ASD傾向のパートナーとの恋愛体験|共感が得られない関係で感じた孤独と気づき【実体験】

こんにちは、たんべさやかです。
ASD傾向のパートナーとの関係の中で、「どうしてわかってもらえないんだろう」と感じたことはありませんか。
私自身、夫との生活の中で、言葉は通じるのに気持ちは通じない――そんな感覚に、何度も戸惑ってきました。
特に出産後は、心も体も余裕がなくなる時期。
そんな中で、いちばん近くにいるはずのパートナーから共感やいたわりを感じられないことが、思っていた以上に大きな孤独につながっていきました。
当時の私は、そのつらさをうまく言葉にできず、「自分の感じ方がおかしいのかもしれない」と、自分を責めることも少なくありませんでした。
後に知ることになる「カサンドラ症候群」という言葉は、そんな私の状態に、少しだけ名前を与えてくれたように感じています。
今回は、そんな私の体験をもとに、ASD傾向のパートナーとの関係の中で感じた違和感や孤独、そしてそこから見えてきたことについて、お話ししていきます。


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目次
- ○ カサンドラ症候群とは?産後うつと重なった私のリアルな体験
- ・「なんでこんなに寂しいの?」言葉にできなかった孤独
- ・会話はできるのに通じない感覚の正体
- ・「私の感じ方がおかしいの?」と自分を責めていた日々
- ○ ASD傾向の彼との出会い|会話は楽しいのに感じた違和感
- ・「頼りがいがある」と感じた理由とその裏側
- ・何気ない会話の中で感じた“共感のなさ”
- ・楽しい時間の中にあった見えにくい違和感
- ○ 誕生日の出来事で気づいた“共感のなさ”と深まる孤独
- ・泣いている私と、怒り出す彼のすれ違い
- ・置いて帰られた夜に感じた現実
- ・「この人とは分かり合えないかもしれない」という予感
- ○ 共感されない関係に悩む人へ|体験から見えてきた大切なこと
- ・「わかってほしい」はわがままではなかった
- ・自分の感覚を信じることの大切さ
- ・同じように悩む人へ、私が大切にしていること
- ○ 読者へのメッセージ
カサンドラ症候群とは?産後うつと重なった私のリアルな体験
出産後の生活は、想像していた以上に大きく変わりました。
体は思うように回復せず、睡眠も細切れ。気づけば一日が終わっているような日々の中で、私の心は少しずつ余裕を失っていきました。
そんなとき、本当はパートナーに寄り添ってほしい、気持ちをわかってほしいと強く思うようになります。
でも、夫との間には、どこか埋まらない距離のようなものがありました。
会話は成立するし、日常生活も問題なく回っている。
それなのに、私がしんどいときほど、その気持ちが伝わらない。
「大丈夫?」の一言がほしいだけなのに、それがない。
次第に私は、「どうしてこんなに孤独なんだろう」と感じるようになりました。
精神的に不安定になり、通院する中で知ったのが「カサンドラ症候群」という言葉でした。
そのとき初めて、自分の感じていた違和感や孤独に、少しだけ説明がついたような気がしたのです。
ただ同時に思ったのは、「名前がついても、つらさそのものが消えるわけではない」ということでした。
それでも、自分の感覚を否定しなくていいと思えたことは、大きな一歩だったように思います。
ここからは、そんな私が感じてきた孤独や違和感について、もう少し具体的にお話ししていきます。
「なんでこんなに寂しいの?」言葉にできなかった孤独
産後の私は、とにかく誰かに気持ちをわかってほしい状態でした。
でも、その「わかってほしい」という気持ち自体を、うまく言葉にすることができませんでした。
「しんどい」と言っても、何がどうしんどいのか説明できない。
ただ漠然と、苦しくて、寂しくて、不安でいっぱいでした。
夫は、困っていることに対して解決策を提示するのは得意でした。
でも、私が求めていたのは解決ではなく、「そうなんだね」「大変だったね」といった共感でした。
そのズレに気づいたとき、私は強い孤独を感じました。
目の前に人がいるのに、気持ちが届かない。そんな感覚です。
それでも当時の私は、「うまく伝えられない自分が悪い」と思っていました。
だからこそ、余計に苦しくなっていたのだと思います。
会話はできるのに通じない感覚の正体
夫とは普通に会話ができます。
むしろ、論理的で話がわかりやすく、知的な会話を楽しめる相手でもありました。
だからこそ、「通じない」と感じる違和感は、とても説明しにくいものでした。
たとえば、私が落ち込んでいるとき。
その背景や感情よりも、「どうすれば解決できるか」に話が進んでいく。
私はただ気持ちを聞いてほしいだけなのに、気づけば「どう行動するか」の話になってしまう。
そのたびに、「違う、そうじゃない」と心の中で思いながらも、うまく言えずに終わっていました。
この「会話は成立しているのに、気持ちは通じていない感覚」は、じわじわと心を削っていきます。
当時はそれが何なのか分からず、「なんとなくしんどい」という曖昧な言葉でしか表せませんでした。
でも今振り返ると、それが大きな違和感の始まりだったように思います。
「私の感じ方がおかしいの?」と自分を責めていた日々
共感されないことが続くと、次に起きるのは「自己否定」でした。
「こんなことでつらいって思う私が弱いのかな」
「もっとしっかりしなきゃいけないのに」
そんなふうに、自分の感じ方そのものを疑うようになっていきました。
周りから見れば、夫婦関係に大きな問題があるようには見えなかったと思います。
だからこそ、誰にも相談できず、自分の中だけでぐるぐると考え続けていました。
本当は、ただ「つらかったね」と言ってもらえるだけで救われたかもしれません。
でもそれが得られないとき、人は自分で自分を納得させようとしてしまいます。
そして気づかないうちに、自分の気持ちを押し込める癖がついていきました。
今思えば、その時点でかなり無理をしていたのだと思います。
でも当時は、それが普通だと思い込んでいました。
こうして少しずつ、自分の感情よりも「相手に合わせること」が優先されるようになっていったのです。
ASD傾向の彼との出会い|会話は楽しいのに感じた違和感
彼と出会った当時の私は、結婚を意識する年齢でもあり、どこかで「将来を見据えた相手と出会いたい」という思いを持っていました。
そんな中で出会った彼は、言葉のやりとりがとてもスムーズで、会話していて楽しいと感じられる人でした。
論理的で頭の回転が速く、話をしていてストレスがない。
むしろ、自分と似ている部分も感じて、「この人とならうまくやっていけるかもしれない」と思うようになっていきました。
一方で、よくよく関わる中で、どこか引っかかる感覚もありました。
それははっきりした違和感というより、「あれ?」と感じる小さなズレの積み重ねのようなものでした。
楽しい時間もある。優しさを感じる場面もある。
でも、私が弱っているときや感情が揺れているときほど、距離を感じてしまう。
その感覚に、当時の私はまだ名前をつけられずにいました。
「考えすぎかな」「気にしすぎかも」と自分に言い聞かせながらも、心のどこかでは、小さな違和感が確かに残り続けていたのです。
「頼りがいがある」と感じた理由とその裏側
彼は、感情に大きく振り回されるタイプではありませんでした。
落ち込んだり不安定になったりする様子も少なく、常に一定のテンションで物事を判断しているように見えました。
当時の私は、その姿を「頼りがいがある」と感じていました。
自分は感情の波があるタイプだったので、むしろその安定感に安心していたのだと思います。
でも今振り返ると、その「安定しているように見えた部分」は、感情への共感が薄いことと表裏一体だったのかもしれません。
私がしんどいとき、彼は一緒に揺れることはありませんでした。
それは一見すると冷静さのようにも見えますが、同時に「寄り添われていない」と感じる要因にもなっていました。
当時はまだ、「それでもいい」と思っていた部分もありました。
むしろ「自分がしっかりすればいい」と考えていたくらいです。
でも、後になって気づくことになります。
安心感と感じていたものの中に、すでにズレの種はあったのだということに。
何気ない会話の中で感じた“共感のなさ”
彼との関係の中で、はっきりと違和感を感じた出来事のひとつが、あるときの会話でした。
私が「自殺についてどう思う?」と聞いたときのことです。
彼は、「そんな選択をする人は理解できない」といった趣旨のことを、迷いなく言い切りました。
その言葉を聞いた瞬間、少し背筋が冷えるような感覚がありました。
私は、その問いに対して「つらい人もいるよね」とか「追い詰められているのかもしれないね」といった、背景や気持ちに目を向けるような返答を想像していたのだと思います。
でも彼は、あくまで「正しいかどうか」という軸で答えていました。
もちろん、それが間違いだというわけではありません。
ただ、そのとき私は「気持ちを想像する」という視点が共有されていないことに気づいたのです。
その小さな違和感は、その後の関係の中でも何度か繰り返されていきました。
楽しい時間の中にあった見えにくい違和感
彼との時間は、決してつらいものばかりではありませんでした。
むしろ、一緒に過ごす日常には穏やかで楽しい時間もたくさんありました。
一緒に買い物に行ったり、料理をしたり、同じ空間でのんびり過ごしたり。
そうした何気ない時間の中では、「このまま一緒にいられたらいいな」と感じることもありました。
また、当時の私は実家に居場所がないと感じていたこともあり、彼の家が安心できる場所のように思えていた部分もありました。
だからこそ、違和感があっても「それ以上にいいところがある」と自分に言い聞かせていたのだと思います。
人は、居場所を見つけたと感じたとき、その安心感を手放したくなくなるものです。
多少の違和感には目をつぶってしまうこともあります。
でも、後になって振り返ると、その「見ないようにしていた感覚」こそが、とても大事なサインだったのだと気づきました。
違和感は、最初から大きな形では現れません。
日常の中に、静かに紛れ込むように存在しているものなのだと思います。
誕生日の出来事で気づいた“共感のなさ”と深まる孤独
それまで感じていた違和感は、どこか曖昧で、「気のせいかもしれない」と流せる程度のものでした。
でも、ある出来事をきっかけに、その感覚ははっきりとした形を持つようになります。
それは、私の誕生日の日のことでした。
ささいなことがきっかけで言い合いになり、私は感情があふれて泣いてしまいました。
そのとき私が本当に求めていたのは、責めることでも正しさを争うことでもなく、ただ「どうしたの?」と寄り添ってもらうことでした。
でも彼は、私の涙に戸惑い、怒りを爆発させ、最終的には私をその場に置いて帰ってしまったのです。
楽しかったはずの誕生日が、一転して、強い孤独と不安に包まれる時間になりました。
帰り道、ひとりで移動しながら、「どうしてこうなったんだろう」と何度も考えました。
そしてそのとき、はっきりと感じたのです。
この人は、楽しい時間は一緒に過ごせるけれど、悲しさやつらさを分かち合うことはできないのかもしれない、と。
それは、これまで感じていた違和感が、確信に変わった瞬間でした。
泣いている私と、怒り出す彼のすれ違い
あのときの私は、ただ気持ちがあふれてしまっただけでした。
寂しさや不安が積み重なって、抑えきれなくなっていただけだったと思います。
でも彼にとっては、その涙は「理解できないもの」だったのかもしれません。
なぜ泣いているのか、どうしてそんなに感情的になるのか。
その理由が分からないことで、混乱し、結果的に怒りという形で反応してしまったように見えました。
私からすれば、「どうして怒るの?」という気持ちでした。
ただ受け止めてほしいだけなのに、その場が一気に対立の空気になってしまう。
このすれ違いは、とても大きなものでした。
感情を出せば出すほど関係がこじれてしまう。
だから次第に、「もう見せないほうがいいのかもしれない」と思うようになっていきました。
でもそれは、自分の気持ちを押し込めることでもありました。
置いて帰られた夜に感じた現実
彼にその場を去られたあと、私はひとり取り残されました。
終電もなく、どう帰るかを考えながら、ただ呆然としていたのを覚えています。
誕生日という特別な日のはずなのに、現実はあまりにも静かで、冷たく感じました。
移動中のバスの中で、外の景色をぼんやり眺めながら、いろんな思いが頭を巡っていました。
「なんでこんなことになったんだろう」
「私が悪かったのかな」
「泣いたのがいけなかったのかな」
そんなふうに、自分を責める気持ちも出てきました。
でも同時に、どこかで気づいてしまっていたのです。
これは一時的な出来事ではなく、これからも繰り返されるかもしれないということに。
その夜の孤独感は、今でもはっきりと思い出せるほど、強く心に残っています。
「この人とは分かり合えないかもしれない」という予感
あの出来事をきっかけに、私はひとつの感覚を持つようになりました。
それは、「この人とは、感情の部分では分かり合えないかもしれない」という予感でした。
楽しいことや日常のやりとりは共有できる。
でも、つらいときや弱っているときに、同じ方向を向けるかどうかは別の話でした。
そして、パートナーとの関係において、その部分はとても大切なものだと気づき始めていました。
それでも当時の私は、その予感をはっきりと言葉にすることができませんでした。
「きっと大丈夫」「うまくやれるはず」と、自分に言い聞かせる気持ちもあったからです。
人は、大きな違和感に気づいたときでも、すぐにそこから離れられるとは限りません。
むしろ、関係を続けようとする中で、見ないようにしてしまうこともあります。
ただ、そのとき感じた感覚は、決して間違っていなかったのだと思います。
そしてその予感は、このあと現実のものとして、少しずつ形になっていくことになります。
共感されない関係に悩む人へ|体験から見えてきた大切なこと
ここまで振り返ってみると、私はずっと「分かり合いたい」と思いながら関係を続けてきたのだと思います。
でも同時に、「分かり合えない部分があるかもしれない」という感覚にも、どこかで気づいていました。
それでも関係を続けたのは、楽しい時間や安心できる瞬間も確かにあったからです。
人は、つらさだけでなく「いい部分」も知っている相手ほど、簡単には離れられないものです。
ただ、体験を通して感じたのは、「共感されないこと」が積み重なると、少しずつ自分の感覚を信じられなくなっていくということでした。
本当はつらいのに、「これくらい普通かもしれない」と思い込んでしまう。
寂しいのに、「求めすぎなのかもしれない」と感じてしまう。
そうやって、自分の気持ちよりも相手に合わせることが当たり前になっていきました。
今は、そのときの自分に「それでよかった」とは思いません。
でも、「そうするしかなかったんだよね」と、少しやさしく見られるようになりました。
同じように、関係の中で孤独を感じている人がいるなら、まずはその感覚をそのまま大切にしてほしいと思っています。
「わかってほしい」はわがままではなかった
当時の私は、「こんなことでつらいと思う自分は弱いのではないか」と感じていました。
でも今なら、「わかってほしい」と思うことは、とても自然なことだったと感じています。
特にパートナーとの関係では、安心感やつながりを感じたいと思うのは当たり前のことです。
それが得られないとき、人は強い孤独を感じてしまいます。
それなのに、「求めすぎ」と思ってしまうと、自分の気持ちをどんどん押し込めることになります。
私自身も、「これくらい我慢しなきゃ」と思っていました。
でも、その我慢は積み重なるほど苦しさになっていきました。
今振り返ると、「わかってほしい」という気持ちは、間違いでも甘えでもなかったと思います。
それは、自分の心がちゃんと反応していた証拠でした。
自分の感覚を信じることの大切さ
関係の中で違和感を感じたとき、すぐに答えが出るわけではありません。
むしろ、「気のせいかもしれない」と思ってしまうことのほうが多いと思います。
私もそうでした。
小さなズレを感じても、「考えすぎかな」と流していました。
でも、その違和感は何度も繰り返されました。
そして気づけば、「なんとなくしんどい状態」が当たり前になっていました。
今思うのは、「なんとなく」の違和感こそ、大事にしてよかったということです。
はっきりした理由がなくても、心が何かを感じているとき、それにはちゃんと意味があります。
無理に納得しようとしなくてもいい。
すぐに答えを出さなくてもいい。
ただ、「自分はそう感じているんだな」と認めることが、すごく大切だったのだと思います。
同じように悩む人へ、私が大切にしていること
この体験を経て、私は「気持ちをそのまま受け止めてもらえること」の大切さを強く感じるようになりました。
だから今は、誰かの話を聴くとき、正しさよりも「その人がどう感じているか」を大事にしたいと思っています。
「それは違うよ」と否定するのではなく、
「そう感じているんだね」と一度そのまま受け取ること。
それだけで、人の心は少しゆるむことがあります。
私自身がそうだったように、気持ちを分かってもらえない状態は、とても苦しいものです。
だからこそ、まずは安心して話せる場所が必要だと感じています。
もし今、同じように関係の中で孤独を感じているなら、
「つらい」と感じているその気持ちを、どうか無視しないでほしいです。
その感覚は、きっとあなたにとって大事なサインです。
そして、その気持ちをそのまま話せる場所は、きっとどこかにあります。
読者へのメッセージ
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
ここまで読んで、「もしかして自分も同じかもしれない」と感じた方もいるかもしれません。
でも、こうした悩みはとても繊細で、身近な人にはなかなか話しづらいものですよね。
「こんなことで悩んでいいのかな」
「私の感じ方が間違っているのかも」
そう思ってしまう気持ちも、すごく自然なことだと思います。
でも、本当はその違和感やつらさには、ちゃんと意味があります。
無理に答えを出そうとしなくても大丈夫です。
まずは、「そう感じている自分がいる」と気づくだけでも、ひとつの大切な一歩です。
もし今、誰にも言えない気持ちを抱えているなら、
安心して話せる場所を持つことも、ひとつの選択肢かもしれません。
傾聴ラウンジ「ここより」では、答えを押しつけるのではなく、
あなたの気持ちをそのまま大切にしながら、一緒に整理していく時間を提供しています。
うまく話せなくても大丈夫です。
言葉にならない思いも、そのままで大丈夫です。
少しでも「話してみたいな」と思ったときに、
あなたのペースで立ち寄れる場所として、そっと思い出してもらえたらうれしいです。
あなたの気持ちが、少しでも軽くなる時間が増えていきますように。





