ペットロスで深い悲しみに沈んだ私が、愛犬の介護と別れを通して気づいたこと

ペットロスは、誰にでも起こりうることです。
けれど、実際にその深い哀しみの中にいる時は、「どうしてこんなに苦しいのだろう」「いつまで泣いているのだろう」と、自分でも自分の気持ちがわからなくなることがあります。
私にとって愛犬は、ただのペットではありませんでした。
妊娠後期の流産を経験したあとに迎えた子で、約15年間、家族として、本当の息子のように一緒に暮らしてきました。
その愛犬が体調を崩し、半年間ほぼ一人で介護をして、最期を看取った時、私の中には言葉にできないほど大きな喪失感が残りました。
毎日当たり前のようにしていたお世話が、突然なくなる。
家族はそれぞれ仕事や学校、日常に戻っていく。
その中で私だけが取り残されたように感じ、自分の存在意義まで見失ってしまった時期がありました。
「早く受け入れなきゃ」
「普通に過ごさなきゃ」
そう思えば思うほど、心は置いていかれるようでした。
この記事では、私自身が愛犬の介護と別れを経験し、ペットロスやグリーフケアを学ぶ中で、少しずつ自分の気持ちを認められるようになった体験をお話しします。
同じように、大切な存在を失って苦しんでいる方に、
「その哀しみはおかしくない」
「あなたはひとりじゃない」
ということが届けば嬉しいです。


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- とにかく話を聴いてほしいとき
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- お相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
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- 自分自身のペットロスとグリーフの経験によりグリーフケアを学び、対象別自助グループ傾聴ボランティアに参加(ペット・配偶者やパートナー・子ども・親・きょうだいを亡くされた方々が参加する会)
- 死別経験(妊娠後期流産・義父・義母・父・愛犬)
- 病気で介護状態になった父の身元引受人の経験
- 結婚生活20年以上
- 犬の飼育経験
- 子育て経験
- 両親の離婚や母の再婚により複雑な家庭環境で過ごした経験
- 資格・認定:認定傾聴カウンセラー/グリーフケア心理カウンセラー/ペットロス専門士/グリーフ専門士/グリーフケア・アドバイザー/心のサポーター/かかわり愛サポーター
■ 大切にしていること
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■ メッセージ
今おひとりで抱えているつらいお気持ちや社会では理解されにくいことなど、どのようなお話でも大丈夫です。うまく言葉にならなくても泣いてしまっても問題ありません。あなたのペースで、安心してお話しくださいね。
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目次
- ○ 愛犬は、私にとって「ただのペット」ではありませんでした
- ・流産のあとに迎えた、小さな家族
- ・忙しい家族の中で、介護は私の日常になっていった
- ・「普通にしなきゃ」と思うほど、心は置いていかれた
- ○ 愛犬を看取ったあと、私の日常から「役割」が消えてしまった
- ・当たり前だったお世話がなくなり、心に大きな空白ができた
- ・家族の日常が戻る中で、私だけが取り残されたように感じた
- ・「早く元気にならなきゃ」が、自分をさらに苦しめていた
- ○ 悲しみを消すのではなく、まずは知ることから始めてみた
- ・ペットロスやグリーフケアを学んで、自分の悲しみに名前がついた
- ・軽く扱われた経験から、本当に必要だった聴き方に気づいた
- ・同じ経験をした人との出会いが、孤独を少しずつほどいてくれた
- ○ ペットロスの悲しみは、消すものではなく抱えて生きていけるものだった
- ・悲しみを抱えたままでも、堂々としていていい
- ・自分の感情を認めることが、少しずつ前に進む力になった
- ・あなたの悲しみを、そのまま話せる場所があります
- ○ 読者へのメッセージ|ペットロスの悲しみを、ひとりで抱え込まないで
愛犬は、私にとって「ただのペット」ではありませんでした
私にとって愛犬は、家の中にいるかわいい存在というだけではありませんでした。
妊娠後期にわが子を亡くしたあと、ぽっかり空いた心の中に、そっと入ってきてくれた大切な存在でした。
もちろん、犬と人の子どもは同じではないのかもしれません。
それでも私にとっては、本当の息子のように育て、一緒に暮らし、笑い、心を支えてもらった家族でした。
夫や息子と暮らす日々の中で、愛犬はいつも私のそばにいました。
言葉を話すわけではないのに、不思議とこちらの気持ちをわかってくれているような時がありました。
だからこそ、体調を崩し、介護が必要になった時も、「私がそばにいたい」と自然に思いました。
大変さよりも、これまで一緒にいてくれたこの子に、今度は私が寄り添いたいという気持ちが強かったのです。
でもその時間は、思っていた以上に心と体を使うものでした。
そして、別れが近づいていることを感じながら過ごす毎日は、静かに胸を締めつけるような日々でもありました。
流産のあとに迎えた、小さな家族
愛犬を迎えたのは、私が深い喪失感の中にいた頃でした。
妊娠後期に流産、死産という経験をし、心の中には簡単には言葉にできない哀しみがありました。
周りの人に説明しようとしても、うまく言葉にならない。
時間が経てば落ち着くと言われても、心の奥にはずっと残り続けているものがある。
そんな時期に、愛犬は私たち家族のもとにやってきました。
小さな体で一生懸命こちらを見つめる姿に、私は少しずつ心を動かされていきました。
ごはんをあげること、散歩に行くこと、眠る姿を見守ること。
ひとつひとつのお世話が、私にとって日常を取り戻す大切な時間になっていきました。
「この子のために起きよう」
「この子が待っているから帰ろう」
そんなふうに思えることが、当時の私には大きな支えでした。
愛犬は、何か特別な言葉をくれたわけではありません。
でも、ただそばにいてくれるだけで、私は何度も救われていたのだと思います。
だから私にとって愛犬は、ペットという言葉だけではおさまりませんでした。
失った命への哀しみを抱えながら、それでもまた誰かを大切に思う気持ちを教えてくれた存在でした。
忙しい家族の中で、介護は私の日常になっていった
愛犬が体調を崩し、介護が必要になってからは、生活の中心が少しずつ変わっていきました。
夫は仕事があり、息子も学校やスポーツチームの活動で忙しく、家族それぞれにやるべきことがありました。
その中で、愛犬のそばにいる時間が一番長かったのは私でした。
薬のこと、食事のこと、体調の変化、眠れているかどうか。
毎日、小さな変化を見逃さないように過ごしていました。
介護というと、何か大きなことをしているように聞こえるかもしれません。
でも実際には、何度も様子を見に行く、寝る場所を整える、食べやすいように工夫する、苦しそうな時にそばにいる。
そういう小さな積み重ねの毎日でした。
もちろん、つらくないわけではありませんでした。
疲れもありましたし、不安もありました。
それでも「この子にとって今できることをしたい」という気持ちが、私を動かしていました。
ただ、その一方で、自分の哀しみをゆっくり感じる余裕はあまりありませんでした。
子どもの学校行事もあります。
家のこともあります。
外では普通に振る舞わなければいけない場面もあります。
本当は毎日哀しい。
でも、泣いてばかりもいられない。
そんなふうに、自分の気持ちを後回しにしながら、愛犬の介護を続けていました。
「普通にしなきゃ」と思うほど、心は置いていかれた
愛犬の状態が悪くなっていく中で、私はどこかで「ちゃんとしなきゃ」と思っていました。
家族の前でも、外でも、できるだけ普通に過ごさなければいけない。
受け入れて、頭を切り替えて、日常を回さなければいけない。
そう思うほど、心の中の哀しみは行き場をなくしていきました。
大切な存在を失いそうになっているのに、毎日は止まってくれません。
学校行事もあるし、家族の予定もあるし、周りの人たちはいつも通りに過ごしています。
その中で私は、笑顔を作りながら、心の奥ではずっと泣いているような感覚がありました。
「こんなに苦しいと思うのはおかしいのかな」
「ペットのことで、ここまで落ち込むなんて弱いのかな」
そんな考えが浮かぶこともありました。
でも今振り返ると、その哀しみはおかしなものではありませんでした。
それだけ深く愛していたからこそ、簡単に割り切れなかったのだと思います。
誰かを大切に思う気持ちは、失ったあともすぐには消えません。
むしろ、日常の中の小さな場面で何度も思い出されます。
いつもの場所。
いつもの時間。
いつものお世話。
それらが愛犬とのつながりそのものだったからです。
当時の私はまだ、自分の哀しみをそのまま認めることができずにいました。
でもこの頃からすでに、心のどこかで「この気持ちを誰かにちゃんと聴いてほしい」と願っていたのだと思います。
愛犬を看取ったあと、私の日常から「役割」が消えてしまった
愛犬の介護をしていた半年間、私の毎日は愛犬を中心に回っていました。
朝起きたら体調を見る。ごはんを食べられるか確認する。薬の時間を気にする。寝苦しそうにしていないか、何度も様子を見に行く。
そのひとつひとつは大変でもありましたが、同時に「私がこの子のそばにいる」という大切な時間でもありました。
けれど、愛犬が亡くなったあと、その時間は突然なくなりました。
昨日まで当たり前のようにしていたお世話が、もう必要なくなる。
名前を呼んでも返ってこない。
寝ていた場所を見ても、そこにはもう姿がない。
家族はそれぞれ仕事や学校、スポーツの活動に戻っていきました。
もちろん家族も悲しんでいなかったわけではありません。
でも、私だけが日常の中にぽつんと取り残されたような感覚がありました。
愛犬のために動いていた時間が消えたことで、私は自分の存在意義までわからなくなってしまいました。
「私はこれから何をすればいいのだろう」
「この喪失感をどこに置けばいいのだろう」
そんな思いが、静かに心の中に広がっていきました。
当たり前だったお世話がなくなり、心に大きな空白ができた
愛犬が元気だった頃も、介護が必要になってからも、私の生活の中にはいつも愛犬がいました。
ごはんの準備をすること、体調を気にかけること、寝ている姿を確認すること。
それは毎日の中に自然に組み込まれていた、大切な習慣でした。
介護の時期は、正直に言えば体力的にも精神的にも楽ではありませんでした。
眠れない日もありましたし、疲れがたまることもありました。
それでも「今日もこの子のためにできることをしよう」と思うことで、私は日々を過ごしていました。
だからこそ、愛犬を看取ったあとの静けさは、とても大きなものでした。
やらなければいけないことがなくなったはずなのに、楽になったとは思えませんでした。
むしろ、何をしていいかわからなくなりました。
時間ができたはずなのに、その時間をどう過ごせばいいのかわからない。
体は休める状態になったはずなのに、心はまったく休まらない。
いつもの時間になると、「あ、様子を見に行かなきゃ」と思ってしまう。
でも、もうその必要はない。
その瞬間に、胸の奥がぎゅっと締めつけられるようでした。
愛犬のお世話は、私にとって負担だけではありませんでした。
自分が誰かの役に立っていると感じられる時間でもありました。
だから、それが突然なくなった時、私は愛犬を失った悲しみだけでなく、自分の役割まで失ったように感じたのだと思います。
家族の日常が戻る中で、私だけが取り残されたように感じた
愛犬が亡くなったあとも、家の中の日常は少しずつ動き始めました。
夫は仕事へ行き、息子は学校やスポーツチームの活動に向かう。
朝が来れば家事があり、予定があり、やるべきことがあります。
頭ではわかっていました。
誰かが悪いわけではないことも、みんなそれぞれの生活を続けているだけだということも。
それでも、私の心はなかなか日常に戻れませんでした。
家族が外に出ていったあと、家の中に一人でいる時間がとてもつらく感じました。
愛犬がいた頃は、同じ一人の時間でも一人ではありませんでした。
部屋のどこかに気配があり、寝息があり、ふと目が合う瞬間がありました。
でも、その気配がなくなった家は、思っていた以上に静かでした。
周りの人が普通に笑っていたり、楽しそうに話していたりするのを見ると、自分だけが別の場所にいるような気持ちになりました。
「どうしてみんなは普通に過ごせるのだろう」
「私はいつまでここに立ち止まっているのだろう」
そんな思いが浮かぶたびに、孤独感が強くなっていきました。
本当は悲しい。
本当は寂しい。
本当は誰かに、この苦しさをそのまま聴いてほしい。
でも、言葉にしようとすると涙が出そうで、うまく話せませんでした。
そして、話したところで軽く扱われたらどうしようという怖さもありました。
この頃の私は、悲しみの中にいる自分を見せることがとても苦手でした。
だから余計に、一人で抱え込む時間が増えていったのだと思います。
「早く元気にならなきゃ」が、自分をさらに苦しめていた
愛犬を亡くしたあと、私は何度も自分に言い聞かせていました。
「受け入れなきゃ」
「頭を切り替えなきゃ」
「普通に過ごさなきゃ」
ペットロスという言葉は知っていても、自分がここまで深く苦しむとは思っていませんでした。
そしてどこかで、「いつまでも悲しんでいてはいけない」と思っていました。
特に、家族の前や外に出る場面では、できるだけ普通に振る舞おうとしていました。
子どもの学校行事などでは、自分の感情を抑えて、周りに合わせて笑うこともありました。
でも、そのたびに心の中では無理をしている感覚がありました。
悲しみを見ないようにしても、悲しみはなくなりません。
むしろ、押し込めようとすればするほど、夜になると涙が出たり、眠れなくなったり、疲れが抜けなくなったりしました。
そして、昔の流産の経験まで思い出すようになりました。
愛犬を失った悲しみだけではなく、過去に失った命への哀しみも重なって、「私はまた大切な子を失ってしまった」と感じていました。
その気持ちは、簡単に整理できるものではありませんでした。
今なら、悲しみにはその人だけの時間があるのだと思えます。
早く元気になることだけが正解ではありません。
泣くことも、立ち止まることも、何もできない日があることも、大切な存在を失った心にとっては自然な反応なのだと思います。
けれど当時の私は、自分の悲しみにやさしくする方法をまだ知りませんでした。
「ちゃんとしなきゃ」と思うほど、心は置いていかれていました。
だからこそ、誰かに正論を言われるよりも、まずはこの言葉にならない哀しみを、そのまま受け止めてほしかったのだと思います。
悲しみを消すのではなく、まずは知ることから始めてみた
愛犬を亡くしてからしばらくの間、私は自分の中にある哀しみをどう扱えばいいのかわかりませんでした。
時間が解決してくれるのかもしれない。
いつか自然に落ち着くのかもしれない。
そう思おうとしても、心の奥にはずっと重たいものが残っていました。
そんな時に、少しずつ気になり始めたのが「ペットロス」や「グリーフケア」という言葉でした。
それまでの私は、悲しみは早く乗り越えなければいけないものだと思っていました。
泣いてばかりいる自分は弱いのではないか。
いつまでも愛犬のことを思い出して苦しくなる自分は、前に進めていないのではないか。
そんなふうに、自分の気持ちを責めていたところがありました。
でも学び始めていく中で、少しずつ見え方が変わっていきました。
大切な存在を失った時、人はすぐに元気になれなくてもいい。
悲しみが長く続くことも、何度も思い出して涙が出ることも、決しておかしなことではない。
そのことを知った時、私は初めて、自分の心に起きていたことを少しだけ理解できた気がしました。
悲しみを無理に消そうとするのではなく、まずは「私は今、とても大切な存在を失って苦しんでいるんだ」と認めること。
そこから、少しずつ心が動き始めていきました。
ペットロスやグリーフケアを学んで、自分の悲しみに名前がついた
ペットロスやグリーフケアについて学び始めた時、私は「自分だけがおかしいわけではなかったんだ」と感じました。
それまでは、愛犬を亡くした悲しみをどう受け止めればいいのかわかりませんでした。
もちろん、悲しいのは当然だと思う一方で、「ここまで苦しいものなのだろうか」と戸惑う気持ちもありました。
涙が出る。
眠れない。
疲れが抜けない。
人に会うのがしんどい。
周りの人が普通に過ごしているように見えて、自分だけが取り残されたように感じる。
そうした反応が出るたびに、私はどこかで自分を責めていました。
でも、グリーフについて知っていく中で、それらは大切な存在を失った心に起こりうる自然な反応なのだとわかってきました。
「悲しみには形がある」
「喪失の感じ方は人それぞれ違う」
「早く元気になることだけが回復ではない」
そう知ったことで、私は少しずつ自分の感情を否定しなくなりました。
愛犬を思い出して涙が出る日があってもいい。
何もやる気が出ない日があってもいい。
ふとした瞬間に寂しさが押し寄せても、それは愛していた証なのだと思えるようになっていきました。
学ぶことは、頭で納得するためだけではありませんでした。
私の場合は、自分の心に起きていることを知ることで、少しだけ自分にやさしくなれたのだと思います。
悲しみに名前がついたことで、得体の知れない苦しさが、少しずつ「向き合えるもの」に変わっていきました。
軽く扱われた経験から、本当に必要だった聴き方に気づいた
悲しみを誰かに話してみようと思ったこともありました。
でも、その時に返ってきた言葉で、余計につらくなってしまった経験もあります。
「でも寿命だよね」
「次の犬をすぐ迎えた方がいいよ」
「いつまでも悲しんでいても仕方ないよ」
言った人に悪気はなかったのだと思います。
励まそうとしてくれたのかもしれません。
でも当時の私には、その言葉がとても苦しく感じられました。
私がほしかったのは、答えではありませんでした。
早く切り替えるためのアドバイスでもありませんでした。
ただ、愛犬がどれほど大切な存在だったのか。
介護の時間が私にとってどんな意味を持っていたのか。
亡くなったあとに、どれほど大きな空白ができたのか。
その気持ちを、急がずに聴いてほしかったのです。
この経験は、私にとって大きな気づきになりました。
悲しみの中にいる人に必要なのは、すぐに前向きな言葉をかけることではないのかもしれない。
正論で納得させることでも、別の何かで穴を埋めることでもないのかもしれない。
その人が抱えている気持ちを、その人のペースで言葉にできるように待つこと。
途中で遮らず、「そんなふうに感じているんだね」と受け止めること。
それだけで、心が少しほどけることがあるのだと思いました。
私自身が傷ついたからこそ、誰かの悲しみに触れる時には、言葉を急がないことを大切にしたいと思うようになりました。
「大丈夫」と簡単にまとめるのではなく、まずはその人の中にある大丈夫ではない気持ちを、そっと置ける場所でありたい。
この思いは、今の私の聴き方にもつながっています。
同じ経験をした人との出会いが、孤独を少しずつほどいてくれた
ペットロスやグリーフケアを学ぶ中で、同じような経験をした人たちの言葉に触れる機会がありました。
大切な子を失って、家の中が急に静かになったこと。
いつもの時間に、つい名前を呼びそうになること。
周りには普通に見せていても、心の中ではずっと泣いていること。
誰かに話したいのに、軽く扱われるのが怖くて話せないこと。
そうした言葉に触れた時、私は何度も「わかる」と思いました。
それまでの私は、自分の悲しみをどこか特別で、重すぎるもののように感じていました。
でも、同じように大切な存在を失い、同じように苦しんでいる人がいると知った時、孤独が少しだけやわらいだのです。
悲しみは、誰かと比べるものではありません。
どちらがつらいとか、どちらの方が深いとか、そういうことではないと思います。
ただ、「自分だけではなかった」と感じられることには、大きな力がありました。
私は、自分の気持ちを少しずつ言葉にするようになりました。
寂しい。
悔しい。
もっと一緒にいたかった。
本当はまだ受け入れられない。
そういう気持ちを、無理にきれいな言葉にしなくてもいいのだと思えるようになっていきました。
そして、ありのままの感情を出せる場所や、心地よいと感じられる人間関係を選ぶことの大切さにも気づきました。
誰にでも話さなくていい。
わかってくれる人にだけ、少しずつ話せばいい。
そう思えるようになったことで、私は少し楽になりました。
悲しみを抱えたままでも、人は少しずつ歩いていける。
そのことを、同じ経験をした人たちとの出会いが教えてくれました。
ペットロスの悲しみは、消すものではなく抱えて生きていけるものだった
愛犬を失った直後の私は、早く元気にならなければいけないと思っていました。
いつまでも泣いていたらいけない。
もう十分悲しんだのだから、そろそろ前を向かなければいけない。
そんなふうに自分を急かすほど、心はますます苦しくなっていきました。
けれど、ペットロスやグリーフケアを学び、同じような経験をした人の言葉に触れる中で、少しずつ考え方が変わっていきました。
悲しみは、なかったことにするものではない。
無理に消そうとしなくてもいい。
大切な存在を大切だったと思い続けながら、今の自分の人生を生きていくこともできるのだと感じるようになりました。
今も、これから先の喪失にどう向き合えるのかは、その時になってみないとわかりません。
それでも私は、自分の心に何が起きているのかを知り、ありのままの感情を認めることの大切さを学びました。
そして今は、同じように深い哀しみの中にいる人の話を、急がず、否定せず、そっと受け止めることを大切にしています。
悲しみを抱えたままでも、堂々としていていい
愛犬を亡くしたばかりの頃、私は自分の悲しみ方に自信がありませんでした。
「ペットのことで、ここまで落ち込むなんて大げさなのかな」
「周りは普通に過ごしているのに、私だけ弱いのかな」
そんなふうに、自分の感情をどこかで責めていました。
でも今は、そう思わなくなりました。
大切な存在を失った時に、深く悲しむのは自然なことです。
涙が出ることも、思い出して胸が苦しくなることも、何もする気になれない日があることも、おかしなことではありません。
それだけ大切に思っていた。
それだけ一緒に過ごした時間が、自分の中に深く残っている。
そう考えられるようになった時、私は少しずつ自分の悲しみを否定しなくなりました。
悲しみを抱えているから弱いのではありません。
すぐに切り替えられないからダメなのでもありません。
悲しみながらも今日を過ごしていること自体が、すでに十分がんばっていることなのだと思います。
今の私は、誰にでも自分の気持ちをわかってもらおうとは思っていません。
わかってくれる人にだけ、話せればいい。
無理に明るく見せなくてもいい。
そう思えるようになってから、心が少し楽になりました。
悲しみは、人生の中から完全になくなるものではないのかもしれません。
でも、悲しみがあるからこそ、大切だったものの存在も感じられる。
そう思えるようになった今、私は悲しみを抱えた自分のまま、堂々としていてもいいのだと思っています。
自分の感情を認めることが、少しずつ前に進む力になった
ペットロスの中で一番苦しかったのは、愛犬を失った悲しみそのものだけではありませんでした。
その悲しみを「早くどうにかしなきゃ」と思って、自分で自分を追い詰めていたことも大きかったと思います。
寂しい。
会いたい。
もっと一緒にいたかった。
どうしていなくなってしまったの。
そんな気持ちが出てくるたびに、私はどこかで「こんなことを思っても仕方ない」と押し込めようとしていました。
でも、押し込めた感情は消えるわけではありません。
夜に涙として出てきたり、疲労感として体に出てきたり、人に会いたくない気持ちとして現れたりしました。
だから私は、少しずつ自分の感情を認める練習をしていきました。
今日は悲しい日なんだ。
今日は何もしたくないほど疲れているんだ。
まだ受け入れられなくても、それでいいんだ。
そうやって、自分の中にある気持ちを否定せずに見つめることから始めました。
以前習っていたフラワーアレンジメントをもう一度やってみたことも、私にとっては小さな支えになりました。
何かを無理に変えようとするのではなく、自分が少し心地よいと思えるものに触れる。
それだけでも、固まっていた心が少し動くことがありました。
前に進むというのは、悲しみを忘れることではないと思います。
悲しみを持ったままでも、自分のペースで今日を過ごしていくこと。
その積み重ねが、私にとっての回復だったのだと思います。
あなたの悲しみを、そのまま話せる場所があります
今、ペットロスの深い哀しみの中にいる方は、自分の感情に戸惑っているかもしれません。
「いつまで悲しいのだろう」
「こんなに泣いていて大丈夫なのかな」
「周りに話しても、わかってもらえないかもしれない」
そんなふうに、一人で抱えている方もいると思います。
でも、あなたの悲しみはおかしくありません。
大切な存在を失った時、心が大きく揺れるのは自然なことです。
早く元気になれなくても、前向きな言葉が出てこなくても、それはあなたが弱いからではありません。
私自身も、愛犬を亡くしたあと、自分だけが取り残されたように感じました。
誰かに話したいのに、軽く扱われるのが怖くて話せない時期もありました。
だからこそ、悲しみを話す時には、安心してそのままの気持ちを出せる場所が必要だと感じています。
無理にきれいにまとめなくて大丈夫です。
泣きながらでも、言葉が途切れても、同じ話を何度してもいいと思います。
悲しみの中にいる時、人は正しい答えよりも、まず自分の気持ちを否定されずに受け止めてもらうことを必要としているのだと思います。
私は、誰かの悲しみに触れる時、すぐにアドバイスをするのではなく、その人の中にある言葉にならない思いを大切に聴きたいと思っています。
「そんなふうに感じていたんだね」と、まずは一緒にその気持ちを見つめること。
そこから少しずつ、自分の心を認める力が戻ってくることがあるからです。
今は深い哀しみの中にいるかもしれません。
でも、あなたはひとりではありません。
ありのままの感情を、まずはそのまま認めるところから始めてみませんか。
読者へのメッセージ|ペットロスの悲しみを、ひとりで抱え込まないで
大切な存在を失った悲しみは、すぐに言葉にできるものではありません。
「もう時間が経ったのに、まだつらい」
「ペットのことなのに、こんなに苦しい自分はおかしいのかな」
「周りにはわかってもらえない気がして、話せない」
そんなふうに感じている方もいるかもしれません。
でも、その悲しみはおかしなものではありません。
それだけ深く愛して、一緒に過ごしてきた時間があったからこそ、心が大きく揺れているのだと思います。
無理に前向きにならなくても大丈夫です。
早く元気になろうとしなくても大丈夫です。
泣いてしまう日があっても、何もできない日があっても、それは弱さではありません。
まずは、今の自分の気持ちをそのまま認めるところから始めてみてください。
悲しみを整理するために必要なのは、正しい答えではなく、安心して話せる時間なのかもしれません。
「少し話してみたい」
「自分の気持ちを聞いてほしい」
そう感じた方は、LINE公式アカウントを友だち追加していただくと、予約まで簡単に進められます。
無理のないタイミングで、あなたのペースで大丈夫です。
ひとりで抱えてきた気持ちを、少しだけ外に出すきっかけにしてみてください。
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