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流産後、友人の妊娠・出産報告がつらい…嫉妬や孤独感を抱えた20代女性の相談事例

流産後、友人の妊娠・出産報告がつらい…嫉妬や孤独感を抱えた20代女性の相談事例

流産を経験したあと、周りの友人の妊娠や出産、育児の話を聞くことがつらくなってしまうことがあります。

本当なら一緒に喜びたかった。
同じように出産して、子育ての話をして、これまでと変わらず友人たちと笑っていたかった。

けれど、自分の妊娠は途中で終わってしまい、友人たちは順調に出産や育児へ進んでいく。SNSに流れてくる幸せそうな投稿を見るたびに、胸がぎゅっと苦しくなり、「どうして私だけこんなにつらい思いをしなきゃいけないのだろう」と感じてしまう。

今回ご紹介するのは、関東にお住まいの20代女性Dさんの相談事例です。

Dさんは、初めての妊娠で流産を経験されました。同じ時期に友人たちも妊娠・出産・育児をしていたため、以前は頻繁に連絡を取り合っていましたが、流産をきっかけに共通の会話ができなくなり、友人たちに会いたくない、SNSを見るのもしんどいと感じるようになっていきました。

私はまず、Dさんの哀しみやみじめさ、友人たちへの嫉妬の気持ちを否定せず、そのままお聴きすることを大切にしました。

泣きたい気持ちも、会いたくない気持ちも、うらやましいと思ってしまう気持ちも、大切な存在を失った心から出てくる自然な反応です。

この記事では、流産後に友人の幸せを見ることがつらくなったDさんが、自分の感情を責めすぎず、友人やSNSとの距離の取り方を少しずつ考えられるようになるまでの過程をお伝えします。

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田中はる
田中はるよりびと
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■ 年齢:40代

■ キャッチコピー:安心できる雰囲気でゆっくり丁寧にお聴きします。

■ 得意なテーマ

- ペットロス・グリーフケア(死別や離別による悲嘆反応)
- 身近な人間関係の悩み(親子・配偶者やパートナー・女性同士など)
- とにかく話を聴いてほしいとき

■ 聴き方・スタイル

- お相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
- 話がまとまっていなくても大丈夫
- 否定せず、穏やかに受け止めます
- 沈黙も気まずくしないスタイルです

■ 経験

- 自分自身のペットロスとグリーフの経験によりグリーフケアを学び、対象別自助グループ傾聴ボランティアに参加(ペット・配偶者やパートナー・子ども・親・きょうだいを亡くされた方々が参加する会)
- 死別経験(妊娠後期流産・義父・義母・父・愛犬)
- 病気で介護状態になった父の身元引受人の経験
- 結婚生活20年以上
- 犬の飼育経験
- 子育て経験
- 両親の離婚や母の再婚により複雑な家庭環境で過ごした経験
- 資格・認定:認定傾聴カウンセラー/グリーフケア心理カウンセラー/ペットロス専門士/グリーフ専門士/グリーフケア・アドバイザー/心のサポーター/かかわり愛サポーター

■ 大切にしていること

- どんなお話も否定しません
- 話したくないことは無理に聞きません
- 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
- 泣いても沈黙してもOK

■ 人柄・ユニークポイント
- 好きなもの:犬/お花/映画やドラマ鑑賞
- よく言われる性格:「やさしい」「落ち着いている」「話しやすい」「頼もしい」
- ちょっとしたこだわり:自分時間を大切にしてコーピングを増やすこと
- 聴き手としての密かな強み:「お相手の気持ちを受け止め共感すること」

■ メッセージ

今おひとりで抱えているつらいお気持ちや社会では理解されにくいことなど、どのようなお話でも大丈夫です。うまく言葉にならなくても泣いてしまっても問題ありません。あなたのペースで、安心してお話しくださいね。

目次

流産後、友人の妊娠・出産報告がつらくなったDさんの相談事例

初めての妊娠で流産を経験されたDさんは、関東にお住まいの20代女性です。対面でお話を聴かせていただいたとき、Dさんの中には、深い哀しみと、どうにもできないみじめさが混ざり合っていました。

同じ時期に友人たちも妊娠や出産、育児をしていて、以前は頻繁に連絡を取り合っていたそうです。けれど、自分の妊娠が途中で終わってしまったあと、その会話の輪に入ることがとても苦しくなっていきました。

本当なら、自分も無事に出産して、育児の話をして、友人たちと同じように笑っていたかった。

それなのに、SNSには友人たちの幸せそうな投稿が流れてくる。赤ちゃんの写真、出産報告、育児の近況。その一つひとつを見るたびに、「どうして私だけこんなにつらい思いをしなきゃいけないのでしょうか」という言葉が、Dさんの中で繰り返されていました。

私はまず、その気持ちを急いで前向きに変えようとはしませんでした。

悲しい。見たくない。会いたくない。うらやましい。そんなふうに感じる自分が嫌になる。

その言葉の奥には、大切な存在を失った痛みがありました。だからこそ、私はDさんの気持ちを整理する前に、まずは安心して吐き出せる時間を大切にしました。

初めての妊娠で流産を経験し、心が追いつかなくなった

Dさんにとって、初めての妊娠はとても大きな出来事でした。

これから自分も母親になっていくのかもしれない。友人たちと同じように、妊娠の経過を話したり、出産の準備をしたり、育児の話で笑い合ったりする日が来るのかもしれない。

そんな未来を、少しずつ思い描いていたのだと思います。

けれど、その妊娠は流産という形で途中で終わってしまいました。

頭では「仕方がなかった」と言い聞かせようとしても、心は簡単には納得してくれません。Dさんは「どうして流産してしまったの」「私の子はどこへ行ってしまったの」と、何度も考えてしまっていたそうです。

眠れない日が続き、毎日のように涙が止まらず、食欲もわかない。体も心も、悲しみの中に置き去りにされているような状態だったのだと思います。

こういうとき、「早く元気にならなきゃ」「周りに心配をかけてはいけない」と無理に日常へ戻ろうとする方も少なくありません。

でも、Dさんのように深く悲しむことは、とても自然な反応です。

大切な命を失ったあとに、何もなかったように過ごせる人ばかりではありません。むしろ、涙が出ることも、眠れなくなることも、食欲が落ちることも、それだけ心が大きな衝撃を受けているサインなのだと思います。

私はDさんのお話を聴きながら、まず「その悲しみを小さく扱わないこと」を大切にしました。

流産は、周りから見えにくい喪失です。けれど、本人の中では確かに大切な存在を失っている。その痛みを、誰かと比べたり、早く乗り越えようとしたりしなくていいのです。

友人たちの妊娠・出産・育児の話が苦しくなっていった

Dさんが特につらいと感じていたのは、友人たちとの関係でした。

20代前半まで、Dさんと友人たちは似たような人生の流れを歩んできたように感じていたそうです。だからこそ、妊娠や出産、育児も、どこか「一緒に進んでいくもの」のように感じていたのかもしれません。

でも、流産をきっかけに、その感覚が大きく変わってしまいました。

友人たちは順調に妊娠を続け、出産し、育児の話をしている。赤ちゃんの成長を喜び、家族で過ごす日々をSNSに投稿している。

本当なら「おめでとう」と言いたい。幸せを喜びたい。友人たちを嫌いになったわけではない。

それでも、その姿を見るたびに胸が苦しくなってしまう。

Dさんは、友人たちに会いたくないと感じるようになっていました。頻繁に連絡を取り合っていた関係だったからこそ、急に距離を取ることにも寂しさや罪悪感があったと思います。

「こんなふうに思う自分は性格が悪いのではないか」
「友人の幸せを喜べないなんて、ひどい人間なのではないか」

そんなふうに、自分を責めてしまう方も多いです。

けれど、私はDさんに対して、その気持ちを否定する必要はないと感じていました。

嫉妬は、相手を傷つけたい気持ちとは限りません。自分が本当に望んでいたものを、目の前の誰かが持っているように見えたとき、心が反応してしまうことがあります。

Dさんの場合も、友人たちが憎いというより、「本当は自分もそちら側にいたかった」という悲しみが、嫉妬という形で出ていたのだと思います。

だからこそ、まずは「うらやましいと思ってしまう自分」を責めるより、その奥にある悲しみに気づいてあげることが大切でした。

SNSを見るたびに「どうして私だけ」と感じてしまうつらさ

Dさんにとって、SNSは大きな負担になっていました。

見なければいいと頭ではわかっていても、つい開いてしまう。すると、友人たちの妊娠報告、出産報告、赤ちゃんとの写真、育児の何気ない投稿が目に入ってくる。

そのたびに、心がざわついてしまう。

SNSの投稿は、たいてい幸せな場面だけが切り取られています。けれど、心が傷ついているときには、その一枚一枚が、自分だけ取り残されたような感覚につながってしまうことがあります。

Dさんも、友人たちがしあわせそうに見えるほど、自分の悲しみやみじめさが強くなっていったそうです。

「どうして私だけ」
「私の子はどこへ行ってしまったの」
「本当なら私も育児をしていたかもしれないのに」

そんな思いが、何度も心の中に浮かんでいたのだと思います。

私はDさんのお話を聴きながら、SNSから距離を取ることは逃げではなく、自分の心を守るための選択だと感じました。

つらいものを見続けることで、心がさらに傷ついてしまうことがあります。特に、流産後のように大きな悲しみを抱えているときは、普段なら流せる情報にも深く傷ついてしまうものです。

だから、見ないようにする。通知を切る。しばらくアプリを開かない。友人たちの投稿を一時的に表示しないようにする。

そうした工夫は、冷たい行動ではありません。

今の自分にとって刺激が強すぎるものから、少し離れるだけです。

Dさんもお話の中で、「少し距離は必要かもしれません」と言葉にされました。その言葉には、友人たちを嫌いになるのではなく、自分の心を守るために距離を調整していこうとする、小さな変化が表れていたように感じました。

友人をうらやましいと思う自分を責めてしまったDさん

Dさんのお話を聴いていると、つらさの中心には「流産そのものの悲しみ」だけでなく、「友人たちをうらやましいと思ってしまう自分への戸惑い」もありました。

本当なら、友人たちの妊娠や出産を一緒に喜びたかった。赤ちゃんの話を聞いて、これまで通り笑っていたかった。けれど実際には、友人たちの幸せそうな姿を見るほど、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。会いたくない、連絡を取りたくない、SNSも見たくない。そんな気持ちが出てくるたびに、Dさんはご自身を責めているようでした。

「どうして私だけこんなにつらい思いをしなきゃいけないのでしょうか」という言葉には、怒りというより、行き場のない悲しみがにじんでいました。

私は、Dさんの嫉妬心を悪いものとして扱わないことを大切にしました。嫉妬は、性格の悪さではなく、「本当は自分もそうしたかった」「その未来を失ってつらい」という心の叫びでもあります。

だからまずは、感情をきれいに整えるよりも、「そう思ってしまうくらい苦しかったんですね」と、そのまま受け止めることから始めました。

嫉妬心の奥には「本当は私も育児をしたかった」という願いがあった

Dさんは、友人たちの出産や育児の話を聞くことがつらくなっていました。

でもそれは、友人たちを嫌いになったからではありません。友人たちの幸せを壊したいわけでもありません。むしろ、これまで近い距離で関わってきた大切な友人たちだからこそ、余計に苦しかったのだと思います。

Dさんと友人たちは、20代前半まで似たような人生を歩んできた感覚がありました。だから妊娠や出産も、どこか同じ流れの中で進んでいくもののように感じていたのかもしれません。けれど、Dさんだけが流産を経験し、友人たちは妊娠・出産・育児へと進んでいきました。

その差が、心に大きく刺さっていたのだと思います。

「うらやましい」と感じると、多くの人はその感情を隠そうとします。人としてよくない気持ちだと思ったり、友人に申し訳ないと思ったりするからです。

でも、Dさんの嫉妬心の奥にあったのは、「私も無事に出産したかった」「私も育児をしたかった」という、とても自然で切実な願いでした。

私は、その気持ちを否定しなくていいと思いました。

嫉妬心は、心がひねくれている証拠ではありません。自分にとって大切だった未来が失われたとき、その未来を歩いている人を見るのが苦しくなるのは、無理のないことです。

Dさんの場合も、「友人が幸せだから嫌」なのではなく、「自分が失ったものを思い出してしまうからつらい」のだと感じました。

そう考えると、嫉妬心は責めるものではなく、Dさんの悲しみを教えてくれるサインでもありました。

「友人なのに喜べない」ことが、さらに自分を苦しめていた

Dさんは、友人たちに会いたくないと感じていました。

以前は頻繁に連絡を取り合っていた関係です。妊娠や出産、育児の話も、本来なら自然に共有し合える関係だったのだと思います。けれど流産後は、その会話の中に入ることが苦しくなってしまいました。

友人たちが悪いわけではない。
友人たちが幸せでいることも、本当は喜ばしいこと。

それがわかっているからこそ、Dさんは「喜べない自分」に戸惑っていたのだと思います。

身近な人の幸せを素直に喜べないとき、人は自分を責めやすくなります。「私は冷たい人間なのかな」「性格が悪いのかな」「こんなことを思うなんて最低なのかな」と、心の中で自分を何度も責めてしまうことがあります。

でも、私はDさんのお話を聴きながら、そこに必要なのは反省ではなく、まず休むことだと感じました。

心が深く傷ついているときに、誰かの幸せを受け止める余裕がなくなることはあります。自分の悲しみでいっぱいのときに、友人の出産報告や赤ちゃんの写真を笑顔で受け止めるのは、とても大きな力が必要です。

だから、今すぐ以前のように戻れなくてもいい。

連絡を減らしたいと思うことも、会う頻度を少なくしたいと思うことも、自分を守るためには必要な場合があります。Dさんも相談後、しばらく連絡頻度や会う頻度を減らし、SNSをできる限り見ないようにすることを試されました。

友人を大切に思う気持ちと、今は距離を取りたい気持ちは、同時にあっていいのです。

大切な人だからこそ、無理をして笑顔で会い続けるより、少し離れて自分の心を守る時間が必要なこともあります。

「泣いてはいけない」ではなく、泣ける時間をつくること

Dさんは、眠れない日が続き、毎日のように涙が止まらず、食欲もわかない状態でした。

それだけ心も体も、大きな悲しみを抱えていたのだと思います。

けれど、つらいときほど「ちゃんとしなきゃ」と思ってしまう方は少なくありません。周りの人に心配をかけたくない。いつまでも泣いていてはいけない。前を向かなきゃいけない。そんなふうに、自分を急かしてしまうことがあります。

Dさんもきっと、心のどこかで「このままではいけない」と感じていたのかもしれません。

でも私は、泣くことを止める必要はないと感じました。

涙は、心が悲しみを外に出そうとしている反応でもあります。無理に止めようとすると、かえって苦しさが内側にこもってしまうことがあります。

だからDさんには、泣きたいときは思いきり泣いていいこと、自分の負の感情を否定せずに書き出してみること、眠れないときには心地よいと感じるアロマの香りを試してみることなどをお伝えしました。

もちろん、それですべての悲しみがすぐに消えるわけではありません。

大切な存在を失った痛みは、簡単に片づけられるものではないからです。

けれど、「泣いてもいい」「嫉妬してもいい」「今は見られなくてもいい」と思えるだけで、少しだけ呼吸がしやすくなることがあります。

Dさんの中にも、少しずつ「この気持ちは否定しなくていいのかもしれない」という感覚が生まれていったように感じました。悲しみをなくすのではなく、悲しみを抱えたままでも自分を責めすぎないこと。それが、Dさんにとって大切な一歩だったのだと思います。

友人との距離を見直し、自分の心を守る選択を考え始めたDさん

Dさんのお話を聴いていく中で、少しずつ見えてきたのは、友人たちとの関係そのものが悪くなったわけではなく、今のDさんにとって「近すぎる距離」が苦しさにつながっているということでした。

Dさんと友人たちは、20代前半まで似たような人生を歩んできた感覚がありました。だからこそ、妊娠や出産、育児も、どこか同じ流れの中で進んでいくもののように感じていたのだと思います。

けれど、流産を経験したことで、その流れから自分だけが外れてしまったように感じてしまった。友人たちの幸せそうな姿を見るたびに、「本当なら私もそちら側にいたはずなのに」という思いが強くなっていったのかもしれません。

私はDさんに、友人たちを嫌いにならなくても、今は少し距離を取っていいのではないかとお話ししました。

会わないことも、連絡を減らすことも、SNSを見ないようにすることも、関係を終わらせるためではありません。今の自分の心をこれ以上傷つけないための、やさしい選択です。

Dさんもお話の中で、「そうですね、少し距離は必要かもしれません」と言葉にされました。

その言葉は、友人たちを拒絶するものではなく、自分と友人たちは別々の人生を歩いているのだと、少しずつ受け止めようとする大切な気づきだったように感じました。

友人と自分を同じ人生として見すぎていたことに気づく

Dさんは、友人たちと長く近い関係で過ごしてきました。

若い頃から似たような時期に似たような悩みを持ち、同じように恋愛や仕事の話をしてきたのかもしれません。そういう関係が続いていると、知らないうちに「私たちは同じように進んでいくもの」という感覚が生まれることがあります。

それ自体は悪いことではありません。むしろ、友人との距離が近く、安心できる関係だったからこそ生まれた感覚だと思います。

ただ、人生の大きな出来事がそれぞれ違う形で起きたとき、その近さが苦しさに変わることがあります。

Dさんの場合、初めての妊娠で流産を経験しました。一方で、友人たちは妊娠を継続し、出産し、育児の毎日へ進んでいきました。

その違いを目の当たりにしたとき、Dさんの中では「どうして私だけ」という気持ちが強くなっていったのだと思います。

私はお話を聴きながら、Dさんと友人たちの間には、少し境界線があいまいになっている部分があるように感じました。友人の幸せが、自分の喪失を強く照らしてしまう。友人の育児の話が、自分が失った未来を思い出させてしまう。

だからこそ、まず必要だったのは「友人たちと自分は、別々の人生を歩いている」と少しずつ確認していくことでした。

これは、友人たちとの関係を冷たく切り離すという意味ではありません。

友人には友人の人生があり、DさんにはDさんの人生がある。その当たり前のことを、悲しみの中で少しずつ取り戻していく作業です。

同じように進めなかったことは、とても悲しいことです。けれど、同じように進めなかったからといって、Dさんの人生が遅れているわけでも、間違っているわけでもありません。

その視点が少し見えてくると、友人たちの姿を「比べる対象」としてだけではなく、「別の人生を歩いている人」として見つめ直す余白が、ほんの少し生まれてくるのだと思います。

SNSと距離を取ることは逃げではなく、自分を守る工夫

Dさんにとって、SNSはとてもつらい場所になっていました。

開けば、友人たちの妊娠や出産、育児の投稿が流れてくる。赤ちゃんの写真、家族で過ごす様子、幸せそうな言葉。その一つひとつが、Dさんの心に深く刺さっていました。

SNSは、見たいものだけが見える場所ではありません。見たくないものも、ふいに目に入ってきます。しかも、投稿されるのは多くの場合、生活の中の明るい部分です。

そのため、つらい時期にSNSを見続けていると、「みんなは幸せそうなのに、私だけ取り残されている」と感じやすくなります。

Dさんも、友人たちの幸せそうな投稿を見ることがしんどいと話されていました。だから私は、無理に見続けなくていいことをお伝えしました。

SNSから距離を取ることは、弱さではありません。逃げでもありません。

今の心にとって刺激が強すぎるものから、いったん離れるだけです。

たとえば、アプリを開く時間を決める。通知を切る。しばらくログアウトする。特定の投稿が目に入らないようにする。そうした小さな工夫でも、心の負担は少し変わります。

Dさんも、できる限りSNSを見ないようにすることを試されました。

もちろん、見ないようにしたからといって、悲しみや嫉妬心がすぐに消えるわけではありません。ふとした瞬間に思い出してしまうこともあります。

それでも、毎日のように心が傷つく場面を減らすことには意味があります。

大切なのは、「見ても平気な自分」になることを急がないことです。

今はまだつらい。だから見ない。そう決めることは、自分にやさしくする行動です。

人との関係を大切にするためにも、まず自分の心を守ることが必要な時期があります。DさんにとってSNSとの距離を見直すことは、そのための現実的な一歩だったのだと思います。

会う頻度や連絡の回数を減らしても、友人を大切に思う気持ちは消えない

Dさんは、友人たちと少し距離を取ることにも寂しさを感じていました。

これまで頻繁に連絡を取り合っていた相手だからこそ、急に連絡を減らすことには抵抗があったと思います。会わない期間ができることで、関係が変わってしまうのではないか。友人たちに悪く思われるのではないか。そんな不安もあったかもしれません。

でも、会う頻度を減らすことと、友人を大切に思っていないことは同じではありません。

今の自分が傷つきすぎないように、少し距離を調整する。それは、関係を壊すためではなく、自分を守りながら関係を続けていくための工夫でもあります。

Dさんの場合も、友人たちのことを嫌いになったわけではありませんでした。むしろ、大切な友人だからこそ、喜べない自分に苦しんでいたのだと思います。

私は、無理に以前と同じ関係に戻ろうとしなくていいと感じました。

人生の状況が大きく変わったとき、友人との距離感も変わることがあります。毎日のように連絡を取っていた関係が、少し間隔を空ける関係になることもあります。会う頻度が減っても、心の中で大切に思っていることはあります。

Dさんはその後、しばらく連絡頻度を減らし、会う頻度も少なくしてみることにされました。

それは、友人たちを拒絶する選択ではなく、今の自分にできる範囲で関係を保つための選択だったのだと思います。

無理をして会い続けると、友人たちへの苦しさがさらに大きくなってしまうことがあります。反対に、少し距離を取ることで、自分の心が落ち着き、いつかまた自然に話せる日が来ることもあります。

人間関係は、いつも同じ距離でいなければ壊れるものではありません。

近づける時期もあれば、少し離れた方がいい時期もあります。Dさんにとって大切だったのは、友人たちに合わせ続けることではなく、今の自分の心に合った距離を選んでいくことでした。

流産後の嫉妬心を否定せず、自分の心に合った距離を選んでいく

Dさんは、友人たちと少し距離を取ることや、SNSをできる限り見ないようにすることを試しながら、少しずつ「自分と友人たちは別々の人生を歩いている」ということを頭では理解できるようになっていきました。

もちろん、それで悲しみがすべて消えたわけではありません。SNSを見れば、やっぱり嫉妬心が出てくる。友人たちの幸せそうな姿に胸が苦しくなる。自分だけが置いていかれたように感じる瞬間もある。

でもDさんは、その気持ちを「持ってはいけないもの」として責めるのではなく、「今の私にはそう感じるだけの理由がある」と少しずつ受け止めようとされていました。

私は、その変化がとても大切だと感じました。

流産後に友人の妊娠や出産、育児の話がつらくなることは、決して珍しいことではありません。大切な存在を失ったあとに、失わずに進んでいるように見える人をうらやましく感じるのは、とても自然な心の反応です。

だからこそ、無理に前向きにならなくてもいい。
友人をすぐに祝えなくてもいい。
SNSを見られない時期があってもいい。

Dさんが持ち帰ったのは、「嫉妬の感情はあって当たり前。否定しなくていい」という安心感でした。

嫉妬心は性格の悪さではなく、失った未来への悲しみ

流産後に友人の妊娠や出産を見てつらくなると、「こんなふうに思う自分は性格が悪いのかな」と感じてしまう方がいます。

本当は友人を大切に思っている。幸せになってほしい気持ちもある。けれど、赤ちゃんの写真や育児の話を聞くと、心が苦しくなってしまう。

この矛盾したような気持ちは、Dさんの中にもありました。

でも私は、嫉妬心そのものを悪者にしなくていいと思っています。

Dさんの嫉妬の奥には、「私も無事に出産したかった」「私も育児をしたかった」「友人たちと同じように喜びを共有したかった」という願いがありました。

それは、とても自然で、大切な気持ちです。

嫉妬は、ただ相手をうらやむだけの感情ではありません。自分が本当に望んでいたもの、自分にとって大切だったものを教えてくれることがあります。

Dさんの場合、友人たちの幸せそうな姿は、自分が失った未来を思い出させるものでした。だから苦しかったのだと思います。

「うらやましい」と感じる自分を責めるよりも、まずは「それだけ私は出産したかったんだ」「それだけ大切に思っていたんだ」と、自分の悲しみに気づいてあげることが大切です。

感情は、正しいか間違っているかで片づけるものではありません。

出てきた気持ちには、必ず何か理由があります。

Dさんが少しずつ自分の気持ちを否定しなくなっていったように、読んでいる方にも「こんな気持ちになる私はおかしい」と決めつけず、まずは心の声をやさしく見てあげてほしいと思います。

友人との距離を取ることは、関係を壊すことではない

Dさんは相談後、しばらく友人たちとの連絡頻度を減らし、会う頻度も少なくしてみることにされました。

これは、友人たちを嫌いになったからではありません。

今のDさんにとって、友人たちの妊娠や出産、育児の話に触れ続けることが、あまりにも苦しかったからです。

人との距離は、いつも同じでなくていいと思います。

元気なときは近くにいられる相手でも、自分の心が大きく傷ついているときには、少し離れた方がいいことがあります。会うたびにつらくなるなら、会う回数を減らしていい。連絡を返すだけで苦しくなるなら、すぐに返さなくてもいい。

それは、冷たいことではありません。

自分の心を守るための大切な工夫です。

特にDさんのように、これまで友人たちと近い関係で過ごしてきた方ほど、距離を取ることに罪悪感を抱きやすいかもしれません。

「急に連絡を減らしたら変に思われるかな」
「前みたいに話せない自分が悪いのかな」
「友人を傷つけてしまうのではないかな」

そんな不安が出てくることもあると思います。

でも、無理に笑顔で会い続けることで、かえって心が疲れてしまうこともあります。友人の何気ない言葉に傷ついたり、あとから一人で泣いてしまったりするなら、今は少し休むタイミングなのかもしれません。

距離を取ることは、関係を終わらせることではありません。

今の自分に合う距離に調整することです。

また話せる日が来るかもしれない。今はまだ難しいかもしれない。そのどちらでも大丈夫です。

大切なのは、友人に合わせ続けることではなく、自分の心がこれ以上傷つきすぎない距離を選ぶことなのだと思います。

悲しみが残っていても、自分を責めない一歩は始められる

Dさんは、少しずつ「友人たちと自分は別々の人生なのだ」と頭では理解できるようになっていきました。けれど、感情としてはつらい部分が残っていました。SNSを見ると、どうしても嫉妬心が出てしまうことも課題として残っていました。

私は、それでいいと思っています。

心の傷は、頭で理解したからといって、すぐに消えるものではありません。

「友人は友人、私は私」とわかっていても、赤ちゃんの写真を見たら涙が出ることもあります。出産報告を見て、胸がざわつくこともあります。育児の話題に入れず、寂しさを感じることもあります。

それは、前に進めていないという意味ではありません。

悲しみを抱えながら、それでも自分を責めすぎないようにしている。SNSを見ないように工夫している。泣きたいときは泣いて、気持ちを書き出してみる。眠れない夜には、自分が少しでも心地よいと感じる香りを試してみる。

そうした小さな行動も、十分に大切な一歩です。

大きく変わらなくてもいいのです。

昨日より少しだけ自分を責めなかった。
今日はSNSを開かずに過ごせた。
泣いたあとに、少しだけ温かい飲み物を飲めた。

そんな小さな積み重ねで、心は少しずつ呼吸を取り戻していきます。

流産後の悲しみや嫉妬心は、簡単に消そうとしなくていいものです。無理に明るく振る舞う必要もありません。

大切な存在を失ったからこそ、心が揺れる。友人の幸せを見るのがつらくなる。そんな自分を「おかしい」と責めなくていいのです。

Dさんのように、悲しみを抱えながらでも、自分の気持ちを否定しないことから始めていい。

その一歩が、今の自分を守るためのやさしい選択になるのだと思います。

流産後のつらさをひとりで抱え込まないために

流産後に、友人の妊娠や出産、育児の話を聞くのがつらくなることがあります。

本当は喜びたいのに、胸が苦しくなる。
SNSを見るたびに、自分だけが取り残されたように感じる。
「こんなふうに嫉妬してしまう私は、性格が悪いのかな」と責めてしまう。

でも、その気持ちは決しておかしなものではありません。

大切な存在を失ったあとに、失っていない人をうらやましく感じることは、とても自然な心の反応です。無理に前向きになろうとしなくても、友人の幸せをすぐに喜べなくても、今はまず自分の心を守ることを大切にしていいと思います。

つらい気持ちは、ひとりで抱え続けていると、どんどん大きく感じられることがあります。誰かに話すことで、悲しみや嫉妬心の奥にある「本当はどうしたかったのか」「今、何が一番苦しいのか」が少しずつ見えてくることもあります。

流産後の気持ち、友人との距離感、SNSを見るつらさ、自分を責めてしまう苦しさ。
どんな気持ちも、無理にきれいにまとめなくて大丈夫です。

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「相談してみたいけれど、どう予約したらいいかわからない」

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今すぐ元気にならなくても大丈夫です。
まずは、ひとりで抱え込まないための小さな一歩として、あなたのタイミングでつながってみてください。

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