小1の壁で親がしんどいと感じた体験談|頑張りすぎを手放して気づいたこと

小学校入学。
子どもの成長を嬉しく思う一方で、親である私の心は、どこか落ち着かない日々を過ごしていました。
いわゆる「小1の壁」。
言葉としては知っていたものの、実際にその生活が始まってみると、想像以上に気を張っていたように思います。
保育園の頃よりも早く起きる毎日。
新しい生活リズム。
学校からのお知らせや持ち物、宿題、子どもの心の変化。
第一子ということもあり、わからないことばかりでした。
「親として、ちゃんとしなきゃ」
「子どもが困らないように、私がしっかり支えなきゃ」
そんな思いが、気づかないうちに自分自身を追い込んでいました。
子どもは、もともと環境の変化に大きく動じるタイプではありません。
それなのに、子どもよりも私の方が、新しい環境に身構えていたのかもしれません。
今回は、小1の壁に直面した時の私自身の体験を振り返りながら、頑張りすぎていた親の私が、少しずつ「無理をしない」「流れに身を任せる」ことを覚えていったお話を綴ります。


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■ 経験
- これまで10年以上、保育士として働いてきました。クラス運営、人間関係に関する悩みを多数受け、時には上司と後輩のコミュニケーションを繋ぐ役割を担っていました。
- クラス担任(一人、複数どちらも)、保育補助、加配の経験があります。
- 公的機関にて、育児相談の経験が多数あります。
- 癌サバイバーです。
- 家族の闘病。そして、家族・友人の死を経験しました。
- 保育士資格、幼稚園教諭免許を持っています。
- 現在、心理学を学んでいます。
- 恋愛相談を受けることも多くありました。
■ 大切にしていること
- “温度”が伝わるような会話を心がけています。
■ 人柄・ユニークポイント
- 好きなもの:Cafe / 旅行 /芸術鑑賞 /海を眺める/ファッション/フレグランス
- よく言われる性格:丁寧、安心感がある、物事を深く考える
- ちょっとしたこだわり:ナイトフレグランス
- 聴き手としての密かな強み: 声を褒められることが多いです。
■ メッセージ
慌ただしく過ぎる日々の中で、ふと“感情”が揺れること、ありませんか?
少しでも、あなたの気持ちが軽くなるなら。
少しでも、微笑んでくれたら。
少しでも、肩の力を抜いてくれたら。
そんなことを願いながら、「あなた」からのお電話をお待ちしています。
目次
- ○ 小1の壁は、子どもよりも親の私に大きくのしかかった
- ・はじめての小学校生活に、私の心が先に身構えていた
- ・「親としてちゃんとしなきゃ」が、少しずつ私を苦しくしていった
- ・子どもの変化を見守るつもりが、自分の理想に追われていた
- ○ 気合いで乗り切ろうとするほど、心と体が追いつかなくなっていった
- ・「これくらいできて当然」と思うほど、自分を休ませられなかった
- ・子どもの疲れを気にする一方で、自分の疲れには気づけなかった
- ・体調を崩した時に出てきたのは、休みたい気持ちより罪悪感だった
- ○ 比べなくていい。その子らしさに目を向けた時、私の力が少し抜けた
- ・「周りと比べなくていい」という言葉が、心にすっと入ってきた
- ・子どもに高い理想を重ねていたことに気づいた
- ・自分にも「ちゃんとした親」という理想を押しつけていた
- ・まず受け止めることが、親子の時間を少し楽にしてくれた
- ○ 完璧を手放したら、親子の毎日に少し余白が生まれた
- ・「なるようになる」と思えるだけで、心が少し軽くなった
- ・無理をしない、断る、休むことを少しずつ選べるようになった
- ・目の前の子どもと自分の声を聴きながら、これからも歩いていく
- ○ 読者へのメッセージ|ひとりで抱え込まなくても大丈夫です
小1の壁は、子どもよりも親の私に大きくのしかかった
小学校入学。
それは子どもにとって大きな節目であり、親にとっても新しい生活の始まりでした。
ランドセルを背負う姿を見た時、嬉しさや誇らしさを感じた一方で、私の心の中には、静かに緊張のようなものが広がっていました。
第一子の就学。
そして、私自身も転職したばかり。
生活の流れも、気持ちの置き場所も、まだ整いきっていない中で始まった新生活でした。
「ちゃんと起こさなきゃ」
「忘れ物をさせないようにしなきゃ」
「学校生活で困らないように、親として支えなきゃ」
そんな思いが、いつの間にか私の中で大きくなっていきました。
子どもは、もともと環境の変化に大きく動じるタイプではありません。
けれど、だからといって疲れていないわけではない。
表情や声のトーン、帰宅後の様子を見ながら、私は毎日どこかで気を張っていました。
今思えば、子どもの声を聞いているようで、実は「親としてちゃんとできているかな」という自分の不安の声に、ずっと耳を傾けていたのかもしれません。
小1の壁は、子どもだけが越えるものではなく、親である私自身が、自分の思い込みやプレッシャーと向き合う時間でもありました。
はじめての小学校生活に、私の心が先に身構えていた
小学校生活が始まる前、私はどこかで「きっと大変になる」と身構えていました。
保育園時代とは違い、登校時間は早くなり、持ち物や提出物も増えます。
宿題も始まり、学校からのお知らせにも目を通さなければなりません。
ひとつひとつは小さなことかもしれません。
けれど、その小さなことが毎日積み重なると、親の頭の中は思った以上に忙しくなっていきました。
特に第一子だったこともあり、私には「これで合っているのかな」という不安が常にありました。
周りの家庭は、もっと上手にやっているのではないか。
他の親は、もっと余裕を持って子どもを支えているのではないか。
そんなふうに、見えない誰かと自分を比べていたように思います。
子ども本人は、新しい環境の中でも淡々と過ごしているように見えました。
もちろん疲れはあったと思います。けれど、私が想像していたほど大きく崩れることはありませんでした。
それなのに、私の方が先に不安になり、先回りして考え、まだ起きていないことまで心配していました。
「困る前に準備しておきたい」
「つまずく前に支えてあげたい」
それは子どもを思う気持ちでもありましたが、同時に、私自身が安心したかったのだと思います。
今振り返ると、あの頃の私は、子どものペースを見守るよりも先に、自分の中の不安をどうにかしようとしていたのかもしれません。
「親としてちゃんとしなきゃ」が、少しずつ私を苦しくしていった
小学校に入ると、義務教育が始まります。
その言葉の響きだけで、私の中には少し重たい責任感が生まれていました。
生活リズムを整えること。
学習習慣をつけること。
子どもの気持ちの変化に気づくこと。
学校生活で困らないように見守ること。
どれも大切なことだと思っていました。
だからこそ、私は「親としてしっかりフォローしなければ」と強く思っていました。
でも、その思いが強くなればなるほど、私は少しずつ苦しくなっていきました。
本当は疲れている日もありました。
朝起きるのがつらい日もありました。
仕事のこと、自分の生活の変化、家のこと、子どものこと。
いろいろなものが重なっているのに、私はそれを「大変だ」と受け止めるよりも、「これくらい頑張らなきゃ」と自分に言い聞かせていました。
弱音を吐く前に、まず動く。
休む前に、やるべきことを終わらせる。
不安があっても、親なのだからしっかりする。
そんなふうに、自分の気持ちを後回しにしていたのだと思います。
今なら、「それはしんどかったよね」と、あの頃の自分に声をかけてあげたいです。
けれど当時は、自分の心の声にゆっくり耳を向ける余裕がありませんでした。
子どもを支えたい気持ちは本物でした。
でも、支えようとする私自身が、少しずつ疲れていたことに、なかなか気づけませんでした。
子どもの変化を見守るつもりが、自分の理想に追われていた
私は、子どもの様子をよく見ているつもりでした。
朝の表情。
帰ってきた時の声。
宿題に向かう時の雰囲気。
疲れているのか、楽しそうなのか、無理をしていないか。
できるだけ丁寧に見守りたいと思っていました。
けれど、今振り返ると、その視線の中には「こうあってほしい」という私の理想も混ざっていたように思います。
生活リズムは安定していてほしい。
学校には楽しく通ってほしい。
宿題にも前向きに取り組んでほしい。
友だちとも上手に関わってほしい。
どれも、親として自然に願うことかもしれません。
でも、その願いがいつの間にか「そうでなければいけない」に変わっていたのだと思います。
子どものありのままを見ているつもりで、私はどこかで、理想の姿に近づけようとしていたのかもしれません。
そしてそれは、子どもに対してだけではありませんでした。
私自身にも、「ちゃんとした親でいたい」「不安を見せずに支えたい」「うまくやりたい」という理想を強く持っていました。
だからこそ、少し予定通りにいかないだけで、心がざわつきました。
子どもが疲れた顔をしていると、自分の関わり方が悪かったのではないかと不安になりました。
本当は、ただそばにいて、子どもの言葉や表情を受け止めるだけでよかった日もあったのだと思います。
何かを正そうとする前に、まず「今日は疲れたんだね」と受け止める。
子どもだけでなく、自分にも「今日はよく頑張ったね」と声をかける。
そんなふうに、自分にも子どもにも、もう少しやわらかく向き合えていたらよかったなと思います。
気合いで乗り切ろうとするほど、心と体が追いつかなくなっていった
小学校生活が始まってから、毎日は思っていた以上に慌ただしく過ぎていきました。
朝は、保育園の頃よりも早く起きる必要があります。
子どもを起こし、朝ごはんを用意し、持ち物を確認し、時間に間に合うように送り出す。
それだけでも、私にとっては新しいリズムでした。
さらに、学校からのお知らせ、宿題、提出物、翌日の準備。
子どもの様子を見ながら、「疲れていないかな」「困っていないかな」と気にかける日々。
もちろん、子どものためにできることはしたい。
親として支えてあげたい。
その気持ちは本当でした。
けれど、私はいつの間にか、自分の疲れを見ないようにしていたのだと思います。
「今だけだから」
「みんなやっていることだから」
「親なんだから、これくらい頑張らないと」
そんな言葉を自分にかけながら、気合いで毎日を回そうとしていました。
でも、気合いだけではどうにもならないことがあります。
心が疲れていても、体が休みたがっていても、私はそれをうまく受け止められませんでした。
子どもの表情には敏感になっていたのに、自分の表情や体調には鈍くなっていたのかもしれません。
そしてある日、張りつめていたものがぷつんと切れるように、私の体は発熱という形で「もう無理だよ」と教えてくれました。
その時は、体調を崩したことそのものよりも、「なんで頑張れないんだろう」と思ってしまったことが、いちばん苦しかったように思います。
「これくらいできて当然」と思うほど、自分を休ませられなかった
小学校生活が始まってから、私は毎日どこかで「ちゃんとしなきゃ」と思っていました。
朝起きる時間。
朝食の準備。
登校までの声かけ。
持ち物の確認。
宿題を見る時間。
翌日の準備。
ひとつひとつは、特別なことではないのかもしれません。
でも、生活の中に新しい「やること」が増えると、心の余白は少しずつ削られていきます。
当時の私は、そのことにあまり気づけていませんでした。
「他の家庭もやっていること」
「親なら当たり前」
「第一子だからこそ、しっかり見てあげないと」
そんなふうに考えて、自分に休む許可を出せなくなっていました。
疲れているのに、まだできるはずだと思う。
眠いのに、もう少し頑張ろうとする。
本当は不安なのに、大丈夫なふりをする。
それを続けているうちに、だんだん自分の本音が見えにくくなっていきました。
子どもには「無理しなくていいよ」と言いたいのに、自分には「無理してでもやらなきゃ」と言っていたのだと思います。
今振り返ると、少し不思議です。
大切な人にはやさしくしたいのに、自分にはとても厳しかった。
きっと私は、「親としてちゃんとしている自分」でいたかったのだと思います。
でも、ちゃんとすることと、無理をし続けることは違います。
当時の私は、その違いがまだよくわかっていませんでした。
休むことは、さぼることではありません。
頼ることは、弱いことではありません。
できない日があることも、親として失格ということではありません。
けれどその時の私は、そう思えるまでに少し時間が必要でした。
子どもの疲れを気にする一方で、自分の疲れには気づけなかった
子どもが小学校に入学してから、私は子どもの変化にできるだけ気づきたいと思っていました。
帰宅後の顔つき。
話す言葉の少なさ。
いつもより甘えてくる様子。
宿題に向かう時の気分。
「今日は疲れているのかな」
「学校で何かあったのかな」
「無理していないかな」
そんなふうに、子どもの様子を見ながら、毎日あれこれ考えていました。
もともと子どもは、環境の変化に大きく動じるタイプではありませんでした。
新しい場所にも比較的すっと入っていけるように見えました。
でも、だからといって平気なわけではない。
慣れない教室、初めての先生、新しい友だち、保育園とは違う時間の流れ。
小さな体で、きっとたくさんの刺激を受けていたはずです。
だから私は、子どもの疲れを見逃さないようにしたいと思っていました。
ただ、その一方で、自分自身の疲れにはかなり鈍くなっていました。
私も転職したばかりでした。
新しい仕事、新しい人間関係、新しい生活リズム。
本当なら、私自身も変化の中にいました。
けれど、頭の中は子どものことでいっぱいで、自分のことは後回しになっていました。
少しくらい疲れていても、今は仕方ない。
寝不足でも、やることはやらないと。
不安があっても、親の私が落ち着いていないと。
そんなふうに思っていました。
でも、人は自分の疲れを置き去りにしたまま、誰かを支え続けることはなかなかできません。
子どもの声に耳を向けようとするなら、自分の心の声にも耳を向ける必要があったのだと思います。
「しんどい」
「少し休みたい」
「誰かにわかってほしい」
そんな自分の声を、もっと早く聴いてあげられたらよかったなと思います。
体調を崩した時に出てきたのは、休みたい気持ちより罪悪感だった
無理を重ねていたある日、私は体調を崩しました。
発熱して、体が思うように動かない。
疲れが一気に押し寄せてきたような感覚でした。
普通なら、「休もう」と思えばよかったのかもしれません。
でも、その時の私の頭に浮かんだのは、休むことへの安心ではありませんでした。
「なんで頑張れないんだろう」
そんな言葉でした。
体調を崩しているのに、自分を責めてしまう。
本当はつらいのに、「もっとできたはず」と思ってしまう。
今思うと、とても苦しい状態だったと思います。
涙が溢れてきたのも、熱のせいだけではなかったのかもしれません。
それまでずっと我慢していた気持ちが、体調不良をきっかけに外へ出てきたような感覚でした。
不安もありました。
罪悪感もありました。
子どもに迷惑をかけてしまうのではないか。
親なのに、ちゃんとできていないのではないか。
このくらいのことで崩れてしまう自分は弱いのではないか。
そんな思いが、ぐるぐると頭の中を回っていました。
でも本当は、弱かったのではなく、ずっと頑張り続けていたのだと思います。
体は、ちゃんと教えてくれていました。
「もう少し休んで」
「ひとりで抱えすぎないで」
「気合いだけで進まないで」
けれど当時の私は、その声を素直に受け取ることができませんでした。
体調を崩したことで、自分がどれだけ無理をしていたのかに気づき始めました。
そして同時に、「頑張らない自分」を許すことが、私にとってはとても難しいことなのだと知りました。
小1の壁は、子どもの生活だけでなく、親の心の奥にある思い込みも浮き彫りにするものなのだと思います。
比べなくていい。その子らしさに目を向けた時、私の力が少し抜けた
体調を崩してからも、すぐに何かが大きく変わったわけではありませんでした。
「無理をしない方がいい」と頭ではわかっていても、心のどこかではまだ、「でも親なんだから、ちゃんとしなきゃ」という思いが残っていました。
そんな私の気持ちに、少し風穴を開けてくれたのが、子育てに関する研修会で聞いた言葉でした。
「一人一人、必ずその子だけのステキな所があります。
我が子と周りを比べる必要はありません。」
その言葉を聞いた時、私は子どものことを思い浮かべると同時に、自分自身のことも思い浮かべていました。
私は、子どもを見守っているつもりで、どこかで「こうあってほしい」という理想を重ねていたのかもしれません。
そして同じように、自分にも「こういう親でありたい」「ちゃんとできる自分でいたい」という理想を押しつけていました。
周りと比べなくていい。
完璧でなくてもいい。
その子には、その子の歩き方がある。
そう思えた時、少しだけ肩の力が抜けました。
子どもの声を聴くこと。
表情を見つめること。
そして、自分自身のしんどさにも気づいてあげること。
何かを正そうとする前に、まず受け止める。
その大切さに、私は少しずつ気づき始めました。
「周りと比べなくていい」という言葉が、心にすっと入ってきた
研修会で聞いた言葉は、とてもシンプルなものでした。
「一人一人、必ずその子だけのステキな所があります。
我が子と周りを比べる必要はありません。」
特別に難しい言葉ではありません。
むしろ、頭では何度も聞いたことがあるような言葉だったかもしれません。
それでも、その時の私には不思議なくらい深く届きました。
きっと、それだけ私は知らないうちに比べていたのだと思います。
他の子はもう生活リズムに慣れているのかな。
他の家庭は宿題をどんなふうに見ているのかな。
他の親はもっと落ち着いているのかな。
そんなふうに、はっきり口には出さなくても、心の中ではいつも周りを気にしていました。
比べているつもりはありませんでした。
でも、「これで大丈夫かな」と不安になる時、私の中にはいつも、どこかの誰かの基準があったように思います。
子どもにも、自分にも、見えない物差しを当てていたのかもしれません。
けれど、その言葉を聞いた時、ふと立ち止まることができました。
目の前にいる我が子は、我が子であって、誰かと同じように進まなくてもいい。
同じタイミングで慣れなくてもいい。
同じ反応をしなくてもいい。
そう思うと、少し呼吸がしやすくなりました。
子どもの中には、子どもなりの力がある。
私はそれを信じる前に、先回りして心配しすぎていたのかもしれません。
その気づきは、私にとって大きなものでした。
子どもに高い理想を重ねていたことに気づいた
私は、子どものために頑張っているつもりでした。
朝をスムーズに過ごせるように。
学校で困らないように。
宿題に慣れていけるように。
新しい生活に安心して向かえるように。
どれも、子どもを思ってのことでした。
でも、少しずつ振り返ってみると、その中には私自身の理想もたくさん入っていたように思います。
「小学生になったのだから、生活リズムを整えたい」
「宿題は早めに済ませられるようになってほしい」
「学校には楽しく行ってほしい」
「疲れていても、できれば前向きでいてほしい」
親として自然な願いではあります。
けれど、その願いが強くなりすぎると、子どもの今の姿をそのまま見ることが難しくなってしまいます。
子どもが疲れている時も、私は心のどこかで「慣れてほしい」と思っていました。
子どもがゆっくりしている時も、「明日の準備をしなきゃ」と声をかけたくなりました。
もちろん、生活の中で必要な声かけはあります。
でも、その前に、子どもが今どんな気持ちなのかを聴くことが大切だったのだと思います。
「今日は疲れた?」
「学校で楽しかったことあった?」
「今は少し休みたい?」
そんな何気ないやりとりの中に、子どもの本音が出てくることがあります。
そして、それを急いで評価したり、正したりせずに受け止めること。
私は、その大切さを少しずつ学んでいきました。
子どもには子どものペースがあります。
親の理想通りに進まない日があっても、それは失敗ではありません。
そう思えるようになってから、子どもを見る目が少しやわらかくなった気がします。
自分にも「ちゃんとした親」という理想を押しつけていた
研修会の言葉を聞いて気づいたのは、子どもに対する理想だけではありませんでした。
私は、自分自身にもかなり高い理想を持っていました。
いつも落ち着いていたい。
子どものことをよく見ていたい。
学校のことも、生活のことも、きちんと対応したい。
不安になっても、それを表に出さずに支えたい。
そんな「ちゃんとした親」の姿を、どこかで目指していたのだと思います。
でも、現実の私はそんなに完璧ではありませんでした。
疲れる日もあります。
イライラする日もあります。
何も考えずに休みたい日もあります。
子どもの話をゆっくり聴きたいと思いながら、心に余裕がない日もありました。
そのたびに私は、「またできなかった」と自分を責めていました。
けれど、よく考えてみると、私が目指していた理想は、少し苦しいものでした。
どんな時も正しく関わる親。
いつも余裕がある親。
子どもの変化を全部見逃さない親。
そんな姿を自分に求め続けていたら、疲れてしまうのは当然だったのかもしれません。
大切なのは、完璧に関わることではなく、子どもの声に戻ってくること。
そして、自分の声にも戻ってくること。
「今日は余裕がなかったな」
「本当は疲れていたんだな」
「少し休みたかったんだな」
そうやって自分の気持ちを聴いていくと、少しずつ自分への厳しさがゆるんでいきました。
親である前に、私もひとりの人間です。
不安になってもいい。
頑張りすぎてもいい。
うまくできない日があってもいい。
そう思えるようになることが、私にとって大きな変化の始まりでした。
まず受け止めることが、親子の時間を少し楽にしてくれた
気づきがあってから、私は少しずつ関わり方を変えていきました。
大きなことをしたわけではありません。
ただ、子どもに何かを言う前に、一度立ち止まるようにしました。
「早く宿題しなさい」と言う前に、今日はどんな様子かなと見る。
「明日の準備は?」と急かす前に、疲れていないかなと考える。
元気がなさそうな時は、理由をすぐに探すのではなく、まずそばにいる。
そんな小さなことからでした。
子どもの話を聴く時も、すぐにアドバイスしたくなる自分に気づくようになりました。
「それならこうしたら?」
「次はこうしてみたら?」
「大丈夫、大丈夫」
そう言いたくなることもあります。
でも、子どもが本当にほしいのは、解決策よりも「そっか、そうだったんだね」と受け止めてもらうことなのかもしれません。
これは、自分自身にも同じでした。
しんどい時に、「もっと頑張らなきゃ」と言うのではなく、まず「しんどいんだね」と受け止める。
不安な時に、「こんなことで不安になっちゃだめ」と否定せず、「初めてのことだから不安になるよね」と認める。
そうすると、不思議と心が少し落ち着いていきました。
受け止めることは、何もしないことではありません。
むしろ、次にどうするかを考えるための、いちばん大切な土台なのだと思います。
子どもを変えようとする前に、まず子どもの今を聴く。
自分を責める前に、まず自分の今を聴く。
その積み重ねが、小1の壁で張りつめていた私の心を、少しずつほぐしてくれました。
完璧を手放したら、親子の毎日に少し余白が生まれた
小1の壁を経験して、私がいちばん大きく変わったのは、「頑張れば何とかなる」という考え方を少しずつ手放せるようになったことです。
もちろん、今でも子どものことを思えば心配になる日はあります。
学校生活のこと、友だちのこと、生活リズムのこと、学習のこと。
親として気になることがなくなったわけではありません。
けれど以前のように、「私がしっかりしなければ」「全部フォローしなければ」と自分を追い込むことは、少し減ってきたように思います。
うまくいかない日があってもいい。
予定通りに進まない日があってもいい。
疲れている時は、まず休んでもいい。
そんなふうに考えられるようになってから、親子の時間にも少し余白が生まれました。
以前の私は、理想の生活リズムや理想の親子の姿を追いかけていたのかもしれません。
でも今は、目の前の子どもの様子を見ながら、そして自分自身の気持ちにも耳を向けながら、「今日はどう過ごそうか」と考えるようになりました。
流れに身を任せることは、何も考えずに過ごすことではありません。
その時々の状態を感じながら、無理に力で動かそうとしないこと。
頑張れない日を責めずに、今できることを選んでいくこと。
小1の壁は、私にとって大変な出来事でした。
けれど同時に、親としての力の抜き方を教えてくれた経験でもありました。
「なるようになる」と思えるだけで、心が少し軽くなった
以前の私は、何でも先回りして考えることが多かったように思います。
明日の準備は大丈夫かな。
朝は時間通りに起きられるかな。
宿題はちゃんとできるかな。
学校で困っていないかな。
考え始めると、心配ごとはいくらでも出てきました。
もちろん、親として準備や見守りは大切です。
子どもが安心して過ごせるように整えておくことも、必要な場面があります。
でも、どれだけ準備しても、思い通りにいかない日はあります。
朝から子どもの機嫌が乗らない日。
宿題に時間がかかる日。
忘れ物をしてしまう日。
親である私の方が疲れていて、うまく声をかけられない日。
以前なら、そんな日は「ちゃんとできなかった」と落ち込んでいました。
でも今は、少しずつ「まあ、なるようになる」と思えるようになってきました。
この言葉は、投げやりな意味ではありません。
むしろ、今の私にとっては、自分と子どもを必要以上に追い込まないための言葉です。
全部を完璧に整えなくても、何とかなることはある。
少し失敗しても、そこからまた考えればいい。
今日うまくいかなかったからといって、親子の毎日が全部だめになるわけではない。
そう思えるだけで、心の力が少し抜けます。
子どもにも、自分にも、失敗する余白を残しておく。
予定通りに進まない日も、ひとつの経験として受け止める。
そのくらいのゆるさが、私には必要だったのだと思います。
無理をしない、断る、休むことを少しずつ選べるようになった
小1の壁を経験する前の私は、「頑張ること」をとても大切にしていました。
大変でもやる。
疲れていても動く。
不安でも気合いで乗り切る。
それが親として必要なことだと思っていたのかもしれません。
でも、体調を崩した経験を通して、無理をし続けることは長く続かないのだと実感しました。
どれだけ子どものためを思っていても、私自身が倒れてしまったら、日々の生活は回らなくなります。
そして何より、心に余裕がなくなると、子どもの声をゆっくり聴くことも難しくなってしまいます。
だから今は、「無理をしない」という選択を少しずつ大切にしています。
できない時は、できないと言う。
全部を引き受けようとしない。
疲れている時は、早めに休む。
時には断る。
最初から上手にできたわけではありません。
「頑張らない自分」を許すことには、時間がかかりました。
休んでいるのに、心のどこかで罪悪感が出てくることもありました。
でも、そのたびに自分に問いかけるようにしました。
「今、本当に必要なのは何だろう」
「理想の自分を追いかけていないかな」
「目の前の自分は、何を求めているのかな」
そうやって自分の声を聴いていくと、少しずつ休むことへの抵抗がやわらいでいきました。
親が無理をしないことは、子どものためにもなるのだと思います。
余裕がある時の方が、子どもの表情も見えやすい。
声の奥にある気持ちにも気づきやすい。
だからこそ、休むことも、親子の時間を守る大切な選択なのだと思います。
目の前の子どもと自分の声を聴きながら、これからも歩いていく
今でも、すべてが完璧にできているわけではありません。
時々、無理をしてしまうこともあります。
気づいたら予定を詰め込みすぎていたり、子どものためと言いながら、自分の理想を押しつけそうになったりすることもあります。
でも以前と違うのは、そのことに気づいた時、少し立ち止まれるようになったことです。
「あ、今ちょっと焦っているな」
「子どものためと言いながら、自分が安心したいだけかもしれないな」
「今日は私も疲れているな」
そんなふうに、自分の内側にある声を聴く時間が、少しずつ増えてきました。
子どもに対しても同じです。
すぐに正解を出そうとするのではなく、まず様子を見る。
言葉を急がせるのではなく、話し出すタイミングを待つ。
困っていそうな時も、すぐに手を出す前に、「どうしたい?」と聞いてみる。
もちろん、うまくいかない日もあります。
でも、親子の関わりは一度きりで決まるものではなく、毎日の小さなやりとりの積み重ねなのだと思います。
小1の壁は、私にとってしんどい経験でした。
けれどその中で、子どもをよく見ること、自分の声にも耳を向けること、そして完璧を目指しすぎないことの大切さを知りました。
これからもきっと、子育ての中には新しい壁が出てくると思います。
そのたびに迷ったり、不安になったりするかもしれません。
それでも、「大丈夫、大丈夫」と自分に声をかけながら、目の前の子どもと一緒に、その時々のペースで歩いていけたらいいなと思っています。
読者へのメッセージ|ひとりで抱え込まなくても大丈夫です
小1の壁は、子どもだけが向き合うものではなく、親にとっても大きな変化の時期なのだと思います。
朝の準備、学校からのお知らせ、宿題、生活リズム、子どもの気持ちの変化。
ひとつひとつは小さなことに見えても、毎日続くと、知らないうちに心も体も疲れていきます。
「親なんだから、ちゃんとしなきゃ」
「これくらいでしんどいなんて言えない」
「みんなはもっと上手にやっているのかもしれない」
そんなふうに、自分を責めてしまう日もあるかもしれません。
でも、無理をして頑張り続けることだけが、子どもを支える方法ではないと思います。
疲れた時は休んでもいい。
できない日は、できないままでもいい。
不安な気持ちを、なかったことにしなくてもいい。
親が少し力を抜くことで、子どもとの時間にも、ほんの少し余白が生まれることがあります。
もし今、小1の壁や子育てのプレッシャーの中で、「誰かに話してみたい」「少し整理したい」と感じている方は、LINE公式アカウントから予約できます。
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あなたとお子さんの毎日が、少しでもやわらかくなりますように。
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