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小学校受験に失敗して気づいたこと|娘に「合格」を求めすぎた私の子育て体験談

小学校受験に失敗して気づいたこと|娘に「合格」を求めすぎた私の子育て体験談

子どものためにと思って始めたことが、いつの間にか子どもを苦しめてしまっていた。親として振り返ったとき、そんな経験に気づくことがあります。

私にとって、その一つが娘の小学校受験でした。

私自身、子どもの頃に国立小学校を受験した経験があります。学力試験を通過することができ、当時の私にとっては「頑張って挑戦した楽しい思い出」として残っていました。だから娘にも、同じような経験をさせてあげたい。最初は、そんな気持ちだったと思います。

ところが実際に受験対策を始めてみると、仕事をしながら、別居共同養育で娘と過ごせる限られた時間の中で勉強を進めなければならず、思っていた以上に余裕がありませんでした。予定通りに進まないと焦り、できないことがあるとイライラする。いつの間にか「娘のため」という気持ちよりも、「何とか合格させなければ」という思いのほうが大きくなっていました。

そして後になって振り返ると、私がそこまで小学校受験にこだわった背景には、自分自身の成功体験だけではなく、母から繰り返し聞かされてきた私の受験の思い出も影響していたのだと思います。

娘の小学校受験は、結果として不合格でした。

けれど私にとって本当に残ったものは、不合格という結果そのものではありません。「私は誰のために、こんなに頑張っていたのだろう」と、自分の子育てや親から受け継いできた価値観を振り返るきっかけになったことでした。

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ご相談いただいた内容が、そのまま記事として掲載されることはありませんので、どうぞ安心してお話しください。

目次

娘にも、自分と同じ「楽しい受験経験」をさせたかった

小学校受験を考え始めた頃、そこに強い不安があったわけではありませんでした。むしろ私の中では、小学校受験はどちらかというと前向きな思い出でした。

私自身、子どもの頃に国立小学校を受験しています。学力試験を通過した経験もあり、「頑張って挑戦した」「ちょっと特別な経験をした」という楽しい記憶として残っていました。

だから娘が小学校に上がる時期が近づいたとき、自然と「娘にも経験させてみたいな」と思ったのです。

もちろん、受験をしなければ幸せになれないと思っていたわけではありません。ただ、自分が経験してよかったと思っていることを、子どもにも経験させてあげたい。親ならそんな気持ちになることもあると思います。

ところが実際に始めてみると、小学校受験は私が記憶していたほど単純なものではありませんでした。

仕事、別居共同養育、限られた親子の時間。その中に受験対策が加わったことで、少しずつ生活の歯車が変わり始めました。

「楽しかった記憶」が受験を始めるきっかけになった

自分が子どもの頃に経験した小学校受験は、今振り返ってもそれほど悪い思い出ではありません。

試験を受けるために準備をしたことや、学力試験を通過したことは、「頑張ったら結果につながった」という成功体験として残っていました。

そのため、娘の受験を考えたときも、最初から「絶対に合格させなければ」という感覚ではなかったように思います。「こんな経験もしてみたら面白いんじゃないかな」という、もう少し軽い気持ちから始まっていました。

親は、自分が楽しかったことや、やってよかったと思ったことを、つい子どもにも勧めたくなるものです。

旅行が好きなら一緒に旅行へ行きたいと思うし、スポーツが好きなら子どもにもやらせてみたくなる。私にとって、小学校受験も最初はその延長線上にあったのだと思います。

ただ、自分にとって良い経験だったからといって、子どもにとっても同じ経験になるとは限りません。

そのことに、この頃の私はまだ気づいていませんでした。

夫は受験に消極的、それでも準備を始めた

当時、夫は小学校受験には必要性を感じていませんでした。

それでも私は「やってみたい」という思いが強く、結果的には夫の意見を押し切るような形で、国立小学校の受験対策を始めることになりました。

教材を買い、工作に使えそうな道具をそろえ、季節について学べそうな場所へ娘を連れて行く。小学校受験では、机に向かう勉強だけではなく、日常のさまざまな経験も大切だと考えていたからです。

最初のうちは、準備をすること自体にもどこか楽しさがありました。

「今度はこれをやってみよう」
「こんなことも覚えておいたほうがいいかな」

そんなふうに考えていると、親として娘の成長に関わっているような気持ちにもなります。

けれど、私たちは別居共同養育の状態でした。娘と一緒に過ごせるのは週の半分ほど。受験への考え方も夫婦で同じではありません。

思い描いていた受験対策と、実際の生活との間には、少しずつズレが生まれていきました。

限られた時間の中で「やらなければ」が増えていった

娘と一緒に過ごせる時間が限られている中で受験対策を進めると、どうしても一回一回の時間が大切になります。

今日はこれをやろう。
次に会ったときはここまで進めよう。

そんな予定を頭の中で組み立てるようになりました。

ところが、子どもは大人が作った予定通りには動きません。当然です。疲れている日もあれば、遊びたい日もあります。こちらが「今日は勉強しよう」と思っていても、娘の気持ちはまったく別のところにあることもありました。

さらに、夫のところで過ごしている間には受験対策が進まないため、「私が一緒にいるときにやらなければ」という感覚も強くなっていきました。

仕事もしながら、娘との時間も大切にしたい。そのうえで受験対策もしなければならない。

一つひとつは「娘のため」と思って始めたことなのに、いつの間にか私の中には「間に合わない」「もっとやらなければ」という焦りが積み重なっていました。

そして、その焦りは少しずつ、娘への接し方にも表れるようになっていきます。

「ちゃんとやらなければ」が増えるほど、親子の時間が苦しくなっていった

小学校受験の準備を始めた頃は、「娘にも自分と同じような経験をさせてあげたい」という気持ちでした。けれど、仕事をしながら、別居共同養育で娘と過ごせる限られた時間の中で対策を続けていると、少しずつ気持ちに余裕がなくなっていきました。

教材を用意して、工作をして、季節のことも覚えてもらう。やったほうがよさそうなことを知れば知るほど、「これも必要」「あれもまだできていない」と、やることばかりが増えていきます。

一方で、娘と一緒に過ごせるのは週の半分ほど。夫はもともと小学校受験には賛成ではなかったため、離れている間に受験対策が進むわけでもありませんでした。

そうなると、「私と一緒にいる間に進めなければ」という気持ちがどんどん強くなります。

娘のために始めたはずの受験でした。それなのに気づけば、娘が楽しんでいるかどうかより、「予定通りに進んでいるか」を気にする時間のほうが増えていました。

娘と会える時間が、そのまま「受験対策の時間」になっていった

別居共同養育では、娘と毎日一緒にいるわけではありません。そのため、一緒に過ごせる日は本来なら親子でゆっくりしたり、遊んだりする大切な時間でもありました。

ところが小学校受験を始めてから、その時間の中に「今日はこれをやらせなければ」という予定が入り込むようになりました。

教材を少し進める。工作の練習をする。季節の行事について話す。体験学習にも連れて行く。

どれも、それだけを見れば娘にとって悪い経験ではなかったと思います。ただ、それらを「受験までに身につけさせなければ」と考え始めると、意味が変わってきます。

娘が気分を乗せてくれない日には、「せっかく時間があるのに」と焦るようになりました。

子どもにしてみれば、今日は勉強より遊びたい日だったのかもしれません。それでもこちらには「次に会うまで進められない」という事情があります。

親子で過ごす時間と受験対策の時間が、いつの間にかほとんど同じものになっていました。

思うように進まないたび、焦りが娘に向かってしまった

受験対策をしていると、「ここまでできるようになってほしい」という目安が次々と出てきます。

けれど子どもの成長は、予定表のようには進みません。一度できたことが次の日にはできなかったり、興味を持っていたものに急に飽きたりすることもあります。

今なら、それも子どもらしさだったのだと思えます。

当時はそう受け止める余裕がありませんでした。

限られた時間の中で結果を出そうとするほど、「どうしてできないの」「もう少しやってほしい」という気持ちが膨らんでいきました。そして思い通りに進まないことが続くと、だんだん感情的になることも増えていきました。

娘が悪いわけではありません。

仕事もある。夫婦で受験への温度差もある。娘と過ごせる時間にも限りがある。それでも受験をすると決めた以上、何とかしなければならない。

いくつもの焦りが重なり、最後には娘に向かってしまっていたのだと思います。

「そこまでして受験させたいのはなぜ?」と考えるようになった

それでも当時は、途中でやめるという発想にはなかなかなりませんでした。

「せっかく始めたのだから」
「ここまで準備したのだから」
「自分も国立小学校を受験したのだから」

そんな理由が頭の中にいくつも浮かんでいました。

そして振り返ってみると、その中にはもう一つ大きなものがありました。私の母の存在です。

母は、私が子どもの頃に国立小学校を受験し、学力試験を通過したことを何度も話していました。もちろん母に悪気があったわけではないと思います。ただ、その「成功した思い出」を繰り返し聞いているうちに、いつの間にか「自分の娘にも同じことをさせなければ」という気持ちになっていたのかもしれません。

娘のためだと思っていた小学校受験。

けれど、本当に娘だけを見て決めたことだったのだろうか。

自分の成功体験や、母から受け取った期待まで娘に重ねていたのではないか。そんなことを考えるようになった頃には、受験は親子にとって決して「楽しい経験」だけではなくなっていました。

不合格になって初めて見えた、娘の姿と自分の焦り

受験当日はもちろん、その前後も落ち着かない日々が続きました。仕事をしながら必要な書類をそろえ、抽選の結果を確認し、学校ごとに違う予定を管理する。小学校受験は、子どもが試験を受けるだけではなく、親にも想像以上の負担がかかるものでした。

そして、娘の小学校受験は不合格という結果になりました。

もちろん残念な気持ちはありました。ただ、受験が終わって少し時間がたつと、結果とは別のことが気になるようになりました。

娘にとって、この受験は楽しい経験だったのだろうか。

自分自身の小学校受験は楽しい成功体験として残っています。でも、同じことを娘にも経験させたつもりが、実際には焦る親に付き合い、勉強や課題をこなし続ける時間になっていたのかもしれません。

不合格になったからこそ、「どうすれば合格できたか」ではなく、「娘をちゃんと見ていただろうか」と考えるようになりました。

結果は不合格、それでも受験が終わると少し肩の力が抜けた

国立小学校の受験では、試験そのものだけでなく、書類の準備や抽選もありました。

仕事をしながら願書などを用意し、抽選があれば結果を確認する。そのたびに予定が変わることもあり、当時はかなり慌ただしく過ごしていました。

そして最終的に、娘は不合格でした。

そこまで時間をかけて準備してきただけに、結果を知ったときはやはり残念でした。「もう少しできることがあったのでは」と考えることもありました。

でも、不思議なもので、受験が終わったことで少し肩の力が抜けた部分もありました。

次は何を覚えさせなければならない、今日は何を練習しなければならない、という生活がいったん終わったからです。

そこで改めて娘を見ると、受験の前も後も、娘自身は同じ娘でした。

合格しなかったからといって、娘の良さが減るわけではありません。

当たり前のことなのに、受験の真ん中にいるときには、その当たり前が見えにくくなっていました。

模試の結果には、ちゃんと娘らしさが表れていた

受験を振り返ってみると、今でも「もっと娘自身を見ておけばよかった」と感じることがあります。

娘の模試の結果を見ると、ペーパー問題よりも、実技やコミュニケーションの点数が高く出ていました。

つまり娘には、机の上で問題を解く力だけではない、別の良さがきちんとあったのです。

本来なら、その特徴を見ながら学校を選ぶ方法もあったと思います。実技やコミュニケーションを重視する学校であれば、娘の良さがもっと自然に出た可能性もありました。

ところが当時は、抽選に通った学校への願書提出などを逃してしまったこともありました。後になって、その学校が自宅から通いやすい場所だったと気づいたくらいです。

目の前の準備をこなすことに必死になるほど、かえって大切なものを見落としてしまう。

「どこに合格できるか」ばかりではなく、「この子はどんなことが得意なのか」「どんな環境なら力を出せそうなのか」をもっと見ていたら、受験との向き合い方も少し違っていたのかもしれません。

「合格させること」が目的になっていたのかもしれない

仕事をしながら、娘と一緒に過ごせる週の半分ほどの時間で受験対策をする。しかも、高額な受験教室に長く通っていたわけではなく、体操教室に数カ月通った程度でした。

そう考えると、かなり難しい条件の中で国立小学校受験に挑んでいたのだと思います。

それでも当時は、「何とかできるのではないか」と考えていました。

教材を用意して、できる範囲で勉強をして、体験も増やしていけば、もしかしたら合格できるかもしれない。そんな期待があるからこそ、少しでも足りないところが見えると焦ってしまいます。

けれど、受験が終わってから考えると、いつの間にか「娘に良い経験をさせたい」という最初の気持ちより、「合格させたい」という結果のほうが大きくなっていました。

親が何かに一生懸命になること自体が悪いわけではありません。ただ、一生懸命になりすぎると、子どもの表情より予定表を見てしまうことがあります。

不合格という結果は残りましたが、それ以上に残ったのは、「親が思い描いた成功」と「子どもにとっての幸せ」は、必ずしも同じではないという実感でした。

そのことに気づいてから、受験の結果だけではなく、この経験を娘とどう終わらせるかを考えるようになりました。

不合格の先で見つけた、娘にとって大切にしたいこと

小学校受験が終わったあと、娘に手作りの「ごうかくしょう」を渡しました。

本当の試験結果は不合格です。それでも、限られた時間の中で勉強したこと、工作に取り組んだこと、知らない場所へ行って試験を受けたこと。その一つひとつまで「失敗だった」で終わらせたくありませんでした。

受験中は、できていないことばかりが目についていたように思います。でも、受験が終わってみると、娘は娘なりによく頑張っていました。

現在、娘は元気に公立小学校へ通っています。

もちろん、別居共同養育の中で子どもの学習をどう見ていくかという課題がなくなったわけではありません。今も悩むことはあります。

それでも、小学校受験を通して強く感じたのは、親が考える「この道がいい」と、子どもにとって心地よい道は、いつも同じとは限らないということでした。

あの受験は不合格でしたが、親として子どもを見る視点を考え直す、大きなきっかけになりました。

娘に渡した、手作りの「ごうかくしょう」

試験では不合格だった娘に、手作りの「ごうかくしょう」を渡しました。

今振り返ると、あれは娘のためでもあり、私自身がこの受験を終わらせるためにも必要だったのかもしれません。

受験している間は、どうしても結果が中心になります。「できた」「できなかった」「合格した」「不合格だった」。わかりやすい基準があるからこそ、大人もそこに気持ちを持っていかれます。

でも、娘が経験した時間は、合否だけでは測れません。

慣れない課題に取り組んだことも、工作をしたことも、いろいろな場所へ出かけたことも、娘なりに頑張った時間でした。

だから、「本当の合格証はもらえなかったけれど、あなたは頑張ったよ」と伝えたかったのだと思います。

子どもにとって、親の期待に応えられなかった経験だけが残ってしまうのは寂しいものです。

結果よりも、「頑張っていたところをちゃんと見ていたよ」と伝えること。その大切さに気づいたのは、受験が終わってからでした。

公立小学校に通う娘を見て思うこと

今、娘は元気に公立小学校へ通っています。

小学校受験に取り組んでいた頃は、国立小学校に合格することが、その先の生活につながる大きな目標になっていました。

けれど、実際には不合格になっても、その翌日から娘の人生が止まるわけではありません。

学校へ行き、友達と過ごし、勉強したり遊んだりしながら、毎日の生活は続いていきます。

受験の真ん中にいた頃の自分に、「不合格になっても、この子はちゃんと元気に小学生をやっているよ」と教えてあげたいくらいです。

親になると、どうしても少し先の未来が気になります。「今やっておいたほうがいいのでは」「この選択のほうが将来のためになるのでは」と考えてしまいます。

それ自体は、子どもを大切に思っているからこその気持ちでもあります。

ただ、その未来を心配するあまり、目の前にいる子どもの良さや、今楽しんでいることを見逃してしまうこともある。

娘が学校へ通う姿を見るたびに、進む道は一つではなかったのだと感じています。

子育てには、今も「これが正解」と言える答えはない

小学校受験が終わったからといって、子育ての迷いまでなくなったわけではありません。

別居共同養育を続けているため、今も娘の学習進度をどう管理していくかは課題の一つです。

一緒に過ごせる時間に限りがあるからこそ、「こちらにいる間に勉強を見たほうがいいのでは」と考えることもあります。

そうすると、小学校受験の頃と似たような焦りが顔を出すこともあります。

ただ、以前と少し違うのは、「これは本当に娘のためなのかな」と一度立ち止まって考えられるようになったことです。

親として何もしないわけにはいかない。でも、何でも親の思い通りに進めればいいわけでもない。

その間で迷いながら子どもと向き合っていくことも、子育てなのだと思っています。

あの小学校受験を「やらなければよかった」と完全に否定するつもりはありません。娘にも私にも、そこで経験したからこそ見えたものがありました。

不合格という結果以上に残ったのは、「親の期待と、子ども自身の人生は同じではない」という気づきです。

完璧にできなくても、迷ったらまた考え直せばいい。今はそんなふうに、娘の成長を見ていきたいと思っています。

子どものために頑張りすぎてしまったときは、一人で答えを出さなくてもいい

子育てをしていると、「これで本当にいいのかな」と迷うことがあります。

子どもの将来を考えるほど、勉強のこと、進学のこと、習い事のことなど、親として考えなければならないことは増えていきます。そして「子どものため」と思って一生懸命になるほど、知らないうちに自分自身を追い込んでしまうこともあります。

私も小学校受験を経験して、娘のために始めたはずのことが、いつの間にか「何とかしなければ」という焦りに変わっていました。不合格という結果を経験して初めて、娘自身の良さや、自分が抱えていた期待について振り返ることができました。今も別居共同養育の中で学習について迷うことはあります。

子育てには、「これが絶対に正解」と言い切れることばかりではありません。

だからこそ、迷っているときに一人で答えを出そうとせず、「本当は何が心配なのか」「子どもにどうなってほしいと思っているのか」「自分は何に焦っているのか」を誰かに話してみることも、一つの方法だと思います。

傾聴ラウンジ「ここより」は、子育てや進学、家族のことなど、まとまっていない気持ちのままでも話せる場所です。

「こんなことで話していいのかな」という段階でも大丈夫です。言葉にしていく中で、自分でも気づいていなかった気持ちが見えてくることがあります。

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子どものことを考えすぎて少し疲れてしまったときは、まず自分の気持ちにも目を向けてみてください。

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