなければ」と思い込んでいました。

けれど実際には、その考え方が状況をより難しくしていたのだと思います。

どう対応するのが正しいのか分からないまま、家族の中だけで抱え続ける。
その状態は、少しずつ心の余裕を奪っていきました。

特に印象に残っているのは、「自分の感覚が正しいのか分からなくなっていく感覚」です。
周囲と話が合わない中で、何が現実なのか、自分の判断にも自信が持てなくなっていきました。

後になって分かったことですが、統合失調症は専門的な医療の関わりが不可欠な病気です。
そして、家族だけで抱え込むほど負担が大きくなってしまうものでもあります。

このときの私は、まさにその“限界に近づいている状態”だったのだと思います。

状況が一気に動いた日、見過ごせなかった“限界のサイン”

それまでどこかで「まだ大丈夫かもしれない」と思っていた状況は、ある日をきっかけに大きく動きました。

父が突然、私の家にやってきたのです。

ただ訪ねてきた、という雰囲気ではありませんでした。
顔色は悪く、落ち着きがなく、明らかにいつもとは違う様子でした。

そして父は、「逃げてきた」と言いました。

理由を聞くと、「上の階の人がやくざを雇って、自分を殺しに来る」と。
それまで聞いてきた話とは比べものにならないほど、恐怖が強くなっていました。

このとき初めて、私ははっきりと感じました。
「これはもう家族だけで対応できる状態ではない」と。

違和感ではなく、“限界のサイン”だったのだと思います。

強い恐怖に支配されていた父の姿

目の前の父は、これまで知っている父とは別人のようでした。

大柄でしっかりしていた父が、小さく体を縮こませて、周囲を警戒している。
物音がするたびに反応し、「聞かれているから静かに」と小声で言う。

その姿から伝わってきたのは、「間違っている考え」ではなく、強い“恐怖”でした。

ここで改めて感じたのは、
たとえ現実とは違う内容であっても、本人にとっては本当に起きていることだということです。

ただし同時に、ここでその内容に合わせてしまうことが適切ではない、という難しさもありました。

否定しすぎてもいけない。
でも、肯定してしまうとさらに現実から離れてしまう。

そのバランスの難しさを、強く実感した瞬間でした。

どう声をかけるべきか分からなかった自分

あのときの私は、本当にどうすればいいのか分かりませんでした。

安心させたい気持ちはある。
でも、どんな言葉をかければいいのかが分からない。

「そんなことはないよ」と言えばいいのか。
それとも「怖かったね」と受け止めるべきなのか。

頭ではいろいろ考えていても、実際の場面では言葉が出てこない。
そんな状態でした。

結果として、私はうまく関わることができなかったと思います。

今振り返ると、この時期に必要だったのは「正しい声かけ」を一人で探すことではなく、
専門的な支援につなげることだったのだと感じています。

家族の関わりだけでどうにかしようとしていたこと自体が、無理のある状況でした。

家族だけで抱えることの限界を実感した瞬間

この出来事をきっかけに、私はようやく現実と向き合うことになりました。

それまでどこかで、「家族だから支えなければ」「なんとかしなければ」と思っていました。
けれど実際には、それだけで支え続けることは難しいと痛感しました。

父の不安や恐怖は、家族の言葉だけで解消できるものではなかった。
そして、その状況を受け止め続けること自体も、私にとって大きな負担になっていました。

精神的にも体力的にも、余裕がなくなっていく感覚。
それは決して特別なことではなく、家族として自然な反応だったのだと思います。

このとき初めて、「専門的なサポートが必要だ」ということを現実として受け止めることができました。

そして同時に、支える側のしんどさにも、はっきりと気づくことになりました。

支える側の限界と向き合って気づいたこと

父の変化に向き合う中で、私は少しずつ現実を受け止めていきました。

統合失調症は、家族の関わりだけでどうにかできるものではない。
きちんと医療につながり、継続した治療が必要な病気であること。

そして同時に、支える家族もまた、想像以上に大きな負担を抱えるということでした。

私は当時、子育てをしながら父のことにも向き合っていました。
気を張り続ける日々の中で、眠れない夜が増え、体調も崩しやすくなっていきました。

仕事でもミスが続き、「ちゃんとしなきゃ」と思うほど空回りしてしまう。
気づけば、自分自身にも余裕がなくなっていたのです。

父のことで精一杯なはずなのに、
「自分まで崩れてはいけない」と無理を重ねてしまっていました。

「寄り添うだけでは支えきれない」という現実

この経験を通して、はっきり分かったことがあります。

それは、気持ちに寄り添うことはとても大切だけれど、
それだけでは支えきれないという現実です。

精神疾患は、専門的な治療やサポートがあってこそ成り立つもの。
家族がどれだけ頑張っても、役割には限界があります。

むしろ無理をしすぎることで、
支える側も追い詰められてしまうことがあります。

私自身、「もっと何かできるのではないか」と考え続けていました。
でもその思いが、自分を苦しくしていたのだと後から気づきました。

だからこそ今は、
「一人で抱え込まなくていい」ということを強く感じています。

同じように悩むご家族の方へ

もし今、大切な人のことで悩んでいる方がいたら。

まず伝えたいのは、
そのしんどさはとても自然なものだということです。

支えたい気持ちがあるからこそ苦しくなる。
それは決して弱さではありません。

そしてもうひとつ。
どうか「自分のことも後回しにしすぎないでほしい」と思います。

支える側が倒れてしまうと、
結果的に状況はさらに苦しくなってしまいます。

誰かに頼ること、話すこと。
それは決して逃げではなく、大切な選択のひとつです。

この経験を通して、私が今できること

私自身、この経験を通して、
「支える側の苦しさ」を身をもって知りました。

どう関わればいいのか分からない不安。
誰にも話せず抱え込んでしまう孤独。
そして、自分の生活にも影響が出てしまう現実。

そのどれもが、とても苦しいものでした。

だからこそ今、
同じように悩んでいるご家族の力になりたいと思っています。

一人で抱え込まず、
少しでも気持ちを整理できる時間を持つこと。

そのお手伝いができれば嬉しいです。

ご希望の方には、電話でゆっくりお話を伺っています。
詳細やご予約については、LINE公式アカウントからご確認いただけます。

あなたが少しでも安心して過ごせるように。
そのためのひとつの選択肢として、そっと置いておきます。

読者へのメッセージ

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

もしかしたら今、
「これ、うちの状況に少し似ているかも」
そんなふうに感じながら読んでくださった方もいるかもしれません。

精神疾患は、本人のつらさが大きいのはもちろんですが、
それを支える家族もまた、見えにくいしんどさを抱えやすいものだと感じています。

どう関わればいいのか分からない。
何が正解なのか分からない。
でも放っておくこともできない。

その中で、気づかないうちに自分を追い込んでしまうこともあります。

私自身も、「なんとかしなきゃ」と思い続ける中で、
眠れなくなったり、余裕をなくしたり、うまくいかないことが増えていきました。

だからこそ今は、
「一人で抱え続けなくていい」ということを、強くお伝えしたいです。

家族だから頑張らなきゃいけない、ではなくて、
頼れるものは頼っていいし、
自分の気持ちを外に出すことも大切なことです。

もし今、少しでもしんどさを感じているなら、
その気持ちを誰かに話すという選択も、ひとつ持っておいてほしいと思います。

ご希望の方には、電話でゆっくりお話を伺う機会もご用意しています。
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無理に頑張らなくても大丈夫です。
あなたのペースで、少しずつ整えていけたらいいなと思っています。

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