過干渉な義理親と疎遠になった私が、ちょうどいい距離感を作れた話【毒親・境界線】

義理親の何気ない一言や、頼んでもいないアドバイスが、なぜかずっと心に引っかかる。断りたいのに「角が立つかも」と思って飲み込んで、気づけば会うたびにぐったり…。私もまさにそんな状態でした。
もともと幼少期から相手が親世代だと反射的に我慢してしまうクセが抜けなくて。「嫌われたくない」「波風を立てたくない」って、ずっと自分の気持ちを後回しにしてきたんです。でも出産をきっかけに、その我慢が限界を迎えました。
今回は、過干渉な義理親と距離を置くことになった私が、罪悪感と向き合いながら“ちょうどいい距離感”を作れた実体験をお話しします。

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目次
- ○ 義理親の過干渉がしんどい…「私が悪いのかな」と思い込んでいた話
- ・「悪気はない」って言われるほど、断れなくなっていった
- ・実家で身についた「逆らうと面倒になる」思考が、義理親にも出ていた
- ・会う前から憂うつになっていたのに、なぜか「私が我慢すべき」と思っていた
- ○ 「もう無理かも」って思ったのは、我慢が“当たり前”になりすぎたから
- ・気づいたら「決定権」が私たちじゃなくなっていた
- ・夫に相談しても、うまく伝わらなくてさらに孤独だった
- ・「家族なんだから」がプレッシャーになって、逃げ道がなくなっていった
- ○ 出産をきっかけに「これ以上は無理」と決めた。疎遠にしたら心が軽くなった
- ・産後の心身が限界で、義理親に合わせる余裕がゼロになった
- ・「子どもを守るため」と考えたら、罪悪感より大事なものが見えた
- ・疎遠にしたら怖かったけど、心が軽くなって「これでいい」と思えた
- ○ 親に嫌われても大丈夫。境界線を引いたら、関係は「ちょうどよく」なっていった
- ・「嫌われたくない」が強いほど、境界線が消えていく
- ・距離を取ったことで「私はこうしたい」が戻ってきた
- ・「ちょうどいい距離感」は、仲良しより先に“安全”が必要だった
- ○ 読者へのメッセージ
義理親の過干渉がしんどい…「私が悪いのかな」と思い込んでいた話
義理親と会ったあと、なぜかどっと疲れる。帰り道にモヤモヤが止まらなくて、家に着いてからも頭の中で会話を何度もリピートしてしまう…。そんな経験ありませんか?私もまさにそれでした。
「こうした方がいいよ」「それ違うんじゃない?」「あなたのためを思って言ってるの」――言葉だけ見ると優しそうなのに、なぜか心がギュッと苦しくなる。断りたいのに笑って受け流して、帰ってから自己嫌悪。「私が気にしすぎ?」「義理親に合わせるのが大人なのかな」って、自分を納得させようとしていました。
でも本音を言うと、会う前から憂うつで、予定が入るだけで体が重い。そんな状態なのに「嫌われたくない」「角を立てたくない」って気持ちが強くて、なかなか距離を取れなかったんです。
実はこの“我慢グセ”って、急にできたものじゃなくて、過去の環境で身についた反応だったりします。ここから先は、私が「義理親の過干渉がしんどい」と感じるようになった背景と、モヤモヤが大きくなっていった流れを、実体験ベースで整理してみます。
「悪気はない」って言われるほど、断れなくなっていった
義理親の言葉でいちばん厄介だったのは、表面上は“善意”に見えるところでした。たとえば、家のことに口を出されても「あなたたちのために」「心配だから」と言われると、こちらは反論しづらいんですよね。
「それはありがたいけど、こっちで決めたい」って思っても、言い方を間違えると冷たい人みたいになる気がして、つい飲み込んでしまう。しかも義理親って、こちらが遠慮してるのを“納得してる”と受け取ることもあるので、どんどん口出しが増えていくことがありました。
最初は小さな違和感でした。「え、そこまで決める?」とか「今それ言う?」くらい。でも、それが積み重なると、会うたびに自分のペースを乱されていく感覚になっていって。
それでも私は「うまく付き合うのが正解」と思い込んでいたので、頑張って笑って、頑張って合わせて、頑張っていい嫁っぽく振る舞ってました。
でも本当は、頑張れば頑張るほど心が削れていったんです。相手のために動いているようで、実は自分の気持ちを置き去りにしている感じ。
「嫌われないように」を最優先にすると、いつの間にか“自分がどうしたいか”がわからなくなっていく。私のしんどさは、そこから一気に強くなっていきました。
実家で身についた「逆らうと面倒になる」思考が、義理親にも出ていた
今振り返ると、私が義理親に対して過剰に気を使ってしまったのは、子どもの頃に身についた「逆らうと面倒になる」思考が大きかったと思います。
だから義理親に違和感があっても、反射的に“自分の気持ちを引っ込める”スイッチが入ってしまうんです。
たとえば「それはやめてほしい」と思っても、口に出す前に「でも言ったら空気悪くなるよね」「揉めるくらいなら我慢した方がマシ」って、勝手に心が結論を出してしまう。これ、かなり根深いクセでした。
しかもそのクセって、本人は「自分が優しいから」「協調性があるから」って思いがちなんですよね。私もそうでした。でも実際は、優しさというより“怖さ”がベースにあることが多い。
嫌われる怖さ、怒らせる怖さ、関係が壊れる怖さ。そういう恐れが強いと、相手の機嫌を取る方向に動いてしまうんです。
そして、相手の顔色を優先するほど、自分の中に溜まったストレスが行き場を失っていく。
「本当は言いたいのに言えない」って状態って、静かに心を疲れさせます。私の場合は、その疲れが“義理親がしんどい”という形でハッキリ表に出てきた感じでした。
会う前から憂うつになっていたのに、なぜか「私が我慢すべき」と思っていた
しんどさが本格的になってきた頃、私は義理親に会う予定が入るだけで気持ちが沈んでいました。前日からソワソワして落ち着かないし、当日は朝から胃が重い。
なのに当時の私は、「義理親が悪い」とはっきり思うことすら、どこかで避けていました。
理由は単純で、“親世代を悪者にするのはダメ”って感覚があったからです。
「向こうは善意かもしれない」「私が気にしすぎ」「嫁として未熟」みたいに、全部自分の問題にして処理しようとしていたんですよね。そうすると、表面的には丸く収まるんです。でも心はぜんぜん収まらない。
不思議なもので、我慢が続くと「我慢してる自分が正しい」と思い込むようになります。
たとえば、ちょっとでも嫌だと思うと「わがままかな?」と自分にダメ出し。さらに「こんなことで悩むなんて小さい人間だ」と追い打ち。これ、地味にメンタルに効きます。
でも本来、しんどいって感覚はちゃんと大事なサインなんですよね。
“相手が悪いかどうか”以前に、「私は苦しい」を無視し続けることが、いちばん自分を傷つけます。
ここまでの時点で、私はすでに限界に近づいていました。
そしてその限界を決定的にしたのが、次の章に出てくる「出産」という大きな転機でした。ここから、状況がガラッと変わっていきます。
「もう無理かも」って思ったのは、我慢が“当たり前”になりすぎたから
義理親との関係って、最初からドカンと揉めるというより、じわじわしんどくなることが多いと思います。私もそうでした。最初は「ちょっと苦手かも」くらい。だけど回数を重ねるうちに、気づけば“私が合わせるのが当然”みたいな空気ができあがっていったんです。
しかも義理親って「家族なんだから」「あなたももう身内でしょ」と言ってくることがありますよね。こうなると断るのがさらに難しい。私は「家族なら我慢するもの」「波風を立てないのが大人」って自分に言い聞かせながら、嫌なことも飲み込んでいました。
でも、その我慢はちゃんと心に溜まります。最初は小さなモヤモヤでも、溜まった分だけ“会うこと自体がストレス”になっていく。そしてある日ふと、「私、このまま続けたら壊れるかも」と感じたんです。
ここでは、私のしんどさがどうやって“限界レベル”まで育っていったのか、具体的な場面をもとに整理していきます。
気づいたら「決定権」が私たちじゃなくなっていた
義理親の干渉でいちばんしんどかったのは、生活の細かい部分まで“当然のように口を出される”ことでした。たとえば、家のこと、子育てのこと、お金のこと。こちらが相談したわけでもないのに、「こうしなさい」「それは違う」「昔はこうだった」と話が進んでいく。
最初は「へぇ、そうなんだ」と流せていました。でも、だんだん違和感が強くなっていったんです。なぜなら、話の内容が“提案”じゃなくて“指示”に近かったから。
しかも困るのが、こちらが少しでも違う意見を出すと、空気がピリッとすること。
「そんな言い方しなくても」「あなたはまだ若いからわからない」みたいに返されると、もう話す気がなくなるんですよね。結果として私は、意見を言う前に諦めるようになっていきました。
この状態が続くと、家庭の舵を握るのが自分たちじゃなくなる感覚が出てきます。
本来は夫婦で話し合って決めることなのに、義理親の意向が優先される。すると私は「ここって私の家だよね?私の人生だよね?」って、じわじわ自信が削られていったんです。
干渉って、ただの口出しじゃなくて、“自分の領域に侵入され続ける感じ”なんだなと後から思いました。だからこそ、我慢しても解決しない。むしろ我慢すればするほど、相手は「これでOK」と思ってエスカレートしやすい。
私はこの頃から、会う前の憂うつがどんどん強くなっていきました。
夫に相談しても、うまく伝わらなくてさらに孤独だった
義理親問題って、地味にしんどいのが「パートナーに伝わりにくい」ことだと思います。私も夫に何度か話しました。「こう言われてつらかった」「もう少し距離を置きたい」って。
でも返ってくる言葉は、だいたいこんな感じでした。
「悪気はないと思うよ」「気にしすぎじゃない?」「まあ親だから」
これ、言われた側はかなりキツいんですよね。
もちろん夫も悪気があったわけじゃない。むしろ板挟みで大変だったと思います。でも私は、“自分のつらさ”が軽く扱われたように感じてしまった。
そこで私はさらに我慢する方向に傾きました。
「夫を困らせたくない」「私が強くなればいい」って。だけどその結果、心の中に孤独感が溜まっていきました。
義理親に気を使い、夫にも気を使い、結局、自分の味方がいないような感覚になっていったんです。
しかも孤独になると、「私がちゃんとしないからだ」って自己責任モードになりやすい。
本当は“環境の問題”もあるのに、全部自分の弱さのせいにしてしまう。こうなるとメンタルはどんどん消耗します。
この時期の私は、しんどいのに誰にも強く言えない。
「わかってほしい」が叶わないから、さらに黙る。
そして黙るほど、義理親のペースが強くなる。
いま思えば、すごく典型的な悪循環に入っていました。
「家族なんだから」がプレッシャーになって、逃げ道がなくなっていった
義理親との関係でよく出てくる言葉に「家族なんだから」がありますよね。これ、あったかい言葉のようで、時にすごい圧になります。
私も「家族でしょ?」「遠慮しないで」と言われるたびに、逆に息苦しくなっていました。だって“遠慮しないで”って言われても、こちらの境界線が守られないなら、それはただの侵入だから。
でもその頃の私は、まだ「家族=我慢」の思い込みが強かったので、逃げることに罪悪感がありました。
距離を置きたいと思うほど、「冷たい嫁かな」「私は性格が悪いのかな」って自分を責めてしまう。
だけど不思議なんですよね。
本当に安心できる関係なら、距離を取っても壊れないはずなんです。
なのに「距離を置く=関係が壊れる」って感じてしまう時点で、すでに対等じゃない。私はそこに気づけていませんでした。
その結果、私は“逃げられない状態”を自分で作ってしまっていました。
義理親に合わせるのが普通。断らないのが普通。
嫌でも会うのが普通。
これが当たり前になると、「しんどい」と感じる自分の方が間違ってる気がしてくる。
でも実際は逆で、しんどさは限界サインです。
このまま続けたら、心が折れる。
その一歩手前で起きた大きな出来事が、次で出てくる“出産”でした。
出産って、生活も価値観もガラッと変わります。
そして私の場合、その変化が「義理親との距離」を一気に動かすきっかけになりました。
出産をきっかけに「これ以上は無理」と決めた。疎遠にしたら心が軽くなった
出産って、体も心も生活も一気に変わりますよね。私も妊娠中からすでに不安やストレスが増えていたのに、そこに義理親の干渉が重なると、もう余裕がなくなっていきました。
それまでは「私が我慢すれば丸く収まる」と思っていたけれど、赤ちゃんが生まれると状況が違いました。守るべき存在ができたことで、「これ、私だけの問題じゃないな」と感じたんです。
義理親の言葉や態度が、今後、子どもにも影響するかもしれない。そう思った瞬間、今までの“我慢グセ”が急に怖くなりました。私が黙って受け入れ続けることで、子どもにも「嫌でも我慢するのが当たり前」という空気を渡してしまうんじゃないか、と。
そして何より、産後の私は本当にギリギリでした。睡眠不足、体の痛み、ホルモンの揺れ。そんな中で人に気を使い続けるのは、想像以上にきつい。
このタイミングで、私は初めて「距離を取る」という選択を、現実の行動に移しました。疎遠にするのは怖かったけれど、やってみたら意外にも、心がスッと軽くなったんです。
産後の心身が限界で、義理親に合わせる余裕がゼロになった
産後って、想像以上にしんどいですよね。私は出産前、「赤ちゃんが生まれたら幸せでいっぱいになるはず」みたいなイメージをどこかで持っていました。でも実際は、幸せと同じくらい、いや、それ以上に“余裕のなさ”が押し寄せてきました。
寝不足が続くと、普段なら流せる一言も刺さります。
体はボロボロだし、授乳や泣き声で休む暇もない。
そんな状態で義理親から「もっとこうしたら?」「昔はこうだった」「それは違う」って言われると、心が一気に折れそうになるんです。
しかも産後って、自分の体を回復させながら、赤ちゃんの命を守る生活。
“他人に合わせていい顔をする”余力なんて、本当にないんですよね。
私はその時期、義理親と会う予定が入るだけで、涙が出そうになっていました。
「会いたくない」じゃなくて「もう無理」って感覚。
ここまできてやっと、自分がずっと我慢していたことに気づけました。
それでも最初は「私が弱いだけかな」「産後で敏感なだけかな」って思ったんです。
でも、心身が限界のときに“自分を守る方向へ動く”のって、弱さじゃなくて自然な反応ですよね。
私の場合、産後の状態がそのまま“我慢の限界ライン”をハッキリ見せてくれた感じでした。
「子どもを守るため」と考えたら、罪悪感より大事なものが見えた
それまでの私は、義理親との関係で何か問題が起きると、すぐに自分を責めていました。
「私がもっと上手くやれたら…」
「波風を立てないように頑張れば…」
そうやって、いつも“私が我慢する方向”に気持ちを整えていたんです。
でも子どもが生まれてから、考え方が少し変わりました。
自分が我慢するだけならまだしも、この環境が子どもの成長に影響したら?と思った瞬間、急にスイッチが入ったんです。
たとえば、義理親の支配的な言い方を子どもが当たり前に聞いて育ったら。
私がいつも我慢して笑ってる姿を見たら。
「大人に逆らわない」「しんどくても黙る」って価値観が伝わってしまうかもしれない。
そう考えると、罪悪感よりも“守るべき優先順位”が見えてきました。
もちろん、義理親を完全に悪者にしたいわけじゃない。
でも、こちらの心身と家庭の平穏を守ることは、悪いことじゃない。
私はそこで初めて、距離を取ることを「逃げ」じゃなく「選択」だと思えるようになりました。
子どものために、そして自分のために。
この視点を持てたことが、私の中ではすごく大きかったです。
疎遠にしたら怖かったけど、心が軽くなって「これでいい」と思えた
正直、疎遠にするのはめちゃくちゃ怖かったです。
「嫌われるかもしれない」
「悪口を言われるかもしれない」
「家族として終わるかもしれない」
いろんな最悪の想像が頭をよぎりました。
でも、いざ距離を置いてみたら、まず感じたのは“静けさ”でした。
余計な連絡が来ない。
会う予定でソワソワしない。
あのモヤモヤを思い出して自己嫌悪しない。
そして気づいたんです。
私、ずっと緊張しながら生きてたんだなって。
義理親の言葉に反応して、常に防御して、嫌われないように振る舞って…。
それが日常になっていたから、静かになった瞬間に、体が「やっと休める」って反応したんですよね。
もちろん、疎遠にした直後は罪悪感もありました。
「私って冷たいのかな」
「嫁失格かな」
でもその罪悪感って、どこか“相手の期待通りに動けない自分”への罰みたいなものだったなと思います。
疎遠にして心が軽くなったという事実は、私にとって大事な答えでした。
苦しさを我慢してまで続ける関係って、本当に必要なのかな?
そう問い直すきっかけになったんです。
次では、この経験を通して私が学んだ「親に嫌われても大丈夫」という感覚と、境界線を引いたあとに関係がどう変わったのかをまとめます。
親に嫌われても大丈夫。境界線を引いたら、関係は「ちょうどよく」なっていった
疎遠にしたことで、私はようやく「自分の人生を自分で守っていいんだ」と思えるようになりました。前までは、義理親に合わせることが“正解”だと思い込んでいたし、嫌われることは“失敗”だと感じていました。でも距離を取って心が軽くなったことで、はっきりわかったんです。
私が苦しくなる関係を続けることが、誰かのためになるわけじゃない。むしろ、自分がすり減った状態で人と関わる方が、結果的に家族にも悪影響が出てしまう。
境界線を引くって、冷たさじゃなくて「自分の心を守るための線引き」なんですよね。そして不思議なことに、その線引きができるようになると、相手との関係が完全に壊れるどころか、逆に落ち着いて見られるようになりました。
ここでは、私が疎遠を経て学んだことを、同じように「親や義理親の過干渉がしんどい」と感じている人に向けて、できるだけわかりやすくまとめます。無理して仲良くしなくてもいい。でも、必要以上に自分を責めなくてもいい。そんな話です。
「嫌われたくない」が強いほど、境界線が消えていく
私がいちばん痛感したのは、「嫌われたくない」って気持ちが強いほど、自分の境界線がどんどん薄くなるということでした。
境界線って、たとえば「ここまではOK、ここからは嫌」という心のラインのこと。これがあるから、人は安心して人間関係を作れるんですよね。
でも私は長い間、この境界線がほぼゼロの状態でした。
相手が求めたら応える。
嫌でも笑う。
本当は断りたいのに、空気を読んでしまう。
そうやって相手に合わせ続けていると、自分の心が「どこまでが自分の領域なのか」分からなくなっていきます。
結果として、相手の言動が入り放題になる。
義理親が悪いというより、私が“ノーと言えない仕組み”を抱えていたんだな、と後から気づきました。
ここで大事なのは、「嫌われたくない」って気持ちは悪者じゃないということです。
誰だって嫌われるのは怖いし、家族関係が壊れるのは避けたい。
でも、その怖さのせいで自分が壊れてしまうなら、優先順位を変える必要がある。
私の場合は、疎遠にすることで一度関係をリセットできました。
そして「嫌われるかもしれないけど、それでも私は私を守る」という感覚が、少しずつ育っていったんです。
境界線は、引いた瞬間に完璧になるものじゃないけど、引こうと決めた時点で人生が変わり始めます。
距離を取ったことで「私はこうしたい」が戻ってきた
疎遠にしてしばらく経った頃、私は自分の心が静かになっているのに気づきました。
義理親の言葉を思い出して落ち込む時間が減ったし、必要以上に「どう思われるか」を考えることも減った。
その空いたスペースに、やっと“自分の気持ち”が戻ってきたんです。
これ、意外と大きい変化でした。
人に合わせ続けていると、自分の希望って本当に見えなくなるんですよね。
「本当はどうしたい?」と聞かれても、頭が真っ白になる。
私はまさにそれでした。
でも距離を取ってからは、少しずつ
「私は静かに暮らしたい」
「私は子どもとの時間を守りたい」
「私は無理な関係を続けたくない」
みたいな本音が出てくるようになりました。
そしてこの“自分の希望”が見えてくると、不思議と人に振り回されにくくなります。
相手が何を言っても、「私はこうしたい」が軸にあるから。
これは強いです。
もちろん、最初からうまくできたわけじゃありません。
罪悪感もあったし、「こんなことで距離を取るなんて…」と思う日もあった。
でも、そのたびに自分に言い聞かせました。
“私は自分の家庭を守っていい”って。
距離を取ることで得られたのは、自由だけじゃなくて「自分の人生のハンドルを取り戻した感覚」でした。
これが戻ってくると、人間関係のストレスの質がガラッと変わります。
「ちょうどいい距離感」は、仲良しより先に“安全”が必要だった
以前の私は、「義理親とは仲良くしなきゃ」「家族なんだからうまくやらなきゃ」と思っていました。
でも今は、その考えが少し違って見えます。
仲良しである必要はない。まず大事なのは“安全”なんですよね。
ここでいう安全って、身体的なことだけじゃなくて、心理的な安全です。
会うたびに緊張しない。
言葉で心をえぐられない。
自分の選択を否定され続けない。
こういう状態があって初めて、人は穏やかに関係を続けられます。
私の場合、距離を取る前は安全がありませんでした。
だから「仲良く」を目指すほど苦しかった。
無理に笑うほど疲れるし、頑張るほど相手の干渉が強まっていった。
でも疎遠を挟んで、私は「安全を確保するための距離感」を作れました。
必要な連絡だけにする。
会う頻度を減らす。
無理な要求には返事を急がない。
このくらいの線引きでも、心はかなり守られます。
そして不思議なことに、こちらが落ち着くと、相手への見え方も変わるんです。
「また言ってるな」くらいで流せたり、必要以上に反応しなくなったり。
距離があるからこそ、冷静に関係を見られるようになる。
もし今、義理親や親の過干渉でしんどい人がいるなら、まずは「仲良くしなきゃ」を手放してみてほしいです。
大切なのは、仲良しよりも“安心して生きられる距離”。
嫌われることが怖いのは自然。でも、自分の心を守ることは、もっと自然で大事なことです。
読者へのメッセージ
義理親や親の過干渉がしんどいと感じているあなたへ。
まず、それは「あなたが弱いから」でも「心が狭いから」でもありません。むしろ、ちゃんと相手を大切にしようとしてきたからこそ、苦しくなっているんだと思います。嫌われたくない、波風を立てたくない、家族だから…そうやって頑張ってきた人ほど、限界まで抱え込みやすいんですよね。
でもね、本当に大事なのは「いい人でいること」よりも、あなたが安心して毎日を過ごせることです。
我慢を重ねて心がすり減ってしまったら、優しくしたくてもできなくなります。イライラが増えたり、自己嫌悪が強くなったり、家の中で笑えなくなったり…。それって、あなたの人生がもったいない。
距離を取ることは、冷たいことじゃありません。
あなたの心を守るための“線引き”です。家族だからこそ、近すぎるとしんどくなることもあります。むしろ、適度な距離があるからこそ、関係が落ち着くことだってあるんです。
もし今「もう無理かも」と感じているなら、その感覚はちゃんと信じていい。
あなたがあなたの味方でいていい。嫌われる怖さよりも、あなたが壊れないことを優先していい。
少しずつで大丈夫。あなたのペースで、あなたがラクになれる距離感を作っていきましょう。




