自分の本当の気持ちがわからない…幼少期に言えなかった私が“話すこと”で変われた理由

自分の本当の気持ちって、なんだろう。
そんなことを、日常のなかでゆっくり考える時間はありますか。
私は子どもの頃、自分の気持ちをほとんど言えずに育ちました。
言っても聞いてもらえない、どうせ最後は決められてしまう。
そんな経験が重なるうちに、私は自然と「感じないふり」を覚えていったのだと思います。
父の顔色を見て、機嫌を損ねないように過ごすこと。
波風を立てず、おとなしくしていること。
それがいつの間にか、私の生き方になっていました。
本当は悔しかったし、悲しかった。
怒りもありました。
でも、その気持ちを出してはいけないと思っていたのです。
だからこそ今、強く思います。
気持ちは、誰かに受け止めてもらうだけで、少しずつ輪郭を取り戻していくのだと。
話せなかった私だからこそ、
話せない苦しさがわかります。
これは、そんな私自身の体験から気づいた
「本当の気持ち」と向き合うまでの話です。


投稿者プロフィール

- よりびと
-
■ 待機基本シフト:10時~22時(シフト制)
※シフトは2週間単位で掲載します
■ 年齢:50代
■ キャッチコピー:ゆったりと安心できる雰囲気
■ 得意なテーマ
– 子育ての悩み、ママ友との関係
– 家族関係、夫婦関係
– 人間関係
– 不安やモヤモヤ、心にたまった思い
– 愚痴でもOK
– 親しい人に話せない気持ち
■ 聴き方・スタイル
– 否定、批判せず何でも受け止めます
– 沈黙も受け止めます
– 落ち着いてゆっくり聴きます
■ 経験
– 歯科衛生士免許、心理カウンセラー、子育て支援員取得
– 公的機関にて子育てSOS電話相談員経験
– 傾聴ボランティア活動中
– 現在、社会的養護施設にて勤務
– 子育て支援員として託児もしています
– 海外での子育て経験あり
– 長時間のお話しも落ち着いてお聴きします
■ 大切にしていること
– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくても大丈夫
– 安心してお話しできる雰囲気作り
■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:映画、ドラマ、カフェ、ねこ、お笑い、旅行
– よく言われる性格:穏やか、落ち着いている、飄々としている
– ちょっとしたこだわり:先入観を持たない
– 聞き手としての密かな強み:丁寧にお話しを聴きます
■ メッセージ
気持ちを吐き出すことで心がふっと軽くなるといいなぁと思います。安心してお話ししてくださいね。
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目次
- ○ 自分の本当の気持ちがわからなくなった理由
- ・「言っても無駄」と思った瞬間から始まったこと
- ・波風を立てない生き方は、本当に楽なのか
- ・気持ちは、誰かに聴いてもらうことで見えてくる
- ○ 心にふたをしたまま大人になった私
- ・「いい人」でいることが安心だった
- ・怒りを感じることが怖かった理由
- ・本音がわからない苦しさ
- ○ 話すことで、止まっていた気持ちが動き出した
- ・「本当は怒っていた」と気づいた瞬間
- ・受け止めてもらうだけで、人は変われる
- ・自分の気持ちを伝える練習を始めた
- ○ 本当の気持ちは、何歳からでも取り戻せる
- ・過去を責めるより、理解する
- ・聴くことの力を、私は信じている
- ・ふっと身軽になる体験を、あなたにも
- ○ あなたへ伝えたいこと
自分の本当の気持ちがわからなくなった理由
子どもの頃の私は、「自分はどうしたい?」と聞かれた記憶がほとんどありません。
毎日の出来事は、父の考えが中心で進んでいきました。
「それは違う」「こうしなさい」
そんな言葉の中で育つうちに、私はだんだんと自分の気持ちを口にしなくなりました。
最初は、言ってみたこともありました。
でも受け止めてもらえない経験が続くと、人は学びます。
“言わないほうが楽だ”と。
傷つかないための工夫だったのだと思います。
けれどその工夫は、気づかないうちに
「自分の本当の気持ちがわからない」という状態をつくっていきました。
嫌なのに嫌と言えない。
悲しいのに平気な顔をする。
怒っているのに笑う。
そうやって心にふたをするクセがつくと、
やがて自分でも「何を感じているのか」が見えなくなっていきます。
今振り返ると、あの頃の私は
気持ちを守るために、気持ちを置き去りにしていたのかもしれません。
「言っても無駄」と思った瞬間から始まったこと
高校生のとき、進みたい道がありました。
勇気を出して父に話しました。
けれど返ってきたのは、
「女は大学なんか行かなくていい」という一言でした。
その瞬間、私は強い悔しさを感じました。
でも同時に、「もう何を言っても変わらない」と悟ったのです。
本当は反論したかった。
どうして私の気持ちは聞いてもらえないのか、と叫びたかった。
けれど、父の前で感情を出すことは怖かった。
否定されることが、何よりも怖かったのです。
それ以来、私は大事なことほど言わなくなりました。
どうせ無理だから、と最初からあきらめるクセがついていきました。
言わないことで衝突は減ります。
でも同時に、自分の人生を自分で選ぶ感覚も薄れていきます。
あの頃の私は、
自分の未来よりも、父の機嫌を優先していたのかもしれません。
波風を立てない生き方は、本当に楽なのか
気持ちを言わないことに慣れると、人間関係でも同じことが起こります。
友達とケンカをすることはほとんどありませんでした。
意見が違っても、「まあいいか」と引き下がる。
深く踏み込まない。
一見、穏やかでトラブルのない関係です。
けれど心のどこかで、
「本当の私は見せていない」という感覚がありました。
嫌われたくない。
距離を置かれたくない。
そう思うほど、自分の本音は奥に押し込まれていきました。
すると不思議なことに、
「何が好きか」「何が楽しいか」も、だんだんわからなくなっていくのです。
波風を立てない生き方は安全です。
でも、その代わりに自分とのつながりが弱くなっていきます。
穏やかだけれど、どこか空っぽ。
あの頃の私は、そんな感覚を抱えていました。
気持ちは、誰かに聴いてもらうことで見えてくる
大人になってから、自分の子ども時代を振り返る機会がありました。
そのとき、私は初めてゆっくりと自分の気持ちを言葉にしました。
「悔しかった」
「悲しかった」
「本当は認めてほしかった」
話しているうちに、
胸の奥に押し込めていた感情が少しずつ浮かび上がってきました。
不思議なことに、
アドバイスをもらったわけではありません。
ただ静かに、否定せずに聴いてもらえただけでした。
それだけで、
「ああ、私はこんな気持ちだったんだ」と
自分で自分を理解できるようになったのです。
気持ちは、正解を出してもらうことで整理されるのではありません。
受け止めてもらうことで、安心して顔を出せるのだと感じました。
長い間ふたをしていた私の心は、
その体験をきっかけに、少しずつ呼吸を取り戻していきました。
心にふたをしたまま大人になった私
子どもの頃に身につけた「気持ちを言わない」というクセは、大人になったら自然に消えるものだと思っていました。
けれど実際は違いました。
環境が変わっても、相手が変わっても、私は無意識のうちに“波風を立てない選択”をしていたのです。
本当は違う意見を持っていても、「まあいいか」と飲み込む。
傷ついた出来事があっても、「気にしすぎかな」と自分に言い聞かせる。
そうやって感情を小さく扱うことが当たり前になっていました。
一見、穏やかで大人な対応に見えるかもしれません。
でも心の奥では、小さな我慢が積み重なっていきます。
怒りはため込まれ、
悲しみは行き場を失い、
本音はますます遠ざかっていく。
大人になった私は、ちゃんとしているようで、どこか満たされない感覚を抱えていました。
その理由が「気持ちを後回しにしてきたこと」だと気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
「いい人」でいることが安心だった
私は周りからよく「穏やかだね」「優しいね」と言われてきました。
その言葉はうれしかったです。
同時に、「いい人でいなければ」というプレッシャーにもなっていました。
意見が対立しそうな場面では、先に引く。
誰かが困っていれば、自分の予定よりも相手を優先する。
それが当たり前になっていきました。
もちろん、思いやりは大切です。
でもそれが“自分を後回しにする習慣”になっていたとしたらどうでしょう。
本当は疲れているのに、笑ってしまう。
納得していないのに、「大丈夫」と言ってしまう。
その積み重ねが、「自分がどうしたいのか」をますます見えなくしていきました。
いい人でいることは、衝突を避けるための安全策でした。
でも同時に、自分の輪郭をぼやけさせる選択でもあったのです。
怒りを感じることが怖かった理由
私は長い間、「怒るのはよくないこと」だと思っていました。
子どもの頃、父の怒りはとても強いものでした。
だから私は無意識に、怒り=怖いもの、出してはいけないもの、と感じていたのだと思います。
けれど怒りは、本来とても大切な感情です。
「それは嫌だ」「それは大事にしてほしい」というサインでもあります。
怒りを押し込め続けるとどうなるか。
表面では穏やかでも、内側ではモヤモヤが消えません。
そしてある日、小さなことで涙が出たり、
急に強い落ち込みに襲われたりします。
私はそれを「自分が弱いから」と思っていました。
でも違いました。
ちゃんと感じきれなかった怒りや悔しさが、
形を変えて出てきていただけだったのです。
怒りを持つことは悪いことではない。
そう思えるようになったとき、少しだけ自分に正直になれました。
本音がわからない苦しさ
ある時ふと、「私って何が好きなんだろう」と考えました。
すぐに答えが出ませんでした。
それが少しショックでした。
人の希望はすぐに思いつくのに、
自分の希望はわからない。
これは長年、自分の気持ちよりも周囲を優先してきた結果なのだと気づきました。
嫌なことは避けるけれど、
好きなことを選ぶ感覚が弱い。
やりたいことよりも、
“やっておいたほうがいいこと”を選ぶクセ。
本音がわからない状態は、
静かだけれどじわじわと苦しいものです。
何かが間違っているわけではない。
でも、どこか満たされない。
その違和感は、「自分の気持ちを置き去りにしてきたサイン」だったのだと思います。
そこに気づいたことが、
少しずつ変わるきっかけになっていきました。
話すことで、止まっていた気持ちが動き出した
長い間、私は「自分の気持ちは後回し」が当たり前でした。
波風を立てず、周りに合わせ、無難に過ごす。
それなりにうまくやっているつもりでした。
でも心の奥には、ずっと説明のつかないモヤモヤがありました。
そんな私に変化が起きたのは、
自分の過去をゆっくり振り返り、言葉にする時間を持ったときです。
最初はうまく話せませんでした。
何が悲しかったのか、何が悔しかったのか、うまく整理できない。
それでも、途中で遮られず、評価もされず、ただ静かに聴いてもらえる体験は、
私にとってとても新鮮でした。
「そう感じていたんですね」
その一言で、胸の奥がじんわり温かくなったのを覚えています。
アドバイスではなく、正解でもなく、
ただ気持ちがそこにあっていいと認めてもらうこと。
それだけで、止まっていた感情が少しずつ動き出しました。
自分の本当の気持ちは、探しに行くものではなく、
安心できる場所で自然と出てくるものなのかもしれません。
「本当は怒っていた」と気づいた瞬間
私はずっと、「もう昔のこと」と思っていました。
父に進路を否定されたことも、仕方なかったと整理しているつもりでした。
でも話しているうちに、胸の奥が熱くなってきました。
涙が出てきて、初めて気づいたのです。
「ああ、私は本当は怒っていたんだ」と。
怒ってはいけないと思い込んでいた私にとって、
その気づきは少し怖いものでした。
でも同時に、どこかホッとする感覚もありました。
やっと自分の気持ちを裏切らなくて済んだ、という安心感です。
怒りは悪者ではありません。
自分の大事なものを守ろうとする自然な反応です。
あのとき怒っていた自分を認めたことで、
私は少しだけ自分と仲直りできた気がしました。
気持ちに名前をつけること。
それは、長い間置き去りにしてきた自分を迎えに行く作業だったのです。
受け止めてもらうだけで、人は変われる
話していて強く感じたのは、
「否定されない安心感」がどれほど大きいかということでした。
「でもお父さんにも事情があったんじゃない?」
そんなふうに正論で返されていたら、きっと私はまた黙っていたでしょう。
けれどそこでは、私の気持ちが優先されました。
「それは悔しかったですね」
「本当は認めてほしかったんですね」
そう言ってもらえたとき、
初めて私は自分の感情をまっすぐ見つめられました。
人は、正しいことを教えてもらうよりも、
気持ちを受け止めてもらうほうが変わっていくのかもしれません。
安心できる場所では、
無理に強がらなくていい。
ちゃんとしていなくていい。
その体験が、
少しずつ私の内側をやわらかくしていきました。
自分の気持ちを伝える練習を始めた
気持ちに気づけるようになってから、
私は少しずつ「伝える練習」を始めました。
いきなり大きなことを言うのは難しいので、
まずは小さなことから。
「今日は少し疲れている」
「それはちょっと悲しかった」
短い言葉でいい。
完璧にまとめなくていい。
ノートに書き出すことも続けました。
書いてみると、「私はこう感じていたんだ」と客観的に見えてきます。
伝えるときは、相手を責める言い方ではなく、
「私はこう感じた」と主語を自分にすることを意識しました。
すると不思議なことに、
以前よりも相手との関係がラクになっていきました。
気持ちを伝えることは、衝突を生むものだと思っていました。
でも実際は、つながりを深めるきっかけになることもあるのです。
まだ怖さはあります。
それでも私は、自分の気持ちを大切にする練習を続けています。
少しずつ、自分の人生を自分の足で歩く感覚が戻ってきています。
本当の気持ちは、何歳からでも取り戻せる
長い間、私は「もう性格だから仕方ない」と思っていました。
気持ちを言えないのも、人に合わせすぎるのも、自分の弱さだと決めつけていたのです。
でも今は少し違います。
あれは弱さではなく、子どもの頃を生き抜くための工夫だった。
傷つかないために身につけた、大切な防御だったのだと思えるようになりました。
そう考えられるようになったとき、
過去の自分を責める気持ちがやわらぎました。
本当の気持ちは、消えてしまったわけではありません。
ただ、安心できる場所がなかっただけ。
ゆっくりと向き合い、
否定せずに受け止めてもらう経験を重ねることで、
気持ちは少しずつ顔を出してくれます。
何歳からでも遅くありません。
自分の本心を取り戻すことは、
これからの人生を軽やかにする大切な一歩だと、私は感じています。
過去を責めるより、理解する
以前の私は、
「どうしてあのとき言えなかったんだろう」と自分を責めていました。
でも、あの環境で声を上げることは、本当に怖いことでした。
否定される痛みを何度も経験していたのですから、
黙る選択をしたのは自然なことだったのです。
そう思えたとき、
子どもの頃の自分に対して、初めて優しい気持ちがわきました。
「あのときは、それが精一杯だったよね」と。
過去は変えられません。
でも、過去の意味づけは変えられます。
責め続けるよりも、
「あの経験があったから、今こうして人の気持ちに寄り添える」と捉え直す。
その視点が、心をずいぶん軽くしてくれました。
自分を理解することは、
自分を甘やかすことではありません。
これまでよく頑張ってきたと認めること。
それが次の一歩につながっていくのだと思います。
聴くことの力を、私は信じている
気持ちを受け止めてもらった経験は、
私の人生を大きく変えました。
だからこそ今は、
どんな内容でも、まずはそのまま聴くことを大切にしています。
正しいかどうかを判断する前に、
「そう感じているんですね」と心を置く。
怒りも、嫉妬も、弱音も、
どれもその人の大切な気持ちです。
無理に前向きにしなくていい。
急いで答えを出さなくていい。
ただ安心して話せる時間があるだけで、
人は自分の力で整理し始めます。
私自身がそれを体験しました。
話しているうちに、
「あ、私はこうしたかったんだ」と自然に気づく瞬間があります。
その瞬間に立ち会えることは、
とても尊いことだと感じています。
ふっと身軽になる体験を、あなたにも
もし今、
自分の本当の気持ちがわからないと感じているなら。
それはあなたが鈍いのではありません。
これまで一生懸命に周りを優先してきた証かもしれません。
気持ちにふたをすることは、
生きるための知恵でもあります。
でも、もう一人で抱えなくてもいい。
少しずつで大丈夫です。
うまく話せなくても大丈夫です。
まとまっていなくても、
泣いてしまっても、
沈黙があってもいい。
話しているうちに、
自分でも気づいていなかった本音が見えてくることがあります。
ふっと肩の力が抜ける瞬間。
「ああ、これが私の気持ちだったんだ」と腑に落ちる瞬間。
そんな体験を重ねながら、
自分らしさを取り戻していけたらいいですね。
私もまだ練習中です。
だからこそ、どんな思いもそのまま受け止めたいと思っています。
あなたへ伝えたいこと
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もしあなたが今、
「自分の本当の気持ちがわからない」
「言いたいことを飲み込むクセがある」
そんな思いを抱えているなら、それは決して弱さではありません。
これまで一生懸命に周りを見て、空気を読んで、傷つかないように頑張ってきた証です。
気持ちは、無理やり引き出すものではありません。
安心できる場所で、ゆっくりほどけていくものです。
うまく話せなくても大丈夫。
まとまっていなくても大丈夫。
沈黙があっても、その時間ごと大切にしたいと思っています。
ただ「そう感じているんですね」と受け止めてもらう体験は、
想像以上に心を軽くしてくれます。
傾聴ラウンジ「ここより」は、
正解を探す場所ではなく、
あなたの気持ちがそのまま居ていい場所です。
これまで言えなかったこと。
誰にも見せてこなかった本音。
小さなモヤモヤでもかまいません。
ふっと身軽になるきっかけを、
ここから一緒に見つけてみませんか。
あなたのペースで大丈夫です。
安心して、そっと扉を開けてみてくださいね。



