頑張りすぎた私がバセドウ病に…産後に起きた身体と心の異変【体験談】

産後、なんとなく続く動悸と手の震え。
「ただの疲れだろう」と笑ってごまかしていた私の身体は、ある日突然“普通じゃないサイン”を出し始めました。
周りの目には頑張っているように映っていたかもしれません。
でも、内側ではいつもモヤモヤがぐるぐる。
子どもの笑顔を見ているはずなのに、毎日どこか力が抜けない。
体重は減っていくのに、疲れは増えていく。
「私、大丈夫だよね?」と自分に問いかけながらも、答えが見えない日々でした。
そんなある日の健康診断で、思いがけない病名を告げられた瞬間、
それまでずっと胸の奥にしまい込んでいた不安が、ふっと現実になったのです。


投稿者プロフィール

- よりびと
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■待機時間:月・火・木・金・土の21時~24時
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■年齢:40代
■ キャッチコピー:安心して、リラックスして話せる雰囲気を提供します
■ 得意なテーマ
– 人間関係の悩み・恋愛相談
– 介護の悩み、自宅介護の悩み、認知症の悩み
– ママの働き方の悩み、高齢出産
– 発達凸凹、発達しょうがい、発達に関する悩み
– 介護職の悩み、人間関係のモヤモヤ
– 家族関係の悩み
– カサンドラ症候群
– 身体のお悩み(疲れやすい、PMS、緊張しやすいなど)
– 頑張りすぎてしまう。ついつい、強がってしまう。無理して、大丈夫。がくちぐせ。
■ 聴き方・スタイル
– どんな話もまるっと受け止めます
– 相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 沈黙も気まずくしないスタイルです
■ 経験
– これまで20年介護職の仕事をしています。
– 特別養護老人ホーム、認知症対応型グループホーム、老健、ディサービス、有料老人ホームの経験あり。常に、傾聴、共感、受容を大切にしています。現在は、特別養護老人ホームで、パートとして勤務。
– 介護福祉士、認知症実践者研修修了。
– 障がい者ケアホームでの経験もあり。
– 傾聴ボランティア・ハンドマッサージなどでも、高齢者と関わる。
– 自身も祖父の在宅介護の経験あり。9年程していました。
– パニック障害、過呼吸、バセドウ病の経験あり。パニック障害、過呼吸は完治。
– ジストニアの経験あり。薬継続中。
– 10歳、2歳の男の子のママ。
– 10歳児の子供が発達凸凹→小児精神科で、自閉症+ADHDあり。不登校経験あり。
– 療育支援センター→放課後ディサービスを利用している。普通に見えるがゆえの難しさに直面。
– 心理学、コーチング、アドラー流メンタルトレーナー、HSPカウンセラーなどの講座を受講。
■ 大切にしていること
– どんな話でも否定しません
– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
– 泣いても沈黙してもOK
– どんなお話もお聴きします
– 話したいように話せるように、あなたのペースに呼吸を合わせます
■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:鬼滅の刃 / 心理学、カラー&タロット占い / ラーメン、焼肉、グッズ集め
– よく言われる性格:話やすい。温和。地に足がついている。やさしい。芯がある。愛のある人。
– ちょっとしたこだわり:自分時間を大事にしている。
– 聴き手としての密かな強み:どんな話にも寄り添います。私に話すことで、スッキリ出来ます。
■ メッセージ
ここでは、どんな話をしても大丈夫です。安心、安全の場を作ります。安心してお話ください。自分の感情を感じるお手伝いを致します。
目次
- ○ 産後の「いつもと違う」が、少しずつ日常を侵食していった
- ・「疲れのせい」にしていた震えと動悸が、だんだん怖くなってきた
- ・ほぼワンオペ育児で「休む」ができなかった。寝ても寝ても足りない毎日
- ・「母親なんだから」を握りしめて、自分の異変より“役割”を優先してしまった
- ○ 「私のせいじゃない」と思いたいのに、心が追いつかない日々
- ・健診結果の「要精密検査」が、じわじわ心に刺さってきた
- ・「性格が変わったみたい」なイライラと孤独がいちばん苦しかった
- ・病名を聞いた瞬間、涙より先に「フリーズ」してしまった
- ○ 「生きたい」がはっきり聞こえた日――治療の選択が、私の価値観をひっくり返した
- ・「壊す」治療を選ぶ怖さと、それでも前に進むしかなかった理由
- ・「子どものため」だけじゃなく、「私のため」に生きたいと思えた
- ・当たり前が当たり前じゃなくなった日、世界が少しだけきれいに見えた
- ○ 休むことは負けじゃなかった。身体と心のサインに気づける私へ
- ・復帰できず“強制終了”になった時、私はやっと限界を認められた
- ・「正社員じゃなきゃ」から「今の私に合う働き方でいい」へ視野が広がった
- ・今も薬は続く。でも「サインに気づける私」になれたのがいちばんの変化
- ○ 読者へのメッセージ ― ひとりで抱え込まなくていい
産後の「いつもと違う」が、少しずつ日常を侵食していった
産後しばらくしてから、私の身体は「なんか変だよ」と小さなサインを出し始めました。
でもその頃の私は、きっと誰よりもそのサインを見ないふりしたかったんだと思います。
手が震えて、字がうまく書けない。
運転中なのに足がガクガクする。
寝ているはずなのに、全然休まった気がしない。
食欲はあるのに体重が増えない。むしろ落ちていく。
それなのに、頭の中はずっと「産後だし」「寝不足だし」「みんな通る道だし」でいっぱいでした。
子どもが生まれて嬉しいはずなのに、心はいつも落ち着かない。
誰にも会いたくない日もあれば、些細なことでイライラして自己嫌悪になる日もある。
あの時の私は、“頑張る”以外の選択肢を知らなかったんですよね。
だから、身体の異変さえも「私がもっと頑張れば何とかなる」と思い込もうとしていました。
「疲れのせい」にしていた震えと動悸が、だんだん怖くなってきた
最初に気づいたのは、手の震えでした。
ペンを持つと指先がプルプルして、字が思うように書けない。
「あれ?今日、力が入らないな」くらいの軽い違和感だったんです。
でも、その違和感は少しずつ増えていきました。
運転していると足まで震えて、信号待ちの時間が妙に長く感じる。
胸がドキドキして、息が浅くなる瞬間がある。
なのに病院に行くほどじゃない気がして、毎回「気のせい、気のせい」と言い聞かせていました。
産後って、身体がバタバタ変わるじゃないですか。
だから余計に「産後あるある」の箱に放り込みたくなるんですよね。
でも本当は、怖かった。
自分の身体が自分の言うことを聞かない感じがして、静かに不安が積もっていきました。
それでも私は、周りに心配をかけたくなくて。
「大丈夫」と笑って、またいつもの家事と育児に戻る。
その繰り返しで、気づいたら“普通に過ごす”ことが一番しんどくなっていました。
ほぼワンオペ育児で「休む」ができなかった。寝ても寝ても足りない毎日
当時は育休中で、仕事のプレッシャーはないはずでした。
でも現実は、家の中がずっと戦場みたいな感じで。
赤ちゃんが寝たら家事、起きたらお世話。
寝たいのに寝られない。寝たはずなのに回復しない。
夫は仕事でほとんど不在で、頼れる時間が少なかったんです。
だから自然と「私がやらなきゃ」が増えていきました。
気づけば、休むことに罪悪感までくっついてきていて。
ソファに座っているだけで「何かしなきゃ」と焦る。
スーパーに買い物へ行くだけで、どっと疲れる日もありました。
帰ってきて袋を片づけるだけで息が切れて、心の中でこっそり泣きたくなる。
でも「母親なんだから、これくらい普通だよね?」と自分に言う。
そうやって、しんどさの基準をどんどん上げてしまっていました。
今振り返ると、身体の疲れだけじゃなく、心もずっと張り詰めていたんだと思います。
“休みたい”って言葉が喉まで来ているのに、出せない。
出してはいけない気がして、また飲み込む。
その積み重ねが、私の身体をさらに追い込んでいったのかもしれません。
「母親なんだから」を握りしめて、自分の異変より“役割”を優先してしまった
あの頃の私には、はっきりした思い込みがありました。
それは「母親が赤ちゃんを見てあげなきゃいけない」という感覚です。
もちろん、子どもは大切です。
でもその“大切”がいつの間にか、「自分を後回しにすること」とセットになっていたんですよね。
しんどくても、眠くても、動悸がしても、震えても、
「私がやらなきゃ」で全部を片づけようとしていました。
さらにやっかいだったのは、周りから責められたわけじゃないのに、
自分で自分をずっと責めていたこと。
うまくできないと「私がダメなんだ」
イライラすると「優しくできない私は母親失格だ」
そんな風に、心の中で何度も自分を小さくしていました。
だから身体の異変も、ちゃんと受け止められなかった。
受け止めたら最後、頑張れなくなる気がして怖かったんです。
“頑張れなくなる=終わり”みたいに思っていたのかもしれません。
でも本当は、終わりじゃなくて「立ち止まるサイン」だったんですよね。
あの時の私に言えるなら、こう言いたいです。
「役割より先に、あなたの身体を守っていいんだよ」って。
「私のせいじゃない」と思いたいのに、心が追いつかない日々
震えや動悸が続いて、さすがにおかしいと思い始めた頃。
育休が終わるタイミングで、職場から健康診断の結果を渡されました。そこには、まさかの「要精密検査」の文字。
正直、その瞬間の私は、現実感がなかったです。
「え、私が?」と頭では読めているのに、心は置いてけぼり。
産後でバタバタしていたし、寝不足も続いていたし、「疲れが溜まって数値が悪かったのかな」くらいに軽く考えようとしていました。
でも、日常のしんどさはもう“気のせい”では片づけられないレベルになっていて。
誰にも会いたくない。急にイライラする。泣きたくなる。
前は気にならなかったことが気になって、自分が自分じゃない感覚が増えていきました。
そして診察で告げられた病名。
聞いた瞬間、胸の奥がすっと冷えるのに、なぜか涙は出ない。
「怖い」と言いたいのに言葉にならない。
私はその時、どこか他人事みたいに自分を眺めながら、必死で普通を保とうとしていました。
健診結果の「要精密検査」が、じわじわ心に刺さってきた
健診結果を見たとき、最初に思ったのは「間違いじゃない?」でした。
だって、産後の疲れはあるけど、倒れているわけじゃない。
赤ちゃんのお世話もできてるし、ごはんも作れてる。
だから「大丈夫なはず」という気持ちが強かったんです。
でも、その紙に書かれたたった一行が、あとからじわじわ効いてきました。
夜、赤ちゃんが寝て静かになった部屋で、その文字が頭の中に浮かぶ。
お風呂でぼーっとしている時に、ふいに不安が上がってくる。
「もし本当に何かあったらどうしよう」って。
しかも、私は不安になると“頑張って打ち消す癖”があって。
「考えても仕方ない」「とりあえず今日を回さなきゃ」
そう言い聞かせて動くんだけど、心の奥ではずっとドキドキしてる。
不安って、見ないふりをすると消えるどころか、形を変えて残るんですよね。
身体の動悸と、心の動悸がセットになって、ますます落ち着かなくなる。
あの時の私は、それをうまく言葉にできなかったけど、確実に“何かが始まっている”感覚がありました。
「性格が変わったみたい」なイライラと孤独がいちばん苦しかった
身体の症状もつらかったんですが、同じくらいしんどかったのが心の変化でした。
急にイライラする。
些細なことで夫に冷たく当たってしまう。
そして、そのあとに自己嫌悪がドーンと来る。
それまでの私は、もう少し我慢できる人だった気がするんです。
でもこの頃は、我慢のタンクが空っぽで、ちょっとしたことでも溢れてしまう。
「なんで私、こんな人になったの?」って、自分にびっくりしていました。
さらに、誰にも会いたくなくなる日が増えました。
友達からの連絡も、返す気力が出ない。
実家に頼ることもできるのに、頼る気になれない。
外に出ると笑顔を作らなきゃいけない気がして、それがもう無理。
そして孤独だけが残る。
赤ちゃんは目の前にいるのに、心の中はぽつんとしている。
「私は今、何をしてるんだろう」って、ぼんやりした不安がずっとついて回りました。
この“自分が自分じゃない感じ”って、説明が難しいけど、ほんとに怖いです。
身体だけじゃなく、心まで別人みたいになると、安心できる場所が一気になくなるんですよね。
病名を聞いた瞬間、涙より先に「フリーズ」してしまった
診察で病名を告げられたとき、私は泣きませんでした。
ドラマみたいにショックで崩れ落ちる…とかじゃなくて、
頭がスンッと冷えて、静かに固まった感じ。
「そうなんですね」って返事はしたと思うんです。
でも心は全然ついてきていなくて、どこか高い場所から自分を見ているみたいでした。
他人事というか、俯瞰しているというか。
現実が急に重すぎて、受け止めるより先に“止まる”しかできなかったんだと思います。
帰り道、景色は見えているのに、音が遠い。
車を運転していても、ちゃんと運転できているのか自信がない。
家に着いて赤ちゃんを抱っこしても、「私はこれからどうなるの?」という不安がじわじわ広がる。
それでも、私は普段通りにしようとしました。
ごはんを作って、洗濯をして、笑ってみせて。
でも夜になって一人になると、怖さが押し寄せる。
「もし治らなかったら?」
「子どもを残してしまったら?」
言葉にしたら崩れそうで、また飲み込む。
あの頃の私は、“気持ちを言葉にして受け止める”より、
“とにかく今日を終わらせる”ことで精一杯でした。
でも今思うのは、あのフリーズも、必死に自分を守る反応だったんだろうな…ということです。
「生きたい」がはっきり聞こえた日――治療の選択が、私の価値観をひっくり返した
病名が分かったら少し安心するのかな、と思っていました。
でも現実は逆で、「ここからが本番」みたいな感覚でした。
薬を始めても体調が安定しなくて、合わない薬もあって。
先生からは、放射線治療か手術か、どちらかを選ぶ必要があると言われました。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になりました。
だって、治療って「良くなるためにするもの」だと思っていたのに、
「甲状腺を壊す」「切る」といった言葉が出てくるんです。
怖い。単純に、怖い。
でもそれ以上に、「治療しないと命に関わるかもしれない」という現実が重かった。
その頃の私は、ずっと頑張ることを優先してきました。
自分の不調より、母親としての役割。
自分の気持ちより、毎日のタスク。
でもこの選択を前にして、初めて本音が飛び出しました。
あ、私、めちゃくちゃ生きたい。
子どもを育てたい。
家族と笑って過ごしたい。
まだ終わりたくない。
その気持ちが、はっきり音を立てて胸の中に広がったんです。
「壊す」治療を選ぶ怖さと、それでも前に進むしかなかった理由
放射線治療を選ぶと決めた時、私の中には怖さが山ほどありました。
「本当に大丈夫なの?」
「副作用は?」
「この先どうなるの?」
不安って、考え始めると止まらないんですよね。
しかも“甲状腺を破壊する”という言葉が、強烈でした。
良くするためにやるのに、壊すってどういうこと?って。
頭では理解しようとしているのに、感情が拒否する。
でも一方で、症状はしんどいまま。
動悸も震えも続くし、疲れは取れない。
そして何より、「治療できなかったら死ぬかもしれない」という恐怖が、現実としてそこにありました。
私はその時、すごくシンプルなところに戻った気がします。
「生きたい」
ただそれだけ。
完璧な選択なんてできない。
未来の不安を全部消してから決めるなんて無理。
だから私は、怖いまま決めました。
怖いけど、進む。
震えながらでも、前を向く。
あの時の自分を今思い出すと、「よくやったね」って本気で言いたくなります。
“強いからできた”じゃなくて、“生きたいから”踏ん張れた。
その感覚が、今の私の土台になっています。
「子どものため」だけじゃなく、「私のため」に生きたいと思えた
それまでの私は、「子どものために頑張る」が口ぐせみたいになっていました。
もちろん、本当に子どもは大事。
でも当時の私は、それを理由にして、自分のことを後回しにしていたんです。
治療の選択を迫られた時も、最初に浮かんだのは「子どもを残せない」でした。
「この子が大きくなるのを見たい」
「ちゃんと抱きしめてあげたい」
そう思うと、涙が出そうになる。
でも、ふと気づいたんです。
それって子どものためだけじゃなくて、私自身がそうしたいんだって。
「私が生きたい」
「私が、この先を見たい」
その“私”の部分を、私はずっと置き去りにしてきたんだと思います。
母親になった途端、どうしても「自分は二の次」になりやすい。
周りも悪気なく「お母さんだからね」って言うし、
自分でも「母親ならこうあるべき」って握りしめちゃう。
でも命の話になった瞬間、そんな“べき”が一気にほどけました。
役割の前に、人としての命がある。
私という人間が元気でいることが、家族にとっても大事なんだって、やっと腑に落ちたんです。
「生きたい」って気持ちは、わがままじゃない。
むしろ、人としてすごく自然な力。
あの気づきは、私の中で価値観の大きな転換点になりました。
当たり前が当たり前じゃなくなった日、世界が少しだけきれいに見えた
治療前は、食事の制限もあって、入院もあって。
子どもに会えない時間が続くことも、私にはすごくこたえました。
会いたいのに会えない。
抱っこしたいのにできない。
それだけで胸がぎゅっと苦しくなる。
でもその不自由な時間があったからこそ、
当たり前の価値が、ものすごくはっきり見えた気がします。
体調が少し落ち着いた日、窓の外を見たら、雨に濡れた信号機が光っていて。
なぜかそれが、びっくりするほどきれいに見えたんです。
「こんな色だったんだ」って、変な感動が込み上げてきて。
それまでの私は、余裕がなさすぎて、景色を見る心もなかったんだと思います。
毎日を回すことに必死で、
“感じる”ことを後回しにしていた。
でも、命のことを考える時間が増えたことで、
「今ここにいる」ってことが、急にリアルになったんですよね。
呼吸できる。歩ける。水を飲める。
悩める。迷える。
それって全部、生きているからできること。
私はその時、心の底から思いました。
生きてるだけで、もう十分すごい。って。
この感覚は、今も私の中に残っています。
調子が悪い日もあるし、薬も続く。
でも、当たり前の一日が来ること自体が、ありがたい。
あの転機がくれたのは、病気を通して得た“生きる目線”だったのかもしれません。
休むことは負けじゃなかった。身体と心のサインに気づける私へ
治療を経て、少しずつ日常が戻ってきた頃。
私は「よし、ここからまた頑張ろう」と思っていました。前みたいに動けるようになれば、すべて元通りになるって信じたかったんです。
でも現実は、そんなに簡単じゃありませんでした。
体調は波があるし、気持ちも揺れる。
そして何より、職場復帰を目指していたのに血液の数値が戻らず、復帰できないまま“強制終了”になった時は、正直かなり堪えました。
「私、何やってるんだろう」
「みんなは働いてるのに」
そんな気持ちが湧いてきて、悔しさと情けなさでいっぱいになりました。
だけど、今なら分かります。
あの時の“止まる”は、人生のブレーキじゃなくて、命を守るための方向転換だったんだって。
あれをきっかけに、私は「休んでもいい」という感覚を初めて自分の中に入れられました。
無理をしない。頑張りすぎない。
そして、身体と心が出す小さなサインを、ちゃんと見てあげる。
病気は終わりではなくて、私の生き方を整え直すタイミングだったのかもしれません。
復帰できず“強制終了”になった時、私はやっと限界を認められた
復帰を目指して準備していた分、数値が戻らない現実は本当にしんどかったです。
気持ちだけは前に行きたいのに、身体がついてこない。
「頑張りたいのに頑張れない」って、こんなに苦しいんだ…と痛感しました。
そして、復帰できないまま終わってしまった時、私は一度ガクッと落ちました。
それまで積み上げてきたものが、全部なくなったように感じたんです。
「私の居場所はどこ?」って、心の中で何度もつぶやいていました。
でも同時に、少しホッとした自分もいました。
言葉にすると矛盾しているんですが、
「もう頑張らなくていいんだ…」って、どこかで息が抜けたんです。
あの頃の私は、限界が来ていることを認めるのが怖かった。
認めたら“弱い”みたいで。
でも実際は、弱いんじゃなくて、ただ疲れていただけだったんですよね。
人って、限界まで行くと、頑張る気合いより先に身体が止めてくる。
あの強制終了は、私の人生にとって必要な「強制休憩」でした。
悔しかったけど、あれがなかったら、私はまた同じように自分を壊していたと思います。
「正社員じゃなきゃ」から「今の私に合う働き方でいい」へ視野が広がった
復帰できなかった後、しばらく介護の世界から離れました。
燃え尽き感もあって、「もう無理かも」って思う日もありました。
それくらい、身体も心も限界だったんです。
でも、時間が経つにつれて、少しずつ見える景色が変わってきました。
それまでの私は、働き方に“正解”があると思っていたんですよね。
「正社員じゃなきゃ」
「ちゃんとした仕事じゃなきゃ」
「途中で離れるのはダメ」
そんな風に自分を縛っていたものが、ひとつずつほどけていきました。
だって、生きるって本来、もっと柔らかいもののはずなのに、
私は自分にだけガチガチのルールを課していたんです。
働き方も、生活の形も、人それぞれ。
その時の体調や家族の状況によって、変わって当然。
そう思えるようになったら、「選択肢が増えた」と感じました。
“できない”が増えたんじゃなくて、
“選べる”が増えた。
この捉え方ができたのは、私にとって大きかったです。
今の私が大事にしているのは、肩書きよりも、続けられるペース。
頑張りすぎて倒れるより、ほどほどで長く生きる。
それが結果的に、自分にも家族にも優しいんだと、やっと腑に落ちました。
今も薬は続く。でも「サインに気づける私」になれたのがいちばんの変化
治療のあと、甲状腺機能低下症になり、薬は今も飲み続けています。
だから「完全に元通り!」という感じではありません。
波もあるし、疲れやすい日もある。
正直、「面倒だな」って思う日だってあります。
でも、それでも。
私はこの経験を通して、いちばん大事なものを手に入れた気がしています。
それは、身体と心のサインに気づく力です。
以前の私は、サインが出ても無視していました。
「疲れてるけど気のせい」
「しんどいけど私が弱いだけ」
そうやって自分を黙らせて、動き続けていた。
今は、違います。
「あ、今日は無理しない方がいいかも」
「なんかイライラしてるな。疲れてるのかも」
そうやって、一度立ち止まれるようになりました。
そしてもう一つ、大きく変わったのは“聴き方”です。
私自身がしんどさを抱えていたからこそ、
誰かの「言葉にならないしんどさ」にも、そっと目を向けられるようになりました。
すぐに答えを出さなくてもいい。
正しさでまとめなくてもいい。
「そう感じるよね」と一緒に立ち止まるだけで、心が少し軽くなることがある。
私が伝えたいのは、これです。
頑張りすぎている人ほど、自分のサインを後回しにしがち。
でも、どうか思い出してほしい。
休むのは、逃げじゃない。
あなたの命を守る、立派な選択です。
読者へのメッセージ ― ひとりで抱え込まなくていい
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もし今、
「なんだかずっとしんどい」
「でも、これくらいで弱音は吐けない」
そんなふうに思っているなら、少しだけ立ち止まってみてください。
頑張り屋さんほど、自分の不調を後回しにします。
「私がやらなきゃ」
「みんなも大変だし」
そうやって、自分を納得させながら走り続けてしまう。
私も、まさにそうでした。
でも、身体が壊れてから気づいたんです。
限界まで我慢することは、美徳じゃない。
それはただ、自分を置き去りにしているだけだったと。
本当は、
「つらい」
「怖い」
「助けてほしい」
そんな言葉が、胸の奥にあるはずなんですよね。
無理にポジティブにならなくていい。
すぐに答えを出さなくていい。
ただ、今の気持ちをそのまま外に出してみるだけで、心は少し軽くなります。
もし、
誰かにちゃんと聴いてほしい。
否定せずに受け止めてほしい。
そんな気持ちが芽生えたら、傾聴ラウンジ「ここより」を思い出してください。
ここは、正しさを押しつける場所ではなく、
あなたの“今”を、そのまま置いていい場所です。
私自身、話せなかった時期がありました。
強がって、飲み込んで、平気なふりをしていました。
だからこそ、言葉にならない気持ちの重さを、私は忘れていません。
生きているだけで、本当は十分。
でも、ひとりで抱え続けなくていい。
あなたがあなたのままでいられる時間を、
必要なときに、そっと選んでくださいね。





