頭のいい兄と比べられてしんどかった私が、“人と比べない”にたどり着くまで【体験談】

今回は、私が「頭のいい兄と比べられてしんどかった経験」から、“人と比べない”という考え方にたどり着くまでの話を、体験談として書いてみようと思います。
兄のことは嫌いじゃないし、むしろ仲は良い。
でも、親や周りから何気なく言われる「お兄ちゃんはできたのに」「お兄ちゃんは優秀だったのに」の一言が、じわじわ心に刺さっていました。
そのたびに、胸の奥がギュッとなって、「私ってダメなのかな」「もっと頑張らなきゃ」って、自分を責めるクセがついていったんです。
もし今、あなたも「比べられるのがつらい」「兄弟がいるだけで苦しくなる」そんな気持ちを抱えているなら、きっと一人じゃないです。
この話が、少しでも心が軽くなるきっかけになったら嬉しいです。

投稿者プロフィール

- よりびと
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■待機時間:月・火・木・金・土の21時~24時
※祝日はお休みです
■年齢:40代
■ キャッチコピー:安心して、リラックスして話せる雰囲気を提供します
■ 得意なテーマ
– 人間関係の悩み・恋愛相談
– 介護の悩み、自宅介護の悩み、認知症の悩み
– ママの働き方の悩み、高齢出産
– 発達凸凹、発達しょうがい、発達に関する悩み
– 介護職の悩み、人間関係のモヤモヤ
– 家族関係の悩み
– カサンドラ症候群
– 身体のお悩み(疲れやすい、PMS、緊張しやすいなど)
– 頑張りすぎてしまう。ついつい、強がってしまう。無理して、大丈夫。がくちぐせ。
■ 聴き方・スタイル
– どんな話もまるっと受け止めます
– 相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 沈黙も気まずくしないスタイルです
■ 経験
– これまで20年介護職の仕事をしています。
– 特別養護老人ホーム、認知症対応型グループホーム、老健、ディサービス、有料老人ホームの経験あり。常に、傾聴、共感、受容を大切にしています。現在は、特別養護老人ホームで、パートとして勤務。
– 介護福祉士、認知症実践者研修修了。
– 障がい者ケアホームでの経験もあり。
– 傾聴ボランティア・ハンドマッサージなどでも、高齢者と関わる。
– 自身も祖父の在宅介護の経験あり。9年程していました。
– パニック障害、過呼吸、バセドウ病の経験あり。パニック障害、過呼吸は完治。
– ジストニアの経験あり。薬継続中。
– 10歳、2歳の男の子のママ。
– 10歳児の子供が発達凸凹→小児精神科で、自閉症+ADHDあり。不登校経験あり。
– 療育支援センター→放課後ディサービスを利用している。普通に見えるがゆえの難しさに直面。
– 心理学、コーチング、アドラー流メンタルトレーナー、HSPカウンセラーなどの講座を受講。
■ 大切にしていること
– どんな話でも否定しません
– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
– 泣いても沈黙してもOK
– どんなお話もお聴きします
– 話したいように話せるように、あなたのペースに呼吸を合わせます
■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:鬼滅の刃 / 心理学、カラー&タロット占い / ラーメン、焼肉、グッズ集め
– よく言われる性格:話やすい。温和。地に足がついている。やさしい。芯がある。愛のある人。
– ちょっとしたこだわり:自分時間を大事にしている。
– 聴き手としての密かな強み:どんな話にも寄り添います。私に話すことで、スッキリ出来ます。
■ メッセージ
ここでは、どんな話をしても大丈夫です。安心、安全の場を作ります。安心してお話ください。自分の感情を感じるお手伝いを致します。
目次
- ○ 兄と比べられるのがつらい…“仲良しなのに苦しい”気持ち
- ・比べられるたびに、“私の価値”が下がる気がしていた
- ・兄は“基準”じゃなくて“別の人”なのに、頭ではわかってても苦しい
- ・“仲がいいのに苦しい”の正体は、嫉妬じゃなくて『安心できない』だった
- ○ 受験のとき、兄の通知表を見せられて「私ってダメ?」と思った話
- ・頑張ってるのに“足りない”と言われると、心が折れやすくなる
- ・親の期待に応えたいほど、プレッシャーが“自分攻撃”に変わる
- ・“兄の成功例”が、私には“失敗例の予告”に感じてしまった
- ○ 大人になって気づいた。“兄は気にしてなかった”のに私だけが背負ってた
- ・兄の言葉で初めて、“私が一人で戦ってた”とわかった
- ・親の比較が“自分の声”になって残っていたことに気づいた
- ・比べるのをやめたら、“兄と私の関係”が自然に戻っていった
- ○ 人と比べないコツは“昨日の自分”を見ること。自己肯定感を守る考え方
- ・“比べてしまう自分”を責めないだけで、気持ちは少し楽になる
- ・“昨日の自分”と比べると、他人の評価に振り回されにくくなる
- ・自己肯定感を守るために“比べる言葉”への距離感を作っていく
- ○ 読者へのメッセージ
兄と比べられるのがつらい…“仲良しなのに苦しい”気持ち
兄のことは嫌いじゃないし、むしろ仲がいい。だからこそ、「比べられて苦しい」って気持ちを持つ自分に、ずっと罪悪感がありました。
「兄は優しいし、頑張ってきたのも知ってる。私が勝手にしんどいって思うのは、性格が悪いのかな…」って。
でもね、今ならはっきり言えます。
兄を嫌いじゃなくても、比べられるのがつらいのは当たり前です。むしろ、家族を大切に思ってる人ほど、その“比較の言葉”をまっすぐ受け取ってしまうんですよね。
「お兄ちゃんはできたのに」
「お兄ちゃんはもっと早かったよ」
そう言われるたびに、心の中で小さくため息が出る。ちゃんと頑張ってるのに、なぜか“合格点”をもらえない感じがしてしまう。
この章では、私がその苦しさをどう感じていたのか、そしてどうやって向き合っていったのかを、ゆっくり言葉にしていきます。
比べられるたびに、“私の価値”が下がる気がしていた
比べられるのって、ただの一言なのに、ダメージが地味に大きいんですよね。
私の場合、兄と比べられるたびに「私は兄より劣ってる」みたいな判定を押されてる気がしていました。
例えば、テストの点数。
自分では「前より上がった!」って思っても、「でもお兄ちゃんはもっと取れてたよ」って言われると、一気にしぼむ。
その瞬間、努力が“なかったこと”にされるような感じがして、「結局私は足りないんだ」って結論に引っぱられてしまうんです。
しかも厄介なのが、親は悪気がないことが多いところ。
むしろ励ましてるつもりだったり、「兄を参考にしたら伸びる」と思ってたりする。だからこそ、こちらも「やめて」って言いづらい。
言えないまま飲み込むと、心の中にモヤモヤが溜まっていって、気づいたら“自分を認める力”が弱くなっていくんですよね。
当時の私は、結果が出ないと自分を責めるクセがついていました。
「もっと頑張らなきゃ」じゃなくて、「頑張ってるのに足りない私が悪い」って方向にいっちゃう。
たぶん、同じような経験をしている人は、すごく多いと思います。比べられる苦しさって、“能力の問題”じゃなくて、“心の土台”を揺らされる感覚なんですよ。
兄は“基準”じゃなくて“別の人”なのに、頭ではわかってても苦しい
冷静に考えたら、兄と私は別の人間です。性格も違うし、得意も違う。
でも、家の中で兄が“正解の見本”みたいな扱いになると、どうしても自分が「不正解側」にいる気持ちになります。
私の中でいちばんしんどかったのは、兄が本当にちゃんとしていたこと。
だらしない兄だったら、まだ「比較されても意味ないじゃん!」って反発できたかもしれない。
でも、兄は成績も良くて、親に褒められて、周りからも評価されていた。だから私も、どこかで「兄みたいにならなきゃ」って思い込んでいったんです。
そして、その思い込みはいつの間にか“自分の基準”になっていきました。
親が言わなくても、私の中に「兄ならできるのに」って声が住み着く。
たとえば何か失敗した時に、「私はやっぱりダメだな」「兄だったらもっと上手くやれたはず」って、勝手に自分を下げる。
これ、けっこう心を削ります。
ここで大事なのは、比べられることで傷ついてる人って、たいてい「負けたくない」より「認められたい」が強いってこと。
家族に認めてほしかっただけなんですよね。
だからこそ、「兄と比べるのをやめて」って言うのが怖い。言ったらわがまま扱いされそうで、もっと否定されそうで。
でも本当は、比べること自体が不公平なんです。兄は兄、私は私。
この当たり前を、“心が納得する形”で取り戻すのが、回復の第一歩でした。
“仲がいいのに苦しい”の正体は、嫉妬じゃなくて『安心できない』だった
「兄と仲はいいのに、なんでこんなに苦しいんだろう?」
私はずっと、それを“嫉妬”だと思っていました。だから余計に、自分が嫌になったんです。
「こんなふうに思う私は性格が悪い」って。
でも、振り返って気づいたのは、正体は嫉妬じゃなくて「安心できなさ」でした。
つまり、家の中で“ありのままの私”が受け入れられてる感じが薄かったんですよね。
良い結果を出した時だけ評価される。兄に近づけた時だけ褒められる。
そういう空気の中にいると、心がずっと緊張したままになります。
安心できない場所では、人は自然と「もっと頑張らなきゃ」「ダメなところを見せたら終わり」って思います。
それって結構しんどいです。
だって家は、本来いちばん力を抜ける場所のはずだから。
私の場合、兄といる時も、どこかで「比べられたらどうしよう」って身構えていました。
兄が悪いわけじゃないのに、兄の存在が“比較のスイッチ”になってしまっていたんです。
だから、仲良くしたいのに、心のどこかで距離を取りたくなる。
その矛盾が、罪悪感につながっていました。
ここで少し救いだったのは、「比べられてつらい」は、あなたが悪いんじゃなくて、環境の影響が大きいということ。
そして、安心を取り戻すには「兄に勝つ」じゃなくて、「自分の価値を自分で回復させる」方向が大事だってこと。
この先の章では、そのために私が少しずつやっていったことを、具体的に書いていきますね。
受験のとき、兄の通知表を見せられて「私ってダメ?」と思った話
私が「兄と比べられるの、もうやめてほしい…」って強く思ったのは、受験の時期でした。
ちょうど周りもピリピリしていて、家の空気もどこか重たい。そんな中で、親は私を励ましたい気持ちもあったんだと思います。だけど、その励ましが“兄基準”だったんですよね。
「お兄ちゃんの時はこれくらいできてたよ」
「お兄ちゃんはもっと計画的にやってた」
そう言われるたびに、私は頑張ってるのに、努力の方向が否定される気がしました。
ある日、机の上に兄の昔の通知表を出されて、何気なく見せられたことがありました。
「ほら、お兄ちゃんはこうだったから。あなたもできるよ」って。
でも私の心には「できるよ」じゃなくて、「あなたはまだそこまで行ってないよ」って聞こえたんです。
その瞬間、胸がギュッと苦しくなって、頭の中が真っ白になりました。
「私って、そんなにダメなのかな」
「どれだけやっても、結局“兄より下”って言われるのかな」
悔しいのに、悲しいのに、うまく言葉にできなくて、ただ笑って流すしかありませんでした。
ここでは、受験期の私が感じていた“比較のプレッシャー”と、そこでどう心が削れていったのかを、もう少し具体的に書いていきます。
頑張ってるのに“足りない”と言われると、心が折れやすくなる
受験って、ただでさえ不安が大きい時期ですよね。
周りと比べて落ち込んだり、模試の結果に一喜一憂したり。自分の中だけでも揺れ動くのに、家の中でも“比較”が始まると、逃げ場がなくなります。
私が苦しかったのは、親の言葉が「応援」じゃなくて「評価」に聞こえてしまったこと。
「お兄ちゃんはできてた」って言われると、私はその瞬間に“採点される側”になる。
そして、採点結果はいつも「まだまだ」か「足りない」なんです。
これが続くと、人はどうなるかというと…
頑張っても頑張っても、達成感が育たなくなります。
点数が上がっても、「でも兄はもっと」って思ってしまう。
褒められても、「本気の褒めじゃない」って感じてしまう。
すると、自分で自分を認める力が弱くなって、心が折れやすくなるんですよね。
実際、私は勉強の途中で集中が切れやすくなったり、ちょっとしたミスで必要以上に落ち込んだりしていました。
「どうせ私なんて」って気持ちが、勉強の邪魔をするんです。
ここで大事なのは、あなたが弱いから折れるんじゃないってこと。
“頑張り”に対して、ちゃんと報われる感覚が持てないと、人は疲れます。
家族の比較って、意外とそのエネルギーを奪うんですよね。
親の期待に応えたいほど、プレッシャーが“自分攻撃”に変わる
私は当時、親に認めてほしい気持ちが強かったです。
「大丈夫だよ」って言ってほしかったし、「頑張ってるね」って受け止めてほしかった。
だから、期待に応えようとして、無理をしてでも頑張ろうとしていました。
でも、親の言葉が比較混じりになると、努力が“安心”につながらなくなるんですよね。
結果が出ても不安。出なくても不安。
何をしても心が落ち着かない。
そして、この不安はだんだん“自分攻撃”に変わっていきます。
「もっとできるはずなのに」
「なんで私は要領が悪いんだろう」
「兄みたいにちゃんとできない自分が情けない」
こういう言葉が、頭の中で回り始める。
これ、外から見ると「頑張ってる」なんだけど、内側では“自分を追い詰める頑張り”になってるんです。
だから疲れるし、続かないし、気持ちがボロボロになりやすい。
親はたぶん、励ましたかっただけ。
でも、励ましに比較が入ると、本人の心には“否定”として残ってしまうことがあるんですよね。
私はこの経験を通して、「期待されること」と「比べられること」は別物なんだと痛感しました。
期待は力になるけど、比較は心を削る。
その違いを理解するだけでも、少し自分を守れるようになります。
“兄の成功例”が、私には“失敗例の予告”に感じてしまった
親が兄の通知表や成功体験を見せるのって、「あなたもできるよ」って伝えたいからだと思うんです。
でも、比較で傷ついている側の心には、真逆に響くことがあります。
私にとって兄の成功例は、「目標」じゃなくて「基準」になっていました。
だから、兄の通知表を見た瞬間にこう思ってしまったんです。
「私はここまでいけてない」
「私はこのレベルになれない」
「またダメって言われる未来が見える」
つまり、兄の成功が“希望”じゃなくて、“失敗の予告”みたいになっていたんですよね。
これって、かなり苦しいです。
本当は、自分のペースで積み上げていいのに、
兄の道が“正解ルート”にされることで、私はいつも遠回りしてる気分になっていました。
だから、努力しても自信がつかない。
「ここまでやっても、まだ足りない」って思ってしまう。
もし今、あなたが同じように感じているなら、伝えたいです。
「兄の成功例がつらい」と思うのは、あなたが性格悪いからじゃない。
その成功例が、あなたの心にとって“安心の材料”になっていないだけなんです。
必要なのは、兄の成功を消すことじゃなくて、
「自分の成長を見える形で認めること」。
自分の道を、自分の基準で肯定すること。
この感覚が少しずつ育ってくると、兄の存在は“圧”ではなく、ただの“家族”に戻っていきます。
大人になって気づいた。“兄は気にしてなかった”のに私だけが背負ってた
受験の頃は、比べられるたびに心がザワザワして、「私ってダメなのかな」って自分を責めていました。
でも、社会人になってしばらく経った頃、ふとしたタイミングで気づいたんです。
「あれ…この苦しさって、兄が作ったものじゃないかもしれない」って。
きっかけは、兄と何気なく話していた時のこと。
昔の成績の話になって、私は半分冗談みたいに「昔、めっちゃ比べられてしんどかったんだよね」って言ったんです。
そしたら兄は、驚いた顔で「え、そうだったの?全然知らなかった」って。
しかも、ちょっと申し訳なさそうに「俺もプレッシャーあったし、そんなつもりなかったよ」って言ってくれて。
その瞬間、胸の中に溜まっていた何かがスッと抜けました。
私はずっと、兄の背中を追いかけていたつもりだったけど、実は“親の言葉”と“自分の思い込み”を抱えて走っていただけだったのかもしれない。
兄はただ兄として生きていただけで、私を競争相手にしていたわけじゃなかったんですよね。
ここから私は、比べられてつらかった過去を「兄のせい」にしない代わりに、ちゃんと自分の心の中を整理しようと思えるようになりました。
ここでは、その“気づき”がどうやって私を楽にしてくれたのかを、丁寧に書いていきます。
兄の言葉で初めて、“私が一人で戦ってた”とわかった
兄の「全然知らなかった」という一言は、私にとって衝撃でした。
だって私はずっと、兄は私が苦しんでることも分かった上で、当然みたいに優秀でいるんだと思っていたから。
でも実際は、兄は兄なりに悩んでいて、私のことを評価したり見下したりしていたわけじゃなかった。
むしろ、私が勝手に「兄=超えられない壁」みたいに思い込んでいて、そこに親の比較が重なって、どんどん苦しくなっていたんですよね。
ここで気づいたのは、比較の一番怖いところって「相手との関係」じゃなくて、「自分の中に一人で戦う世界」が出来上がることなんです。
相手は何もしてないのに、こっちは勝手に点数をつけて、勝手に負けた気になって、勝手に落ち込む。
私の場合は、
「兄に追いつけない私は価値がない」
みたいなルールが心の中にできていました。
でも、そのルールを作ったのは兄じゃなくて、“比べられて育った環境”と“私の頑張り方”だったんです。
兄の言葉を聞いて、初めて私は「私はずっと一人で勝負してたんだな」って分かりました。
この気づきは、心を軽くしてくれました。
だって、相手が戦ってないなら、私も戦わなくていい。
比べることをやめる理由が、ちゃんと見えたからです。
親の比較が“自分の声”になって残っていたことに気づいた
もうひとつ大きかったのは、親の言葉がいつの間にか“私の中の声”になっていたことです。
親が直接言わなくなっても、私の中ではずっと続いていたんですよね。
例えば、仕事でミスをした時。
誰も責めてないのに、「やっぱり私は要領悪い」って思ってしまう。
何かに挑戦しようとすると、「どうせ向いてないかも」ってブレーキがかかる。
これって、受験の頃に浴びた
「お兄ちゃんはできた」
「お兄ちゃんはもっと早かった」
みたいな言葉が、形を変えて残っていたんだと思います。
つまり、“比較されて傷ついた過去”は終わっていなくて、
大人になっても私の中で再生され続けていた。
だからこそ、私は意識してその声を分けるようにしました。
「これって今の私の気持ち?」
それとも
「昔の親の言葉が頭の中で鳴ってるだけ?」
この区別ができるようになると、自分を責める回数が少し減っていきました。
人って、他人の言葉を“自分の本音”と勘違いしやすいんです。
特に親の言葉は近すぎて、心の深いところに入り込みやすい。
でも、入り込んでしまったなら、後から整理し直せばいい。
私はそうやって、“他人の基準で自分を裁く”癖を少しずつ手放していきました。
比べるのをやめたら、“兄と私の関係”が自然に戻っていった
比べられて苦しかった頃、私は兄と仲良くしているつもりでも、どこかで距離を取っていました。
兄に何か言われたわけじゃないのに、勝手に「また比べられるかも」って構えてしまっていたんです。
でも、比べるのをやめる方向に気持ちが切り替わっていったら、兄との関係が少しずつ楽になりました。
兄は兄として、私を尊重してくれる。
私は私として、兄を“比較の象徴”ではなく“ただの家族”として見られるようになった。
これって、すごく大きい変化でした。
比べられて苦しい人って、「兄が嫌い」じゃなくて、「兄が“比較のスイッチ”になってしまう」のが苦しいんですよね。
だから、比較のスイッチさえ弱くなれば、関係は改善しやすい。
私は兄と話す中で、初めて「兄も人間だったんだな」って思えました。
完璧な人じゃなくて、プレッシャーを感じたり、悩んだりする普通の人。
そう思えた瞬間、私の心の中で“競争”が終わった気がしました。
そして、競争をやめたら、私自身も生きやすくなりました。
「兄みたいにならなくてもいい」
「私のペースでいい」
そう思えると、目の前のことに集中できるようになるんです。
ここでの一番のポイントは、
比べるのをやめることは“負けを認めること”じゃなくて、
“自分を守るための選択”だということ。
その選択ができた時、兄との関係も、自分との関係も、少しずつ穏やかになっていきました。
人と比べないコツは“昨日の自分”を見ること。自己肯定感を守る考え方
兄と比べられて苦しかった頃の私は、「比べないようにしよう」と何度も思っていました。
でも正直、そんなの無理でした。比べたくて比べてるんじゃなくて、気づいたら比べてしまってる。
しかも比べた後は、だいたい自分が苦しくなる。分かってるのにやめられない。だから余計に自己嫌悪が増える…そんなループに入っていました。
でも、大人になって少しずつ分かってきたんです。
「比べること」そのものをゼロにするのは難しい。
だけど、“比べる相手”を変えることはできるって。
私が救われたのは、兄や周りの人じゃなくて、昨日の自分と比べるようにしたことでした。
昨日よりちょっと早起きできた。
前より少し落ち込む時間が短くなった。
苦手なことに一回だけ挑戦できた。
そういう小さな変化を拾っていくと、誰かの人生を基準にしなくても、自分を認められる感覚が育っていったんです。
ここでは、「比べない」じゃなくて「自分の心を守る比べ方」に変えていくために、私が実際にやってよかったことをまとめます。
もし今、比べられてしんどい人がいたら、ちょっとだけ気持ちが軽くなるヒントになれば嬉しいです。
“比べてしまう自分”を責めないだけで、気持ちは少し楽になる
まず一番に伝えたいのは、比べてしまう自分を責めなくていいってことです。
比べるのって、性格の問題というより、“環境”と“習慣”の影響が大きいんですよね。
子どもの頃から兄弟で比較されてきた人は、頭の中に「比較のクセ」が自然とできてしまいます。
それは、あなたが意地悪だからでも、努力不足だからでもありません。
例えるなら、いつも同じ道を歩いてきたら、無意識にそこへ曲がってしまうのと似ています。
だから、比べた瞬間に
「また比べちゃった…」
って落ち込むより、
「お、今わたし比較モードに入ってるな」
くらいで止められると、それだけで全然違います。
責めると、心はさらに緊張して、余計に比べる方向へ引っ張られます。
でも、気づいて止めるだけなら、心に余白ができる。
この余白が、自己肯定感を回復させる土台になっていくんです。
私も最初は「比べないように頑張る」ことを頑張ってました。
でも、それって結局、また自分を追い詰める頑張りなんですよね。
だから私は、比べたら“修正”する方向に変えました。
責めるのではなく、方向転換する。
これができるようになってから、気持ちはかなり楽になりました。
“昨日の自分”と比べると、他人の評価に振り回されにくくなる
私が一番しっくりきたのが、「昨日の自分と比べる」という考え方でした。
正直、最初は地味だし、ドラマチックじゃないし、物足りない気もしました。
でも、これがいちばん効いたんです。
兄と比べると、どれだけ頑張っても「負けた気分」になりやすい。
友達と比べても、SNSの人と比べても、きりがない。
そもそもスタート地点も違えば、得意不得意も違う。
それなのに同じ物差しで測るから、心が折れやすいんですよね。
でも、昨日の自分と比べるなら、条件はほぼ同じです。
自分の中での成長を見つけやすい。
しかもその成長は、誰にも奪われません。
例えば私の場合、
「前はすぐ落ち込んで一日中引きずってたけど、今日は30分で立て直せた」
みたいな変化が増えていきました。
これって、すごく価値のある成長なんですよね。
そして、こういう成長を積み上げていくと、他人の評価が必要なくなっていきます。
「誰かに勝った」じゃなくて、「昨日より前に進めた」という実感が、心の芯を強くしてくれるから。
誰かと比べて苦しくなる人ほど、この“自分基準”を作ることが大事です。
自分基準が育つと、家族の何気ない言葉にも振り回されにくくなっていきます。
自己肯定感を守るために“比べる言葉”への距離感を作っていく
最後に、比べられてつらい人が覚えておくといいのが、
「言葉との距離感」を作ることです。
親の「お兄ちゃんは〜だったよ」は、悪気がない場合も多いです。
だからこそ、真剣に受け取りすぎてしまう。
でもその言葉を100%真に受ける必要はありません。
私は心の中で、こういうふうに変換する練習をしていました。
「お兄ちゃんはできた」→「親は心配してるんだな」
「もっと頑張って」→「応援のつもりなんだな」
もちろん、言われて嬉しいわけじゃないけど、
“私の価値を決める言葉”として受け取らないようにするんです。
それから、どうしても苦しい時は、言葉を“事実”と“評価”に分けるのもおすすめです。
「点数が低かった」←事実
「だからダメ」←評価
この評価の部分は、あなたが採用しなくていいんですよね。
自己肯定感って、大きな成功で一気に上がるというより、
「自分を傷つける材料を減らす」ことで守られていきます。
比べる言葉から距離を取るのは、まさにその一つ。
もしあなたが今、兄弟と比べられて苦しいなら、
あなたが悪いんじゃなくて、心がちゃんと反応してるだけです。
そして、心は練習すれば回復していきます。
比べられる世界から抜けることは、十分に可能です。
読者へのメッセージ
読者の方へ、ここまで読んでくださってありがとうございます。
兄と比べられて苦しかった経験は、正直いまでも「完全になかったこと」にはできません。
でも私は、この経験があったからこそ、同じように“比べられてしんどい”人の気持ちを、頭じゃなく心で想像できるようになったと思っています。
比べられる苦しさって、ただ「嫌だった」で終わらないんですよね。
「自分の努力が否定された感じがする」とか、
「頑張っても認められない気がする」とか、
そして一番しんどいのは、そう感じている自分にまで罪悪感を持ってしまうこと。
私はまさにそこにハマっていたので、「つらいって言っていいんだよ」って、ちゃんと伝えたいんです。
よりびととして私が関われるのは、まずその気持ちを“整理する前に受け止める”ことだと思っています。
無理に前向きにさせたり、「気にしなければいいよ」と片づけたりしません。
比べられてきた人ほど、心の中には言葉にできないモヤモヤが積もっていて、そこに触れるのは勇気がいるからです。
そして、そのモヤモヤが「親の言葉のせい」なのか、「自分の思い込み」なのか、あるいは「ずっと頑張ってきた証」なのか。
一緒にほどいていく中で、あなたが“自分の基準”を取り戻せるようにサポートできます。
自分を責めるクセをゆるめたり、「昨日の自分」と比べて成長を実感できるようにしたり。
そういう小さな積み重ねが、自己肯定感の土台になっていくんです。
私自身、比べられて苦しかった過去があるからこそ、
「頑張れない自分」や「自信が持てない自分」を責める気持ちもよく分かります。
だからこそ、あなたのペースを大切にしながら、焦らず進める場所を作りたいと思っています。
もし今、誰にも言えないまま抱えているものがあるなら、ここで少しずつ言葉にしてみませんか。
“比べられる世界”から抜け出して、あなたの人生をあなたの基準で取り戻すことは、ちゃんと可能です。




