完璧主義で本音が言えなかった私が、頑張りすぎる生き方を手放せた理由【体験談】

朝、ふと鏡を見るたびに「ちゃんとできてるかな?」と自分の目線が気になってしまう――そんな日々が、ずっと続いていました。
頭の中では「あれもこれもやらなきゃ」と忙しく動いているのに、気持ちはいつも追いつかなくて、なんだかずっと息苦しい。
周りには笑って普通に過ごしているように見えるのに、夜になるとどうしてもひとりで抱え込んでしまう。
そんな自分を責めるように、また「もっと頑張らなきゃ」と思ってしまう。
振り返ると、私はずっと“完璧でいたい自分”を手放せずにいました。
でもある時、誰かと話している最中にふと気づいたんです。
心の中でいつも張り詰めていた糸が、少しずつ切れていってるような感覚。
それは決して弱さではなく、知らず知らずのうちに自分を守ろうとしていた心の声だったのだと。
この記事では、そんな私自身の体験を通して、
・いつも頑張りすぎてしまう背景
・その状態に気づく瞬間
・そして、少しずつ自分の気持ちと向き合っていったプロセス
を、丁寧にシェアしていきたいと思っています。
あなたがこの記事を読んでいるということは、きっとどこかで自分の心の声に気づきたいと思っているからかもしれません。
その気持ちに寄り添いながら、ゆっくり一緒に進んでいけたら嬉しいです。


投稿者プロフィール

- よりびと
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※海外在住のためZoomでの対応となります。(カメラのオンオフは自由)
■待機時間:月・火・木・金の17時~24時、日の18時~24時
■年齢:30代
■ キャッチコピー:安心して思うままに、なんでも話せる時間。
■ 得意なテーマ
– もやもやしている気持ちの整理
– 誰にも言えない話の受け止め
– 人間関係の悩み・恋愛相談
– とにかく話を聴いてほしいとき
– 感情の吐き出し
■ 聴き方・スタイル
– あなたの気持ちに寄り添い、丁寧に聴きます。
– どんな思いも置いていけるよう、安心感を大切にしています。
– 沈黙も含め、思いのままの話を受け止めます。
■ 経験
– 10年間にわたる海外生活(留学・国際結婚・海外でのキャリア)や政府機関での勤務経験を通じて、多様な文化や価値観の中で生きる人々と向き合ってきました。異なる背景を持つ相手の立場を正確に理解し、気持ちに寄り添いながらコミュニケーションをとる姿勢を大切にしています。
– 職場では中間管理職として、上層部とチームの間で橋渡し役を務め、日常的にメンバーからの相談や悩みに対応してきました。責任やプレッシャーを抱える人たちの声を受け止め、状況を整理しながら支えてきた経験があります。
– 精神疾患や発達障害(ADHD、ディスレクシア)、自閉スペクトラムを抱える家族と長く関わる中で、当事者として感じる苦しさも、支える側が抱える不安や負担にも触れてきました。その経験は、心の声を丁寧に受け止める姿勢や、誰にも言えない気持ちに寄り添う感覚を育ててくれたと感じています。
– 5年間にわたり個人の相談に関わり続け、身近な人たちの人生の変化や心の揺れに向き合ってきました。どんな気持ちも否定せず、相手が安心して話せる空間をつくることを意識して関わってきました。
– 心理学・傾聴の学習経験があります。
■ 大切にしていること
– 安心して話しやすい雰囲気を作るよう心がけています。
– 話してくれるお話をすべて丁寧に聴きます。
– 話す人の気持ちに寄り添い、信頼を積み重ねます。
■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:海 / ピラティス / 料理 / 犬 /読書(海外古典文学)
– よく言われる性格:話しやすい、ポジティブ、落ち着いている
– ちょっとしたこだわり:黒い服が好きで、気付くと全身黒コーデになっています。
– 聴き手としての密かな強み:話す人のペースやトーンに合わせて柔軟に寄り添うことができます。
■ メッセージ
ここは決して批判も評価もされず、思う存分話せる場所です。
私は「話を聴く」という行為が、ただ耳を傾けるだけではなく、相手の世界にそっと入り込むような深い姿勢だと考えています。誰かに吐き出すことで少し軽くなる気持ちや、言葉にして初めて整理できる思いに寄り添える存在でありたいと思っています。
あなたが安心して本音を置いていける、そんな小さな休憩所のような場になれたら嬉しいです。
目次
- ○ 「ちゃんとしなきゃ」が止まらなかった私へ|完璧主義で本音が言えない毎日がしんどいとき
- ・期待に応え続けて、気づいたら仕事が増えていた
- ・人に頼れないのは、甘えじゃなくて“怖さ”だった
- ・「大丈夫です」と言い続けた先に、ひとりで泣く夜があった
- ○ 頑張り続けるほど、心と体がズレていった|完璧主義が静かにしんどさを深めていく
- ・疲れているのに休めない、自分に厳しすぎた日常
- ・感情を切り離すことで、なんとか踏ん張っていた
- ・「私さえ我慢すれば」が当たり前になっていた
- ○ 「いつになったら楽しむの?」その一言で、固めていた鎧がゆるんだ
- ・完璧に見せても、安心は増えなかった
- ・「弱みを見せたら終わり」って思い込んでいた
- ・いきなり変わろうとして失敗した。でも、それでよかった
- ○ 完璧主義は「性格」じゃなく「守り方」だった|本音を取り戻してラクになった今
- ・「無理」と言えるようになったら、人間関係がラクになった
- ・頑張る理由が「怖さ」から「納得感」に変わっていった
- ・まだ完璧主義は出る。でも「戻り方」を知っている
- ○ 読者へのメッセージ
「ちゃんとしなきゃ」が止まらなかった私へ|完璧主義で本音が言えない毎日がしんどいとき
「大丈夫です」って笑いながら言ってるのに、心の中ではもう限界。
そんな状態、思い当たることありませんか。
私もまさにそれでした。仕事では責任ある立場を任されて、周りからは「努力家」「頼れる人」って見られていて。だから弱音を出すほど、なんだか自分が崩れてしまいそうで、ますます言えなくなる。
本音が言えないというより、言った瞬間に“評価が落ちる気がして怖い”みたいな感覚でした。
でも今は思うんです。完璧主義って、性格というより「自分を守るためのやり方」だったんだなって。
この記事では、私がどうして頑張りすぎてしまったのか、どこで息が苦しくなっていったのかを、できるだけそのままの言葉で書いていきます。読んでいるあなたの中の「わかる…」が、少しでもほどけるきっかけになったらうれしいです。
期待に応え続けて、気づいたら仕事が増えていた
最初は、ただ「ちゃんとやりたい」だけでした。頼まれたことを引き受けて、期待に応えて、結果を出す。そうするとまた任される。
それがうれしい反面、断る選択肢がどんどん消えていきました。
「今さら無理って言ったら迷惑かな」
「一度YESって言った自分に責任がある」
そんな言葉が頭の中でぐるぐる回って、気づけば“頼まれる=断れない”みたいになっていました。
周りは悪気なく頼んでくるし、私も笑って「大丈夫です」って言える。だから余計に、限界が見えにくいんですよね。
体は疲れてるのに、家に帰っても仕事のことが頭から離れなくて、眠りが浅い。なのに翌日も、いつも通りの顔をして出勤する。
「頑張れてる自分」でいるほど、しんどさに気づくのが遅くなる。今思うと、あれは危ないサインがずっと出てました。
人に頼れないのは、甘えじゃなくて“怖さ”だった
「手伝ってほしい」と言えば楽になる。頭ではわかっていました。
でも、口に出せなかったんです。頼る=弱い、みたいな思い込みが奥にあって。
それに、頼んだときの相手の反応を勝手に想像してしまうんですよね。
「え、今さら?」って思われるかも。
「自分でやるって言ってたよね?」って言われるかも。
そんな“まだ起きていないこと”が怖くて、結局ひとりで抱えるほうを選んでしまう。
頼れない人って、意外と人に優しかったりします。迷惑をかけたくなくて、相手の負担を先回りしてしまう。
でもその優しさが、自分に向くときだけめちゃくちゃ厳しい。
「私がやればいい」じゃなくて、「私がやらないとダメ」になっていく。
このあたりから、頑張る理由が“やりたい”じゃなく“怖い”に変わっていった気がします。
「大丈夫です」と言い続けた先に、ひとりで泣く夜があった
一番しんどかったのは、余裕がないのに助けを求められなかった日です。
誰かが忙しそうにしているのを見ると、「私が言ったら悪いかな」って飲み込んでしまう。
そして全部終わらせたあと、帰り道で急に涙が出てくる。
家に着いて、静かになった瞬間に崩れるんですよね。
外では踏ん張れてしまうからこそ、「私はまだ大丈夫」って自分にも言い聞かせてしまう。
でも心の中は、ずっと焦っていて、孤独で、イライラして。疲れているのに寝つきが悪くて、夜中に怒りで目が覚めることもありました。
それでも次の日になると、また「ちゃんとしなきゃ」に戻る。
“本音を言わないこと”が当たり前になっていると、本音がどこにあるのかさえ、わからなくなっていくんです。
だから私は、いきなり変わろうとするより先に、まず「今どんな気持ち?」って、自分の中の小さい声を丁寧に拾うところから始めました。焦らず、答えを急がず、思い浮かんだ言葉をそのまま置いていく感じで。
頑張り続けるほど、心と体がズレていった|完璧主義が静かにしんどさを深めていく
「まだやれる」「私がやらなきゃ」。そう思って踏ん張り続けているうちに、少しずつ自分の感覚がズレていくのを感じていました。
本当は疲れているのに、疲れていると認められない。本当は不満があるのに、口に出す前に飲み込んでしまう。そんな日が当たり前になると、心と体が同じ方向を向かなくなっていきます。
完璧主義って、急に限界が来るわけじゃありません。
静かに、でも確実に、日常の中でしんどさを積み重ねていく。
ここでは、私がどんなふうに「おかしいかも」と気づき始めたのか、そしてそのサインをどうやって見過ごしてきたのかを書いていきます。
今振り返ると、「あの時点で立ち止まれていたらな」と思う場面が、たくさんありました。
疲れているのに休めない、自分に厳しすぎた日常
一番わかりやすい変化は、体でした。
疲れているはずなのに、ちゃんと休めない。ベッドに入っても頭の中は仕事のことでいっぱいで、「明日あれを忘れたらどうしよう」「あの対応まずかったかな」と考え続けてしまう。
それでも朝になると、普通に起きて身支度をして、いつも通りの顔で外に出る。
「このくらい、みんなやってる」
「私だけが弱音を吐くわけにはいかない」
そんな言葉で自分を追い立てていました。
今思うと、休めないこと自体がもう限界のサインだったんですよね。
でも当時の私は、休む=怠ける、みたいな感覚が強くて。
ちゃんとやれていない自分を想像するだけで、不安になっていました。
だから、疲れを感じた瞬間に「気のせい」「まだ大丈夫」と打ち消してしまう。その繰り返しでした。
感情を切り離すことで、なんとか踏ん張っていた
忙しくなればなるほど、感情を感じないようにしていました。
悲しいとか、悔しいとか、腹が立つとか。そういう気持ちが出てくると、余計に動けなくなりそうで怖かったんです。
だから、「今は考えない」「後でまとめて向き合えばいい」と、心の奥に押し込める。
一見すると冷静で落ち着いているように見えるけれど、実際はただ、感じる余裕がなかっただけでした。
不思議なことに、感情を切り離すと、その場は乗り切れるんですよね。
でもあとから、どっと疲れが出る。
理由もはっきりしないイライラや、急に落ち込む感じが増えていきました。
「なんでこんなに余裕がないんだろう」
そう思いながらも、原因を探すより先に、また頑張る方向へ戻ってしまう。
感情にフタをするクセがつくと、自分が何に傷ついているのか、わからなくなっていくんだなと、今は感じています。
「私さえ我慢すれば」が当たり前になっていた
人間関係の中でも、「私が我慢すれば丸く収まる」という考えが強くなっていました。
誰かのミスをカバーするのも、無理なお願いを引き受けるのも、自然と自分の役割みたいになっていく。
本当は納得していないのに、笑って受け取る。
その場では波風が立たないけれど、心の中にはちゃんとモヤモヤが残る。
でもそれを出す場所がなくて、また自分の中に溜めてしまう。
「こんなことで不満を言うのは大人げない」
「ちゃんとしている自分でいたい」
そう思えば思うほど、素直な気持ちから遠ざかっていきました。
今振り返ると、我慢が強さだと勘違いしていたんだと思います。
本当は、無理なものは無理って言っていいし、しんどい気持ちを誰かに伝えてもよかった。
でも当時の私は、それを選べる余裕がありませんでした。
だからもし今、この記事を読んで「これ、自分のことかも」と感じているなら、まずはその感覚を大事にしてほしいです。
気づけている時点で、もう小さな変化は始まっています。
「いつになったら楽しむの?」その一言で、固めていた鎧がゆるんだ
転機って、ドラマみたいな大事件じゃなくて、案外「ひと言」だったりします。
私の場合は、学生時代からの親友に言われた言葉でした。
当時の私は、しんどいのに元気なフリが上手で、周りからは「悩みがなさそう」「いつもちゃんとしてる」と見られていました。私自身も、そう見られることに安心していたんだと思います。
でも親友は、私の表面よりも“いつものパターン”を見抜いていました。
「昔から本当にしっかりしてるよね。
いつも楽しいことは後回しにしてるけど、いつになったら楽しむの?」
その瞬間、胸の奥がズキッとして、言葉が出なくなりました。
頑張ること、期待に応えること、ちゃんとしていること。そこに必死で、私は「自分が楽しむ」という発想を、どこかに置き去りにしていたんです。
ここでは、私がどうやって“守るための完璧”に気づいていったのか、そして本音に近づくために何を変え始めたのかを書いていきます。
完璧に見せても、安心は増えなかった
「ちゃんとしてるね」って言われるのは、正直うれしかったです。
評価されるとホッとするし、「これで大丈夫」って思える。だから私は、さらに頑張って、さらに崩れないようにしていました。
でも不思議なことに、安心って増えないんですよね。
ひとつ乗り越えたら、また次の課題。
褒められたら、「次も失敗できない」に変わる。
まるでゴールが動いていくみたいで、心はずっと落ち着きませんでした。
親友の言葉を聞いたとき、私は初めて「あれ、私って何のためにこんなに頑張ってるんだろう」と立ち止まった気がします。
頑張っているのに、いつも不安。
ちゃんとしているのに、満たされない。
その矛盾に気づいた瞬間、今まで当たり前だと思っていた“生き方”が、実はかなり無理をしていたんだなと見えてきました。
「弱みを見せたら終わり」って思い込んでいた
本音を言えない理由を、当時の私は「性格」だと思っていました。
私はこういうタイプだから、弱音が苦手なんだって。
でも、よくよく自分の中をのぞくと、そこには“怖さ”がありました。
弱みを見せたら、頼れない人だと思われそう。
できない人だと思われそう。
がっかりされそう。
そういう想像が先に走って、口が閉じてしまう。
親友に「いつになったら楽しむの?」と言われたときも、実はすぐに「いや、私大丈夫だよ」って返したかったんです。いつものクセで。
でも、その言葉を言った瞬間に、自分で自分をごまかす感じがしてしまって。
そこで初めて、「私は守るために、本音を飲み込んでるんだ」と気づきました。
弱みを見せないことは強さじゃなくて、ただ“安全を確保する方法”だった。
そう思えたとき、少しだけ、自分に優しくなれた気がします。
いきなり変わろうとして失敗した。でも、それでよかった
気づいた瞬間って、勢いがつきやすいんですよね。
「よし、もう本音で生きよう」みたいに、急にスイッチを入れたくなる。
私もそうでした。
「これからは言う!」って決めて、いきなり全部正直に話そうとしたんです。
でも結果、感情が出すぎてしまって、逆に疲れました。
溜めてきた分が一気にあふれる感じで、自分でも受け止めきれなくなってしまったんですよね。
そこで学んだのは、「手放すのにも段階がある」ってことでした。
完璧主義って、長年かけて身につけた“守り方”だから、急にゼロにはできない。
だから私は、いきなり大きく変えるよりも、まずは小さくやってみる方に切り替えました。
たとえば、すぐ「はい」と言わずに一度持ち帰る。
小さなことから相談してみる。
「本当はどうしたい?」って、頭の中でいいから自分に聞いてみる。
そんな小さな一歩を積み重ねるほうが、結果的にちゃんと続きました。
完璧主義は「性格」じゃなく「守り方」だった|本音を取り戻してラクになった今
あの頃の私は、完璧にやれない自分を想像するだけで不安になっていました。
だから「ちゃんとしなきゃ」を握りしめて、弱音も不満も飲み込んで、ひとりで抱えて走り続けていたんだと思います。
でも今は、同じ出来事が起きても、前ほど追い詰められなくなりました。
“完璧じゃない自分”が出てきても、すぐに責め立てるのではなく、「あ、今不安になってるな」「守ろうとしてるんだな」と気づけるようになったからです。
完璧主義って、直さなきゃいけない欠点というより、ここまで生きてくるために必要だった“守り方”だった。
そう捉え直せたことが、私にとって一番大きな変化でした。
ここでは、今の私がどんなふうに日常を過ごせるようになったのか、そして完璧主義が顔を出したときにどう扱っているのかを、等身大の言葉でまとめます。
もしあなたが今「もうしんどい」と感じているなら、それはダメなサインじゃなくて、“変われるタイミング”が来ている合図かもしれません。
「無理」と言えるようになったら、人間関係がラクになった
以前の私は、無理だと思っても「大丈夫です」と言っていました。
言えちゃうんですよね。言った瞬間は、その場が丸く収まるから。
でもそのあと、じわじわと自分が削れていく。
今の私は、無理なときは無理と言う練習をしています。
とはいえ、いきなり強く断るのはハードルが高いので、最初はすごく小さな言い方から始めました。
たとえば、
「一度持ち帰って確認しますね」
「今日中は難しいので、明日でもいいですか?」
みたいに、完全なNOじゃなくてもいいから、即答しない。
これだけでも、心の負担が全然違いました。
“自分の余裕”を無視しないでいられると、相手に対しても変にイライラしなくなるんですよね。
そして不思議と、関係も壊れませんでした。
むしろ、ちゃんと伝えるほうが信頼が積み上がる感じがありました。
「弱みを見せたら終わり」って思っていたけど、実際は逆で、少しだけ素直になるほうが、距離が近づくこともある。
あの頃の私にいちばん言いたいのは、「そんなに守らなくていいよ」ってことです。
頑張る理由が「怖さ」から「納得感」に変わっていった
前は、頑張る理由が“怖さ”でした。
失敗したらどうしよう。迷惑をかけたらどうしよう。評価が落ちたらどうしよう。
怖さがエンジンになると、止まるのが難しいんですよね。
止まった瞬間に不安が押し寄せるから、また動いてしまう。
今は、頑張るときもあるけど、その理由が変わりました。
「ここはやりたい」「これは大切にしたい」
そう思えるときに動くほうが増えたんです。
もちろん、全部が理想通りじゃありません。
でも、「やらなきゃ」だけで動く時間が減ると、心がすごく静かになります。
頑張ったあとに残る感覚も、前は“疲れ”が大半だったのに、今は“納得”が残ることが増えました。
この変化って、派手じゃないけど、積み重ねるほど効いてきます。
自分の中に「本当はどうしたい?」という問いが根づいてくると、選択が少しずつ変わっていく。
完璧を目指すより、“続けられる形”を選ぶ。
それが今の私のベースになりました。
まだ完璧主義は出る。でも「戻り方」を知っている
正直に言うと、完璧主義がゼロになったわけではありません。
緊張する相手だったり、距離感がある人間関係だったりすると、今でも「ちゃんとしなきゃ」が顔を出します。
でも違うのは、出てきたときの扱い方です。
昔は、完璧主義が出る=自分がダメ、みたいに感じていました。
今は、完璧主義が出る=「あ、今ちょっと不安なんだな」「守ろうとしてるんだな」と気づけます。
ここで大事にしているのは、いきなり正解を出そうとしないこと。
すぐ結論を出す代わりに、まずは自分の中の声をそのまま置いてみる。
「怖いよね」
「失敗したくないよね」
って、心の中で言ってあげるだけでも、緊張が少しゆるみます。
そして、できる範囲で小さく調整する。
完璧にやるより、70点で続ける。
一気に変えるより、昨日の自分と比べて1ミリ進む。
その“戻り方”を知っていると、また苦しくなっても、自分を見失いにくくなりました。
もし今のあなたが、完璧主義でしんどくなっているなら、まずは「変わろう」と頑張らなくて大丈夫です。
気づけた時点で、もう最初の一歩は踏めています。
読者へのメッセージ
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もし今のあなたが、「ちゃんとしなきゃ」が止まらなくて苦しいなら、まず伝えたいのはひとつです。
本音が言えないのは、あなたが弱いからじゃありません。
ここまで頑張って生きてきた中で、そうするしかなかった“守り方”だっただけです。
そして、変わるのに大きな決意はいりません。
いきなり強くなる必要も、完璧にできるようになる必要もない。
ただ、「本当はどうしたい?」って自分に聞いてみる。
その小さな一歩から、ちゃんと景色は変わっていきます。
とはいえ、ひとりで向き合うのがしんどい日もありますよね。
言葉にならないモヤモヤを抱えたまま、頭の中だけが忙しくなる日。
そんなときは、無理に答えを出そうとせず、まず“話していい場所”に置いてみてください。
傾聴ラウンジ「ここより」では、結論を急がず、正しさで切らず、あなたのペースで言葉を整理していける時間を用意しています。
うまく話せなくても大丈夫。途中で止まっても大丈夫。
「こんなこと話していいのかな」と思う内容ほど、ゆっくりほどいていけたらと思っています。
もし今、心のどこかで「少し話してみたい」があるなら、傾聴ラウンジ「ここより」をのぞいてみてください。
あなたが抱えてきたものを、ひとりで背負い続けなくてもいいように。





