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「大丈夫です」が口癖だった私が変わった理由|発達凸凹の子育てで学んだ“本音を伝える勇気”

「大丈夫です」が口癖だった私が変わった理由|発達凸凹の子育てで学んだ“本音を伝える勇気”

私が「大丈夫」と言い続けていたのは、周りの目が怖かったからでした。
相手に嫌われたくない。迷惑をかけたくない。弱さを見せたくない。
そんな気持ちでずっと言葉を飲み込んできた日々は、言葉にした以上に消耗していたんだと、ある時ふと気づきました。

療育センターへの通所、学校や療育現場でのやり取り、子どもの困りごとに向き合う中で、「本当はこう感じている」「こう助けてもらえたら嬉しい」という気持ちが、うまく言えないまま積もっていったのです。でもそれを話すことは、怖くて仕方がなかった。
誰かに聞いてもらうことを躊躇していたのは、私自身の小さなプライドと、「どう思われるだろう」という想像が先に立ってしまうからでした。

ある日、「今日も大丈夫です」で終わらせた自分に気づいた瞬間、ふっと息が重くなったのを覚えています。
その瞬間から私は、話すことの意味と、本当の自分をわかってもらうことの価値を深く考えるようになりました。話すことで、知らなかった自分の気持ちに出会える――その感覚が、少しずつ私を変えていったのです。

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投稿者プロフィール

小川 結愛
小川 結愛よりびと
■待機時間:月・火・木・金・土の21時~24時
※祝日は基本お休みです
※待機日時が変更されるケースがありますので、詳しくは待機カレンダーを確認ください。

■年齢:40代

■ キャッチコピー:安心して、リラックスして話せる雰囲気を提供します


■ 得意なテーマ

– 人間関係の悩み・恋愛相談
– 介護の悩み、自宅介護の悩み、認知症の悩み
– ママの働き方の悩み、高齢出産
– 発達凸凹、発達しょうがい、発達に関する悩み 
– 介護職の悩み、人間関係のモヤモヤ
– 家族関係の悩み
– カサンドラ症候群
– 身体のお悩み(疲れやすい、PMS、緊張しやすいなど)
– 頑張りすぎてしまう。ついつい、強がってしまう。無理して、大丈夫。がくちぐせ。

■ 聴き方・スタイル

– どんな話もまるっと受け止めます
– 相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 沈黙も気まずくしないスタイルです

■ 経験

– これまで20年介護職の仕事をしています。
– 特別養護老人ホーム、認知症対応型グループホーム、老健、ディサービス、有料老人ホームの経験あり。常に、傾聴、共感、受容を大切にしています。現在は、特別養護老人ホームで、パートとして勤務。
– 介護福祉士、認知症実践者研修修了。
– 障がい者ケアホームでの経験もあり。
– 傾聴ボランティア・ハンドマッサージなどでも、高齢者と関わる。
– 自身も祖父の在宅介護の経験あり。9年程していました。
– パニック障害、過呼吸、バセドウ病の経験あり。パニック障害、過呼吸は完治。
– ジストニアの経験あり。薬継続中。
– 10歳、2歳の男の子のママ。
– 10歳児の子供が発達凸凹→小児精神科で、自閉症+ADHDあり。不登校経験あり。
– 療育支援センター→放課後ディサービスを利用している。普通に見えるがゆえの難しさに直面。
– 心理学、コーチング、アドラー流メンタルトレーナー、HSPカウンセラーなどの講座を受講。

■ 大切にしていること

– どんな話でも否定しません
– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
– 泣いても沈黙してもOK
– どんなお話もお聴きします
– 話したいように話せるように、あなたのペースに呼吸を合わせます

■ 人柄・ユニークポイント

– 好きなもの:鬼滅の刃 / 心理学、カラー&タロット占い / ラーメン、焼肉、グッズ集め
– よく言われる性格:話やすい。温和。地に足がついている。やさしい。芯がある。愛のある人。
– ちょっとしたこだわり:自分時間を大事にしている。
– 聴き手としての密かな強み:どんな話にも寄り添います。私に話すことで、スッキリ出来ます。


■ メッセージ

ここでは、どんな話をしても大丈夫です。安心、安全の場を作ります。安心してお話ください。自分の感情を感じるお手伝いを致します。

目次

「大丈夫です」が口癖だったあの頃。本音を飲み込むことで守ろうとしていたもの

「大丈夫です」「すみません」「私が気にしすぎかもしれません」
気づけば、それが私の口癖になっていました。

長男が4歳の頃、発達の凸凹がわかり、療育センターへ通い始めました。困りごとは確かにある。でも、毎回の面談や先生とのやり取りの中で、私はどこか遠慮していました。本当は不安もあるし、心配もある。けれど、それをそのまま言葉にする勇気がなかったのです。

「こんなこと言ったら、面倒な親だと思われるかな」
「過保護って思われないかな」

そんな思いが頭をよぎるたびに、本音は喉の奥で止まりました。
そして結局、「大丈夫です」で締めくくる。

波風を立てないこと。
空気を悪くしないこと。
それが“いいお母さん”だと思っていたからです。

でも、本当は大丈夫じゃなかった。
言わないことで、私は少しずつ自分を追い込んでいたのだと思います。

「迷惑をかけたくない」がブレーキになっていた

当時の私は、とにかく周りに迷惑をかけたくありませんでした。療育の先生にも、保育園の先生にも、「手がかかる親」と思われたくなかったのです。

子どもに特性があるとわかっても、確定診断がない段階では特に言いづらいものがあります。「私の考えすぎかもしれない」「様子を見ればいいのかもしれない」そんなふうに自分をなだめながら、本当は感じている違和感を押し込めていました。

でも、迷惑をかけないことを優先するあまり、子どもの困りごとがうまく伝わらない。
それが一番つらかった。

本当は、責めたいわけでも、特別扱いしてほしいわけでもない。ただ「知っていてほしい」だけなのに、その一言がどうしても言えなかったのです。

今振り返ると、迷惑をかけることと、必要なことを伝えることは全く別物でした。当時の私は、その違いがわからないまま、ずっとブレーキを踏み続けていたのだと思います。

「普通に見える」ことの難しさに戸惑っていた

長男は、一見すると“普通”に見える子でした。大きな問題行動があるわけではない。勉強もそれなりにできる。だからこそ、内側のしんどさが伝わりにくい。

感覚過敏や不安の強さ、気持ちの波。
家では見せる姿と、外での姿は違うこともありました。

でも、それを説明するのは本当に難しかったのです。目に見える怪我なら説明しやすい。でも、心の困りごとは言葉にしづらい。しかも、「みんな多少はあるよ」と言われたら、それ以上踏み込めなくなってしまう。

私は何度も「私の気にしすぎかな」と自分を疑いました。
それでも、家に帰ると、子どもの疲れ切った表情がある。

そのギャップを抱えながら、どう伝えればいいのか分からず、ただ一人で悩んでいました。
“普通に見える”という言葉の裏にある苦労を、どうやって届ければいいのか。あの頃の私は、いつもその問いの前で立ち止まっていました。

本音を言えない自分を責め続けていた

一番苦しかったのは、うまく伝えられない自分を責めてしまうことでした。

「もっと強く言えればいいのに」
「ちゃんと説明できない私が悪い」

そんな思考がぐるぐると回る。動悸がしたり、涙が出たり、疲労感が抜けなかったり。それでも外では笑顔を作っていました。

本当は、怖かったのです。
否定されることも、面倒がられることも。

でも同時に、「母として守らなければ」という使命感も強くありました。その間で気持ちは揺れ続けていました。諦めたくなる日もあれば、「やっぱり伝えなきゃ」と奮い立つ日もある。

そうやって揺れながら、私は少しずつ気づいていきます。
言わないことで守れるものもあるけれど、言わないことで失うものもあるのだと。

ここから、私の小さな変化が始まりました。

伝えているのに、伝わらない。学校という壁にぶつかった日々

小学校に入学してから、私は初めて“見えない壁”にぶつかった感覚を味わいました。

療育ではある程度共有できていた困りごとも、学校という新しい環境ではゼロからのスタート。しかも、確定診断がない段階では「少し不安が強いお子さんですね」「様子を見ましょう」で終わってしまうこともありました。

私は勇気を出して話しているつもりでした。
でも、どこか遠慮が抜けない。強く言い切れない。

「うちの子は配慮が必要です」とは言えず、
「少し気になることがあって…」と前置きばかりが長くなる。

その結果、必要な部分がぼやけてしまう。
伝えているのに、伝わらない。

学校からの連絡帳を見てはため息をつき、家で疲れ切った息子を見ては胸が痛む。私は何度も、「もっとちゃんと伝えられていたら違ったのかな」と自分を責めました。

言葉にすることの難しさを、これほど痛感したことはありませんでした。

「様子を見ましょう」の一言に揺れる気持ち

先生からの「様子を見ましょう」という言葉。
悪気がないのは分かっていました。けれど、その一言に私は何度も心を揺さぶられました。

様子を見る、というのは一見穏やかな言葉です。でも私にとっては、「今は何もできません」という宣言のように感じられてしまったのです。

家では不安が強くなり、夜になると涙が出る日もある。感覚過敏で疲れやすい。小さなことでパニックになる。そんな姿を知っているのは私だけ。

それでも、学校では大きな問題が起きていない限り、“困っていない子”に見えてしまう。

私は何度も説明し直そうとしました。でも、「また同じことを言うの?」と思われるのが怖くて、言葉を飲み込んでしまう。

様子を見る間に、子どもは確実に消耗していく。
その現実を知っているからこそ、私は焦りと無力感の間で揺れていました。

「私の伝え方が悪いのかもしれない」と自分を疑う

話し合いのあと、帰り道で必ず考えてしまうことがありました。

「やっぱり私の伝え方が悪かったのかな」
「もっと具体的に言えばよかった?」
「感情的に聞こえていなかったかな?」

頭の中で、何度も会話を再生する。
あの言い方はまずかったかもしれない、と反省ばかりが増えていく。

でも、本当は分かってほしかっただけなのです。
特別扱いしてほしいわけではない。責めたいわけでもない。

ただ、知っていてほしい。
この子がどんな特性を持っていて、どんな場面でつまずきやすいのかを。

それなのに、うまく伝わらない現実が続くと、「私が神経質なのかもしれない」「過保護なのかもしれない」と、矢印は自分に向いていきました。

自分を疑い続ける時間は、思っている以上に心を削ります。
私は少しずつ、疲れていきました。

孤独の中で、それでも伝え続けなければと思った理由

正直に言うと、何度も逃げ出したくなりました。

「もういいや」と思ってしまえば、どれだけ楽だったでしょう。
でも、家に帰れば、安心した顔で甘えてくる息子がいる。

学校では頑張っている。
だからこそ、家で崩れる。

その姿を見るたびに、「やっぱり伝えなきゃ」と思い直すのです。怖いままでもいい。うまく言えなくてもいい。母である私が諦めたら、この子の困りごとは、誰にも届かないかもしれない。

孤独でした。
でも、その孤独の中で、私は少しずつ気づいていきます。

遠慮しながら伝えるのではなく、
責めずに、でも曖昧にせずに伝える方法を探さなければいけないのだと。

この葛藤の日々が、次の一歩へとつながっていきました。

怖いままでもいい。言葉にすると決めた日から、流れが変わり始めた

何度も迷い、何度も自分を疑いながら、それでも私はあるとき腹をくくりました。

「うまく伝えられなくてもいいから、ちゃんと伝えよう」

そう決めたのです。

それまでは、嫌われないように、面倒な親だと思われないように、とにかく角が立たない言い方ばかりを探していました。でも、それでは本当に必要なことがぼやけてしまうと、ようやく気づいたのです。

怖さがなくなったわけではありません。
否定されるかもしれないという不安も、そのままでした。

それでも、「この子のために必要なことを伝える」と覚悟を決めると、不思議と声の震えが少しだけおさまりました。

完璧な説明でなくていい。
相手を説得しなくてもいい。
ただ、事実と困りごとを、まっすぐ届ける。

その姿勢に変わったとき、少しずつ周りの反応も変わり始めたのです。

まとまっていなくてもいいと知った

以前の私は、「きちんと整理してから話さないといけない」と思い込んでいました。要点をまとめ、具体例を準備し、感情はできるだけ抑える。それが“ちゃんとした伝え方”だと信じていたのです。

でも実際は、そんなにきれいにまとまることばかりではありません。
気持ちは揺れるし、言葉にすると涙が出る日もある。

あるとき私は、「まとまっていないのですが」と前置きしたうえで、そのまま話してみました。驚いたことに、相手はきちんと耳を傾けてくれました。

完璧でなくてもいい。
途中で言葉に詰まってもいい。

大切なのは、整った文章ではなく、今感じているリアルな困りごとでした。

話しながら、自分の頭の中も整理されていく感覚がありました。アウトプットすることで、気持ちが少しずつ言語化され、自分自身も理解できるようになる。

それは、私にとって大きな発見でした。

「伝えても嫌われない」という体験がくれた安心感

一番大きかったのは、「伝えても嫌われない」という体験でした。

これまで私は、本音を言えば関係が壊れると思っていました。だから遠慮して、曖昧にして、飲み込んできた。

でも、勇気を出して話したとき、意外にも関係は壊れませんでした。むしろ、「そうだったんですね」と理解しようとしてくれる人が現れたのです。

もちろん、すべてがスムーズにいったわけではありません。
温度差を感じることもありました。

それでも、「言ったからダメになる」という思い込みは、少しずつ崩れていきました。

伝えることは攻撃ではない。
わがままでもない。

必要なことを共有する行為なのだと、体験を通して知りました。この安心感は、私の中に小さな自信を育ててくれました。

孤独が少しずつほどけていった

伝えるようになってから、私の周りには少しずつ“味方”が増えていきました。

情報は、自分から取りにいかなければ入ってこない。
それも痛感しました。

積極的に話し、質問し、共有する。すると、支援の輪が広がっていきました。一人で抱えていたときは、世界がとても狭く感じていたのに、声を出すことで景色が変わる。

孤独感が、ゆっくりとほどけていく感覚がありました。

それは劇的な変化ではありません。
でも確実に、心の重さが軽くなっていきました。

怖いままでもいい。
震えながらでもいい。

伝えることは、相手を変えるためだけではなく、自分を孤独から救う行為でもあるのだと、私は身をもって知ったのです。

そしてこの経験が、今の私の在り方にもつながっています。

言葉にすることは、自分を守ることだったと今ならわかる

あの頃の私は、「伝えること」は勇気のいる行為だと思っていました。嫌われるかもしれない、面倒がられるかもしれない、神経質だと思われるかもしれない。そんな不安といつも隣り合わせでした。

でも今ははっきりと言えます。
言葉にすることは、誰かを困らせることではなく、自分と大切な人を守ることだったのだと。

本音を飲み込むたびに、私は少しずつ自分を後回しにしていました。気づかないうちに、「我慢できる私」が当たり前になっていた。でも我慢は、優しさとは少し違います。優しさは、自分をすり減らすことではない。

うまく話せなくてもいい。
涙が出てもいい。
沈黙があってもいい。

言葉にならない時間ごと、受けとめてもらえる場所はちゃんとあります。

あの経験があったからこそ、今の私は、誰かの言葉を急がせずに聴こうと思えるようになりました。話の上手さよりも、その人の気持ちの奥にあるものを大切にしたい。そう心から思っています。

「大丈夫」を手放したら、呼吸が深くなった

以前の私は、「大丈夫」と言うことで場を丸く収めようとしていました。でもその言葉は、相手のためというより、自分が波風を立てないための保険のようなものでした。

あるとき、「本当は大丈夫じゃありません」と言えた瞬間があります。その一言を口にするまでに、どれだけ時間がかかったことか。でも言ってみると、思ったほど世界は崩れませんでした。

むしろ、「教えてくれてありがとうございます」と返ってきたとき、胸の奥がじんわりと温かくなりました。

無理に強くならなくていい。
無理に平気なふりをしなくていい。

そう思えるようになってから、呼吸が少し深くなりました。体の力も抜けるようになりました。

今でも不安がゼロになったわけではありません。でも、「怖いまま伝えていい」と知っているだけで、心の支えになります。

うまく話せなくても、そのままでいい

話すのが得意な人ばかりではありません。言葉を探しているうちに、気持ちが先にあふれてしまうこともあります。

私は、そんな時間がとても大切だと思っています。

沈黙の中にも、その人の思いは流れています。
言葉が途切れる瞬間にも、たくさんの背景があります。

だから私は、急かさない。
正解を押しつけない。
「こう考えればいいですよ」と簡単にまとめない。

まずは、その人のペースで、その人の言葉で出てくるものを大切にしたいのです。

話しながら、自分の気持ちに気づいていく瞬間があります。誰かに受けとめてもらうことで、初めて「私、こんなにしんどかったんだ」と気づくこともあります。

うまく話せなくても大丈夫。
それでも、ちゃんと伝わります。

吐き出すことが、新しい一歩になる

あの頃の私に、今ならこう言ってあげたいです。

「無理しなくていいよ」
「ちゃんと伝えていいよ」

本音を出すことは、わがままではありません。弱さを見せることでもありません。それは、自分の人生に責任を持つということだと思っています。

吐き出すことで、少し軽くなる。
軽くなると、ほんの少し前を向ける。

その小さな変化が、やがて大きな一歩になります。

もし今、「こんなこと言っていいのかな」と迷っているなら、どうか知っていてほしいのです。あなたの感じていることには、ちゃんと意味があります。

泣いてもいい。
まとまらなくてもいい。

そのままのあなたの言葉を、私はまるごと受けとめます。

最後に、今がしんどいあなたへ

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

もし今、「本当はつらいけど、大丈夫って言ってしまう」「こんなこと話したら迷惑かも」と迷っているなら、どうかその気持ちを否定しないでください。

言えないのには、ちゃんと理由があります。
怖かったんですよね。
傷つくのが、嫌だったんですよね。

でも、本音を飲み込むたびに、あなたの心は少しずつ疲れていきます。

うまく話せなくていいんです。
話があちこちに飛んでもいい。
途中で涙が出ても、言葉が止まっても大丈夫。

大切なのは、整った説明ではなく、「今、ここにある気持ち」です。

私は、すぐに答えを出そうとはしません。
正しさを押しつけることもしません。

まずは、そのままを受けとめることから始めます。
あなたのペースで、あなたの言葉で。

もし一人で抱えることに少し疲れてしまったら、
傾聴ラウンジ「ここより」で、ゆっくりお話ししませんか。

アドバイスよりも先に、
評価よりも先に、
あなたの声を、そのまま大切にする時間を用意しています。

「こんなこと話していいのかな」

その一言からで、十分です。

あなたが本音をこぼせる場所は、ちゃんとあります。
そして、伝えることは、きっとあなたを少し自由にしてくれます。

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