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大人になって気づいた子どもの頃のトラウマ|怒る父の記憶と、気持ちを話して楽になれた私の体験談

大人になって気づいた子どもの頃のトラウマ|怒る父の記憶と、気持ちを話して楽になれた私の体験談

子どもの頃の出来事は、もう終わったことだと思っていました。
つらかったことや悲しかったことがあっても、時間がたてば自然に薄れていくものだと、どこかで思っていたのです。

でも大人になってから、ふとした出来事をきっかけに、子どもの頃に感じていた怖さや苦しさが、心の奥にずっと残っていたのだと気づくことがありました。
自分では忘れていたつもりでも、あの頃の経験は、私の感じ方や受け止め方に静かに影響を与え続けていたのだと思います。

今回は、父との関わりのなかで傷ついてきた私が、大人になってその経験がトラウマのように残っていたことに気づいたこと、そして誰かに気持ちを話すことで少しずつ自分を客観的に見られるようになっていった体験を書いてみようと思います。

もし今、理由ははっきりわからないけれど、人の怒った顔が怖い、責められると強く苦しくなる、自分を責めすぎてしまう、そんな思いを抱えている方がいたら、読んでいただけたらうれしいです。

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投稿者プロフィール

おのゆか
おのゆかよりびと
■ 待機基本シフト:10時~22時(シフト制)
※シフトは2週間単位で掲載します

■ 年齢:50代

■ キャッチコピー:ゆったりと安心できる雰囲気

■ 得意なテーマ

– 子育ての悩み、ママ友との関係
– 家族関係、夫婦関係
– 人間関係
– 不安やモヤモヤ、心にたまった思い
– 愚痴でもOK
– 親しい人に話せない気持ち

■ 聴き方・スタイル

– 否定、批判せず何でも受け止めます
– 沈黙も受け止めます
– 落ち着いてゆっくり聴きます

■ 経験

– 歯科衛生士免許、心理カウンセラー、子育て支援員取得
– 公的機関にて子育てSOS電話相談員経験
– 傾聴ボランティア活動中
– 現在、社会的養護施設にて勤務
– 子育て支援員として託児もしています
– 海外での子育て経験あり
– 長時間のお話しも落ち着いてお聴きします

■ 大切にしていること

– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくても大丈夫
– 安心してお話しできる雰囲気作り

■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:映画、ドラマ、カフェ、ねこ、お笑い、旅行
– よく言われる性格:穏やか、落ち着いている、飄々としている
– ちょっとしたこだわり:先入観を持たない
– 聞き手としての密かな強み:丁寧にお話しを聴きます

■ メッセージ

気持ちを吐き出すことで心がふっと軽くなるといいなぁと思います。安心してお話ししてくださいね。

目次

子どもの頃の私は、いつも親の機嫌を気にして過ごしていました

子どもの頃の私は、家の中で心から安心して過ごせていたかというと、そうではなかったように思います。
父は気分屋で、どこで怒り出すのかわからない人でした。さっきまで普通に話していたのに、次の瞬間には怒鳴り声が飛んでくることがありました。私には何がいけなかったのかよくわからず、ただ「今はまずかったんだ」「何か気に障ることをしてしまったんだ」と感じるばかりでした。

そういうことが何度もあると、子どもなりに学んでいくのだと思います。
自分の気持ちをそのまま出すよりも、まず相手の顔色を見ること。楽しそうにしないといけない、迷惑をかけてはいけない、体調が悪くても我慢しないといけない。そんなふうに、少しずつ自分の本音よりも、周りにどう思われるかを優先するようになっていきました。

当時は、それがつらいことなのかどうかもよくわかりませんでした。
家ではこういうものなんだと思っていたし、自分がもっと気をつければいいのだと思っていたからです。けれど大人になって振り返ると、私はずっと安心より緊張の中で過ごしていたのだと思います。子どもの頃に感じていた怖さや悲しさは、その場で消えていったわけではなく、言葉にならないまま心の奥にたまっていたのかもしれません。

ここでは、そんな子どもの頃の私が、どんなふうに父の怒りを受け止め、どんな思い込みを抱えるようになっていったのかを、あらためて振り返ってみたいと思います。
大人になってからの苦しさにつながっていたものは、案外こうした幼い頃の小さな積み重ねだったのだと、今では感じています。

父の怒りは突然で、私はいつも身構えていました

父は、何か大きな理由があって怒るというより、本当にちょっとしたことをきっかけに怒り出すことがありました。
家族でテレビを見ている何気ない時間に、私の一言で急に空気が変わることもありましたし、せっかくの外出先でも、私の様子が気に入らないという理由で怒られることがありました。子どもの私には、何が正解で何が不正解なのかがよくわかりませんでした。だからこそ、いつもどこかで緊張していたのだと思います。

本来なら、家はほっとできる場所であってほしいものです。
でも私にとっては、家の中でさえ気を抜けない場所になっていました。父の機嫌がいいかどうか、今は話しかけても大丈夫か、変なことを言ってしまわないか。そんなことを無意識のうちに考えていたように思います。自分では普通にしているつもりでも、心のどこかではずっと警戒していたのです。

子どもは大人より経験が少ないぶん、目の前の出来事をそのまま受け止めやすいものだと思います。
だから父が怒るたびに、「お父さんの問題かもしれない」とは考えられませんでした。むしろ、「私が悪いんだ」「私がもっとちゃんとしていれば怒られなかったんだ」と受け取っていた気がします。そうやって、自分を責める感覚が少しずつ当たり前になっていきました。

今思えば、怒られることそのものだけでなく、「いつ怒られるかわからない」という状態が、私にはとても苦しかったのだと思います。
先が読めない怖さは、子どもの心に強く残ります。大人になった今なら、父自身が感情をうまく扱えない人だったのかもしれないと思えます。けれど当時の私は、ただ怖くて、どうしたら怒られずにすむのかを必死に探していたのです。

体調を崩したときでさえ、安心して甘えられませんでした

私は子どもの頃からのどが弱く、風邪をひくと咳が長引くことがよくありました。
本来なら、具合が悪いときには「大丈夫?」「つらいね」と声をかけてもらえたら、それだけで少し安心できるものだと思います。けれど私が体調を崩したとき、父から返ってきたのは心配の言葉ではなく、怒りや苛立ちでした。咳がうるさい、病気なんかになるな、そんなふうに責められると、苦しい体よりも先に心が縮こまっていく感じがありました。

そのときの私は、悲しいとか傷ついたとか、きちんと言葉にできていたわけではありません。
でも確かに、「病気になることは悪いことなんだ」「つらくても見せてはいけないんだ」と感じていたように思います。子どもにとって、体調が悪いことは自分でどうにもできないことも多いですよね。それなのに責められてしまうと、「弱っている自分は受け入れてもらえない」という感覚が残ってしまいます。

そうすると、自然と無理をするようになります。
少しくらいしんどくても我慢する、つらいと言わない、周りに迷惑をかけないようにする。そういう考え方が身についていったのは、この頃の経験が大きかったのではないかと思います。元気でいることは大切だけれど、「元気でいなければ価値がない」「体調不良は人に迷惑をかけることだ」とまで思い込んでしまうと、とても苦しくなります。

大人になってから振り返ると、私は体調そのものよりも、「具合が悪い自分をどう見られるか」に強く反応していたように感じます。
それは単なる気の持ちようではなく、子どもの頃に繰り返し刷り込まれた感覚だったのだと思います。安心して弱れる経験が少なかったからこそ、弱さを見せることに強い不安が残ってしまったのかもしれません。

自分の気持ちより、相手にどう思われるかを優先するようになりました

子どもの頃に怒られることが続くと、自分の気持ちよりも「相手を怒らせないこと」が大事になっていきます。
私もまさにそうでした。本当はどう感じているのか、何がしたいのかよりも、今ここでどう振る舞えば波風が立たないかを先に考えるようになっていたと思います。楽しくないときでも楽しそうにしなければいけない。苦しいときでも顔に出してはいけない。そんなふうに、自分の内側より外側を優先する癖が少しずつ強くなっていきました。

子どもの頃は、それが特別おかしいことだとは思いませんでした。
怒られないようにするためには必要なことだと感じていたし、それしか自分を守る方法がなかったのだと思います。けれどこのやり方は、大人になってからもそのまま残りやすいのかもしれません。相手の表情や声のトーンに敏感になりすぎたり、不機嫌そうに見えるだけで自分が悪いことをしたように感じたりするのも、その延長線上にあるように思います。

本当は、相手の感情は相手のものです。
でも子どもの頃の私は、父が怒るのは自分のせいだと思っていました。だから「相手の機嫌を何とかしなければならない」と感じやすくなっていたのだと思います。その感覚が続くと、とても疲れます。いつも周りを見て、相手の反応を読んで、自分を調整し続けることになるからです。自分の気持ちがわからなくなるのも、無理のないことなのかもしれません。

今振り返ると、私はずっと「こうしなければならない」という思いの中で頑張っていたのだと思います。
でも、人はいつも元気でいられるわけではないし、いつも誰かを満足させられるわけでもありません。そう考えられるようになるまでには時間がかかりました。けれど、まずは子どもの頃の自分が、それだけ必死に周りに合わせて生きてきたのだと知ることが、大切な一歩だったように感じています。

大人になってから、子どもの頃の傷が今の自分に影響していたと気づき始めました

子どもの頃の出来事は、その場ではただ怖かった、悲しかった、つらかったという感覚だけだったように思います。
そのときは毎日を過ごすことに精一杯で、それが後の自分にどう影響するかなんて、もちろん考えたこともありませんでした。むしろ私は、昔のことはもう終わったことだと思っていましたし、時間がたてば自然に消えていくものだと思っていたのです。

けれど大人になってから、ふとした場面で自分が思っていた以上に強く傷ついたり、必要以上に緊張したり、相手のちょっとした怒った表情にひどく動揺したりすることがありました。
そのたびに、「どうして私はこんなに怖いんだろう」「なぜこんなに落ち込んでしまうんだろう」と、自分でも戸惑うことがありました。周りから見たら些細に見えることでも、私の中では心臓がドキドキして頭が真っ白になるような感覚が起きていたのです。

今思えば、それはその場の出来事だけに反応していたわけではなかったのだと思います。
目の前の相手の言葉や態度が引き金になって、子どもの頃に感じていた怖さや、責められたときの苦しさが一気によみがえっていたのかもしれません。自分では忘れていたつもりでも、心や体はちゃんと覚えていたのだと、大人になってから少しずつわかるようになりました。

ここでは、穏やかな夫とのやりとりの中で感じた動揺や、職場で人に叱責されたときに強く萎縮してしまったことなどを通して、私がどうやって「これは今の出来事だけではないのかもしれない」と気づいていったのかを書いてみたいと思います。
過去の傷は目には見えませんが、思いがけない形で今の自分の苦しさにつながっていることがあるのだと、私は少しずつ知っていきました。

夫の何気ないひと言に、自分でも驚くほど強く傷つきました

私は大人になって、父とは正反対とも思える穏やかな性格の夫と結婚しました。
普段はやさしくて、声を荒らげることもほとんどない人だったので、私はどこかで「この人と一緒なら安心できる」と感じていたのだと思います。子どもの頃に感じていたような怖さとは無縁の関係だと思っていましたし、実際にそういう穏やかな日々を過ごしていました。

そんな中、家族でドライブに出かけたときのことでした。
道が渋滞していて、夫も少し疲れていたのかもしれません。私はその日、少し体調が良くなくて、途中で休憩したいと伝えました。すると返ってきたのは、「我慢できないの?まったく!」という、いつもとは違う冷たい言葉でした。強く怒鳴られたわけではありません。でも、その表情や声の調子を見た瞬間、私は胸がドキッとして、何も言えなくなってしまいました。

今振り返ると、そのとき私が受けたショックは、そのひと言の大きさ以上のものだったと思います。
ただ少しきつい言い方をされた、というだけでは片づけられないくらい、私は深く傷ついていました。そしてその瞬間に、「体調が悪いことは迷惑なんだ」「私が元気でいないから相手をイライラさせてしまったんだ」という感覚が、心の中で一気に広がっていったのです。

本当は、その場で「今の言い方はつらかった」と言えたらよかったのかもしれません。
でも私は言えませんでした。言い返したらもっと嫌な空気になるのではないか、これ以上相手を怒らせたくない、そんな気持ちのほうが先に立ってしまったからです。その反応のしかた自体が、子どもの頃の私のままだったのだと思います。大人になった今でも、人の怒った表情に触れると、心は一瞬で昔の怖さの中に戻ってしまうのだと、そのとき初めてはっきり感じました。

楽しいはずの外出なのに、いつのまにか緊張するようになっていました

その出来事があってから、私は家族で出かけることに対して、以前のように気楽な気持ちではいられなくなりました。
本来なら外出は楽しいもののはずですし、家族で過ごす時間を大切にしたいという思いもありました。けれど私の中では、「また何かで相手を不機嫌にさせてしまうかもしれない」「私が疲れたり体調を崩したりしたら迷惑になるかもしれない」という不安が先に立つようになっていったのです。

たとえば、出かける前から体調が少しでも気になると、それだけで気持ちが重くなりました。
途中で休みたいと言ったらどう思われるだろう、疲れた顔をしたら空気が悪くなるだろうか、楽しまないといけないのにうまく笑えなかったらどうしよう。そんなことを考えていると、まだ何も起きていないのに心がそわそわしてしまうのです。外出そのものよりも、ちゃんと振る舞えるかどうかに意識が向いてしまっていました。

こういう状態って、自分でもなかなか気づきにくいものだと思います。
ただ「最近なんとなく外出がしんどいな」「前みたいに楽しめないな」と感じるだけで、その背景に昔の記憶や思い込みがあるとは、すぐにはわかりません。私も最初は、たまたま疲れていただけかな、気にしすぎかな、くらいに思っていました。でも、何度も似たような緊張を感じるうちに、これはただの気分の問題ではないのかもしれないと思うようになりました。

大人になると、過去の傷はもっとわかりやすい形で出てくるものだと思っていました。
でも実際には、こうして日常のちょっとした場面ににじみ出てくることもあるのだと思います。すごく大きな出来事が起きたわけではなくても、気持ちが縮こまる、言いたいことが言えない、必要以上に相手の顔色を見てしまう。そんな反応の積み重ねの中に、自分でも気づいていなかった心の傷が隠れていることがあるのかもしれません。

職場で叱責されたとき、子どもの頃と同じように身体がすくみました

数年のブランクを経て、新しい職場で働き始めたときのことも、私にとって大きな気づきにつながりました。
その職場のリーダーは男性で、仕事が思い通りに進まないと、クライアントの前でもスタッフを叱責するような人でした。職場にまだ慣れていない私は、わからないことも多く、注意されたり叱られたりする場面がどうしても増えてしまいました。でもそのたびに、私は必要以上に萎縮してしまったのです。

もちろん、仕事の場では注意を受けること自体は珍しいことではないと思います。
誰でも最初は失敗することがありますし、指摘を受けながら覚えていくこともありますよね。けれど私の場合は、その「注意」がただの業務上のやりとりとして受け取れませんでした。相手が少し強い口調になるだけで、心臓がバクバクしてしまい、頭の中が真っ白になって、身体がうまく動かなくなることがありました。

家に帰ってからも、気持ちはずっと職場に置き去りのままでした。
次の日の出勤を考えるだけで気分が重くなり、夜になると憂うつさが増していきました。何か特別に大きな失敗をしたわけではないのに、責められることへの恐怖がどんどん膨らんでいったのです。結局、私はその職場を1か月ほどで退職しました。そして生理まで止まってしまい、心だけでなく体にもはっきりと影響が出ていたのだと知りました。

この経験は、私にとってかなり大きな衝撃でした。
私はずっと、自分は少し打たれ弱いのかなとか、久しぶりの仕事で慣れていないだけかなと思っていました。でもそうではなく、人が怒ることそのものに、子どもの頃から積み重なっていた強い恐怖があったのだと、ようやくつながったのです。大人になってから感じる生きづらさの背景には、昔の自分が必死に耐えてきた記憶が隠れていることがあるのだと、このとき私は身をもって知ることになりました。

気持ちを話してみたことで、自分を苦しめていた思い込みが少しずつ見えてきました

夫とのやりとりや職場での経験を通して、私はようやく「人が怒ることに対して、自分は人より強く反応してしまうのかもしれない」と気づくようになりました。
それまでは、ただ自分が弱いのだと思っていました。気にしすぎなのかもしれない、もっとしっかりしないといけない、こんなことで傷つくなんてだめなんじゃないか。そんなふうに、自分の感じ方そのものを責めていたのです。

でも実際には、目の前の出来事にだけ反応していたわけではなく、子どもの頃から積み重なっていた怖さや悲しさが、心の奥でずっと消えずに残っていたのだと思います。
そしてそのことに、自分ひとりではなかなか気づけませんでした。なぜこんなに苦しいのか、どうして体が固まってしまうのか、どうして自分を責める気持ちがこんなに強いのか。その理由がわからないまま過ごしていると、苦しさだけが大きくなっていくような感じがありました。

そんなとき、ふとカウンセリングに通ってみようと思ったことは、私にとってひとつの転機になりました。
大きく何かが変わったというよりも、話していくうちに、自分がどんな思い込みを抱えてきたのか、どんなふうに相手の感情を背負いすぎていたのかが、少しずつ見えるようになっていったのです。人に話すということは、ただ気持ちを吐き出すだけではなく、自分の中で当たり前になっていた苦しさに気づくきっかけにもなるのだと感じました。

ここでは、カウンセリングの中でどんな言葉に救われたのか、どんなふうに自分を見つめ直せるようになったのか、そして少しずつ自分への声のかけ方が変わっていったことについて書いてみたいと思います。
心の傷がすぐになくなるわけではなくても、理解されること、言葉にすること、自分を責めすぎない見方を知ることは、確かに心を軽くしてくれるのだと私は感じています。

誰かに話したことで、自分の苦しさをはじめて整理できるようになりました

つらいことがあっても、私は長いあいだ「このくらい普通なのかもしれない」「自分がもっと頑張ればいいだけなんだ」と思ってきました。
だから、苦しい気持ちがあっても、それをわざわざ言葉にすることはあまりありませんでした。言葉にしたところで変わらないような気もしていましたし、自分の中でなんとかするしかないと思っていたのです。でも実際には、自分ひとりで抱え続けるほど、気持ちはますます絡まっていきました。

カウンセリングに通ったとき、私は夫に対するモヤモヤや、父に対して長く抱えていた思いを少しずつ話しました。
最初から上手に話せたわけではありません。何がつらかったのか、自分でもうまく説明できないところもありました。それでも、話しているうちに「あのとき私は悲しかったんだ」「怖かったんだ」「わかってほしかったんだ」という気持ちが、少しずつ言葉になっていったのです。これは私にとってとても大きなことでした。

自分の気持ちを口にするまでは、ただ苦しいという感覚だけが心の中に広がっていました。
でも、誰かに聴いてもらいながら言葉にしていくと、苦しさの中身が少しずつ見えてきます。悲しみなのか、怖さなのか、悔しさなのか、寂しさなのか。ぼんやりしていたものが形になってくると、「私はこう感じていたんだ」と自分でも理解できるようになるのです。そうすると、不思議と気持ちが少し落ち着いてきました。

私はこの経験を通して、話すことには整理する力があるのだと感じました。
ただ励まされるだけではなく、ただアドバイスをもらうだけでもなく、自分の言葉で自分の体験をたどっていくこと自体に意味があるのだと思います。誰かに丁寧に聴いてもらえると、頭の中でぐるぐるしていた思いが少しずつほどけていきます。自分の苦しさを理解する最初の一歩は、話してみることなのかもしれないと、そのときの私は感じました。

「あなたのせいではない」と言われたことが、心に深く残りました

カウンセリングの中で、私の心に深く残った言葉がいくつかあります。
そのひとつが、「私たちは人間なんだから。機械じゃないよ、体調が悪いときがあって当たり前だよ」という言葉でした。私はそれを聞いたとき、すぐに返事ができないくらい、じんとするものがありました。そんなふうに言ってもらえたことが、今まであまりなかったのだと思います。

私はずっと、体調が悪くなることは周りに迷惑をかけることだと感じていました。
苦しくても我慢しないといけない、しんどさを見せてはいけない、元気でいられない自分はだめなんだ。そんな思い込みが、いつのまにか自分の中で当たり前になっていました。だからこそ、「体調が悪いときがあって当たり前」と言われたとき、頭ではなく心が少しほっとしたような感じがありました。

もうひとつ印象に残っているのが、「相手の感情は相手が選んでいるんだよ、あなたのせいではないよ」という言葉です。
私は子どもの頃から、相手が怒ると、自分が何か悪いことをしたのだと思い込みやすいところがありました。相手の不機嫌を見ると、自分がなんとかしなければいけない、自分が迷惑をかけたからだ、とすぐに考えてしまうのです。でも本当は、相手がどう感じ、どう表現するかは、相手自身の問題でもあります。そのことを言葉にしてもらったことで、私は少しだけ肩の力が抜けた気がしました。

もちろん、一度言われたからといって、すぐに全部が変わるわけではありません。
それでも、自分の中で固まっていた考えに、少し違う見方が入ってきたことは確かでした。今までずっと「私が悪い」と思っていたことに対して、「本当にそうだろうか」と立ち止まるきっかけをもらえたのです。自分を責めることが当たり前になっていると、やさしい言葉は最初少し信じにくいものかもしれません。それでも、そういう言葉が心に残り続けることで、少しずつ見え方が変わっていくのだと私は感じました。

自分にかける言葉を変えたら、少しずつ心の力が抜けるようになりました

カウンセリングで話を重ねるうちに、私は自分が「〜でなくてはいけない」「〜してはいけない」という考えにとらわれやすいことに気づきました。
元気でいなくてはいけない。迷惑をかけてはいけない。相手を怒らせてはいけない。弱いところを見せてはいけない。そうした言葉が、まるで自分の中のルールのようになっていて、苦しくてもそれに従おうとしていたのだと思います。

でも、人はいつも元気でいられるわけではありませんし、完璧にふるまえるわけでもありません。
頭ではわかっていても、長く身についてきた考え方はなかなかすぐには変わりません。だから私は、まず自分にかける言葉を少しずつ変えてみようと思うようになりました。たとえば体調が悪いときには、「今日はしんどいんだね」「無理しなくていいよ」と言ってみる。誰かに気をつかいすぎて疲れたときには、「頑張ってきたんだね」と声をかけてみる。そんな小さなことから始めました。

以前の私は、自分に対してかなり厳しかったと思います。
少しでもうまくできないと責めてしまうし、弱さを見せることを許せないところがありました。けれど、自分がいちばん長く付き合っていく相手は自分自身です。その自分にいつも厳しい言葉ばかり向けていたら、心が疲れきってしまうのも当然なのかもしれません。だからこそ、まずは自分のしんどさを自分で否定しないことが大事なのだと、少しずつ感じるようになりました。

今でも、誰かの怒った表情に動揺したり、必要以上に気をつかったりすることはあります。
でも以前よりは、「これは昔の傷が反応しているのかもしれない」と思えるようになりました。そしてそんなときほど、自分を責めるのではなく、「怖かったんだね」「大丈夫だよ」と、自分にやさしく声をかけるようにしています。すぐに全部が楽になるわけではなくても、自分を追い詰める言葉を減らしていくことは、心を守ることにつながるのだと今は感じています。

心の傷はすぐには消えなくても、気づいて話すことで少しずつ楽になれると感じています

子どもの頃に受けた傷は、目に見えるものではありません。
だからこそ、自分でも気づかないまま大人になってしまうことがあるのだと思います。私自身もそうでした。人が怒ることが怖いこと、体調が悪いと強く自分を責めてしまうこと、相手の機嫌に必要以上に振り回されてしまうこと。その苦しさの背景に、子どもの頃の経験があったのだと知ったときは、とても驚きましたし、正直かなりショックでもありました。

もっと早く気づいていればよかった、どうして今までわからなかったのだろう、そんな気持ちもありました。
でも今は、気づけたこと自体に意味があったのだと思っています。自分が苦しかったことを「大したことではない」と片づけずに、あれはつらい経験だったのだと認めることは、心を整えていくための大事な一歩でした。ずっと我慢してきた気持ちにようやく光が当たったような、そんな感覚があったのです。

そしてもうひとつ大きかったのは、誰かに話したことでした。
話すことで、自分の中で絡まっていた気持ちが少しずつほどけていきました。苦しさの理由が見えてきたり、自分を責めすぎていたことに気づけたり、今まで当たり前だと思っていた考え方を見直せたりもしました。話すだけで全部が解決するわけではありません。でも、ひとりで抱え込んでいたときより、確実に心は軽くなったように思います。

ここでは最後に、今の私がどんなふうに自分の気持ちと向き合っているのか、そして同じように心の奥に傷を抱えている方へ伝えたいことを書いてみたいと思います。
つらかった経験は消せなくても、その経験を抱えたままでも少しずつ楽に生きていくことはできるのかもしれない。今の私は、そんなふうに感じています。

つらかった自分を認めることは、弱さではなく大切な回復のはじまりでした

私は長いあいだ、自分の感じていた苦しさを小さく見ようとしていた気がします。
これくらいで傷つくなんて弱いのではないか、もっと大変な思いをしている人はたくさんいるのだから、自分のことをそんなふうに言ってはいけないのではないか。そんなふうに考えて、自分のつらさを後回しにしてきました。でも実際には、つらかったものはつらかったのです。怖かったものは怖かったし、悲しかったものは悲しかった。その事実を認めることは、自分を甘やかすことではなかったのだと、今は思います。

子どもの頃の私は、その場その場で必死だったのだと思います。
怒られないように気をつかって、迷惑をかけないように我慢して、相手の機嫌を損ねないように頑張っていました。そうやって身につけた反応は、そのときの自分を守るためには必要だったのかもしれません。だからこそ、大人になってからも同じように反応してしまう自分を、ただ責めるだけでは苦しくなるばかりでした。

むしろ必要だったのは、「あのとき本当に大変だったよね」と、自分の過去をちゃんと見てあげることだったのだと思います。
つらかった経験を認めることは、過去にとらわれることではなく、自分の心に起きていたことを理解することにつながります。今の苦しさがどこから来ているのかを知ることができると、「どうして私はこんなふうなんだろう」という責める気持ちが、少しずつやわらいでいきました。

私は今でも、昔のことを思い出してしんどくなることがあります。
でも以前よりは、「そう感じるのも無理はないよね」と思えるようになりました。自分のつらさを認めることは、決して後ろ向きなことではなく、自分を大切にするための出発点なのだと感じています。

気持ちを話せる場所があるだけで、心は少しずつほぐれていくのだと思います

自分の気持ちを話すことは、簡単そうでいて、実はとても勇気のいることだと思います。
特に、これまでずっと我慢してきた人ほど、「こんなこと話していいのかな」「うまく言えないかもしれない」「わかってもらえなかったらどうしよう」と不安になるものです。私もそうでした。最初から整理された言葉で話せたわけではありませんし、何をどう話したらいいのかわからないまま口にしていたことも多かったです。

それでも、安心して話を聴いてもらえる場所があると、人は少しずつ自分の本音に触れられるのだと思います。
無理に答えを出さなくてもいい、すぐに前向きにならなくてもいい、ただ「そう感じていたんですね」と受けとめてもらえるだけで、心の緊張がやわらいでいくことがあります。自分の中では大きくなりすぎていた苦しさも、言葉にして外に出してみると、少しずつ見え方が変わってくることがあるのです。

私は、話すことには不思議な力があると感じています。
言葉にすると、自分の気持ちを自分で聴き直すことにもなります。そして誰かに丁寧に受けとめてもらえると、「私はこう感じてよかったんだ」と思えるようになります。否定されずに話せた経験そのものが、心にとってはとても大事なのかもしれません。ひとりで抱えていたときには見えなかったことが、話すことで見えてくることもあります。

だから私は、今しんどさを抱えている方に、無理のない形で気持ちを話せる場所を持ってほしいなと思います。
すぐに全部を話せなくても大丈夫ですし、うまくまとめられなくても大丈夫です。安心して話せる相手がいること、それだけでも心は少しずつほぐれていくのではないかと、私は自分の体験を通して感じています。

完璧じゃない自分にもやさしくしながら、これからを過ごしていきたいと思っています

以前の私は、ちゃんとしていなければいけない、しっかりしていなければいけないという思いがとても強かったように思います。
体調を崩してはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、相手を怒らせてはいけない。そうした考えに縛られていると、いつも気持ちが張りつめてしまいますし、少しでもうまくいかないことがあると、自分を責めやすくなってしまいます。けれど今は、完璧でいようとしすぎないことも大切なのだと感じています。

人は毎日同じように元気でいられるわけではありません。
疲れる日もありますし、うまくできない日もあります。気持ちが落ち込む日だってあります。そういう自分を認められるようになると、以前より少しだけ生きるのが楽になります。私は今でも、つい無理をしそうになることがありますが、そんなときは「今日はしんどいんだね」「休んでも大丈夫だよ」と、自分に声をかけるようにしています。

また、相手が怒っているときにも、以前のようにすべてを自分のせいだと思い込まないよう、少しずつ意識するようになりました。
もちろん怖さがまったくなくなるわけではありません。でも、「相手の感情は相手のもの」「私は私で大丈夫」と思い出すことで、必要以上に背負いこまずにすむことがあります。昔の傷があるからこそ敏感になることもありますが、それを知っているだけでも、自分への向き合い方は変わっていくように思います。

これからも、心の傷が完全になくなるわけではないかもしれません。
けれど、傷がある自分を否定せずに、そのときどきでいたわりながら過ごしていけたらいいなと思っています。そしてもし、この記事を読んでくださった方の中に、同じように心の奥にしんどさを抱えている方がいたら、どうか自分を責めすぎないでほしいです。少しずつでも、自分の気持ちを大切にしながら過ごしていけますように。そんな思いを込めて、私はこの体験を書いています。

読者へのメッセージ

子どもの頃の経験は、過ぎたことのように思えても、大人になってから思いがけない形で心に影響していることがあります。
私自身も、人が怒ったときに強く怖さを感じたり、自分を責めすぎたりしてはじめて、昔の経験が心の深いところに残っていたのだと気づきました。

もしこの記事を読んでくださっているあなたの中にも、
「なぜか人の顔色が気になる」
「怒られることにひどく傷ついてしまう」
「つらいのに我慢しなければと思ってしまう」
そんな思いがあるなら、どうかその気持ちを否定しないであげてほしいです。

無理にすぐ元気になろうとしなくても大丈夫です。
まずは「私はつらかったんだな」「本当は怖かったんだな」と、自分の気持ちに気づいてあげることも、とても大切なことだと思います。

そして、ひとりで抱え込むのが苦しいときは、誰かに話してみるのもひとつの方法です。
自分の気持ちを言葉にしてみることで、心の中が少し整理されたり、自分を責めすぎていたことに気づけたりすることがあります。

傾聴ラウンジ「ここより」では、気持ちをうまくまとめて話せなくても大丈夫です。
「何がつらいのか自分でもよくわからない」
「ただ誰かに聴いてほしい」
そんなお気持ちでも、安心してお話しいただけたらと思っています。

ひとりで頑張り続けなくても大丈夫です。
あなたの気持ちを、置き去りにしないために。
少し心をゆるめる時間として、傾聴ラウンジ「ここより」を思い出していただけたらうれしいです。

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