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ペットが亡くなった後の寂しさ|生活の空白に慣れるまで

ペットが亡くなった後の寂しさ|生活の空白に慣れるまで

ペットを亡くしたあと、家の中が急に静かになったように感じることがあります。

いつもなら玄関まで迎えに来てくれた。朝になるとごはんを用意して、決まった時間に散歩へ出かけた。ソファに座れば隣にいたり、何気なく名前を呼んだりしていた。そんな毎日の小さな習慣が突然なくなると、悲しいという気持ちだけでは説明できないほど、大きな空白を感じることがあります。

朝起きたとき、いつもの場所を見てしまう。帰宅した瞬間、「ただいま」と声をかけそうになる。買い物をしていて、いつものフードやおやつに目が止まる。部屋に残っているベッドやおもちゃを見るだけで、急に寂しさが込み上げてくることもあるでしょう。

周りからは「ペットだから」「時間が経てば慣れるよ」と言われることもあるかもしれません。しかし、一緒に過ごした年月の中で、ペットは単に飼っていた動物ではなく、毎日の生活をともにしてきた大切な存在だったはずです。

だからこそ、いなくなったあとに感じる寂しさも、人によってはとても大きなものになります。

私たちは、ペットを亡くしたあとの悲しみを、無理に早く終わらせる必要はないと考えています。

思い出して泣く日があってもいい。写真をまだ片づけられなくてもいい。「もう一度会いたい」と思う日が続いても、それだけ大切な時間を一緒に過ごしてきたということでもあります。

そして、「生活の空白に慣れる」ということは、忘れることではありません。

その子がいない新しい日常の中に、一緒に過ごした思い出を少しずつ置いていけるようになることなのかもしれません。

この記事では、ペットが亡くなったあと、なぜ家の中や毎日の生活にこれほど大きな空白を感じるのかを整理しながら、寂しさを無理に消そうとせず、新しい日常に少しずつ慣れていくための考え方を一緒に見ていきます。

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投稿者プロフィール

佐藤 公俊
佐藤 公俊心理カウンセラー
ストレス・不安・人間関係・自己否定などの悩みを、安心して話せる対話から整理し、考え方のクセや気持ちのパターンを一緒に見つけていく心理カウンセラーです。

■経歴・資格

産業カウンセラー。
人材紹介会社でキャリアアドバイザーとして転職相談に携わり、仕事やキャリア、職場の人間関係など、さまざまな相談に対応してきました。

現在はオンラインを中心に、ストレス、不安、人間関係、自己肯定感、自己否定、HSP、仕事やキャリア、本音を言えない悩みなどの相談を受けています。

■得意な相談

・ストレス・不安・気分の落ち込み
・職場・家族・恋愛などの人間関係
・自己肯定感の低さ・自己否定
・HSP・繊細さによる生きづらさ
・仕事・キャリアの悩み
・本音が言えない、自分の気持ちが分からない悩み

■大切にしていること

まずは、否定されず安心して本音を話せることを大切にしています。

話を聴くだけで終わるのではなく、対話を通して気持ちを整理し、自分では気づきにくい「考え方のクセ」や、ストレス・不安が強くなるパターンを一緒に見つけていきます。

来談者中心療法の考え方を大切にしながら、必要に応じて認知行動療法(CBT)の考え方も取り入れています。

「こんなことで相談していいのかな」「うまく話せるか分からない」という段階でも大丈夫です。話がまとまっていなくても、安心してお話しください。

目次

ペットがいなくなった家で感じる「いつもと違う日常」

ペットがいなくなった家で感じる「いつもと違う日常」

ペットを亡くしたあと、強く感じるのは「悲しい」という気持ちだけではありません。朝起きたとき、いつもいた場所を無意識に見てしまう。帰宅した瞬間、玄関から足音が聞こえてくるような気がする。ごはんの時間になると、「そろそろ用意しないと」と一瞬思ってから、もう必要がないことに気づく。そんな小さな出来事の一つひとつが、いなくなった現実を何度も知らせてくることがあります。

私たちの生活の中で、ペットとの時間は思っている以上に多くの習慣と結びついています。散歩、ごはん、声をかけること、寝る前に様子を見ること。毎日繰り返していたからこそ、それが突然なくなると、時間の使い方まで分からなくなったように感じることがあります。

「何をしていいのか分からない」「家にいると寂しさが強くなる」と感じても、不思議なことではありません。まずは、悲しみを早く消そうとするより、「それだけ毎日の中に大きな存在だったんだな」と、自分が感じている空白をそのまま認めるところから始めてみてもよいのです。

帰宅しても迎えてくれる姿がないことに、何度も寂しさを感じる

仕事や買い物から帰って玄関を開けたとき、以前なら足音が聞こえたり、こちらを見つめる姿があったりした。そんな毎日の光景がなくなると、帰宅するたびに家の静けさを強く感じることがあります。

頭では「もういない」と分かっていても、長く続いた習慣はすぐには変わりません。ドアを開けながら名前を呼びそうになったり、「今日は遅くなってごめんね」と声をかけようとしたりすることもあるでしょう。そして、その直後に現実へ引き戻され、胸が苦しくなることがあります。

私たちは、こうした瞬間を「まだ受け入れられていないから」と考えてしまうことがあります。でも、毎日繰り返してきた行動や感覚がすぐに消えないのは、とても自然なことです。

「今日も迎えに来てくれる気がした」と感じたなら、その気持ちを無理に打ち消さなくても構いません。「それだけ帰宅する時間も一緒に過ごしてきたんだな」と受け止めてみる。

寂しさは、その子が生活の中にどれだけ自然に存在していたかを教えてくれるものでもあります。

ごはんや散歩など、毎日の世話が突然なくなると時間にも空白ができます

ペットと暮らしていると、毎日の生活には自然と決まったリズムができます。

朝起きたらごはんを用意する。水を替える。散歩に行く。トイレを片づける。帰宅したら様子を見る。寝る前には「おやすみ」と声をかける。

一つひとつは小さなことでも、それが毎日の生活を作っていました。

ところが、ペットを亡くすと、その時間が突然なくなります。朝、少し時間が余る。いつもの散歩の時間になっても外へ出る理由がない。買い物へ行ってもフードやおやつを買う必要がない。

すると、「自由な時間が増えた」というより、何をしたらいいのか分からない空白のように感じることがあります。

私たちは、世話をすることを単なる作業だと思いがちですが、その時間には「大切な存在のために何かをする」という意味もありました。だから、それがなくなった寂しさが大きいのも当然です。

無理に新しい予定で埋めなくても構いません。いつもの散歩時間に少しだけ外へ出てみたり、静かにお茶を飲んだりするなど、少しずつ新しい過ごし方を作っていけばよいのです。

ベッドやおもちゃを見るたびに、そこにいた時間を思い出す

部屋の中には、ペットと暮らした時間の痕跡がたくさん残っています。

いつも寝ていたベッド。お気に入りだったおもちゃ。リードや首輪。使っていた食器。何気なく撮った写真。

それらを見るたびに、「ここにいたんだな」と思い出し、急に涙が出てくることもあるでしょう。

周囲から「見るとつらいなら早く片づけたほうがいい」と言われることもあるかもしれません。でも、いつ片づけるかに正解はありません。

すぐに片づけることで少し気持ちが落ち着く人もいれば、しばらくそのままにしておきたい人もいます。何か月か経ってから少しずつ整理したいと思う人もいるでしょう。

私たちは、「早く片づけられること」が気持ちの整理ではないと考えています。

まだベッドを置いておきたいなら、そのままでも構いません。写真を飾っておきたいなら、無理にしまう必要もありません。

大切なのは、「普通ならどうするか」ではなく、今の自分にとって何が少し楽なのかです。

部屋の中に残ったものは、寂しさを思い出させるものでもありますが、同時に、一緒に過ごした大切な時間を思い出させてくれるものでもあります。

いつか「見ると苦しいもの」から、「ここで一緒に過ごしていたな」と穏やかに思い出せるものへ変わっていくこともあります。その変化を急がず、自分のペースで生活の空白と付き合っていくことが大切です。

「ペットだから」と悲しみを小さくしなくていい

Soft illustration of a woman in a cozy room, holding a framed dog photo; wall text reads '思い出は日常のあちこちに残っている'.

ペットを亡くしたあとの寂しさは、周囲から見える以上に深く、長く続くことがあります。毎日一緒に過ごし、話しかけ、世話をし、嬉しいときも落ち込んだときもそばにいてくれた存在であれば、その別れは生活の一部を失うような出来事でもあります。

それでも、「人を亡くしたわけではないから」「いつまでも悲しんでいたらおかしいのかな」と、自分の気持ちを小さく扱ってしまうことがあります。誰かに話しても、「また飼えばいいよ」「動物だから仕方ないよ」と返されるのではないかと思い、寂しさを言葉にできなくなることもあるでしょう。

けれど、悲しみの大きさは、周囲が決めるものではありません。

私たちにとってその子がどのような存在だったのか、一緒にどれほどの時間を過ごしてきたのかによって、失ったあとの感じ方は変わります。

大切なのは、「これくらいで悲しんではいけない」と自分に言い聞かせることではなく、「私はそれだけ大切に思っていたんだ」と自分の気持ちを認めることです。寂しさが続いている自分を急いで変えようとせず、まずはその悲しみに十分な理由があることを知っておきたいものです。

一緒に暮らした時間の中で、家族のような存在になっていることがあります

ペットと長く暮らしていると、その存在は「飼っている動物」という言葉だけでは表せなくなっていくことがあります。

朝起きればそばにいる。帰宅すれば迎えてくれる。落ち込んでいるときには何も言わず近くにいてくれる。嬉しいことがあった日には、つい名前を呼んで話しかける。そんな毎日の積み重ねによって、その子は生活の中に自然に溶け込んでいきます。

だからこそ、亡くなったあとの寂しさも大きくなります。

「たかがペットなのに、こんなに泣いてしまう」と思う必要はありません。家族のように感じていたのであれば、その存在を失った悲しみが簡単に消えないのは不思議なことではないからです。

私たちは、人との関係だけではなく、動物との関係の中でも安心感やぬくもりを受け取っています。言葉を交わさなくても、そばにいるだけで落ち着ける存在だったという人もいるでしょう。

亡くしたあとに感じる寂しさの大きさは、それだけ深く関わってきた証でもあります。

「どうしてこんなにつらいんだろう」と感じたときは、「それだけ私の生活の中で大きな存在だったんだ」と考えてみてください。悲しみを弱さとして見るのではなく、大切にしてきた時間の深さとして受け止めることで、自分の気持ちに少し優しくなれることがあります。

周りに分かってもらえないと、悲しみを一人で抱えやすくなります

ペットとの別れについて話したとき、悪気のない言葉に傷ついてしまうことがあります。

「また新しい子を飼えばいいよ」

「もう結構時間が経ったよね」

「動物なんだから、いつかは仕方ないよ」

励まそうとして言っていることは分かっていても、今の自分には受け止められないこともあります。「代わりなんていない」「時間が経っても寂しい」と思いながら、その気持ちを言葉にできず、会話を終えてしまうこともあるでしょう。

そうした経験が続くと、「この話はしないほうがいいのかな」と思うようになります。

私たちは、周囲に理解してもらえないと感じるほど、自分の悲しみまで間違っているように思ってしまうことがあります。しかし、誰かが理解できないからといって、その悲しみが小さいわけではありません。

その子との関係は、自分にしか分からない部分がたくさんあります。

毎朝どんなふうに起こしてくれたのか。どんな表情でごはんを待っていたのか。どんなときにそばに来てくれたのか。

一見すると些細な思い出ほど、本人にとっては大切なものです。

話したくなったときには、無理に「もう大丈夫」と言わなくても構いません。「まだ寂しい」「もう少しこの話をしたい」と思っている自分の気持ちを、そのまま認めてあげることも大切です。

「いつまで悲しんでいるの?」という言葉を、自分自身に向けなくてもいい

ペットを亡くしてしばらく経つと、周囲の生活はいつも通りに戻っていきます。

仕事は続きますし、予定も入ります。笑える日も少しずつ増えていくでしょう。

それでも、夜になると急に寂しくなったり、写真を見て涙が出たりすることがあります。

そんなとき、「もう何か月も経っているのに」「そろそろ立ち直らないと」と、自分自身を急かしてしまうことがあります。しかし、悲しみに決まった期限があるわけではありません。

一週間で少し落ち着く人もいれば、何か月経っても強い寂しさを感じる人もいます。普段は穏やかに過ごせていても、命日や季節の変わり目、ふとした瞬間に涙が出ることもあります。

私たちは、「悲しくなくなること」を回復だと考えがちです。

けれど、悲しみが残っていても、生活は少しずつ変化していきます。泣く日がありながら仕事に行けるようになったり、思い出を話しながら笑えるようになったりすることもあります。

それは、忘れたということではありません。

大切な存在との思い出を持ちながら、新しい日常を少しずつ作り始めているということです。

「いつまで悲しむの?」と自分に問い続ける代わりに、「今日は寂しい日なんだな」と受け止めてみる。そのくらいの距離感で、自分の気持ちと付き合っていってもよいのではないでしょうか。

思い出を消さずに、生活の空白と少しずつ付き合っていく

思い出を消さずに、生活の空白と少しずつ付き合っていく

ペットを亡くしたあと、「早く気持ちを切り替えたほうがいいのかな」「思い出のものを片づけないと前に進めないのかな」と考えることがあります。部屋に残ったベッドやおもちゃ、写真を見るたびにつらくなると、全部見えないところへしまったほうが楽なのではないかと思うこともあるでしょう。

けれど、気持ちの整理は、思い出をなくすこととは少し違います。

私たちは、大切な存在との別れを経験したとき、いなくなった現実と、一緒に過ごしてきた時間の両方を少しずつ心の中で受け止めていきます。その途中では、写真を見て泣いたり、名前を口にしたり、「あのときこうしていれば」と後悔したりすることもあります。

そうした時間を無理に終わらせる必要はありません。

生活の空白に慣れていくというのは、その子の存在を薄くしていくことではなく、「ここにいた」という記憶を持ちながら、少しずつ新しい日常の形を作っていくことです。急いで忘れようとするより、自分が今どんな気持ちでいるのかを確かめながら、一つずつ向き合っていくほうが、心にとって自然なこともあります。

写真や愛用品を、無理にすぐ片づけなくても大丈夫です

ペットを亡くしたあと、部屋に残ったものをどうするかで迷う人は少なくありません。

ベッドを見ると泣いてしまう。首輪を手に取ると、散歩へ行った日のことを思い出す。フードの器を見るだけで、いつもごはんを待っていた姿が浮かんでくる。

だからといって、「つらいなら全部片づけたほうがいい」と一律に考える必要はありません。

私たちは、気持ちの準備ができる時期は人それぞれだと考えています。亡くなってすぐ整理したほうが落ち着く人もいれば、何か月かそのままにしておきたい人もいます。写真だけは飾っておきたい、首輪だけは手元に残したいということもあるでしょう。

大切なのは、「いつまで置いておくべきか」ではなく、「今の自分にとってどうすることが一番無理がないか」です。

今日はまだ触れられなくても構いません。しばらくして、「このおもちゃは箱に入れておこうかな」と思える日が来たら、そのときに動けば十分です。

片づけることも、残しておくことも、忘れるための行動ではありません。

どちらも、その子との時間を自分なりに大切にする方法の一つです。周囲の基準ではなく、自分の心が少し落ち着く選択をしていくことが、生活の空白と付き合っていく第一歩になります。

思い出して泣く日は、悲しみが振り出しに戻ったわけではありません

少しずつ日常を過ごせるようになってきた頃、突然涙が出ることがあります。

昔の写真がスマートフォンに表示されたとき。散歩していた道を通ったとき。似た犬や猫を見かけたとき。季節が変わり、「去年の今頃は一緒にいたな」と思ったとき。

そんな瞬間に強い寂しさが戻ってくると、「せっかく少し落ち着いてきたのに、また元に戻ってしまった」と感じることがあります。

でも、悲しくなったからといって、これまで過ごしてきた時間がなくなったわけではありません。

私たちの記憶は、場所や匂い、音、季節など、さまざまなものと結びついています。そのため、何気ない出来事をきっかけに、急に思い出が鮮明になることがあります。

そんな日は、泣いてもいいのです。

「今日は会いたくなる日なんだな」「この場所にはたくさん思い出があるんだな」と、その日の気持ちをそのまま受け止めてみてください。

悲しみが戻ることと、前に進めていないことは同じではありません。

以前は写真を見ることもできなかったのに、今は泣きながらでも思い出せる。以前は名前を聞くだけで苦しかったのに、今は誰かに思い出を話せる。

そうした小さな変化もあります。

泣かなくなることだけを目標にせず、思い出と一緒に過ごせる時間が少しずつ増えていくことも、大切な変化なのです。

「してあげられなかったこと」だけでなく、一緒にできたことにも目を向けてみる

ペットを亡くしたあと、後悔が残ることがあります。

「もっと早く異変に気づいていれば」

「もう少し一緒に遊んであげればよかった」

「忙しい日に、もっと構ってあげればよかった」

「あの治療を選んでよかったのかな」

何度考えても答えが出ないことを、繰り返し思い返してしまうこともあるでしょう。

大切な存在だからこそ、「もっとできたのではないか」と考えてしまうのは自然なことです。

ただ、私たちは、亡くなったあとの記憶が後悔だけで埋め尽くされてしまうと、一緒に過ごしたたくさんの時間まで見えにくくなることがあると思っています。

毎日ごはんを用意したこと。

暑い日も寒い日も散歩へ行ったこと。

体調を気にかけたこと。

何度も名前を呼び、笑いかけたこと。

眠っている姿をそっと見守ったこと。

特別なことではないように見えても、そうした日々の積み重ねこそ、その子と一緒に暮らした時間です。

後悔が浮かんできたとき、「できなかったこと」だけではなく、「一緒にできたことは何だっただろう」と少し振り返ってみてください。

すぐに前向きな気持ちになれなくても構いません。

「あの子とこんな時間を過ごしたな」と思い出せることが一つ増えるだけでも十分です。

後悔を無理に消すのではなく、その隣に楽しかった記憶や大切にしてきた時間も少しずつ並べていく。そうすることで、思い出の中にある苦しさだけではなく、ぬくもりにも触れられるようになっていきます。

寂しさが残っていても、新しい日常を少しずつ作っていける

寂しさが残っていても、新しい日常を少しずつ作っていける

ペットを亡くしたあとの生活は、すぐに元通りになるわけではありません。朝の時間、帰宅したときの静けさ、いつもの散歩道、部屋の中に残ったお気に入りの場所。何気ない日常のあちこちに、その子と過ごした時間が残っているからこそ、しばらくは「いない」という現実に何度も寂しさを感じることがあります。

けれど、生活の空白に慣れていくことは、その子を忘れていくことではありません。

私たちは、大切だった存在を心の中から消すのではなく、その思い出を持ったまま、少しずつ新しい日常の形を作っていけるのだと思っています。写真を見て泣く日があってもいい。ふと思い出して名前を呼びたくなる日があってもいい。その一方で、外出を楽しんだり、新しいことに興味を持ったり、笑える時間が増えていっても構いません。

「前を向く」という言葉を、もう悲しまないことだと考えなくても大丈夫です。

寂しい日は寂しいまま過ごし、穏やかな日はその時間を味わう。そうやって少しずつ、自分なりの新しい生活を作っていくことができます。その子と過ごした日々を大切にしながら、自分のこれからの時間も同じように大切にしていく。そんな歩き方があってもよいのではないでしょうか。

ペットを思い出さない日を、目標にしなくても大丈夫です

ペットを亡くしたあと、「いつになったら思い出さなくなるんだろう」と考えることがあります。

朝起きて思い出す。帰宅して思い出す。写真を見て思い出す。散歩している犬を見かけたり、似た鳴き声を聞いたりするだけで、その子の姿が浮かぶこともあるでしょう。

そうした日が続くと、「いつまでも引きずっているのかな」と不安になることがあります。

でも、私たちは「思い出さなくなること」を、心が落ち着くための目標にしなくてもよいと考えています。

大切なのは、思い出す回数ではなく、思い出したときの感じ方が少しずつ変化していくことです。

最初は写真を見るだけで涙が止まらなかったのに、しばらくすると「この顔かわいかったな」と思える日が来るかもしれません。散歩道を通ることさえ苦しかったのに、「ここでよく立ち止まっていたな」と少し笑える日が来ることもあります。

もちろん、穏やかに思い出せるようになったあとで、急に泣いてしまう日があっても構いません。

思い出は消すものではなく、少しずつ自分の中に置き場所を作っていくものなのかもしれません。

「今日も思い出してしまった」ではなく、「今日も思い出せるくらい、大切な存在だった」と考えてみる。そんなふうに思える日が少しずつ増えていけば、それも生活の空白に慣れていく一つの形です。

楽しい時間を過ごすことに、罪悪感を持たなくてもいい

ペットを亡くしてしばらくすると、少しずつ日常の中に楽しい時間が戻ってくることがあります。

友人と話して笑ったり、おいしいものを食べたり、旅行に出かけたり、新しい趣味に興味を持ったりすることもあるでしょう。

ところが、ふとした瞬間に、「こんなに楽しんでいていいのかな」と罪悪感が出てくることがあります。

その子がいなくなったのに、自分だけ笑っているような気がする。もう悲しくなくなったと思われるのが嫌だ。楽しい時間が増えるほど、その子を忘れてしまうようで怖い。

そんな気持ちになる人もいます。

でも、楽しい時間を過ごすことと、大切だった存在を忘れることは同じではありません。

私たちは、悲しみと楽しさはどちらか一つだけを選ばなくてはいけない感情ではないと思っています。

朝は思い出して泣いたけれど、午後には誰かと笑えた。旅行先で楽しい時間を過ごしたあと、帰宅して写真に「ただいま」と声をかけた。

そんな日があってもいいのです。

一緒に過ごした時間を大切に思っているからといって、これからの人生まで悲しみだけで過ごす必要はありません。

新しい楽しみを見つけることは、その子を置いていくことではなく、自分の生活を少しずつ取り戻していくことでもあります。

笑えるようになった自分を責めるのではなく、「今日は少し穏やかに過ごせたな」と、その時間も大切にしてみてください。

一人で抱えきれない寂しさは、思い出と一緒に誰かへ話してもいい

ペットを亡くした直後は、周囲の人も「大丈夫?」と声をかけてくれることがあります。

けれど、時間が経つにつれて、その話題を出す人は少なくなっていきます。

自分としてはまだ寂しいのに、「今さら話したら変に思われるかな」「また同じ話をしてしまいそう」と考え、気持ちを一人で抱えるようになることもあります。

そんなときは、必ずしも悲しみを整理してから話す必要はありません。

「今日、写真を見て急に寂しくなった」

「あの子がよく寝ていた場所を見ると、まだつらい」

「もっと何かしてあげられた気がしてしまう」

そんな言葉からでも十分です。

私たちは、誰かに話すことは悲しみをなくすためだけにするものではないと思っています。

その子がどんな性格だったのか、どんな癖があったのか、どんな表情がかわいかったのか。寂しさだけでなく、楽しかった思い出を話すことも、心の中にある大切な時間を確かめるきっかけになります。

話している途中で泣いてしまっても構いません。同じ思い出を何度話してもいいのです。

一人で考えていると、どうしても「もっとできたのではないか」「私が悪かったのではないか」という後悔ばかりが大きくなることがあります。

そんなとき、誰かに言葉として話してみることで、「こんなに一緒に過ごしてきたんだな」「私は本当に大切に思っていたんだな」と、別の角度から思い出を見られることもあります。

その子がいなくなった生活に慣れるまでに、決まった期間はありません。

寂しさを急いで終わらせるのではなく、一緒に過ごした時間を大切に抱えながら、自分のこれからの日常にも少しずつ目を向けていく。

その過程で誰かに話したくなったときは、「まだこんなに悲しい」と思わず、その気持ちをそのまま言葉にしてみてもよいのではないでしょうか。

ペットを亡くした寂しさを、一人で抱え続けなくてもかまいません

Pastel illustration of a woman sitting on a sofa, holding a photo book with a dog picture, surrounded by flowers and soft Japanese text about pet loss support.

ペットを亡くしたあとの寂しさは、時間が経てばきれいになくなるものではありません。

ふとした瞬間に名前を呼びたくなったり、いつもいた場所を見てしまったり、写真を見ながら「もう一度会いたい」と思ったりすることがあります。

周囲の人は少しずつ普段の生活に戻っていくため、

「今さらこの話をしてもいいのかな」
「また同じ思い出を話したら迷惑かもしれない」
「ペットのことで、いつまで悲しんでいると思われるかな」

と、気持ちを言葉にできなくなってしまうこともあるでしょう。

そんなときは、無理に気持ちを整理してから話そうとしなくてもかまいません。

傾聴ラウンジ「ここより」は、まだ言葉になっていない気持ちも、そのままお話しいただける場所です。

「家に帰ると寂しい」
「写真を見るとまだ涙が出る」
「もっとしてあげられたことがあった気がする」
「周りにはもう話しづらいけれど、あの子のことを誰かに聞いてほしい」

そんなところからでも構いません。

私たちは、悲しみを早く消したり、忘れることを目指したりするのではなく、その子とどんな時間を過ごしてきたのか、今どんな思いが心に残っているのかを、ゆっくり言葉にしていく時間を大切にしています。

楽しかった思い出を話してもいいですし、同じ後悔を何度話してもかまいません。途中で涙が出たり、うまく言葉が続かなかったりしても、そのままでお話しいただけます。

その子がいない生活に少しずつ慣れていくことは、その子を忘れていくことではありません。

大切な思い出を心の中に残しながら、自分のこれからの時間も少しずつ作っていく。その途中で「誰かに聞いてほしい」と思ったときに、「ここより」を思い出していただけたらと思います。

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「こんなことを話してもいいのかな」
「何から話せばいいのか分からない」

という段階でも構いません。

一人で抱えている寂しさや、その子との大切な思い出を誰かに話してみたくなったときに、あなたのペースでご利用ください。

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