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中学生のいじめで人間不信になった私へ|学校に行けなかった日々と、心を守るために大切だったこと

中学生のいじめで人間不信になった私へ|学校に行けなかった日々と、心を守るために大切だったこと

中学生の頃、私はいじめを経験しました。

今振り返ると、きっかけは本当に些細なことだったと思います。
けれど当時の私にとっては、毎日学校に行くことも、教室に入ることも、人の目を見ることも、とても怖いことになっていました。

友達だと思っていた人が離れていったこと。
聞こえるように悪口を言われたこと。
廊下を歩くだけで、周りの視線が突き刺さるように感じたこと。

その一つひとつが心に積み重なっていき、いつしか「私が悪いんだ」「いじめられる私に原因があるんだ」と、自分を責めるようになっていました。

先生にも、親にも分かってもらえないと感じた時、どこにも居場所がないような気持ちになりました。
学校という狭い世界の中で、逃げ場がなく、先のことも考えられず、「もう消えてしまいたい」と思うほど追い詰められていた時期もあります。

それでも、そんな私の心を少しだけ軽くしてくれたのは、誰かに気持ちを否定せずに聴いてもらえた時間でした。

この記事では、私が中学生の頃に経験したいじめや人間不信、学校に行けなくなった日々、そして「自分の心を大切にしてもいい」と少しずつ思えるようになったきっかけについて、体験談としてお話ししていきます。

今、同じようにいじめや人間関係で苦しんでいる方に、少しでも「ひとりで抱えなくてもいいんだ」と感じてもらえたら嬉しいです。

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投稿者プロフィール

佐々木みれい
佐々木みれいよりびと
■ 対応しやすい時間帯:① 10:00〜14:00|朝昼タイム ② 14:00〜18:00|午後タイム
※土日祝対応(枠が埋まりやすいため、事前予約をお勧めします)
※詳しくは待機カレンダーを確認ください。

■ 年齢:20代後半

■ キャッチコピー:どんな話も否定しない聴き手です

■ 得意なテーマ

– 誰にも言えない話の受け止め
– 大切な人を失った悲しみ
– 人間関係の悩み・恋愛相談
– とにかく話を聴いてほしいとき
– 感情の吐き出し

■ 聴き方・スタイル

– 相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 無理に聞き出しません

■ 経験

– これまでの人間関係において、身近な人の相談を受ける側に回る事が多かったです。
– 接客やサービス業を経験し、人の話を聴くことが日常でした。
– 長時間の電話でも落ち着いて聴くのが得意です。
– 資格:メンタル心理カウンセラー/上級心理カウンセラー

■ 大切にしていること

– どんな話でも否定しません
– 話したくないことは無理に聞きません
– 泣いても沈黙してもOK

■ 人柄・ユニークポイント

– 好きなもの:音楽を聴くこと/歌を歌うこと
– よく言われる性格:落ち着いている 穏やかで優しい 話しやすい
– ちょっとしたこだわり:誠実さ
– 聴き手としての密かな強み:相手の気持ちを受け止めるのが得意です

■ メッセージ

ここでは、どんな話をしても大丈夫です。うまく話せなくても、泣いてしまっても問題ありません。私がしっかりと受け止めます。あなたのペースで、安心してお話くださいね。

目次

中学生のいじめは、些細なきっかけから始まった

中学生の頃の私は、新しい環境の中で、なんとか周りに馴染もうと必死でした。

県外から引っ越してきたタイミングで中学校に入学したので、同じ小学校から上がってきた友達もおらず、最初からひとりでのスタートでした。
もともと人見知りで、内向的なところもあった私は、「ちゃんと友達ができるかな」「みんなの輪に入れるかな」と、不安な気持ちを抱えながら毎日を過ごしていました。

それでも、自分なりに勇気を出して声をかけたり、話しかけられた時には笑顔で返したりして、少しずつ友達と呼べる人もできていきました。
学校生活を楽しいと思える日もありましたし、「このまま普通に過ごしていけるかもしれない」と思っていた時期もありました。

けれど、ある時から空気が変わっていきました。

今思えば、本当に些細なことだったと思います。
それでも、その小さな出来事をきっかけに、クラスの中心にいる人から目をつけられるようになり、少しずつ周りの態度が変わっていきました。

昨日まで普通に話していた人が、急に目を合わせてくれなくなる。
仲良くしていたはずの友達が、私を避けるようになる。
教室に入った瞬間、空気が一瞬止まるように感じる。

そんな日々が続くうちに、私はだんだん学校へ行くことが怖くなっていきました。

「私が何か悪いことをしたのかな」
「どうして急にこんなふうになってしまったんだろう」
「私さえいなければ、みんな普通に過ごせるのかな」

そんな考えばかりが頭の中をぐるぐる回っていました。

新しい学校で、必死に周りに馴染もうとしていた

入学したばかりの頃、私にとって中学校はとても大きな世界に見えていました。

小学校からそのまま同じ中学校に上がってきた人たちは、すでに仲の良い友達同士で集まっていて、教室の中には自然といくつかのグループができていました。
その中に、県外から来た私はぽつんと入っていく形でした。

何気ない会話の中にも、知らない小学校の話や、昔からの思い出話が出てきます。
みんなが笑っている理由が分からなかったり、名前を呼び合う距離感に入れなかったりするたびに、自分だけが少し外側にいるような感覚がありました。

それでも、「ここで頑張らなきゃ」と思っていました。

普通なら、毎日学校に行って、勉強をして、友達を作って、楽しい学生生活を送るもの。
そういう思い込みが、自分の中に強くあったのだと思います。

だから、怖くても話しかけました。
緊張していても笑いました。
本当は疲れていても、「大丈夫なふり」をしていました。

少しずつ友達ができて、休み時間に話せる人が増えてきた時は、とても安心しました。
「私もこの学校でやっていけるかもしれない」と思えたことが、当時の私には本当に嬉しかったです。

だからこそ、その後に起きたことは、とても大きなショックでした。

せっかくできた居場所が、急に崩れていくような感覚。
やっと安心できると思った場所が、また怖い場所に変わっていく感覚。

その変化についていけず、私はただ戸惑うことしかできませんでした。

昨日までの友達が、急に離れていった

いじめが始まって一番つらかったのは、知らない人から何かを言われることよりも、友達だと思っていた人たちが離れていったことでした。

昨日まで普通に話していた人が、急に返事をしてくれなくなる。
休み時間に近づくと、会話が止まる。
目が合いそうになると、すっとそらされる。

最初は「たまたまかな」と思おうとしました。
でも、それが何日も続くと、さすがに分かってしまいます。

私を避けているんだ。
私と関わると、自分まで何か言われると思っているんだ。
そう感じた時、胸の奥がぎゅっと苦しくなりました。

仲間外れにされることも増えていきました。
グループ活動の時には、私以外で自然と組まれてしまう。
誰かとペアになる場面では、最後まで残ってしまう。
教室の中にいるのに、自分だけ透明人間になったような気持ちでした。

それでも、完全に無視されるだけなら、まだ心を閉じて耐えられたのかもしれません。

私に聞こえるようにヒソヒソ話をされたり、笑われたり、わざと視線を向けられたりするたびに、心が少しずつ削られていきました。
何を言われているのか分からないからこそ怖くて、でも分かってしまうような気もして、教室にいるだけで全身に力が入っていました。

人を信じたい気持ちと、もう誰も信じたくない気持ち。
その両方が自分の中にあって、どうしたらいいのか分かりませんでした。

「私が悪いのかもしれない」と自分を責めるようになった

いじめられている時、私はだんだん自分の感じ方まで信じられなくなっていきました。

本当はつらい。
本当は怖い。
本当はもう学校に行きたくない。

そう思っているのに、頭の中では別の声が聞こえていました。

「私がもっと上手く話せていたらよかったのかもしれない」
「みんなに嫌われるような態度を取ってしまったのかもしれない」
「普通にできない私が悪いのかもしれない」

誰かに責められ続けると、いつの間にか自分でも自分を責めるようになってしまうことがあります。
当時の私は、まさにその状態でした。

学校を休む日が増えると、今度は家の中でも苦しくなっていきました。
親との関係も悪くなり、「学校に行けない自分はダメなんだ」とさらに思い込むようになりました。

本当は助けてほしかったのだと思います。
でも、うまく言葉にできませんでした。

「つらい」と言っても分かってもらえなかったらどうしよう。
「あなたにも原因がある」と言われたら、もう立ち直れないかもしれない。
そんな不安があって、どんどん自分の殻に閉じこもっていきました。

夜も眠れず、食欲も落ちて、何をしていても心が重たい。
学校のことを考えるだけで、胸が苦しくなる。

今振り返ると、あの頃の私はずっと限界に近いところで踏ん張っていたのだと思います。
でも当時は、自分が傷ついていることにすら気づけず、「もっと頑張らなきゃ」と思い続けていました。

無視や悪口で、人の目が怖くなっていった

いじめが始まってから、私にとって学校は安心できる場所ではなくなっていきました。

朝起きた瞬間から、「今日も学校に行かなきゃいけないのか」と思うだけで、胸のあたりが重たくなりました。
制服に着替えている時も、家を出る前も、学校へ向かう道の途中でも、頭の中には教室のことばかりが浮かんでいました。

教室に入ったら、また誰かに見られるかもしれない。
聞こえるように何かを言われるかもしれない。
グループを作る時間に、またひとりになるかもしれない。

そう考えるだけで、体がこわばっていくのを感じていました。

実際に教室へ入ると、空気が変わるように感じることがありました。
私が入った瞬間、誰かの会話が止まったように思えたり、視線が一斉に向いたように感じたりして、ただ自分の席まで歩くだけでも、とても勇気が必要でした。

以前は何気なく過ごしていた休み時間も、苦痛な時間に変わっていきました。
周りでは楽しそうに笑い声が聞こえているのに、私はその中に入れない。
誰かと話そうとしても、相手の反応が怖くて声をかけられない。
自分だけが教室の中で浮いているようで、どこにいても落ち着きませんでした。

つらかったのは、無視されることだけではありませんでした。
私に聞こえるようにヒソヒソ話をされたり、廊下を歩いているだけで名前を出されたり、わざと嫌な目で見られたりすることもありました。

はっきり何かを言われなくても、態度や空気で伝わってくるものがあります。
そのたびに、「私はここにいてはいけないのかもしれない」と感じるようになっていきました。

教室にいるだけで、心が削られていった

いじめられていた頃の私は、教室にいるだけでずっと緊張していました。

何かをされた瞬間だけがつらいのではなく、「また何かされるかもしれない」と思い続ける時間そのものが、とても苦しかったのだと思います。

授業中も、先生の話に集中できないことが増えていきました。
後ろの席から笑い声が聞こえると、自分のことを言われているのではないかと不安になりました。
誰かが小さな声で話しているだけでも、心臓がぎゅっと縮むような感覚がありました。

本当は、ただ普通に座って授業を受けているだけです。
それなのに、周りの空気を読みすぎてしまい、ずっと警戒していました。

休み時間になると、さらに居場所がなくなりました。
みんなが自然に友達の席へ集まっていく中で、私は自分の席に座ったまま、どう過ごせばいいのか分からずにいました。

本を読むふりをしたり、机の中を探すふりをしたり、用もないのにトイレへ行ったりして、ひとりでいることをできるだけ目立たないようにしていました。
でも、どれだけ平気なふりをしても、心の中では「早くこの時間が終わってほしい」と思っていました。

グループ活動の時間も怖かったです。
誰かと組まなければいけない場面になると、胸がざわざわしました。
また自分だけ残るのではないか。
誰かに嫌な顔をされるのではないか。
そう思うだけで、体が固まってしまいました。

教室は本来、勉強をする場所のはずです。
でも当時の私にとっては、安心して息をすることさえ難しい場所になっていました。

廊下を歩くだけでも、視線が怖かった

いじめは、クラスの中だけで終わりませんでした。

噂は思っていた以上に早く広がっていきました。
他のクラスの人たちにも、私のことが何かしら伝わっているように感じることが増えていきました。

廊下を歩いているだけで、知らない人からじっと見られる。
すれ違ったあとに笑い声が聞こえる。
「うわっ、〇〇だ」と言われる。

それが本当に自分に向けられたものなのか、毎回はっきり分かるわけではありません。
でも当時の私は、もう何もかもが自分を責めているように感じていました。

人の視線が怖くなると、学校の中のどこにいても落ち着けなくなります。

教室も怖い。
廊下も怖い。
階段も怖い。
トイレに行くことさえ、誰かと鉢合わせたらどうしようと思ってしまう。

そんな状態が続くと、学校全体が大きな不安のかたまりのように見えてきました。

前を向いて歩くことができず、自然と下を向くようになりました。
誰とも目を合わせないように、できるだけ早く移動するようになりました。
自分の存在を小さくして、誰にも気づかれないように過ごしたいと思っていました。

今思うと、あの頃の私はずっと身を守ろうとしていたのだと思います。

傷つかないように。
これ以上何か言われないように。
少しでも目立たないように。

でも、自分を守るために小さくなればなるほど、心の中では「どうして私は普通に過ごせないんだろう」と自分を責めていました。

誰にも分かってもらえないことが、一番苦しかった

いじめそのものもつらかったですが、それ以上につらかったのは、誰にも分かってもらえないと感じたことでした。

勇気を出して先生に相談しても、軽く流されてしまったように感じました。
こちらの気持ちをじっくり聴いてもらうというより、「あなたにも何か原因があったんじゃないの」と言われているような気がして、さらに心が閉じていきました。

もちろん、当時の先生にも先生なりの事情や見え方があったのかもしれません。
でも、傷ついていた私には、「助けてほしい」という気持ちを受け止めてもらえなかったことが、とても大きな痛みとして残りました。

家でも同じでした。

親に相談しても、「あなたがいじめられるような態度を取ったのが悪い」と言われた時、私は本当に逃げ場を失ったような気持ちになりました。
学校でも苦しい。
家でも分かってもらえない。
そうなると、自分の気持ちをどこに置けばいいのか分からなくなってしまいます。

本当は、誰かに「つらかったね」と言ってほしかったのだと思います。
「あなたが悪いわけじゃないよ」と言ってほしかったのだと思います。
正しい答えがほしかったというより、まずはこの苦しさを否定せずに受け止めてほしかったのだと思います。

でも当時の私は、それをうまく言葉にできませんでした。

分かってもらえない経験が重なるうちに、「どうせ話しても無駄だ」と思うようになっていきました。
そして、誰にも本音を言えないまま、ひとりで抱え込むことが増えていきました。

その頃の私は、人を信じることが怖くなっていました。
誰かに近づいても、また裏切られるかもしれない。
助けを求めても、また責められるかもしれない。

そんな思いが積み重なって、心の中はどんどん苦しくなっていきました。

話を聴いてもらえたことで、少しだけ心が息をし始めた

学校にも家にも居場所がないように感じていた頃、私は少しずつ限界に近づいていました。

朝起きても体が重く、学校のことを考えるだけで胸が苦しくなる。
制服を見るだけで気持ちが沈み、玄関の前まで行っても足が動かなくなる。
そんな日が増えていきました。

「行かなきゃいけない」と頭では分かっているのに、どうしても行けない。
そのたびに、「私は普通のこともできないんだ」「みんなは学校に行けているのに、どうして私はできないんだろう」と、自分を責めていました。

でも本当は、怠けていたわけではありませんでした。
甘えていたわけでもありませんでした。
心がもう、これ以上傷つかないように必死に止まってくれていたのだと思います。

そんな時、学校の保健室にスクールカウンセラーの方がいることを思い出しました。

存在は知っていました。
でも、すぐに頼れたわけではありません。

先生に相談しても分かってもらえなかった。
親に話しても責められたように感じた。
だから、「また否定されたらどうしよう」「ここでも分かってもらえなかったら、本当にもう立ち直れないかもしれない」と怖かったのです。

それでも、心のどこかに「このままでは苦しい」「少しでも変わりたい」という気持ちが残っていました。

逃げるような気持ちでもいい。
うまく話せなくてもいい。
とにかく誰かに、この苦しさを少しだけでも分かってほしい。

そんな思いで、私は保健室に向かいました。

うまく話せなくても、ただ聴いてもらえたことが救いだった

初めて話を聴いてもらった時、私はうまく説明できませんでした。

何から話せばいいのか分からない。
どこまで話していいのかも分からない。
途中で涙が出てきて、言葉が詰まってしまう。

自分でも、話がまとまっていないことは分かっていました。
同じことを何度も言ってしまったり、急に黙ってしまったり、感情があふれて何を言いたいのか分からなくなったりもしました。

でも、その方は急かしませんでした。

「それで?」と答えを求めるのではなく、ただ私の言葉を待ってくれました。
途中で泣いてしまっても、困ったような顔をせず、静かにそばにいてくれました。

そして、私の話を聴いたあとに、
「今までずっと耐えて頑張ってきたんだね」
「つらかったよね」
と受け止めてくれました。

その言葉を聞いた時、心の奥にたまっていたものが少しゆるんだような気がしました。

私はずっと、「私が悪い」と思っていました。
いじめられるのも、学校に行けなくなるのも、家族との関係が悪くなるのも、全部自分のせいだと思い込んでいました。

だから、誰かに責められるのではなく、まず気持ちを受け止めてもらえたことが、本当に大きな救いでした。

問題がすぐに解決したわけではありません。
次の日から急に学校が怖くなくなったわけでもありません。

それでも、「ここでは話してもいいんだ」と思えたこと。
「私の気持ちは、なかったことにされないんだ」と感じられたこと。

それだけで、少しだけ息がしやすくなりました。

「休むことは逃げじゃない」と言われて、思い込みが少し変わった

当時の私は、学校を休むことに強い罪悪感を持っていました。

みんなは毎日学校に行っている。
勉強もしている。
友達と話して、普通に生活している。

それなのに私は、教室に行けない。
朝になると体が動かない。
学校を休む日が増えていく。

そのことが、自分の弱さの証拠のように思えていました。

「休むなんて逃げだ」
「頑張れない私はダメだ」
「普通の中学生らしくできない私はおかしい」

そんなふうに、自分で自分を追い詰めていたのだと思います。

でも、保健室で話を聴いてもらう中で、
「休むことは逃げじゃないよ」
と言ってもらいました。

その言葉は、私にとってとても意外でした。

それまでの私は、休むことを悪いことだと思っていました。
学校に行けない自分を、責める材料にしていました。

でも、その方は「無理に教室へ行くことだけが正解じゃない」と伝えてくれました。
「少しでも学校に来られそうなら、教室じゃなくてここに来てもいいよ」と言ってくれました。

その言葉で、私の中にあった「学校に行くなら教室に入らなきゃいけない」という思い込みが、少しだけゆるみました。

全部できなくてもいい。
いきなり元通りにならなくてもいい。
今日は保健室まで来られた、それだけでもいい。

そう思えるようになると、ほんの少しだけ自分を責める時間が減っていきました。

もちろん、すぐに前向きになれたわけではありません。
不安も怖さも残っていました。

それでも、「今の自分にできる小さな一歩でいい」と思えたことは、当時の私にとって大きな変化でした。

気持ちを書き出すことで、自分の心に気づけるようになった

話を聴いてもらう時間の中で、私は少しずつ自分の気持ちを外に出すことを覚えていきました。

それまでは、つらい気持ちを心の中に閉じ込めることが多かったです。
誰かに話しても分かってもらえないかもしれない。
否定されたら、もっと傷ついてしまうかもしれない。

そう思っていたので、自分の本音を出すことが怖くなっていました。

でも、安心して聴いてもらえる経験をしたことで、「少しなら言葉にしても大丈夫かもしれない」と思えるようになりました。

その中で、役に立ったのがノートに気持ちを書き出すことでした。

きれいな文章にしようとは思いませんでした。
誰かに見せるためでもありません。
ただ、その時に浮かんだ言葉を、そのまま書いていきました。

「学校が怖い」
「また無視されたら嫌だ」
「本当は助けてほしい」
「私ばかり悪いことにされるのがつらい」

そんな言葉を紙に出してみると、自分がどれだけ苦しかったのか、少し離れたところから見られるような感覚がありました。

もちろん、書くことで楽になる日ばかりではありませんでした。
書いているうちに感情があふれて、余計に苦しくなることもありました。

そんな時は、無理に続けないようにしました。
好きな音楽を聴いたり、横になったり、何も考えない時間を作ったりして、自分を休ませるようにしました。

今思えば、それも大切な心の守り方だったのだと思います。

話すことも、書くことも、無理に頑張るものではありません。
少し出せそうな時に、少しだけ出す。
苦しくなったら、いったん休む。

その繰り返しの中で、私は少しずつ「自分の心を大切にしてもいい」と感じられるようになっていきました。

いじめの傷は残っていても、今の自分を少しずつ認められるようになった

いじめを経験したことは、今でも私の中に傷として残っています。

時間が経ったからといって、すべてがきれいに消えるわけではありません。
ふとした瞬間に、当時の教室の空気や、人の視線、聞こえるように言われた言葉を思い出すことがあります。

大勢の中にいる時、周りの人が小さな声で話しているだけで、「自分のことを言われているのかな」と不安になることもあります。
頭では「今はあの時とは違う」と分かっていても、心が先に反応してしまうことがあります。

でも、昔の私と今の私で大きく変わったことがあります。

それは、つらくなった時に「また自分が悪いんだ」と決めつけなくなったことです。

もちろん、完全に自分を責めなくなったわけではありません。
不安になる日もありますし、人との関わりに慎重になることもあります。

それでも、あの頃の私は本当に苦しい中で必死に生きていたんだと思えるようになりました。
学校に行けなかった日も、泣いていた日も、人を信じられなくなった日も、怠けていたわけではなく、自分の心を守ろうとしていたのだと思います。

今は、その過去を乗り越えてここまで生きてきた自分を、少しずつ褒めてあげたいと思っています。

そして同じように、今つらい思いをしている方にも伝えたいです。
あなたの心が苦しいと感じているなら、それは大切にしていいサインです。

無理に強くならなくても大丈夫です。
すぐに前向きになれなくても大丈夫です。
まずは、今の気持ちを否定せずに、そっと扱ってあげてほしいと思います。

過去の経験が、人との関わり方を見つめるきっかけになった

いじめを経験してから、私は人との関わりにとても敏感になりました。

相手の表情や声のトーンが少し変わるだけで、「何か悪いことをしたかな」と気になってしまうことがあります。
グループの中にいると、誰かの小さな反応を必要以上に受け取ってしまうこともあります。

その敏感さは、時には自分を疲れさせるものでもありました。

でも、社会に出ていろいろな人と出会う中で、その経験が少しずつ別の形に変わっていったように思います。

人にはいろいろな話し方があること。
距離の取り方も、優しさの表し方も、人によって違うこと。
強く見える人にも不安があり、明るく見える人にも見えない悩みがあること。

そうしたことを知るたびに、私は少しずつ「人は怖いだけの存在ではない」と感じられるようになっていきました。

高校生活や、社会に出てからの人間関係の中で、「この人のこういう関わり方は素敵だな」と思うことも増えました。
相手の話を最後まで聴く人。
無理に答えを押しつけない人。
相手が話しやすい空気を作ってくれる人。

そういう人たちと出会う中で、私も少しずつ、人との関わり方を学んでいったのだと思います。

いじめの経験は、できることならしたくなかった経験です。
けれど、その痛みがあったからこそ、誰かの小さな表情の変化や、言葉にならないしんどさに気づけるようになった部分もあります。

今は、その過去を無理に美化するのではなく、「あの経験があった私だからこそ、大切にできる関わり方がある」と思えるようになりました。

「聴いてもらえた安心感」を、今度は私も大切にしたい

私にとって大きな支えになったのは、話を聴いてもらえた経験でした。

何か特別な答えをもらったから、急に元気になれたわけではありません。
状況がすぐに変わったわけでもありません。

でも、泣きながらでも、話がまとまっていなくても、自分の気持ちを否定されずに聴いてもらえたこと。
「つらかったよね」と受け止めてもらえたこと。
それが、当時の私には本当に救いでした。

人は、苦しい時ほど、自分の気持ちをうまく言葉にできないことがあります。
頭の中がぐちゃぐちゃで、何から話せばいいのか分からない。
話そうとすると涙が出てしまう。
沈黙が続いてしまう。

そんな時に、「ちゃんと話さなきゃ」と思うと、余計に苦しくなってしまいます。

だから私は、今、誰かの話を聴く時に、うまく話せるかどうかよりも、その人が少しでも安心していられることを大切にしたいと思っています。

言葉に詰まっても大丈夫。
泣いてしまっても大丈夫。
すぐに答えが出なくても大丈夫。

ただ今感じていることを、その人のペースで少しずつ出していける時間。
否定されず、急かされず、無理に前を向かされない時間。

私自身がそんな時間に救われたからこそ、傾聴ラウンジ「ここより」のよりびととしても、相談者様の気持ちにそっと寄り添える存在でありたいと思っています。

「こんなこと話してもいいのかな」と思うようなことでも、大丈夫です。
きれいにまとめなくても、明るく話そうとしなくても、そのままの気持ちを大切に聴かせていただきたいです。

今つらいあなたへ、まずは心を守ることを大切にしてほしい

今、いじめや人間関係で苦しんでいる方がいるなら、私はまず「あなたの心を守ることを大切にしてほしい」と伝えたいです。

学校に行けない日があっても、すぐに誰かを信じられなくても、自分を責めすぎないでほしいです。
それは弱いからではなく、心がこれ以上傷つかないように、必死に守ろうとしている状態なのかもしれません。

つらい時ほど、「自分が悪いのかな」と思ってしまうことがあります。
周りに分かってもらえなかったり、相談した相手から責められたように感じたりすると、さらに自分を追い詰めてしまうこともあります。

でも、苦しいと感じているあなたの気持ちは、ちゃんと大切にされていいものです。

無理に全部を話さなくても大丈夫です。
泣いてしまっても、言葉が止まってしまっても大丈夫です。
「何がつらいのか分からないけど苦しい」という状態でも、そのまま話していいのだと思います。

私も、最初からうまく話せたわけではありませんでした。
泣きながら、まとまりのない言葉で、少しずつ自分の気持ちを出していきました。

それでも、聴いてもらえる場所があるだけで、心は少しずつ呼吸を取り戻していくことがあります。

もし今、誰にも言えない思いを抱えているなら、まずは誰かに聴いてもらうことから始めてみてもいいかもしれません。
答えを出すためではなく、無理に変わるためでもなく、今の自分の心をひとりぼっちにしないために。

あなたの気持ちは、あなた自身が思っている以上に大切なものです。
どうか、自分の心を置き去りにしないであげてください。

ひとりで抱え込まず、まずはあなたの気持ちを大切にしてほしい

いじめや人間関係で傷ついた経験は、時間が経ったからといって、簡単になかったことにはできないと思います。

「もう大丈夫」と思える日があっても、ふとした瞬間に当時のことを思い出したり、人の視線や言葉に敏感になったりすることもあります。
それは、あなたが弱いからではなく、それだけ心が一生懸命に自分を守ってきた証なのかもしれません。

私自身も、誰にも分かってもらえないと感じていた時期がありました。
でも、否定されずに話を聴いてもらえたことで、少しずつ「自分の気持ちを大切にしてもいいんだ」と思えるようになりました。

今、同じように苦しんでいる方にも、無理に明るく振る舞わなくていいと伝えたいです。
うまく話せなくても、涙が出ても、気持ちがまとまっていなくても大丈夫です。

まずは、今抱えている思いを誰かに聴いてもらうことから始めてみませんか。

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「少し話してみたいな」と思った時に、無理のないタイミングでのぞいてみてください。
あなたの心が、少しでも安心できる場所につながりますように。

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