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ブログ(こころの不思議)

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頑張りすぎて心と体が限界に…燃え尽きた私が立ち止まるまでのリアルな体験談

頑張りすぎて心と体が限界に…燃え尽きた私が立ち止まるまでのリアルな体験談

最近、「なんだかずっと疲れている」「ちゃんと寝ているのに回復しない」そんな感覚はありませんか?
やることはこなしているし、周りから見れば普通に働けている。でも心の奥では、ため息が増えていたり、理由のわからないモヤモヤが積み重なっていたりする。私もかつて、まさにそんな状態でした。

真面目で、責任感が強くて、人の気持ちを優先できる。それは長所のはずなのに、気づけば自分の心と体を後回しにしていました。「私が我慢すれば回る」「弱音を吐いたら迷惑」そんな言葉を自分に言い聞かせながら、限界が近づいていることにすら気づけなかったんです。

この体験談は、頑張りすぎて燃え尽きた私が、立ち止まり、働き方を見直し、少しずつ心と体を取り戻していった記録です。もし今、あなたが「しんどい」と言えずに抱え込んでいるなら、この話のどこかに、あなた自身のヒントが見つかるかもしれません。

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投稿者プロフィール

小川 結愛
小川 結愛よりびと
■待機時間:月・火・木・金・土の21時~24時
※祝日はお休みです

■年齢:40代

■ キャッチコピー:安心して、リラックスして話せる雰囲気を提供します


■ 得意なテーマ

– 人間関係の悩み・恋愛相談
– 介護の悩み、自宅介護の悩み、認知症の悩み
– ママの働き方の悩み、高齢出産
– 発達凸凹、発達しょうがい、発達に関する悩み 
– 介護職の悩み、人間関係のモヤモヤ
– 家族関係の悩み
– カサンドラ症候群
– 身体のお悩み(疲れやすい、PMS、緊張しやすいなど)
– 頑張りすぎてしまう。ついつい、強がってしまう。無理して、大丈夫。がくちぐせ。

■ 聴き方・スタイル

– どんな話もまるっと受け止めます
– 相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 沈黙も気まずくしないスタイルです

■ 経験

– これまで20年介護職の仕事をしています。
– 特別養護老人ホーム、認知症対応型グループホーム、老健、ディサービス、有料老人ホームの経験あり。常に、傾聴、共感、受容を大切にしています。現在は、特別養護老人ホームで、パートとして勤務。
– 介護福祉士、認知症実践者研修修了。
– 障がい者ケアホームでの経験もあり。
– 傾聴ボランティア・ハンドマッサージなどでも、高齢者と関わる。
– 自身も祖父の在宅介護の経験あり。9年程していました。
– パニック障害、過呼吸、バセドウ病の経験あり。パニック障害、過呼吸は完治。
– ジストニアの経験あり。薬継続中。
– 10歳、2歳の男の子のママ。
– 10歳児の子供が発達凸凹→小児精神科で、自閉症+ADHDあり。不登校経験あり。
– 療育支援センター→放課後ディサービスを利用している。普通に見えるがゆえの難しさに直面。
– 心理学、コーチング、アドラー流メンタルトレーナー、HSPカウンセラーなどの講座を受講。

■ 大切にしていること

– どんな話でも否定しません
– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
– 泣いても沈黙してもOK
– どんなお話もお聴きします
– 話したいように話せるように、あなたのペースに呼吸を合わせます

■ 人柄・ユニークポイント

– 好きなもの:鬼滅の刃 / 心理学、カラー&タロット占い / ラーメン、焼肉、グッズ集め
– よく言われる性格:話やすい。温和。地に足がついている。やさしい。芯がある。愛のある人。
– ちょっとしたこだわり:自分時間を大事にしている。
– 聴き手としての密かな強み:どんな話にも寄り添います。私に話すことで、スッキリ出来ます。


■ メッセージ

ここでは、どんな話をしても大丈夫です。安心、安全の場を作ります。安心してお話ください。自分の感情を感じるお手伝いを致します。

目次

頑張りすぎが“普通”になっていた私の毎日

新婚で、生活がガラッと変わった頃の話です。幸せなはずなのに、心のどこかがずっと忙しくて、落ち着く時間がありませんでした。仕事では介護のリーダー業務。勤務表を作るだけで何日もかかって、夜中まで「これでみんな納得するかな…」って頭を抱える日もありました。
公平でいよう、ちゃんとまとめよう、弱音なんて言ってる場合じゃない。そんなふうに自分に言い聞かせて、スタッフとも少し距離をとっていました。仲良くしすぎたら、えこひいきと思われるかもしれないって怖かったんです。

でも本当は、誰かに「しんどい」って言いたかった。言えないから、心の中でぐるぐるして、感情が言葉にならないまま溜まっていく。イライラやモヤモヤの正体がわからないまま、帰宅しても気が休まらず、物に当たってしまうこともありました。
「私が我慢すればいい」「私が悪い」って、反射みたいに思ってしまう。気づけば、自分の気持ちより“周りがどう感じるか”ばかり優先していました。心や体が出している小さなサインにも鈍くなって、頑張っているのに、どんどん自分が空っぽになっていく感覚。今思うと、あの時点で“黄色信号”はずっと点滅していたんだと思います。

「リーダーなんだから」の思い込みが、首をしめていった

リーダーになった途端、見えない鎧(よろい)を着たみたいでした。弱音を吐いたらダメ、迷った顔を見せたらダメ、できないなんて言ったらダメ。そんな“〜しなきゃ”が、毎日どんどん増えていきました。
勤務表ひとつにしても、全員が満足する形なんて現実的には難しいのに、「納得してもらえない=私の失敗」みたいに受け止めてしまう。だから必要以上に悩むし、考えれば考えるほど決められなくなる。夜中に目が冴えて、「あの人はこの日休みたいって言ってた」「でも別の人は連勤になる」って、頭の中で延々とシミュレーションしていました。

それに、現場は“人”が相手です。利用者さんの体調や気分、家族の事情、スタッフの相性。予定通りにいかないことが当たり前で、問題が毎日出てきます。だけど私は、問題が起きるたびに「私が先に気づけなかったからだ」と自分を責めていました。
本当は、誰かと一緒に整理すればよかったんです。「今起きていること」と「私が背負うべきこと」を分けて考えるだけでも、だいぶ違ったはず。でも当時の私は、人の話を聴くときみたいに“いったん立ち止まって整理する”ことを、自分にはしてあげられていませんでした。自分の心に対してだけ、急かして、追い立てていたんですよね。

人を優先しすぎて、自分の気持ちが“行方不明”になった

新婚だったのもあって、生活のペースも人間関係も変わりました。家のこと、仕事のこと、周りへの気遣い。やることは増えるのに、「疲れた」と言える余裕がない。むしろ私は、疲れている自分を見ないようにしていました。
仕事中は利用者さん優先。スタッフのことも気にかける。家に帰ればパートナーのこともある。誰かのために動くのは嫌いじゃないし、むしろ得意なほうだったと思います。でも、それが続きすぎると、自分が今なにを感じているのか、だんだんわからなくなるんです。

「悲しい」「不安」「寂しい」「悔しい」みたいな感情って、わかりやすいようで、実はすごく繊細です。私はそれを言葉にする前に、すぐ“正しさ”で上書きしていました。
「リーダーなんだから平常心で」「家では笑顔で」「みんな大変なんだから私も頑張らなきゃ」。こうやって気持ちを脇に置くのが癖になると、ある日突然、感情がまとめて溢れます。私の場合は、モヤモヤが言葉にならないまま溜まり、イライラとして出て、最後は物に当たってしまった。やった後に自己嫌悪が来て、「こんな自分はダメだ」ってさらに自分を責める。最悪のループでした。

今ならわかります。人の話を聴くときって、答えを急がず、途中で評価を挟まず、「そう感じたんだね」って一回受け止めるじゃないですか。あれを自分にも向けられたら、あそこまでこじれなかったのかもしれません。自分の気持ちを“行方不明”にしないためには、まず見つけてあげる時間が必要だったんですよね。

体が出していたSOSを、私はずっと見ないふりしていた

心が限界に近づくと、体が先に知らせてくれることがあります。私もまさにそうでした。食欲が落ちたり、動悸がしたり、涙が勝手に出たり、疲労が抜けなかったり。体の痛みまで出てきて、「あれ、なんかおかしいな」と思う瞬間は確かにあったんです。
でも当時の私は、そのサインに気づいてもスルーしました。「忙しいから」「気のせい」「みんなも頑張ってる」って。体の声をちゃんと聴くより、予定をこなす方が大事になっていたんです。

夜勤もきつかったです。利用者さんが寝ない、コールが何度も鳴る、トイレ訴えが続く。大声が響いて、ほかの利用者さんも起きてしまう。一人で対応しながら、「これが毎日続いたらどうなるんだろう」と考えると、怖くて仕方がありませんでした。
不安と怒りと悲しみと孤独が、ぐちゃぐちゃに混ざっていました。それなのに頭の中は「私が我慢しないと」「私が悪い」でいっぱい。こういう時、誰かに“話を聴いてもらう”だけで救われることってありますよね。アドバイスじゃなくて、結論じゃなくて、「そりゃしんどいわ」って言ってもらえるだけで、呼吸が戻るみたいな。

でも私は、その一言を自分にも他人にも言えなかった。体のSOSを無視して、頑張ってる自分をさらに追い込んでいました。
今、あの頃の自分に言えるなら、「サインに気づいた時点で、もう十分頑張ってるよ」って伝えたいです。限界って、倒れてから気づくものじゃなくて、点滅している間に気づいていいものなんですよね。

弱音を吐けず、抱え込みが“当たり前”になっていった

あの頃の私は、しんどい気持ちを誰かに見せるのがとにかく苦手でした。
「リーダーなんだから弱音はダメ」「周りも大変なんだから私が踏ん張らなきゃ」って、口に出さなくても頭の中で何度も繰り返していました。だから、疲れていても「大丈夫です」と言う。モヤモヤしていても「問題ないです」と笑う。そうやって平気なふりを続けているうちに、本音がどんどん奥に押し込まれていきました。

現場は毎日なにか起きます。利用者さんの体調や気分、夜勤の大変さ、スタッフ間の空気。予定通りにいかないことが積み重なると、心は少しずつ擦り減っていくのに、私はそこに気づかないふりをしていました。
本当は、困っていることを言葉にして、誰かと一緒に整理できたらよかった。でも当時の私は「話す=迷惑をかける」みたいに思っていて、言えないまま抱え込み続けました。

その結果、感情は行き場を失って、イライラや涙や動悸みたいに“別の形”で出てきます。なのに私は、そこでも「私が悪い」「私が我慢しないと」って、自分を責める方に向かってしまった。
今思うと、誰かの話を聴くときみたいに、まず「そりゃしんどいよね」って自分の気持ちを受け止めるだけでも違ったはず。だけど当時は、その“立ち止まって聴く”が自分にはできなかったんです。

「大丈夫」の一言が、心のフタをどんどん厚くした

「大丈夫?」って聞かれたとき、反射で「大丈夫です」って返してしまう。
あれって、相手のためというより、自分を守るための言葉だったりしますよね。私もまさにそうでした。だって「大丈夫じゃない」って言った瞬間、いろんなものが崩れそうだったから。泣きそうになるし、止まらなくなりそうだし、「弱いと思われるのが怖い」って気持ちもあったと思います。

でも「大丈夫」を繰り返すほど、心のフタは厚くなっていきました。
しんどさって、言葉にしないと整理されないまま残ります。残ったままのしんどさは、次のしんどさとくっついて、どんどん大きくなる。なのに私は、忙しさを理由にして「考える暇がない」と自分に言い聞かせていました。
実際は、考える暇がないんじゃなくて、考えるのが怖かったのかもしれません。

それに、現場って“いい人”ほど抱えがちです。
「私がやれば早い」「私が気をつければ丸く収まる」って思うと、頼る前に自分で背負ってしまう。頼るのが下手というより、頼り方がわからない。どこまで言っていいのか、どう言えば迷惑じゃないのか、ぐるぐる考えて結局言えない。
そうやって黙って頑張っているうちに、周りからは「問題なさそう」に見えて、ますます助けが入りにくくなる。これ、地味にしんどいループでした。

スタッフとも距離をとりすぎて、孤独が増えていった

リーダーになってから、私はスタッフとの距離を意識的にとっていました。
「公平でいなきゃ」「近づきすぎると不満が出るかも」って思っていたからです。もちろん、立場として大事な配慮もあります。でも当時の私は、必要以上に“ひとり”を選んでしまっていました。

例えば、雑談の輪に入るのがちょっと怖い。
誰かと仲良く見えたら、別の誰かが気にするかもしれない。相談されても、答えを間違えたら責任を問われるかもしれない。そんなふうに、まだ起きてもいないことを先回りして考えて、無難な場所に立とうとしていました。
その結果、困ったときに「ちょっと聞いて」って言える関係が作れなくなっていったんです。

人って、しんどいときほど“つながり”が必要なのに、私は逆をやってしまった。
現場で問題が起きても、夜勤が大変でも、頭の中では「私が処理しなきゃ」が優先。誰かに振ることを“逃げ”みたいに感じてしまう。
でも、逃げじゃないんですよね。本当は“分担”であり“協力”であり“チーム”なんです。そこを勘違いしたまま突っ走って、どんどん孤独が濃くなっていきました。

今思うと、誰かに話すって、解決策をもらうためだけじゃなくて、気持ちを整えるためにも必要なんですよね。
人の話を聴くときって、相手が言葉にするまで急かさずに待つじゃないですか。あの“待つ”があるだけで、人は安心して自分の中を見に行ける。
私はその安心を、周りにも自分にも作れていなかったんだと思います。

イライラや涙が増えたのに、私は「私が悪い」で片づけていた

しんどさが溜まると、心はちゃんと教えてくれます。
でも私の場合、感情がまっすぐ出るより先に、イライラになったり、涙になったり、動悸になったり、体の痛みになったりしました。
それでも私は「疲れてるだけ」「気合いが足りない」「私が弱いから」って、自分の問題として片づけようとしていました。

たとえば、モヤモヤしているのに言語化できない。
「何が嫌なの?」って自分に聞かれても答えが出ない。すると余計に焦って、さらにイライラする。家に帰って物に当たってしまって、あとから自己嫌悪が来る。
こうなると、しんどさ+罪悪感で二重に苦しくなるんです。しんどいのに、しんどいって言えない。しんどいって言えない自分を責める。ほんと、苦しいだけのループでした。

ここで大事なのって、「イライラしてる私」を責めるより先に、
「何がそんなにきついの?」って、少し優しく聴いてあげることなんですよね。
人の話を聴くときは、いきなり結論に飛ばずに、まず状況と気持ちを一緒に整理します。私はそれを仕事ではできるのに、自分にはできなかった。自分のことになると、すぐに裁判官みたいに「有罪!」って判決を出してしまっていました。

「私が悪い」が口癖になると、本当の原因が見えなくなります。
原因は“能力不足”じゃなくて、単純に“負荷が大きすぎた”だけかもしれない。環境の変化や役割の重さが重なって、余裕がなくなっていただけかもしれない。
でも当時の私は、それを認めるのが怖くて、全部自分のせいにしてしまった。
今なら言えます。あの頃の私は、悪いんじゃなくて、ただ限界に近かっただけです。

「もう無理かも」と口にした日、流れが変わりはじめた

限界って、ある日いきなりドーンと来るというより、じわじわ積み重なって「これ以上はムリ」って体が先に白旗を上げる感じでした。食欲が落ちて、動悸がして、涙が勝手に出る。疲労も痛みも抜けないのに、頭の中だけは「頑張れ、頑張れ」って叱ってくる。
そんな状態が続いて、ある時ふっと思ったんです。「このままだと、私は壊れるかもしれない」って。

でも不思議と、その瞬間に“答え”が出たわけじゃありません。
ただ、ようやく自分の中の声を無視しないで、いったん立ち止まれた。人の話を聴くときみたいに、「いま何が起きてる?」「何が一番苦しい?」って、自分に問いかける時間が持てたんです。
そして出てきた言葉が、「リーダー業、降りたい」です。言うのは怖かった。迷惑をかける気がしたし、逃げだと思われる気もした。でもそれ以上に、続ける怖さの方が大きくなっていました。

管理者に相談したとき、胸がドクドクして、声が震えそうでした。けど、口にした瞬間に少しだけ呼吸が戻ったんです。
「私は今、出し切ってる」
その一言を自分で認められたことが、転機の始まりでした。

「降りたい」と言うまでに、頭の中で100回くらい言い訳してた

正直に言うと、相談する前はめちゃくちゃ迷いました。
「もう少し頑張れば慣れるかも」「私が弱いだけかも」「ここで降りたら無責任?」って、頭の中で反対意見が次々に出てくるんです。こういう時って、未来の最悪だけ想像して、今の自分のしんどさを軽く見ちゃうんですよね。

私は特に、「人に迷惑をかけない」が強めのタイプだったので、
“降りたい=誰かの負担が増える”って考えが先に立ちました。だからこそ、相談する前に「降りてもいい理由」を必死に探してたんだと思います。体調のこと、ミスの増えそうな不安、家庭との両立…いろんな材料を集めて、「これなら許されるかな」って。

でも本当は、理由を並べる前に大事だったのは、
「今の私は、限界に近い」って事実でした。
人の話を聴くときって、相手が言葉に詰まっても、焦らせずに待つじゃないですか。私は自分に対して、それができてなかった。すぐに結論を出して、「頑張れ」を押しつけてた。
相談を決めたのは、ようやく自分の話を最後まで聴いてあげられた瞬間だった気がします。

「今の私にできることは出し切った」って認めたら、少し楽になった

管理者に話す直前って、心臓がバクバクで、手も冷たくて、
「うまく説明できなかったらどうしよう」って焦ってました。
でも話しているうちに、意外と“説明”より“本音”の方が先に出てきたんです。

「もう、しんどいです」
「頑張っても、回らなくなってきました」
たったそれだけなのに、言葉にした瞬間、肩の力が少し抜けました。
たぶん、ずっと心の中で言いかけて、飲み込んで、押し込めてきたから、外に出た瞬間に身体が「やっと言ったね」って反応したんだと思います。

そして私の中で一番大きかったのが、
「今の私にできることは出し切った」って自分で認められたことでした。
これって、甘えとか開き直りじゃなくて、現実をちゃんと見るってことなんですよね。
人の話を聴くときも、「あなたは怠けてる」じゃなくて、「そこまで頑張ってきたんだね」って見方をするじゃないですか。あの視点を、自分にも向けられた感じです。

頑張り屋さんほど、「まだやれる」「もっとできる」って思いがち。
でも、限界が近い時に必要なのは“追加の努力”じゃなくて、“一回止まる勇気”なんだなって、ここで初めて実感しました。

役割を手放したら、同じ仕事でも重みが全然違った

リーダー業を降りたあと、びっくりしたことがあります。
同じ介護の現場なのに、体の重さが違う。気持ちの圧が違う。
「利用者対応に専念できる」って、こんなに呼吸がしやすいんだ…って思ったんです。

リーダーの時は、利用者さんのこともスタッフのことも全部視野に入れなきゃいけなくて、
どこを見ても“責任”がついて回る感覚でした。勤務表も、調整も、トラブル対応も、「最終的に私がなんとかしなきゃ」って常に気が張っていました。
だから現場にいても、心が休まらない。休憩してても頭が働き続ける。そういう状態だったんだと思います。

役割を手放したことで、ようやく“今ここ”に戻れました。
目の前の利用者さんに集中する。必要な連携をする。終わったら、ちゃんと休む。
当たり前のようで、当時の私にはできていなかったことです。

もちろん、役割を降りることが全員にとっての正解じゃないと思います。
でも少なくとも私は、「手放す=負け」じゃなかった。
むしろ、長く続けるための調整だった。そう思えるようになりました。

そしてもう一つ気づいたのは、
自分が人の話を聴くとき大事にしている“否定しない”“急かさない”って姿勢は、
本当は自分にも必要だったってこと。
自分にだけ厳しすぎると、心は折れやすくなります。
あの日「降りたい」と言えたことで、ようやく自分の声を聴き始められた気がしています。

無理をしない働き方で、心と体のバランスが戻ってきた

あのとき一度立ち止まってから、私の中でいちばん変わったのは「働き方は一つじゃない」と思えるようになったことです。以前の私は、正社員で頑張り続けるのが当たり前だと思っていました。途中で休むとか、役割を手放すとか、ましてや辞めるなんて、どこか“負け”みたいに感じていたんです。
でも現実は、根性で押し切ったところで体は回復しないし、心も追いつかない。長年ムチを打ってきた分、疲労感はすぐには抜けませんでした。休んだら一気に元気になる…なんて都合よくはいかなくて、「休んでるのにしんどい」っていう不思議な時期もありました。

それでも、休む選択をしたことで少しずつ呼吸が戻って、視野が広がっていきました。短時間勤務という形も、私にはすごく合っていました。
今は「二度と同じように燃え尽きたくない」という気持ちが、いい意味でブレーキになっています。限界を迎える前に、声に出す。小さなサインを見逃さない。自分の気持ちを急かさずに聴く。
そして何より、「会社はあなたを守ってくれないこともある。守れるのは自分自身」っていう現実を、怖いけどちゃんと受け止められるようになりました。

休んでもすぐ元に戻らない…それでも「休む」を選んでよかった

休むって、意外と勇気がいります。
忙しい現場だと特に、「私が抜けたら回らないかも」「迷惑かけるかも」って気持ちが先に出る。でも、限界まで頑張って倒れてしまったら、それこそ長く穴が空く。頭ではわかっていても、当時の私はそれを自分に許せませんでした。

実際、休みをもらったあとも、疲労感はしばらく残りました。
寝ても寝ても眠い、体が重い、気持ちが晴れない。
「休んでるのに治らないって、私ってダメなのかな」って思ったこともあります。でも今なら、それってむしろ自然だと思います。長年ため込んだ疲れって、数日では抜けないんですよね。

ここで大事だったのは、回復を急がないことでした。
人の話を聴くときって、相手のペースを尊重しますよね。言葉が出てくるまで待つし、途中で決めつけない。私はその“待つ姿勢”を、自分の回復にも向けるようにしました。
「まだしんどいんだね」
「今は休む時期なんだね」
そうやって自分に声をかけられるようになったら、罪悪感が少しずつ減っていきました。

短時間勤務という選択で、毎日が“持続可能”になった

以前の私は、働き方を選ぶという発想がほとんどありませんでした。
正社員でフルタイム。責任ある役割。頑張り続ける。
それが“普通”で、それ以外はどこか中途半端な気がしていたんです。けど一度燃え尽きると、その“普通”がどれだけ危うい綱渡りだったかがわかります。

短時間勤務にしてみて驚いたのは、心の余白ができたことでした。
帰宅しても、頭が仕事でいっぱいにならない。
食事がとれる。眠れる。体の違和感に気づける。
当たり前のことが、ちゃんと当たり前にできるようになるだけで、気持ちはかなり安定しました。

それに、働ける時間が短いと、自然と「全部やらない」が選べるようになります。
完璧にやろうとすると苦しくなる。だから優先順位を決める。
これは逃げじゃなくて、調整なんですよね。
人の話を聴くときも、全部を一気に解決しようとしないじゃないですか。まずは整理して、今できることから一つずつ。あのやり方が、生活にも必要だったんだと思います。

「頑張れる働き方」じゃなくて、「続けられる働き方」。
私にとっては、これがいちばん大きな学びでした。

同じ悩みの人へ:会社は守ってくれないこともある、だから自分を守ってほしい

これは少し厳しめに聞こえるかもしれませんが、あえて言いたいです。
会社や組織は、あなたの人生全部に責任を持ってくれるわけではありません。制度はあっても、現場が回らないと空気で押されることもある。良い人ほど「私が頑張らなきゃ」と背負わされやすい。だからこそ、自分の心と体を守るのは自分なんだと思います。

燃え尽きると、回復には時間がかかります。
「ちょっと休めば大丈夫」じゃないことも多いです。
だから、倒れる前に声に出してほしい。
体のサイン(食欲、眠れない、動悸、涙、痛み、疲労)を“気のせい”にしないでほしい。
そして、心のサイン(イライラ、無気力、モヤモヤ、孤独感)を“性格のせい”にしないでほしい。

もし今のあなたが、毎日「私が悪い」「私が我慢すれば」って思っているなら、いったん立ち止まってみてください。
人の話を聴くときみたいに、結論を急がずに、自分の中の声を最後まで聴いてあげてほしいんです。
「何が一番きつい?」
「本当はどうしたい?」
その答えがすぐ出なくても大丈夫。出るまで待っていい。

無理はしないでください。
頑張りすぎる人ほど、休むことを後回しにします。
でも守るべきものは、まずあなたの心と体です。

読者へのメッセージ

ここまで読んでくれたあなたは、たぶんもう十分すぎるほど頑張ってきた人だと思います。
「私が我慢すれば回る」「弱音を吐いたら迷惑」って、自分に言い聞かせてきませんでしたか。そうやって踏ん張ってきた人ほど、限界が近いサインに気づきにくいし、気づいても「まだ大丈夫」って押し込めてしまいがちです。

でも、しんどさって“解決”の前に、まず「言葉にして外に出す」だけで軽くなることがあります。正しい答えが出なくてもいいし、うまく話せなくても大丈夫。話しながら、自分の気持ちが少しずつ輪郭を持っていくことって本当にあるんですよね。私はあの頃、それができなくて、結果的に回復に時間がかかりました。

もし今、あなたの中に
・理由はわからないけどモヤモヤする
・誰にも言えない疲れがある
・泣きたくなるのに我慢している
・「私が悪い」で片づけてしまう
こんな感覚があるなら、一度“話していい場所”を持ってみてほしいです。

そういった場所になるうるのが、傾聴ラウンジ「ここより」です。
ここは、アドバイスで背中を押すよりも、まずはあなたの言葉をそのまま受け止めて、気持ちの整理ができる場所を目指しています。話すペースも、沈黙も、まとまらない言葉も大丈夫。自分の心の声を見失いがちな人ほど、「言える」「ほどける」感覚を持ってもらえたらと思っています。

「いきなり行動を変えるのは難しい」って人も、まずは一回、今の気持ちを置きに来るだけでOKです。
あなたがあなたを守れるようになるために、最初の一歩として“ここより”を使ってみてください。

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