小1の壁で子どもが「学校を休みたい」と言った日|親が無理をさせない勇気を持てた話

小学校に入学して、少しずつ新しい生活に慣れてきた頃。
朝、子どもから「今日は学校お休みしたい」と言われたことがありました。
それは、入学した年のGW明けのことです。
それまで張り切って登校していた我が子。
新しい環境の中で、毎日よく頑張っているなと感じていました。
けれど同時に、朝起きる時間が早くなったり、学校で気を張って過ごしていたり。
表面上は元気そうに見えても、心と体には少しずつ疲れがたまっていたのかもしれません。
「休ませていいのかな」
「義務教育だし、行かせるべきなのかな」
「ここで休ませたら、癖になってしまうのかな」
そんな言葉が頭の中をぐるぐる回り、親としてどうすることが正しいのか、すぐには答えが出ませんでした。
でも、その時に大切だったのは、正解を急いで決めることではなく、目の前の子どもの声をゆっくり聴くことだったのだと思います。
今回は、子どもが「学校を休みたい」と言った朝に、私が感じた迷いや気づき、そして“無理をさせない勇気”について、体験談としてお話ししたいと思います。


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慌ただしく過ぎる日々の中で、ふと“感情”が揺れること、ありませんか?
少しでも、あなたの気持ちが軽くなるなら。
少しでも、微笑んでくれたら。
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そんなことを願いながら、「あなた」からのお電話をお待ちしています。
目次
- ○ 小学校生活が始まって少し経った頃、子どもの「疲れ」は静かにたまっていた
- ・入学後の子どもは、元気そうに見えてもずっと頑張っていた
- ・GW明けに出た「学校を休みたい」は、わがままではなく本音だった
- ・すぐに答えを出すより、まず子どもの声を聴こうと思った
- ○ 「学校は行くもの」という思い込みと、目の前の子どもの疲れの間で揺れた朝
- ・「行かせるべき」という言葉が頭から離れなかった
- ・子どもの疲れを前にして、親としての責任が重く感じた
- ・正解を探すほど、目の前の子どもが見えにくくなっていた
- ○ 先生の言葉を思い出して、「行かせるかどうか」だけで考えなくなった
- ・「毎日絶対に行かせなきゃ」と思わなくてもいい
- ・「べき」よりも、目の前の子どもの姿を大切にしたかった
- ・無理をしない選択は、弱さではなく自分を大切にする力
- ○ 子どもの声に耳を傾けた朝から、親子で少し楽になれた
- ・「行く・休む」の二択ではなく、その日にできる形を一緒に探した
- ・子どもの疲れを受け止めたことで、私自身の肩の力も抜けた
- ・「無理をしない勇気」は、これからも親子で大切にしたい
- ○ 子どもの「休みたい」に迷った時は、一人で抱え込まなくてもいい
小学校生活が始まって少し経った頃、子どもの「疲れ」は静かにたまっていた
小学校に入学してからしばらくの間、我が子は毎日とても張り切って登校していました。
新しいランドセルを背負い、少し緊張しながらも、どこか誇らしそうに玄関を出ていく姿を見て、私も「少しずつ小学生になっていくんだな」と感じていました。
けれど、生活は思っていた以上に大きく変わりました。
朝はこれまでよりも早く起きるようになり、時間を気にしながら準備をして、学校では新しい先生、新しい友達、新しいルールの中で過ごす毎日。
子ども自身は「楽しい」と言っていても、知らないうちに心と体には疲れがたまっていたのだと思います。
そしてGW明けのある朝、子どもがぽつりと「今日は学校お休みしたい」と言いました。
その言葉を聞いた瞬間、私は少しドキッとしました。
「どうしたの?」と聞きながらも、頭の中では「行かせた方がいいのかな」「でも疲れているのかな」と、いろいろな考えが一気に浮かんできました。
今思えば、その朝は子どもが甘えていたのではなく、ずっと頑張ってきた心が、やっと本音を出せた朝だったのかもしれません。
入学後の子どもは、元気そうに見えてもずっと頑張っていた
小学校に入学したばかりの頃、我が子は毎日それなりに元気そうに見えていました。
学校であったことを話してくれたり、新しく覚えたことを教えてくれたり、こちらから見ると「思ったより順調に慣れているのかな」と感じる場面もありました。
でも、今振り返ると、その“元気そう”という見え方だけで判断していた部分もあったのだと思います。
子どもにとって、小学校生活は大人が思う以上に大きな変化です。
朝早く起きること。
決まった時間に家を出ること。
集団の中で過ごすこと。
先生の話を聞くこと。
友達との距離感を考えること。
一つひとつは小さなことに見えても、子どもにとっては毎日たくさんのエネルギーを使うことばかりです。
我が子もきっと、学校では一生懸命に周りを見て、頑張っていたのだと思います。
家に帰ってきた時に少しぼーっとしていたり、いつもより甘えてきたり、朝の動きがゆっくりになったり。
そういう小さなサインは出ていたのかもしれません。
ただ私は、「入学したばかりだから慣れるまではこんなものかな」と思いながら見ていました。
子どもは子どもなりに、新しい環境の中で精いっぱい過ごしていた。
そのことに、あの朝の「学校お休みしたい」という言葉で、ようやく気づかされたような気がします。
GW明けに出た「学校を休みたい」は、わがままではなく本音だった
GWは、子どもにとって少しほっとできる時間だったのだと思います。
家族と過ごす時間が増えて、朝も少しゆっくりできて、学校の緊張から少し離れられる。
それまで毎日張りつめていた気持ちが、ふっとゆるんだのかもしれません。
だからこそ、連休が明けてまた学校が始まる朝に、「今日は学校お休みしたい」という言葉が出たのだと思います。
最初にその言葉を聞いた時、私は正直、少し焦りました。
「え、どうしよう」
「体調が悪いのかな」
「ただ行きたくないだけなのかな」
いろいろな考えが頭の中をぐるぐる回りました。
でも、子どもの表情や声の感じを見ていると、ただの気まぐれではないように感じました。
うまく言葉にはできないけれど、疲れている。
頑張りたい気持ちがないわけではないけれど、今日は少ししんどい。
そんな気持ちが、短い言葉の中に詰まっていたように思います。
大人でも、連休明けに仕事へ行くのがつらい日があります。
気持ちを切り替えるのに時間がかかることもあります。
それなら、小さな子どもが同じように疲れを感じても、何もおかしくありません。
「学校を休みたい」という言葉だけを見ると、つい困ったことのように感じてしまいます。
けれど、その奥には「疲れたよ」「少し休みたいよ」「わかってほしいよ」という本音が隠れていることもあるのだと思います。
すぐに答えを出すより、まず子どもの声を聴こうと思った
子どもから「学校お休みしたい」と言われた時、私はすぐに答えを出せませんでした。
「行きなさい」と言うべきなのか。
「休んでいいよ」と言うべきなのか。
どちらを選んでも、親としての責任が問われているような気がして、胸のあたりが落ち着きませんでした。
けれど、その時に大切なのは、私が急いで正解を決めることではなかったのだと思います。
まずは、子どもが今どんな状態なのかを知ること。
何がしんどいのか。
体が疲れているのか。
学校で不安なことがあるのか。
少し寝たら行けそうなのか。
送ってもらえたら行けそうなのか。
今日は本当に休みたいのか。
そうやって、子どもの中にある気持ちを一つずつ聞いていくことが必要でした。
私は、できるだけ決めつけないように気をつけました。
「なんで行きたくないの?」と責めるのではなく、
「疲れた感じがする?」
「今日は何が一番しんどそう?」
「少し休んだらどうなりそう?」
そんなふうに、子どもが答えやすい言葉で聞くようにしました。
子どもは大人のように、自分の疲れをうまく説明できるわけではありません。
だからこそ、こちらがゆっくり待ちながら、言葉になりきらない気持ちも含めて受け取ろうとすることが大切なのだと思います。
この朝の出来事は、私にとって「学校へ行くか休むか」だけの問題ではありませんでした。
目の前の子どもの姿をちゃんと見て、声を聴いて、その子にとって無理のない選択を一緒に考える。
その大切さを、改めて感じるきっかけになりました。
「学校は行くもの」という思い込みと、目の前の子どもの疲れの間で揺れた朝
子どもから「今日は学校お休みしたい」と言われた時、私の心の中には、いろいろな声が一気に浮かんできました。
「小学校は義務教育だから、できるだけ行かせた方がいいのかな」
「ここで休ませたら、休み癖がついてしまうのかな」
「でも、こんなに疲れているように見えるのに、無理に行かせていいのかな」
頭では子どもの気持ちを受け止めたいと思っているのに、親としてちゃんとしなければという焦りもありました。
学校へ行くことは大切。
でも、子どもの心と体も大切。
そのどちらも大切だからこそ、簡単に答えが出せなかったのだと思います。
私は、子どもの前ではできるだけ落ち着いていたかったのですが、内心はかなりドキドキしていました。
「私の判断で、この子を苦しめてしまったらどうしよう」
「反対に、甘やかしすぎになってしまったらどうしよう」
そんなふうに、まだ起きてもいない未来のことまで考えて、不安がふくらんでいきました。
でもその不安の奥には、子どもを大切に思う気持ちがありました。
正しく対応したい。
傷つけたくない。
無理をさせたくない。
ただ、その気持ちが強いほど、「正解」を探しすぎてしまうこともあるのだと、今なら思います。
「行かせるべき」という言葉が頭から離れなかった
子どもが「学校を休みたい」と言った時、最初に私の頭に浮かんだのは、「でも学校は行くものだよね」という考えでした。
それは、誰かに強く言われたわけではありません。
けれど、自分の中にいつの間にか根づいていた感覚でした。
義務教育だから。
みんな行っているから。
少し疲れたくらいで休ませていいのだろうか。
親として、行かせる努力をした方がいいのではないか。
そんな言葉が、頭の中をぐるぐる回っていました。
子どもの顔を見れば、疲れていることは伝わってきます。
それなのに、私はどこかで「休ませる」という選択に不安を感じていました。
それはきっと、子どもを信じていないからではなく、私自身が「ちゃんとした親でいなければ」と思いすぎていたからだと思います。
学校に行かせることが、親として正しいこと。
休ませることは、どこか間違っていること。
そんなふうに、物事を白か黒かで考えそうになっていました。
でも、子どもの疲れは、そんなに単純に分けられるものではありません。
熱があるわけではない。
大きなトラブルがあるわけでもない。
けれど、心と体が重たそうに見える。
この「なんとなくしんどい」を、どう受け止めるかが難しかったのです。
私はその時、自分の中にある「べき」という考えの強さに気づきました。
子どものために考えているつもりで、実は世間の常識や親としての責任ばかりを見ていたのかもしれません。
子どもの疲れを前にして、親としての責任が重く感じた
子どもの疲れた姿を見るのは、思っていた以上につらいものでした。
いつもならもう少し動ける時間なのに、布団からなかなか出られない。
声にも元気がない。
「学校行きたくない」ではなく、「お休みしたい」と静かに言う。
その様子を見ていると、ただのわがままとは思えませんでした。
けれど同時に、私は親としての責任を強く感じていました。
子どもが学校生活に慣れるためには、ある程度背中を押すことも必要なのではないか。
ここで休ませたら、次の日もまた行きづらくなるのではないか。
先生にどう伝えればいいのだろう。
周りの家庭はどうしているのだろう。
考え始めると、きりがありませんでした。
子どもの気持ちを大切にしたいのに、社会のルールや学校生活の流れも気になる。
「休ませてあげたい」という気持ちと、「行かせた方がいいのでは」という気持ちが、心の中で何度も行ったり来たりしました。
こういう時、親はすぐに判断しなければならないような気持ちになります。
朝の時間は限られています。
登校時間は近づいてきます。
子どもは目の前で待っています。
でも、心の中はまったく追いついていませんでした。
私は「どうしよう」と考え込みながら、子どもの様子を見つめていました。
その時に感じたのは、親の判断ひとつで子どもの心に影響が出るかもしれないという怖さでした。
だからこそ、簡単に「行きなさい」とも「休んでいいよ」とも言えなかったのだと思います。
正解を探すほど、目の前の子どもが見えにくくなっていた
私はその朝、ずっと「正しい対応」を探していました。
小学生になったばかりの子どもが学校を休みたいと言った時、親はどうすればいいのか。
休ませるべきなのか。
励まして行かせるべきなのか。
体調不良ではないなら登校させるべきなのか。
それとも心の疲れとして受け止めるべきなのか。
頭の中でいくつもの答えを並べては、どれも決めきれずにいました。
けれど、正解を探せば探すほど、私の視線は「世間ではどうなのか」「親としてどう見られるのか」「この判断は間違っていないか」という方向に向いていったように思います。
本当に見なければいけなかったのは、目の前にいる我が子でした。
今、どんな顔をしているのか。
どんな声で話しているのか。
体はどれくらい疲れているのか。
気持ちはどこまで頑張れそうなのか。
そこを丁寧に見つめる前に、私は自分の中で答えを出そうとしていたのかもしれません。
子育てをしていると、「これで合っているのかな」と迷うことがたくさんあります。
特に学校に関わることは、つい「ちゃんとしなければ」と思いやすいものです。
でも、子どもの状態は日によって違います。
昨日できたことが、今日も同じようにできるとは限りません。
大人だって、理由をはっきり説明できないまま、なんとなくしんどい日があります。
そう考えると、子どもの「お休みしたい」という言葉も、困った発言として片づけるものではなく、心と体から出てきた大事なサインだったのだと思います。
そのことに気づくまで、私は少し時間がかかりました。
先生の言葉を思い出して、「行かせるかどうか」だけで考えなくなった
子どもの「今日は学校お休みしたい」という言葉を前にして、私はしばらく迷っていました。
学校は大切。
でも、目の前の子どもは明らかに疲れている。
どちらも本当だからこそ、気持ちがなかなか決まりませんでした。
そんな時、ふと思い出したのが、入学当初に担任の先生が話してくれた言葉でした。
「毎日、絶対に学校に行かせなきゃと、無理をしすぎなくても大丈夫です」
その言葉を思い出した瞬間、張りつめていた気持ちが少しゆるんだ気がしました。
私はいつの間にか、「学校に行くこと」だけを正解のように考えていたのかもしれません。
でも本当に大切なのは、学校へ行かせることそのものではなく、子どもが今どんな状態なのかを見つめることでした。
疲れているのか。
不安なのか。
少し休めば動けそうなのか。
今日は本当に限界なのか。
そうやって子どもの声を聞いていくうちに、「行く」「休む」の二択だけで考えなくてもいいのだと思えるようになりました。
無理をさせないことは、甘やかすことではありません。
子どもの心と体の声を受け止めながら、その日にできる形を一緒に探すこと。
この朝、私はその大切さに改めて気づきました。
「毎日絶対に行かせなきゃ」と思わなくてもいい
入学当初、担任の先生が保護者に向けて話してくれた言葉は、とても印象に残っていました。
「毎日、絶対に学校に行かせなきゃと、無理をしすぎなくても大丈夫です」
その時は、少し意外に感じたのを覚えています。
学校の先生だからこそ、「できるだけ休まず来てください」と言われるものだと思っていたからです。
けれど先生は、長く子どもたちを見てきた中で、無理をしてつらそうにしている子どもの姿もたくさん見てきたのだと思います。
その言葉には、子どもを追い込まないためのあたたかさがありました。
私はその朝、まさに「絶対に行かせなきゃ」という考えに引っ張られていました。
義務教育だから。
新学期だから。
休むと遅れてしまうかもしれないから。
そういう理由を並べて、なんとか登校させる方向に考えようとしていたのです。
でも、先生の言葉を思い出したことで、少し視野が広がりました。
毎日行くことだけが、子どものためとは限らない。
時には休むことで、また明日から動ける力が戻ることもある。
子どもにとって必要なのは、根性で乗り越えることではなく、自分の疲れに気づき、安心して整えられる経験なのかもしれません。
そう思えた時、私は「行かせなければ」という力が少し抜けました。
そして、目の前の子どもの顔をもう一度ちゃんと見ようと思いました。
「べき」よりも、目の前の子どもの姿を大切にしたかった
私はそれまで、無意識のうちに「親としてこうするべき」という考えをたくさん持っていました。
学校には行かせるべき。
簡単に休ませるべきではない。
親がしっかり判断するべき。
子どものために正しい対応をするべき。
一つひとつは、子どもを思って出てきた考えだったのだと思います。
でも、その「べき」が強くなりすぎると、目の前の子どもの姿が見えにくくなってしまいます。
本当は疲れているのに、「これくらい頑張れるはず」と思ってしまう。
本当は助けを求めているのに、「今ここで休ませていいのかな」と迷ってしまう。
本当は話を聞いてほしいだけなのに、すぐに答えを出そうとしてしまう。
私はそのことに気づいて、少しハッとしました。
大切にしたいのは、世間の正しさではなく、今ここにいる我が子の状態でした。
子どもは、自分の疲れを大人のようにうまく説明できません。
「頭が重い」
「心がしんどい」
「緊張が続いて疲れた」
そんなふうには言えず、ただ「お休みしたい」という言葉になることもあります。
だからこそ、私はその言葉の奥にある気持ちを聞きたいと思いました。
行くか休むかを先に決めるのではなく、まずは子どもの今を知る。
「何が一番しんどい?」
「少し寝たら行けそう?」
「学校まで送ったらどうかな?」
「今日はどうしたい気持ちが強い?」
そうやって聞いていく中で、子どもの中にある小さな本音が少しずつ見えてくる気がしました。
無理をしない選択は、弱さではなく自分を大切にする力
私は以前、頑張ることや無理をすることを、どこか良いことのように考えていた部分がありました。
少しくらい疲れていても頑張る。
みんなが行っているなら行く。
決められたことは最後までやる。
もちろん、それが必要な場面もあると思います。
でも、いつも頑張り続けることが正しいわけではありません。
特に子どもは、自分の限界に気づく力も、疲れを言葉にする力も、まだ育っている途中です。
だからこそ、大人が「まだ大丈夫」と決めつけるのではなく、「今どんな感じ?」と確認していくことが大切なのだと思います。
無理をしない選択は、逃げではありません。
自分の心と体を守るための、大切な力です。
この朝の出来事を通して、私は子どもにもその感覚を持っていてほしいと思いました。
しんどい時に、しんどいと言っていい。
疲れた時に、少し休んでもいい。
できない日があっても、自分を責めなくていい。
そういう経験は、これから長く生きていく中で、きっと子どもを支えてくれると思います。
そしてそれは、子どもだけでなく私自身にも必要な考え方でした。
親だからいつも正しくいなければいけないわけではない。
迷いながらでも、子どもの声を聞きながら、一緒に考えていけばいい。
そう思えたことで、私は少し肩の力が抜けました。
この出来事は、学校を休むかどうかだけの話ではなく、私たち親子が「無理をしないこと」について考える大切な時間になりました。
子どもの声に耳を傾けた朝から、親子で少し楽になれた
あの朝の出来事を振り返ると、私にとって大切だったのは、「学校へ行かせるか、休ませるか」をすぐに決めることではありませんでした。
もちろん、学校生活は大切です。
新しい環境に慣れていくことも、毎日のリズムを作っていくことも、子どもにとって必要な経験だと思います。
でも、それと同じくらい大切なのは、子どもが今どんな状態なのかを見つめることでした。
「今日は学校お休みしたい」
その一言の中には、ただのわがままでは片づけられない疲れや不安、甘えたい気持ち、ほっとしたい気持ちがあったのだと思います。
私はその言葉を聞いて、すぐに正解を出そうとしていました。
けれど、子どもの話をゆっくり聞いていくうちに、「正しい判断」よりも「今のこの子に合う選択」を一緒に探すことの方が大切なのだと感じました。
できる日もあれば、できない日もある。
頑張れる日もあれば、少し休みたい日もある。
それは子どもだけではなく、大人も同じです。
この経験を通して、私は「無理をしないこと」は甘えではなく、自分を大切にするための力なのだと感じるようになりました。
そして、子どもの小さな声を丁寧に聴くことは、親子の安心感につながっていくのだと思います。
「行く・休む」の二択ではなく、その日にできる形を一緒に探した
子どもが「学校を休みたい」と言った時、最初の私は「行くのか、休むのか」という二択で考えていました。
朝の時間は限られていますし、登校時間も近づいてきます。
だからこそ、早く決めなければと焦ってしまいました。
でも、少し落ち着いて子どもの話を聞いてみると、答えはそんなに単純ではないのだと感じました。
完全に休みたいのか。
少し寝たら行けそうなのか。
学校まで送ってもらえたら行けそうなのか。
準備を手伝ってもらえたら動けそうなのか。
今日は午前中だけなら行けそうなのか。
子どもの中にも、いろいろな気持ちが混ざっていたのだと思います。
「行きたくない」と「行けない」は少し違います。
「休みたい」と「全部が嫌」は同じではありません。
そこを大人が急いで決めつけてしまうと、子どもの本当の気持ちは見えにくくなってしまいます。
だから私は、できるだけ子どもの言葉をそのまま受け取るようにしました。
「何が一番しんどい?」
「体が疲れている感じ?」
「少し休んだらどうなりそう?」
「どこまでならできそう?」
そんなふうに聞いていくと、子どもも少しずつ自分の状態を考えられるようになります。
この経験から、私は「登校するか休むか」だけでなく、その日にできる形を一緒に探すことも大切なのだと感じました。
それは、子どもを甘やかすことではなく、子どもが自分の心と体に気づくための時間だったのだと思います。
子どもの疲れを受け止めたことで、私自身の肩の力も抜けた
あの朝、子どもの疲れを受け止めようとした時、実は私自身の中にも大きな変化がありました。
それまでは、親として正しく判断しなければいけないという気持ちが強くありました。
学校には行かせるべき。
簡単に休ませてはいけない。
親がしっかり導かなければいけない。
そんな考えが、知らないうちに私の中にありました。
もちろん、どれも子どもを思う気持ちから出てきたものです。
でも、その思いが強くなりすぎると、子どもだけでなく私自身も苦しくなってしまうのだと気づきました。
子どもに調子が出ない日があるように、私にも迷う日があります。
子どもがうまく言葉にできないことがあるように、私もすぐに答えを出せないことがあります。
そう考えた時、「親だからいつも完璧に判断しなければ」と思わなくてもいいのかもしれないと感じました。
大切なのは、間違えないことではなく、目の前の子どもを見ながら考え続けること。
その時の子どもの表情、声の調子、体の動き、言葉にならない雰囲気。
そういう小さなサインを受け取りながら、一緒に選んでいくことなのだと思います。
子どもの疲れを受け止めることは、私にとっても「正しさ」へのこだわりを少し手放すきっかけになりました。
できる時に、できることをすればいい。
調子が出ない日は、無理をしすぎなくてもいい。
そう思えるようになってから、親子の時間も少しやわらかくなった気がします。
「無理をしない勇気」は、これからも親子で大切にしたい
この出来事を通して、私は「無理をしない勇気」をこれからも大切にしたいと思うようになりました。
頑張ることは素敵なことです。
新しい環境に挑戦することも、少し踏ん張ってみることも、子どもの成長につながると思います。
でも、頑張ることと無理をすることは、似ているようで違います。
頑張ったあとに少し疲れることはあっても、心がすり減ってしまうほど我慢し続ける必要はありません。
大人でも、毎日同じ調子では過ごせません。
寝不足の日もあれば、気持ちが重たい日もあります。
理由ははっきり言えないけれど、今日は少し休みたいと思う日もあります。
それなら、子どもにもそんな日があって当然なのだと思います。
私は子どもに、いつでも完璧に頑張れる人になってほしいわけではありません。
自分の疲れに気づけること。
しんどい時に、しんどいと言えること。
必要な時に、誰かに助けを求められること。
そして、また動けるようになった時に、自分のペースで進んでいけること。
そういう力を育てていけたらいいなと思っています。
そのためには、まず私自身が「べき」や「正しさ」だけで判断しないことも大切です。
学校へ行けた日も、少し休んだ日も、どちらも子どもにとって大切な一日。
そう思えるようになったことで、私の中の不安も少しずつ小さくなりました。
子どもの声を丁寧に聴きながら、その時々で無理のない選択を一緒に考えていく。
これからも、その姿勢を忘れずにいたいと思います。
子どもの「休みたい」に迷った時は、一人で抱え込まなくてもいい
子どもが「学校を休みたい」と言った時、親としてどう受け止めたらいいのか迷うことがあります。
「行かせた方がいいのかな」
「休ませても大丈夫なのかな」
「甘やかしにならないかな」
そんなふうに考えれば考えるほど、正解がわからなくなってしまうこともあると思います。
でも、子どもの疲れや不安は、いつもはっきりした言葉で出てくるとは限りません。
なんとなく元気がない。
朝の準備が進まない。
いつもより甘えてくる。
「学校お休みしたい」とぽつりと言う。
その小さなサインの奥に、子どもなりの頑張りや、もう少し休みたい気持ちが隠れていることもあります。
私自身も、最初から落ち着いて受け止められたわけではありません。
「親として正しい対応をしなければ」と焦ったり、「これでいいのかな」と不安になったりしながら、少しずつ目の前の子どもの声を聴くことの大切さに気づいていきました。
もし今、同じように迷っている方がいたら、どうか一人で抱え込まないでほしいなと思います。
子どものことを大切に思うからこそ、迷う。
ちゃんと向き合いたいからこそ、不安になる。
その気持ちも、決して間違いではありません。
まずは、今感じている不安や迷いを、少し言葉にしてみるところから始めてみてもいいのかもしれません。
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