ASD・発達障害の息子が9歳までオムツが外れなかった日々|皮膚過敏と排便介助を続けた母の体験談

日々の中で、「うまく言葉にできないモヤモヤ」がずっと胸にひっかかったまま、なんとなく消えない…
そんな気持ちを抱えて過ごしていませんか?
私自身、発達凸凹の息子と向き合う日々の中で、うまくいかない言葉や行動に戸惑うことが何度もありました。
「本当はこう思っているのに…」
という気持ちが伝わらなくて、こちらも焦ってしまう。そんな時間を積み重ねてきたのです。
言葉にならない感情があると、どう接したらいいのか途方に暮れることも少なくありませんでした。
でもある日、息子の目をじっと見ながら“待つ”という選択をしてみたんです。
すると、少しずつですが、息子の内側にあるものがふわっと形になって伝わってくる瞬間が増えていきました。
これは特別な方法でもなく、ただ一人ひとりのペースを大切にしたいという想いから生まれた関わり方でした。
この記事では、そんな日々の中で実感してきたことを、ゆっくり丁寧にお届けしたいと思います。


投稿者プロフィール

- よりびと
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■待機時間:月・火・木・金・土の21時~24時
※祝日はお休みです
■年齢:40代
■ キャッチコピー:安心して、リラックスして話せる雰囲気を提供します
■ 得意なテーマ
– 人間関係の悩み・恋愛相談
– 介護の悩み、自宅介護の悩み、認知症の悩み
– ママの働き方の悩み、高齢出産
– 発達凸凹、発達しょうがい、発達に関する悩み
– 介護職の悩み、人間関係のモヤモヤ
– 家族関係の悩み
– カサンドラ症候群
– 身体のお悩み(疲れやすい、PMS、緊張しやすいなど)
– 頑張りすぎてしまう。ついつい、強がってしまう。無理して、大丈夫。がくちぐせ。
■ 聴き方・スタイル
– どんな話もまるっと受け止めます
– 相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 沈黙も気まずくしないスタイルです
■ 経験
– これまで20年介護職の仕事をしています。
– 特別養護老人ホーム、認知症対応型グループホーム、老健、ディサービス、有料老人ホームの経験あり。常に、傾聴、共感、受容を大切にしています。現在は、特別養護老人ホームで、パートとして勤務。
– 介護福祉士、認知症実践者研修修了。
– 障がい者ケアホームでの経験もあり。
– 傾聴ボランティア・ハンドマッサージなどでも、高齢者と関わる。
– 自身も祖父の在宅介護の経験あり。9年程していました。
– パニック障害、過呼吸、バセドウ病の経験あり。パニック障害、過呼吸は完治。
– ジストニアの経験あり。薬継続中。
– 10歳、2歳の男の子のママ。
– 10歳児の子供が発達凸凹→小児精神科で、自閉症+ADHDあり。不登校経験あり。
– 療育支援センター→放課後ディサービスを利用している。普通に見えるがゆえの難しさに直面。
– 心理学、コーチング、アドラー流メンタルトレーナー、HSPカウンセラーなどの講座を受講。
■ 大切にしていること
– どんな話でも否定しません
– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
– 泣いても沈黙してもOK
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– 話したいように話せるように、あなたのペースに呼吸を合わせます
■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:鬼滅の刃 / 心理学、カラー&タロット占い / ラーメン、焼肉、グッズ集め
– よく言われる性格:話やすい。温和。地に足がついている。やさしい。芯がある。愛のある人。
– ちょっとしたこだわり:自分時間を大事にしている。
– 聴き手としての密かな強み:どんな話にも寄り添います。私に話すことで、スッキリ出来ます。
■ メッセージ
ここでは、どんな話をしても大丈夫です。安心、安全の場を作ります。安心してお話ください。自分の感情を感じるお手伝いを致します。
目次
- ○ 発達凸凹の子の「オムツが外れない」悩み、周りに伝わらないしんどさ
- ・「オムツ外れ」だけじゃない、毎日の小さなハードモード
- ・「分かってもらえない」が積み重なると、心は静かに消耗する
- ・「普通ならこうするべき」に縛られて、余計に苦しくなることがある
- ○ 座薬とオムツの毎日が続く…「いつ終わるの?」が頭から離れなかった頃
- ・毎晩の段取りが「家庭内のルーティン介助」みたいになっていた
- ・季節の変わり目がしんどい…皮膚過敏があると「普通のこと」が壁になる
- ・仕事も人間関係も回らない…「休まざるをえない」日々がつらかった
- ○ 「やっと分かってもらえた」その一言で、肩の力がふっと抜けた
- ・「トイレがこわかった」…理由が分かっただけで、見える世界が変わった
- ・ASDの診断で「腑に落ちた」…責める気持ちが減っていった
- ・親の気持ちに寄り添ってくれる人がいると、回復が早くなる
- ○ オムツが外れた日がゴールじゃなかった、でも「光はさす」と思えた今
- ・「できた」の裏に、積み重ねてきた“見えない努力”がある
- ・形を変えて続くからこそ、「ひとりで抱えない」練習が効いてくる
- ・同じ悩みの人へ:あなたはもう十分がんばってる、だから少し力を抜いていい
- ○ 読者へのメッセージ
発達凸凹の子の「オムツが外れない」悩み、周りに伝わらないしんどさ
「もう〇歳なのに、まだオムツが外れない…」
そんな焦りって、頭では“比べなくていい”と分かっていても、ふとした瞬間に胸がギュッとなるんですよね。
私も、息子が2歳頃からずっと排泄のことでつまずいていて、毎日が小さな心配の連続でした。
しかも見た目は“普通に見える”からこそ、周りには伝わりにくい。説明しても「そのうちできるよ」「気にしすぎじゃない?」と返ってきて、話すほどに傷ついてしまうこともありました。
家の中では、トイレに座ること自体が怖かったり、布パンツへの移行が進まなかったり。
さらに排便は自力でできず、座薬や飲み薬に頼る日々。毎晩の段取り、息子の納得を待つ時間、次の日の予定…気づけば、私の頭の中はずっと“排泄のこと”でいっぱいでした。
「この生活、いつまで続くんだろう」
そんな不安と、誰にも分かってもらえない孤独が重なると、心ってどんどん疲れていきます。
今回はまず、あの頃の私が抱えていた“伝わらないつらさ”を、少し軽めの言葉で、でも正直に書いてみます。
同じように悩んでいる人が、「うちだけじゃないんだ」ってホッとできたらうれしいです。
「オムツ外れ」だけじゃない、毎日の小さなハードモード
オムツが外れない悩みって、単に“トイトレが進まない”だけじゃないんですよね。
こちらの予定も気持ちも、じわじわ削られていく感じがありました。
うちの場合、まずトイレに座ることが難しくて、座らせようとすると嫌がってしまう。
無理に進めると泣くし、こっちも疲れるし、「今日もダメだった…」って空気が家の中に残る。
だから、私も途中から“押す”より“待つ”を意識するようになったんですが、待つって簡単そうで地味にきついんです。成果が見えにくいから。
そして一番大変だったのが、排便が自力でできなかったこと。
毎日、座薬+飲み薬+オムツで対応して、体の異常がないのにできない不思議さと不安がセットでついてくる。
「腸閉塞になったらどうしよう」って、頭の片隅でずっと警報が鳴っている感じでした。
夜に座薬を入れても、息子が納得して動けるまで待つ時間が必要で、1時間かかることもありました。
その間ずっと、“急かさない、でも段取りは進めたい”っていう矛盾の中にいるんですよね。
毎日のことだからこそ、「私、何やってるんだろ」って急にむなしくなる日もありました。
でも、あの時間を通して思ったのは、できない子が悪いわけでも、親が下手なわけでもないってこと。
ただ、その子なりの怖さや苦手があって、進み方が違うだけ。
当時はそれを受け止める余裕がなくて、私自身が一番いっぱいいっぱいでした。
「分かってもらえない」が積み重なると、心は静かに消耗する
この手の悩みって、相談してもスッと伝わらないことが多いです。
だからこそ、言葉にする前から「どうせ分かってもらえないかも」ってブレーキがかかるんですよね。
私も、定型発達の子の親御さんに話した時に、否定されたり、軽く流されたりして、そこから話すのを控えるようになりました。
悪気がないのは分かる。だけど、「毎日これが続くしんどさ」は、経験していない人には想像しにくい。
そのギャップが、地味に心を削っていきました。
さらに、息子は皮膚過敏の特性もあって、服の変化や靴下の感覚が苦手でした。
半袖から長袖になるだけで抵抗が強くなったり、長い靴下が無理で部活を断念したり。
“できない理由”が本人の中にちゃんとあるのに、外から見たら「わがまま」に見えてしまうこともある。
そのたびに、私は頭の中で説明文を作っては、飲み込んでいました。
「言っても伝わらないかも」
「また否定されたらつらい」
そうやって黙る回数が増えると、孤独って意外と簡単に育つんですよね。
しかも親って、「私がやらなきゃ」が強い。
誰も分かってくれない悲しみがあっても、毎日は進むし、やることは減らない。
だから気づいたら、涙、疲労、無力感、燃え尽きっぽさ…いろんな感情がぐるぐるしていました。
今振り返ると、あの頃の私は“答え”より先に、“分かってほしい”が必要だったんだと思います。
「つらかったね」って一言があるだけで、明日の体力が少し増える。
そんな感覚、ありませんか。
「普通ならこうするべき」に縛られて、余計に苦しくなることがある
当時の私は、「トイレで排泄ができるようになるべき」っていう“普通の基準”に、かなり縛られていました。
保育園や周りの子の話を聞くたびに、心がザワッとして、置いていかれる感じがしたんです。
もちろん、息子の将来を思うとできるようになってほしい。
でもその気持ちが強すぎると、毎日が“判定タイム”みたいになってしまう。
今日は前進?足踏み?後退?…って、親の心が落ち着けないんですよね。
そして不思議なもので、親が焦れば焦るほど、子どもも固くなります。
トイレの話題を出しただけでピリッとした空気になったり、声のトーンが上がったり。
「やばい、また怒りそう」って自分を止めるのに必死で、余計に疲れる。
私も、不安が強い時期は八つ当たりみたいに怒ってしまったことがあって、あとから自己嫌悪で沈みました。
だから途中から、私は“勝ち負けの基準”をいったん下げることにしました。
「できたら最高。できなくても、今日を回せたらOK」
そんな感じで、少しずつ自分の中のハードルを調整していったんです。
それに、息子は言葉でうまく説明できないことが多かったので、私はすぐに結論を出さずに、本人が伝えられるまで待つようにしました。
待つって、立派なことじゃなくて、ただ“急かさない努力”なんですよね。
でもそれができると、子どもの表情がちょっと柔らかくなる瞬間が増えていきました。
もし今、「普通」を基準にして苦しくなっているなら、いったん深呼吸して、基準を“その子仕様”に変えてみてもいいかもしれません。
焦りがゼロにはならないけど、心がすこし軽くなることはあります。
座薬とオムツの毎日が続く…「いつ終わるの?」が頭から離れなかった頃
ここまでは「オムツが外れない」ことをきっかけに、周りに伝わりにくいしんどさを書きました。
でも本当の大変さって、出来事そのものよりも“それが毎日続く”ことだった気がします。
うちの場合、排便が自力でできない状態が2歳頃から9歳まで続きました。
身体の異常はないのに出ない。だからこそ「なぜ?」「このまま?」「腸閉塞になったら?」と、頭の中で心配がぐるぐる回って止まりませんでした。
夜は座薬、朝は準備、保育園や学校の流れ…
息子の納得を待つ時間が必要で、1時間かかることもありました。
その間、私は時計と息子の表情を交互に見ながら、「急がせたくない、でも今日も回さなきゃ」という板挟み。小さな綱渡りみたいな毎日でした。
さらに、服の感覚が苦手な皮膚過敏もあって、季節の変わり目は特に大変。
半袖から長袖になるだけで抵抗が強くなったり、靴下が履けなくてやりたいことを諦めたり。
本人は本人でつらい。でも親も親で、どう助けたらいいのか分からず、正解探しで疲れていました。
ここからは、そんな“長く続いた日々”の中で、私がどこでつまずき、どんなふうに持ちこたえていたのか。
重くなりすぎないように、できるだけ等身大の言葉で書いていきます。
毎晩の段取りが「家庭内のルーティン介助」みたいになっていた
排便が自力でできない状態って、想像以上に生活の中心に入り込んできます。
うちは毎晩、座薬+飲み薬+オムツという流れがほぼ固定で、そこに息子の気持ちの波が乗ってくる感じでした。
例えば、座薬を入れてすぐにスムーズに進む日もあれば、本人が納得できずに止まる日もある。
「今は嫌」「ちょっと待って」「怖い」みたいなサインが出ると、そこからが長い。
私は“やるべきこと”として進めたい気持ちと、“息子の気持ちを置いていきたくない”気持ちの間で、毎晩ゆらゆらしていました。
しかも、待っている時間って何もしてないようで、心の中はフル稼働なんですよね。
「明日の朝、落ち着かないと大変だな」
「夜更かしになると私もしんどいな」
「でも急かすと余計にこじれるな」
…って、頭の中で会議が止まらない。
そして、出なかった時の“詰み感”。
体調的に大丈夫なのか、腸閉塞が怖い、でも病院に行っても原因がはっきりしない。
「今日も出ない」ってだけで、体力じゃなくて気力が削られる日がありました。
今振り返ると、私は「早く終わらせる」より「安全に続ける」ことに必死だったのだと思います。
終わりが見えないルーティンは、派手な事件がなくても人を疲れさせる。
だからもし今、似た状況にいる人がいたら、「疲れるの当たり前だよ」ってまず言いたいです。
季節の変わり目がしんどい…皮膚過敏があると「普通のこと」が壁になる
皮膚過敏って、本人にとってはかなり切実なのに、周りからは軽く見られやすいところがあります。
うちの息子も、季節の変わり目が特にしんどそうでした。
半袖から長袖に変わるだけで、着た瞬間に体が固まってしまう。
「チクチクする」「気持ち悪い」みたいな反応が出て、こちらが“慣れれば大丈夫”と思っても、本人はもうそれどころじゃない。
一度嫌な感覚が入ると、そこから服を着る=ストレスのスイッチになってしまう感じでした。
靴下も同じで、長い靴下が苦手で、サッカー部を断念したこともあります。
周りには「もったいない」「なんで?」と言われるけど、本人は“できない”というより“無理”に近い。
親としては、やりたい気持ちを応援したいのに、感覚の壁が立ちはだかる。これが地味に苦しい。
そして、こういう困りごとが積み重なると、親の中で「私の関わり方が悪いのかな?」って自己否定が出てきます。
説明しても伝わらない、頑張っても進まない、でも周りは進んでいく。
この状況って、体力よりも“心の折れやすさ”が増えていくんですよね。
だから私は、途中から「今日はここまででOK」に切り替えることを意識しました。
服が無理な日は別の素材を試す、時間をずらす、無理に説得しない。
小さな工夫の積み重ねで、日常の摩擦を少しずつ減らしていく感じです。
完璧に解決はできなくても、「今日のぶつかりを減らせた」だけで十分。
そう思えると、親の呼吸がほんの少しラクになります。
仕事も人間関係も回らない…「休まざるをえない」日々がつらかった
発達凸凹のフォローって、家の中だけで完結しないことが多いですよね。
うちも療育センターに親子で月1通ったり、学校や周囲との調整が必要だったりで、予定が増えがちでした。
その結果、仕事がスムーズにいかず、休まざるをえないことも多くなりました。
「また休むの?」と言われたわけじゃなくても、周りの目が気になってしまう。
迷惑をかけている気がして、申し訳なさと焦りがセットでくっついてくるんです。
さらに、相談しにくさもありました。
定型発達の親には否定されることもあって、話すほどしんどくなっていく経験をすると、「もう言わない方が楽かも」ってなりがちです。
でも言わないと、孤独が育つ。これ、地味に効きます。
私は当時、困っていることを“分かってもらう努力”に疲れて、無言になってしまうことがありました。
何を言っても伝わらない気がして、説明する元気が残っていない。
その状態って、外から見ると静かでも、内側は嵐なんですよね。
だから、私が後から大事だと思ったのは「説明が上手いか」じゃなくて「出せるところに少しずつ出す」ことでした。
全部を理解してもらえなくてもいい。
“否定されない人”に、短くてもいいから話す。
それだけで、気持ちの回復が早くなることがあります。
毎日100点で回すのは無理。
生活を続けるだけで精一杯な時期は、「回せた日=勝ち」くらいでいい。
あの頃の私にも、そう言ってあげたいです。
「やっと分かってもらえた」その一言で、肩の力がふっと抜けた
ここまでの私は、毎日の段取りと心配ごとに追われて、ずっと息を詰めている感じでした。
外から見たら大きな事件はなくても、家の中では小さな緊張が積み重なっていて、「この生活、いつ終わるんだろう」が頭から離れない。
そんな中で転機になったのは、息子が少しずつ“自分のこと”を言葉で伝えられるようになったことでした。
ある時ぽつりと、「トイレがこわかった」と言ったんです。
その一言を聞いた瞬間、私はハッとしました。
「できない」じゃなくて、「怖い」がそこにあったんだって。
さらに小2のときにASDの診断がついたことで、見えなかった輪郭が急にハッキリした感覚もありました。
そして何より大きかったのは、精神科の先生が、息子だけじゃなく“親の気持ち”にも目を向けてくれたこと。
否定も説教もなく、「ここまでよくやってきましたね」と、まるごと受け止めてもらえたように感じました。
正直、それで全部が一気に解決したわけじゃないです。
でも、気持ちは確実に変わりました。
「私が悪いのかも」という考えが少しずつ薄れて、「この子にはこの子の理由がある」って思えるようになった。
ここからは、私の中で何がどう変わっていったのかを、もう少し具体的に書いていきます。
「トイレがこわかった」…理由が分かっただけで、見える世界が変わった
子どもの困りごとって、親がいくら考えても“答え”が見つからない時があります。
うちの場合、まさに排泄のことがそれでした。身体の異常がないのにできない。
だから、私はずっと「どうして?」を抱えたまま走っていました。
そんな中で息子が言った「トイレがこわかった」という言葉。
これ、すごくシンプルなんですけど、私にとっては大事件でした。
だって、そこに“理由”があったから。
親って、つい「できるようになる方法」を探しがちですよね。
トイトレの手順とか、ごほうびシールとか、座りやすい便座とか。
もちろんそれも大事なんだけど、本人の中の「怖い」「嫌だ」「不安」がそのままだと、テクニックだけでは進みにくいこともある。
私はその時、「できない=怠けてる」みたいな見え方を、どこかで自分にも向けていた気がします。
でも“怖い”なら話が変わる。
怖いなら、安心が必要だし、急かされたら余計に固まる。
そして、怖さって本人にしか分からないから、そこを言葉にしてくれた息子はすごく頑張ったんだと思います。
それから私は、答えを急いで出すより、息子の言葉を待つ時間を大事にするようになりました。
「今どう感じてる?」と聞いても、すぐに返事がない日もある。
でも、沈黙の中に“考えてる時間”があると思うと、こちらも少し落ち着けるんですよね。
ASDの診断で「腑に落ちた」…責める気持ちが減っていった
診断がつくことについては、人によって感じ方がいろいろだと思います。
不安が増える人もいるし、ほっとする人もいる。
私は当時、正直ほっとした部分が大きかったです。
というのも、それまでの私は、説明のつかない“ズレ”を全部、自分の努力不足で埋めようとしていたから。
「私の関わり方が悪いのかな」
「もっとちゃんとできるはずなのに」
そんなふうに自分を責めるクセが強くなっていました。
でも診断がついたことで、「だからか」と腑に落ちたんです。
息子の行動には理由がある。
こちらが気合いでどうにかする話じゃなくて、本人の特性に合わせた関わり方が必要なんだって。
これって、手を抜くとか諦めるとは違います。
むしろ“正しい方向に力を使える”ようになる感じ。
ゴールが「普通にする」から「その子に合う形に整える」に変わると、心の負担が少し軽くなります。
もちろん、診断がついたからといって毎日がラクになるわけではありません。
でも、「理由のない大変さ」から「理由のある大変さ」になると、親の中の混乱が減る。
そして混乱が減ると、子どもを見る目もやわらかくなる。
私はそんな変化をじわじわ感じていました。
親の気持ちに寄り添ってくれる人がいると、回復が早くなる
転機として一番大きかったのは、親の気持ちをまるごと受け止めてくれる存在に出会えたことかもしれません。
それまでの私は、「子どものことをちゃんとしなきゃ」に意識が偏っていて、親の気持ちは後回しになりがちでした。
でも、親ってロボットじゃないんですよね。
疲れるし、泣きたくなるし、怒ってしまう日もある。
それを「親失格だ」と決めつけると、余計に回復が遅くなる。
精神科の先生が、息子の話だけじゃなく私の話もちゃんと聴いてくれたとき、私は初めて“安心して力を抜けた”感覚がありました。
アドバイスよりも先に、否定されないこと。
「それはつらかったね」と受け止めてもらえること。
これって、すごく効きます。
私も今では、誰かの話を聴くときに「解決を急がない」「気持ちを置き去りにしない」を大事にしています。
当時の私が欲しかったのは、正論や根性論じゃなくて、まず安心できる場所だったから。
もし今、同じように抱え込んでいる人がいるなら、ひとつだけ伝えたいです。
全部を完璧に説明できなくてもいい。
まとまってなくてもいい。
「しんどい」と言える相手が一人いるだけで、明日のしんどさは少し減ります。
オムツが外れた日がゴールじゃなかった、でも「光はさす」と思えた今
小3のある時期、息子は排便ができるようになって、オムツも外れました。
あの瞬間は、うれしいというより…正直、ホッとして力が抜けた感じでした。
「これでやっと終わる」って思ったし、同時に「今までよく耐えたな」と、胸の奥がじんわり熱くなりました。
でも、ここで大事だなと思うのは、オムツが外れたこと自体が“人生のゴール”だったわけではない、ということです。
発達凸凹の子育ては、その時々で形を変えて続いていきます。
困りごとがゼロになるわけじゃない。理不尽なことを言われる日もあるし、ふと孤独感が戻ってくる日もあります。
それでも、あの頃の私と今の私が違うのは、「ずっと暗いままじゃない」と体で分かっていること。
そして、ひとりで抱え込まない選択が少しずつできるようになったこと。
息子も4年生になって、当時のことをポツポツ話してくれるようになりました。
あの長い日々は無駄じゃなかったんだな、と今は思えています。
最後に、同じ悩みを抱えている方へ。
重くなりすぎないように、でも本音で。
「大丈夫だよ」と言いたい気持ちを、ちゃんと言葉にして届けます。
「できた」の裏に、積み重ねてきた“見えない努力”がある
オムツが外れた、排便ができるようになった。
結果だけ見ると「成長したね」「よかったね」で終わる話に見えるかもしれません。
でも、その裏には毎日の“見えない努力”が山ほどあります。
子ども本人の頑張りももちろん大きい。
怖さと向き合ったり、慣れない感覚を受け入れたり、言葉にしづらい気持ちをなんとか出そうとしたり。
そして親も、段取りを回し、体調に気を配り、待つ時間を作り、失敗しては立て直して…を繰り返してきました。
私は当時、「こんなに頑張ってるのに、なんで進まないの?」って何度も思いました。
でも今振り返ると、進んでいないようで、ちゃんと積み重なっていたんですよね。
“今日も安全に過ごせた”
“今日は泣かずに座れた”
“嫌がっても最後は納得してくれた”
そんな小さな積み重ねが、後から大きな変化につながっていました。
だから、もし今まだ結果が見えなくても、焦らなくて大丈夫です。
毎日が報われていないわけじゃない。
あなたがやっていることは、ちゃんと土台になっています。
そして自分にも言いたいんです。
「目に見える成果がない日も、ちゃんとやってる」
って。
この言葉、意外と心を支えてくれます。
形を変えて続くからこそ、「ひとりで抱えない」練習が効いてくる
発達凸凹の子育てって、終わりが来るというより、困りごとが“更新される”感じがあります。
オムツが外れても、次は別の壁が出てくる。
学校のこと、友だち関係、感覚の困りごと、周囲の理解…いろんな場面で「またか」と思うこともあります。
だから私は、「全部ひとりで抱えると、また潰れるな」と思うようになりました。
あの頃の私は、分かってもらえない経験が続いて、話すこと自体を諦めていました。
でもその結果、孤独が大きくなって、回復が遅くなった気がします。
今は、うまく説明できなくても、まとまっていなくても、少しずつ言葉にするようにしています。
全部を理解してもらう必要はない。
ただ、否定されない場所に“出す”だけで、心の圧が下がるんですよね。
それに、相談相手がいると、前を向くまでが早くなります。
落ち込む日があっても、引きずり続けない。
「戻ってこれる場所」があると、人ってちゃんと持ち直せるんだと思います。
もし今、ひとりで抱えているなら、いきなり大きく変えなくて大丈夫。
まずは小さく、「しんどい」を言える相手をひとり見つける。
それだけで、明日の体力が少し残ります。
同じ悩みの人へ:あなたはもう十分がんばってる、だから少し力を抜いていい
ここまで読んでくれた方の中には、今まさに「いつ終わるの?」の真っ最中の人もいると思います。
毎日同じことを繰り返して、先が見えなくて、周りに伝わらなくて。
そんな状況だと、心が擦り減るのは当たり前です。
だからまず言いたいのは、あなたはもう十分がんばってる、ということ。
ちゃんと起きて、段取りして、子どもの気持ちを見て、なんとか一日を回している。
それだけで立派です。
そして、もし「私が悪いのかな」って思ってしまうなら、いったんその考えを棚に上げていいです。
うまくいかない日があるのは、あなたのせいじゃない。
その子にはその子の怖さや苦手があって、進み方が違うだけです。
私は当時の自分に、こう声をかけたいです。
「分かってくれる人が現れるから大丈夫」
「ひとりで抱え込まないで」
「自分を責めないで」
今のあなたにも、そのまま届けたい。
そして最後に。
全部吐き出していい場所は、きっとどこかにあります。
言葉にならないままでも大丈夫。
少しずつでいいから、あなたの気持ちを置き去りにしないでくださいね。
読者へのメッセージ
同じ悩みを抱えているあなたへ。
「オムツが外れない」「排便がうまくいかない」って、毎日のことだからこそ心がすり減りますよね。
しかも外からは見えにくいぶん、分かってもらえなくて余計に孤独になりやすい。
だからまず、声を大にして言いたいです。
ここまでやってきたあなたは、もう十分がんばってます。
うまく笑えない日があっても、イライラしてしまう日があっても、それは“ダメな親”の証拠じゃなくて、それだけ必死だったってことです。
もし今、「誰かに話したいけど、うまく言葉にならない」「否定されたらつらいから言えない」
そんな気持ちがあるなら、無理にまとめなくて大丈夫。
まずは、ただ気持ちを置いていける場所があるだけで、心の圧って少し下がります。
傾聴ラウンジ「ここより」は、まさにそういう場所として作っています。
アドバイスを押しつけるのではなく、あなたの言葉を急かさず、途中で詰まってもそのまま待つ。
「こんなこと言っていいのかな?」と思う話ほど、安心して出してほしいんです。
しんどさは、ひとりで抱え続けるほど大きくなります。
吐き出せる場所があるだけで、明日の自分がちょっと楽になります。
よかったら、傾聴ラウンジ「ここより」で、あなたのペースのまま話してみませんか。
「ただ聴いてほしい」それだけでも、ちゃんと来ていい理由になります。





