在宅介護が限界だった私の体験談|家族だけで抱えないためにできること

自宅での介護を続けていると、ふと「このままでいいのだろうか」と感じる瞬間はありませんか。
できることなら家で過ごさせてあげたい。
できるだけ自分たちで支えたい。
そう思えば思うほど、つらさや迷いを誰にも言えずに抱え込んでしまうこともあるかもしれません。
私自身も、家族の在宅介護に関わる中で、同じような葛藤を経験しました。
今回お話しするのは、祖父の死をきっかけに体調を崩した祖母と、その介護を担っていた伯父を支える中で、在宅介護の限界と向き合ったときの体験です。
「一人で抱えなくてもいい」
そう思えるきっかけとして、少しでも参考になればうれしいです。


投稿者プロフィール

- よりびと
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■待機時間:月・火・木・金の10時30分~16時30分(水曜日は不定期)
※祝日は基本お休みです
※待機日時が変更されるケースがありますので、詳しくは待機カレンダーを確認ください。
■年齢:40代
■ キャッチコピー:わたしの経験を誰かの力に。「大丈夫だよ」に根拠を持たせます。
■ 得意なテーマ
– 不安障害、パニック障害、適応障害の症状について
– 不登校、登校拒否の相談。(保護者さん、お子さんどちらからでも大丈夫です。)
– 育児のお悩み全般
– 介護負担感
– 不妊治療の辛さ
– 家族との関係
– 人との関わり方
■ 聴き方・スタイル
– ご相談者様のペースに合わせて聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– ご希望があればアドバイスします
– 我慢せず素直に感情を表してください
■ 経験
– 社会福祉士 精神保健福祉士 保育士取得。
– 回復期リハビリテーション病棟と介護保険病棟の医療ソーシャルワーカーとして5年、市役所障がい福祉課障がい認定調査員として5年の経験あります。
– 現在、保育士として骨盤サロンにて託児スタッフをしています。子育て支援センター臨時スタッフ経験あります。
– 不安障害、パニック障害、適応障害の経験あります。現在完治。
– アルツハイマー型認知症になった祖母の在宅介護経験、家族として施設入所支援経験があります。
– 自身の娘が聴覚過敏。HSP。不登校、登校拒否傾向にて心療内科通院中。不登校に対する学校とのやり取り経験あります。
– 自身も高校中退、大学入学資格検定試験を経験。心療内科通院・カウンセリング経験あります。
– 6年間の不妊治療を経験しました。体外受精にて妊娠。帝王切開にて出産。
–不妊治療ピアサポーター研修講義受講。
– 転勤帯同10年経験。
– 幼稚園、小学校で絵本の読み聞かせ6年目。
– アクセスバーズプラクティショナー取得。
■ 大切にしていること
– 自分の言葉で語ってもらえるように質問を工夫します。
– 素直に気持ちを表現していただけるようにします。
– 泣いても怒っても受け止めます。
– 調べられることがあれば調べます。
■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:宮古島の海/ 柴犬 / ウミガメ/耳そうじ/そのぎ茶/娘と美術館に行くこと/ピアノを弾くこと
– よく言われる性格:社交的。明るい。話しやすい。面倒見がよい。でも繊細。嫌いなことは努力しない(笑)。
– ちょっとしたこだわり:家の中の芳香剤をアロマオイルにしている。ヨーグルトメーカーでヨーグルトを作る。焼き芋も家で作ります。
– 聴き手としての密かな強み:医療ソーシャルワーカーとして染みついた面接技法。自分の経験。たくさんの辛い経験をしたからこそ、大丈夫という言葉に重りを付けることができます。
■ メッセージ
プロフィールをみていただいてありがとうございます。
一人で悩まず一緒に考えさせてくださいね。少しでも明日に変化が出るように、少しでも気持ちが軽くなるようにお手伝いします。お話しできることを楽しみにしております。
目次
- ○ 在宅介護がつらくなってきたときに、立ち止まって考えてほしいこと
- ・一見うまくいっているように見える在宅介護の落とし穴
- ・本人の「遠慮」が状況を悪化させてしまうこともある
- ・家族だけで抱えることで見えなくなる限界のサイン
- ○ 祖母の変化と、少しずつ崩れていった日常
- ・大切な人を失ったあとの心と体の変化
- ・在宅介護が続く中で見えにくくなる変化
- ・病気と生活の変化が重なっていく現実
- ○ 「このままでは難しい」と感じた瞬間と向き合う
- ・見過ごされていた日中の現実に気づいたとき
- ・本人の我慢と家族の気づきにくさ
- ・正しさよりも「どう伝えるか」に悩んだ関わり
- ○ 在宅介護の選択に正解はないと気づいたその後
- ・施設入所という選択がつないだ安心できる生活
- ・もっと早くできたかもしれない関わりへの気づき
- ・一人で抱えないために、少しだけ勇気を出してほしい
- ○ ひとりで抱え込んでしまっているあなたへ
在宅介護がつらくなってきたときに、立ち止まって考えてほしいこと
在宅での介護は、「できるだけ家で過ごさせてあげたい」という想いから始まることが多いと思います。
私の家族もそうでした。慣れた家で、安心できる環境で過ごしてほしい。家族として自然な気持ちです。
ただ、実際に介護が始まると、その想いだけでは乗り越えられない現実に直面することがあります。
体力的な負担、時間の制約、そして何より「このままで本当に大丈夫なのか」という不安。
それでも、「家で看るべき」「自分がやらないといけない」という思い込みがあると、誰にも頼れず、状況が少しずつ厳しくなっていきます。
私が関わったケースでも、表面上はなんとか回っているように見えました。
ヘルパーも入っているし、大きな問題は起きていないように見える。
でも実際は、少しずつ無理が積み重なっていました。
在宅介護は「できているかどうか」ではなく、「無理なく続けられているか」がとても大切です。
そしてそのサインは、意外と日常の中に静かに現れてきます。
ここでは、私自身の体験をもとに、「見逃されやすいサイン」についてお伝えしていきます。
一見うまくいっているように見える在宅介護の落とし穴
在宅介護は、外から見ると「ちゃんとできている」ように見えることが多いです。
サービスも使っているし、家族も関わっている。だから大丈夫だろう、と。
私の家族の場合もそうでした。
デイサービスを利用し、ホームヘルパーも入っていたため、支援体制としては整っているように見えていました。
実際、最初のうちは問題なく過ごせていました。
祖母もデイサービスを楽しんでいて、周囲も「このまま在宅で大丈夫そうだね」と感じていたと思います。
しかし、少しずつ変化は起きていました。
体力が落ちて外出が減り、デイサービスにも行けなくなり、家で過ごす時間が増えていく。
それでも「まだ大丈夫」と思ってしまうのが在宅介護の難しいところです。
目に見える大きなトラブルがない限り、「続けられている」と判断してしまう。
でも実際には、その裏で負担や限界がじわじわと進んでいることも少なくありません。
「問題が起きていない=うまくいっている」ではない。
この視点を持つことが、とても大切だと感じています。
本人の「遠慮」が状況を悪化させてしまうこともある
介護を受ける側の気持ちも、在宅介護では見落とされがちです。
特に家族同士の場合、「迷惑をかけたくない」という気持ちが強く働きます。
祖母もまさにそうでした。
認知機能は少し低下していましたが、会話はしっかりできる状態でした。
だからこそ、自分の状態を「言わない」という選択をしていたのです。
例えば、衣類が汚れてしまっても、そのまま我慢してしまう。
本当はつらいのに、「大丈夫」と言ってしまう。
介護する側が気づかないうちに、本人が無理をしてしまうことは少なくありません。
特に男性介護者の場合、女性のケアに対して距離が生まれることもあります。
そこに遠慮が重なると、さらに状況は見えにくくなります。
「言わないから大丈夫」ではなく、「言えない可能性がある」と考えること。
この視点があるかどうかで、介護の質は大きく変わってくると感じました。
家族だけで抱えることで見えなくなる限界のサイン
在宅介護が続いていく中で、いちばん怖いのは「限界に気づけなくなること」です。
日々の介護に追われていると、目の前のことをこなすだけで精一杯になります。
少しずつ状況が悪化していても、それが「当たり前」になってしまうのです。
私が祖母の様子を見に行ったとき、パジャマが湿ったままになっていたことがありました。
その光景を見たとき、「これはもう限界かもしれない」と強く感じました。
でも、それは突然起きたことではありません。
少しずつ積み重なった結果、そこに至っていたのです。
家族だけで抱えていると、その変化に気づきにくくなります。
そして気づいたときには、すでに余裕がなくなっていることも多い。
だからこそ、「まだ大丈夫」と思っている段階で、一度立ち止まることが大切です。
無理を続けることが優しさではありません。
続けられる形を一緒に考えることこそが、本当の意味での支えになるのだと、私はこの経験から学びました。
祖母の変化と、少しずつ崩れていった日常
祖父が亡くなったのは、本当に突然のことでした。
前日まで普段通りに過ごしていたのに、朝になるともういない。そんな出来事でした。
年齢を考えれば「寿命だった」と受け止めることもできますが、残された祖母にとっては、そう簡単に整理できるものではなかったと思います。
気丈に振る舞ってはいましたが、その内側では大きな喪失感を抱えていました。
それまで祖母は、ひ孫の送り迎えができるほど元気でした。
日常の中に役割があり、人との関わりもあったのです。
しかし、祖父を失ったことをきっかけに、少しずつ生活のリズムが変わっていきました。
食欲が落ち、横になる時間が増え、外との関わりが減っていく。
こうした変化は、急激ではなく、とてもゆっくりと進んでいきます。
だからこそ、「まだ大丈夫」と思いながら見過ごしてしまいやすいのです。
ここからは、そのとき実際に起きていた変化を、振り返りながらお伝えしていきます。
大切な人を失ったあとの心と体の変化
身近な人を失ったとき、その影響は想像以上に大きいものです。
特に長年一緒に過ごしてきた夫婦であれば、その存在は生活そのものだったと言ってもいいかもしれません。
祖母も、祖父の死後しばらくしてから、「もうお父さんのところに行きたい」と口にするようになりました。
その言葉を聞いたとき、周囲はとても心配し、目を離せない状態になりました。
気持ちの落ち込みは、やがて体にも影響していきます。
食事量が減り、動く機会も減り、自然と体力が落ちていく。
一見すると「年齢的な変化」とも捉えられますが、背景には心のダメージがあることも少なくありません。
高齢者の場合、こうした変化がそのまま生活機能の低下につながりやすいのです。
「元気がないな」で終わらせるのではなく、
その背景にある気持ちにも目を向けることの大切さを、このとき強く感じました。
在宅介護が続く中で見えにくくなる変化
祖父が亡くなった後、祖母は同居していた伯父と二人で生活していました。
伯父は仕事をしながらの介護で、日中は家を空けることが多い状況でした。
その中で、デイサービスやホームヘルパーを利用しながら、在宅での生活が続いていました。
最初のうちは、祖母もデイサービスを楽しんでいたように思います。
外に出て、人と話し、少しでも日常に変化があることは大切な時間だったはずです。
しかし、徐々にその様子にも変化が出てきました。
体力の低下や体調不良により、デイサービスに行けない日が増えていったのです。
そうなると、家の中で過ごす時間が長くなり、さらに活動量が減っていきます。
このような変化は、とても自然に進んでいくため、
気づいたときには以前とは大きく状態が変わっていることもあります。
在宅介護では、「今まで通り」が続いているように見えても、
その中身が少しずつ変わっていることがある。
その視点を持つことの大切さを実感しました。
病気と生活の変化が重なっていく現実
祖母の場合、体力の低下だけでなく、いくつかの病気も重なっていきました。
乳がんの発症、そして徐々に見られるようになった認知機能の低下。
どれも急激に悪化したわけではありませんが、確実に生活へ影響を与えていました。
認知機能が少しずつ低下していくと、これまでできていたことが難しくなっていきます。
ただ、それでも会話ができる状態だと、「まだ大丈夫」と思われやすいのも事実です。
しかし実際には、日常生活の細かな部分で支障が出始めていました。
例えば、水分をしっかり取れなくなる、
体調が悪くても周囲にうまく伝えられない、といったことです。
こうした変化が重なることで、生活の質は少しずつ下がっていきます。
一つひとつは小さな変化でも、積み重なると大きな影響になる。
在宅介護の難しさは、まさにそこにあると感じました。
「このままでは難しい」と感じた瞬間と向き合う
在宅での生活が続く中で、少しずつ変化が積み重なっていきました。
体力の低下や病気、生活リズムの乱れなど、どれも一つひとつはよくあることのように見えます。
だからこそ、「まだ大丈夫」と思い続けてしまうのが在宅介護の難しいところです。
しかし、ある日を境に、その認識は大きく変わりました。
それまでは頭では理解していても、どこかで「なんとかなる」と思っていたのかもしれません。
けれど実際に目の前で起きている現実を見たとき、
「このまま続けることが本当に本人のためなのか」と考えざるを得ませんでした。
介護に関わる中で、判断を迫られる瞬間があります。
それは、感情だけでは決められない場面です。
ここでは、私が在宅介護の限界を強く感じた出来事と、
そこからどう考え、どう関わろうとしたのかをお伝えしていきます。
見過ごされていた日中の現実に気づいたとき
ある日、日中に祖母の様子を見に行ったときのことです。
祖母は自室で横になっていましたが、その姿を見て言葉を失いました。
パジャマが汗と尿で湿ったままになっていたのです。
紙パンツを使用していましたが、漏れてしまっていたのでしょう。
それでも、そのままの状態で過ごしていました。
ヘルパーが来るのは夕方。
つまり、私が行かなければ、その状態のまま何時間も過ごしていた可能性があります。
そのとき初めて、「日中に何が起きているのか」を具体的に知りました。
これまでの支援は決して不十分ではなかったと思います。
ヘルパーも入り、必要なサービスも利用していました。
それでも、すべてをカバーできるわけではない。
その現実を突きつけられた瞬間でした。
「大きな問題は起きていない」と思っていた日常の中に、
すでに見過ごせない状態があったのです。
本人の我慢と家族の気づきにくさ
祖母は、その状態について多くを語りませんでした。
話せる状態であったにもかかわらず、です。
後から聞くと、伯父に気を使っていたとのことでした。
日中に汚れてしまっても、「迷惑をかけたくない」と思っていたのです。
家族だからこそ遠慮してしまう。
これは在宅介護の中でとてもよくあることだと感じています。
特に、男性介護者と女性の要介護者という関係性もあり、
細かなケアについては言いづらさがあったのだと思います。
一方で、伯父も決して何もしていなかったわけではありません。
仕事をしながら、できる範囲で介護を続けていました。
ただ、日中の様子までは把握できていなかったのです。
「言わないから大丈夫」
「特に問題は起きていない」
そう思ってしまう状況は、誰にでも起こり得ます。
だからこそ、本人の言葉だけでなく、
実際の生活の様子を見ることの大切さを強く感じました。
正しさよりも「どう伝えるか」に悩んだ関わり
この状況を見たとき、専門職としての私は、
在宅介護の継続は難しいと判断しました。
安全面や生活の質を考えると、
施設入所という選択が現実的だったからです。
しかし、ここで大きな壁がありました。
伯父は、他人の意見を簡単に受け入れるタイプではなかったのです。
正論をそのまま伝えれば、反発される可能性が高い。
かといって、何も伝えなければ状況は変わらない。
どう関わるべきか、とても悩みました。
そのとき意識したのは、「説得すること」ではなく、
「相手の状況を理解したうえで伝えること」でした。
おそらく伯父自身も、限界を感じていたはずです。
ただ、それを言葉にできていなかっただけ。
だからこそ、否定や指摘ではなく、
選択肢として情報を渡す関わりを選びました。
施設のパンフレットと、現状を整理したメモ。
直接強く言葉にするのではなく、考える材料をそっと渡す形です。
結果的に、それが次の行動につながっていきました。
「何を伝えるか」だけでなく、「どう伝えるか」。
その大切さを、改めて実感した場面でした。
在宅介護の選択に正解はないと気づいたその後
あの出来事をきっかけに、少しずつ状況は動いていきました。
パンフレットとメモを渡したあと、伯父は実際に施設の見学に行ってくれたのです。
正直なところ、最初は受け入れてもらえないかもしれないと思っていました。
それでも行動につながったのは、伯父自身も限界を感じていたからだったのだと思います。
在宅で過ごすことは、とても大切な選択です。
ですが、それがすべての人にとって最善とは限りません。
環境や体調、家族の状況によって、「より安心して過ごせる場所」は変わっていきます。
祖母も本心では自宅で過ごしたかったと思います。
それでも、最終的には施設での生活を選びました。
その選択が正しかったのかどうかは、簡単には言えません。
ただ一つ言えるのは、「あのまま無理を続けるよりも良かった」と思える形に近づけたことです。
ここでは、その後の流れと、私自身がこの経験から感じたことをお伝えしていきます。
施設入所という選択がつないだ安心できる生活
祖母は、最初から施設に入りたいと望んでいたわけではありませんでした。
やはり「できるなら家で過ごしたい」という気持ちはあったと思います。
そのため、「リハビリのため」という形で施設入所を提案しました。
無理に納得させるのではなく、受け入れやすい形を探したのです。
結果として、有料老人ホームに入所することになりました。
特別養護老人ホームの空きを待つ間の選択でしたが、環境としては整っており、安心して生活できる場所でした。
定期的なケアがあり、清潔も保たれ、食事や水分もしっかり管理される。
それまで見えていなかった不安が、少しずつ減っていったように感じます。
在宅では難しかった部分が、施設では当たり前に整っている。
その違いを目の当たりにしたとき、「環境の大切さ」を強く実感しました。
在宅か施設かではなく、
「その人が安心して過ごせるかどうか」で考えることの大切さを学びました。
もっと早くできたかもしれない関わりへの気づき
振り返ると、「もっと早くできたことがあったかもしれない」と感じる場面もあります。
伯父とは、もう少し早い段階でしっかり話をすることもできたかもしれません。
お互いに遠慮や思い込みがあり、踏み込めずにいた部分があったように思います。
伯父はもともと不機嫌に見えることが多く、関わりにくさを感じていました。
ですが実際には、在宅介護に精一杯で余裕がなかっただけだったのかもしれません。
「話しても無駄かもしれない」と思ってしまうと、関わりは浅くなってしまいます。
でも、その奥にある本音や限界には気づきにくくなる。
だからこそ、関係性や表面の態度だけで判断しないこと。
そして、少し勇気を出して関わってみることの大切さを感じました。
あのときの経験は、今の関わり方にも大きく影響しています。
一人で抱えないために、少しだけ勇気を出してほしい
在宅介護をしていると、「自分がやらなければ」と思ってしまうことがあります。
特に家族であれば、その気持ちはとても自然なものです。
でも、どんなに頑張っても、限界は必ずあります。
無理を続けた結果、状況が悪化してしまったり、
大切な人に優しくできなくなってしまったりすることもあります。
それは決して望んでいる形ではないはずです。
「疲れてきたな」
「どうしたらいいかわからない」
そう感じたときが、立ち止まるタイミングです。
専門家に相談することも、サービスを増やすことも、
施設を検討することも、すべて大切な選択肢です。
一人で抱え込まずに、少しだけ周りに頼ってみてください。
そして、もし気持ちを話せる場所が必要であれば、
安心して話せる場を利用することも一つの方法です。
介護は、一人で背負うものではありません。
一緒に考えていくものだと、私はこの経験から強く感じています。
ひとりで抱え込んでしまっているあなたへ
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
在宅介護を続けていると、気づかないうちに心も体もすり減ってしまうことがあります。
「まだ大丈夫」「自分がやらないと」
そう思いながら、限界に近づいている方も少なくないのではないでしょうか。
でも、本当は少ししんどいと感じている。
どうしたらいいのかわからない。
誰かに聞いてほしい。
そんな気持ちが、どこかにあるのではないでしょうか。
介護は、正解が一つではありません。
だからこそ、一人で考え続けることはとても苦しいものです。
私自身の経験からも感じているのは、
「誰かに話すこと」で、見えてくるものがあるということです。
すぐに答えが出なくてもいいんです。
うまく言葉にできなくても大丈夫です。
ただ、「今の気持ち」を少し外に出してみること。
それだけでも、心が少し軽くなることがあります。
もし、安心して話せる場所を探しているなら、
傾聴ラウンジ「ここより」という選択肢もあります。
ここは、アドバイスを押し付ける場所ではなく、
あなたの気持ちをそのまま受け止める場所です。
誰かに話すことで、少しだけ余白ができる。
その余白が、次の一歩につながることもあります。
ひとりで抱えなくて大丈夫です。
つらくなったときは、いつでも「ここより」を思い出してください。
あなたの気持ちを大切にしながら、一緒に考えていけたらと思っています。




