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ブログ(こころの不思議)

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死別して何年経っても話していい|母を亡くした私が気づいた「思い出を語る意味」

死別して何年経っても話していい|母を亡くした私が気づいた「思い出を語る意味」

大切な人を亡くしたあと、
「もう何年も経ったから、そろそろ話さない方がいいのかな…」
そんな気持ちにふと立ち止まったことはありませんか。
思い出すと胸がぎゅっとなって、誰かに語れば場が重くなるような気がして、つい言葉を飲み込んでしまう――
私もずっとそんな時間を過ごしてきました。

母を亡くしてからの年月は、いつの間にか“過去”になっていたはずなのに、
思い出そうとすると涙が出ることもあるし、
笑い話のはずなのに胸が締めつけられるように感じることもありました。
そしてその度に、誰にも話せずに自分の中でだけ抱えてきたのです。

だけど、あるとき気づいたんです。
話すことは重さを増すことじゃなくて、
“共有していいもの”だということに。
そして、話していい相手がいるだけで、20年越しの心のしこりが少しずつほどけていくような感覚を味わいました。

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投稿者プロフィール

やざわゆり
やざわゆりよりびと
■待機基本シフト:10時-23時(シフト制)
※シフトは2週間単位で掲載します

■年齢:50代

■ キャッチコピー:話すだけで少し楽になる時間

■ 得意なテーマ

– 大切な人や大切な存在を失った悲しみ喪失感
– 愛する人や存在が居なくなりそうな不安感
– 言葉にならない気持ちの整理
– 誰にも言えない話の受け止め
– 人間関係の悩み・恋愛相談
– とにかく話を聴いてほしいとき
– 誰も自分の事をわかってくれない絶望感

■ 聴き方・スタイル

– 沈黙の時間も大切にします
– ゆっくり聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 無理に聞き出しません

■ 経験

– 介護職に20年程携わり日常の人間関係、死生観、お悩み、好きな物の事、昔話、夢等、色んなお話をよくお聴きしてきました
– 上智大学グリーフケア研究所在籍
– 子どもや知人、職場で相談を受けてきました
– 対人援助職の中で日常の人間関係、死生観、お悩み、好きな物の事、昔話、夢等、色んなお話をよくお聴きしてきました

■ 大切にしていること

– お話されたいテンポでお聴きします
– お一人お一人大切な存在として通話時間を共に過ごさせていただきます

■ 人柄・ユニークポイント

– 好きなもの:焚き火/いちご/夜空/神社
– よく言われる性格:穏やか/面白い/ゆっくり
– ちょっとしたこだわり:誠実さ
– 聴き手としての密かな強み:決めつける事なく、お話された事をそのまままっすぐうけとめます

■ メッセージ

ご両親、お子様、ご家族、恩師、恋人、友人、ペット等大切な存在や役割、大切な関係性を失った後、また、失いそうな不安な時の『今の気持ち』をそのまま話せる場所としてご利用ください。あなたのペースで安心してお話しくださいね。

目次

20年経っても、母の話を「してはいけない」と思っていた私

母が亡くなってから、もう20年ほど経ちます。
時間が経てば、気持ちは整理されるもの。周りから見たら、きっとそう見えると思います。
でも私の中では、母のことは“過去の出来事”になりきらなくて、ふとした瞬間に胸がぎゅっと苦しくなることがありました。

「今さら母の話をしたら、相手を困らせるかな」
「しんみりさせたくないし、空気を重くしたくない」
そんなふうに考えて、話したい気持ちを何度も飲み込んできました。

それに、私には後悔もありました。
入院と退院を繰り返していた母が「死ぬのが怖い」と弱音をこぼしてくれたのに、私はどう返していいかわからず、「死ぬのは順番やから」と言ってしまったんです。
今思えば、寄り添う言葉じゃなかった。突き放したような言い方だった。
その罪悪感がずっと残っていて、母の話題に触れるたびに、自分を責める気持ちが出てきました。

だから、母のことは“心の引き出しの奥”にしまって、鍵をかけるみたいにして生きてきた気がします。
でも本当は、話したかった。思い出して泣いたり、笑ったりしたかった。
その気持ちにふたをしたまま大人になっていくのは、静かにしんどかったです。

家族でも、気持ちを話せる関係じゃなかった

当時の私は結婚していて、幼稚園の子どもが2人いました。
母は父と兄と同居していて、私は実家を出て別の生活をしていました。

うちの家族は、仲が悪いわけじゃないけど「なんでも本音で話す」タイプではありませんでした。
必要なことは話す。段取りもする。顔を合わせたら当たり障りなく会話もする。
でも、「本当はどう感じてる?」みたいな話をする空気は、もともと薄かったんです。

だから母が亡くなったときも、お葬式や法要の話は進むのに、
「寂しいね」とか「つらいね」とか「思い出すね」といった言葉は、家族の中でほとんど出ませんでした。
話題にしないのが“普通”みたいになっていって、気づいたら母の話は「しないもの」になっていました。

私はきっと、誰かが一言でも「お母さん、どんな人やった?」って言ってくれたら、涙が出ていたと思います。
でも誰も言わない。私も言えない。
その沈黙が続くほど、余計に言い出しにくくなっていきました。

家族だからこそ、遠慮が生まれることもあるんだなと思います。
「今さら言うのも変かな」とか、「泣いたらみんな困るかな」とか。
気持ちを話せないまま時間だけが過ぎていくと、悲しみは消えるというより、置き場所がなくなっていく感じがしました。

「重たい話は嫌がられる」と思い込んで、一人で抱えた

母の話をしない理由は、家族の空気だけじゃありませんでした。
私の中に強い思い込みがあったんです。

「人が亡くなった話って、聞く側もしんどいよね」
「明るい場でそんな話をしたら、空気を壊すよね」
「だから私は、ちゃんと我慢しなきゃ」

こんなふうに考えていました。
本当は話したいのに、「話したい」と言うこと自体がわがままに思えてしまって、口を閉じる。
そして夜に一人になったとき、急に胸が詰まって泣く。

泣いても、スッキリするというより、また同じところに戻る感じでした。
泣く → 自分を責める → でも誰にも言えない → また泣く。
この繰り返しの中で、私は「自分のことは自分でなんとかしなきゃ」という考えを強めていった気がします。

あと、子どもが小さい頃って、毎日がバタバタで、悲しむ時間を取るのも難しいですよね。
泣いてしまうと家事も育児も止まってしまう気がして、無理やり切り替える。
でも心は置いてけぼりになる。

「時間が解決する」って言葉を信じたかったけど、
時間だけが経って、言えなかった言葉が増えていくと、むしろ心は固くなっていくこともある。
そんな感覚を、私は長いあいだ抱えていました。

後悔があるほど、思い出が言葉にならなくなる

私が母の話を避けてきた一番大きな理由は、やっぱり“あの一言”の後悔でした。
母が「死ぬのが怖い」と言ったとき、私は怖さを受け止められなかった。
だから正論みたいな言い方で終わらせてしまった。

今ならわかるんです。
あのとき母が欲しかったのは、正しい答えじゃなくて、ただ「怖いんやね」って言ってもらえる安心だったかもしれないって。
でも当時の私は、どうしていいかわからなかった。
自分も怖くなって、逃げたんだと思います。

それでも、後から振り返ると「なんであんなこと言ったん?」って自分を責めてしまう。
母の話をしようとすると、その後悔が先に出てきて、喉が詰まってしまう。
思い出を語るはずが、自己嫌悪のスイッチになってしまう。

だから私は、母の話をするたびに「私は悪い娘だった」と言っているような気がして、言えなくなっていきました。
でも本当は、母のことが大好きだったからこそ、後悔も大きかったんですよね。

人って、好きな人ほど「もっとこうできたはず」って思ってしまう。
それは優しさでもあるのに、うまくいかないと自分を罰する方向にいってしまう。
私もまさにそれで、母の思い出を“温かいもの”として持つことが難しくなっていました。

けれど、ここから少しずつ変わっていきます。
「全部を一気に話さなくてもいい」
「話せるところからでいい」
そう思えるようになったとき、母の話は“責める材料”じゃなくて、“大切にしていい記憶”に戻っていったんです。

「もう大丈夫でしょ?」と言われるほど、言えなくなっていった

母が亡くなってしばらく経つと、周りの会話は少しずつ日常に戻っていきました。
それは自然な流れだし、私も生活を回さないといけなかったから、表面上は普通に過ごしていました。

でも心の中は、置き去りのまま。
ただ、時間が経てば経つほど、母の話はますますしづらくなっていきました。

「もう何年も経ってるのに、まだそんなことで泣くの?」って思われそう。
「今さら言ってどうするの?」って自分でも思ってしまう。
悲しみって、目に見えないからこそ、“期限”があるみたいに扱われることがありますよね。

私もどこかで、「そろそろ切り替えなきゃ」「いつまでも引きずるのは大人じゃない」って思っていました。
だから、母を思い出して泣く自分を見つけるたびに、さらに自分を責めました。

そして気づけば、母の話は「話したいもの」じゃなくて、
「話してはいけないもの」「出したら迷惑になるもの」になっていったんです。
この“言えなさ”は、時間と一緒に薄まるどころか、むしろ強くなっていきました。

日常が回るほど、悲しみの居場所がなくなる

子どもがいると、特にそうだと思うんですが、生活って待ってくれないんですよね。
朝ごはん作って、園の準備して、仕事や家のことをして、あっという間に一日が終わる。
泣いてる暇なんてない、というより、泣くと全部止まってしまう感じがして怖い。

私も、母が亡くなった直後は涙が出ていたのに、日常が回り始めると「泣かない私」が増えていきました。
泣かないのが強さ、みたいに思っていた部分もあります。
でも、泣かないでいることは、悲しみが消えたこととは全然違うんですよね。

悲しみって、しまい込むと静かに溜まっていく。
ある日突然、スーパーで母が好きだったものを見ただけで胸が詰まったり、
テレビの何気ない場面で涙が出たり。
理由が説明できない分、「自分でもよくわからない感情」として出てくるから、余計に扱いづらくなる。

それに、忙しい毎日が続くほど「今さら話すタイミング」が分からなくなるんです。
母の話をするには“きっかけ”が必要だと思い込んでいた私は、そのきっかけが来ないまま年を重ねました。
結果、悲しみは生活の外に追い出されて、夜や一人の時間にだけ顔を出すようになっていきました。

日常が回るのは悪いことじゃない。
ただ、悲しみの居場所を作らないままだと、心はずっと置いてけぼりになる。
今振り返ると、私に必要だったのは「ちゃんと泣く時間」や「思い出していい時間」だったんだと思います。

「ちゃんとしてるね」と言われるほど、弱音が言えなくなる

私が苦しくなっていった理由のひとつに、「ちゃんとして見える自分」を保とうとしていたことがあります。
周りからは、普通に生活して、子育てもして、必要なことはこなしているように見えたと思います。

そしてたぶん、私自身もそう見せたかった。
「私は大丈夫」
「もう落ち着いた」
そう言っておけば、周りも安心するし、私も頑張れる気がしていました。

でもね、「ちゃんとしてるね」って言葉って、優しさでもあるけど、時々しんどいんです。
その言葉をもらうほど、弱音を吐くのが申し訳なくなるから。
「大丈夫って言った手前、泣けない」
「今さらつらいって言ったら、裏切るみたい」
そんなふうに感じてしまって、自分の感情を押し込む方向に進んでいきました。

本当は、強い人ほど、弱い部分を見せられる場所が必要なんですよね。
でも私は「迷惑をかけたくない」が先に立ってしまって、
“話す”という選択肢を自分から消していきました。

それに、死別の話って、相手の反応が読みにくい。
励ましたらいいのか、黙って聴けばいいのか、相手も迷うだろうなって思ってしまう。
そう考えると、さらに言いづらくなる。
結果、私は「何も言わない」という“安全策”を選び続けました。

だけど、言わない安全策は、長い目で見ると心を孤独にします。
大丈夫そうに見える自分の裏で、ほんとはずっと助けを求めていたんだと思います。

「悲しみの正解」を探して、自分をさらに追い詰めていた

母のことを話せないまま時間が経つと、私の中で「こうあるべき」が強くなっていきました。
悲しみは、いつか整理されて、落ち着いて語れるようになるはず。
泣くのは最初だけで、何年も経って泣くのは未熟。
そんな“悲しみの正解”みたいなものを、勝手に作っていたんです。

でも実際は、悲しみって波みたいなものだと思います。
落ち着いてる日もあるし、急にぶり返す日もある。
それなのに私は「ぶり返す自分」を見るたびに、
「まだ引きずってる」
「成長してない」
って自分にダメ出ししてしまいました。

しかも、あのときの一言の後悔があるから、悲しみだけじゃなく罪悪感も混ざってくる。
「私がもっと優しくできてたら」
「私がちゃんとしてたら」
そんな思いがセットで出てきて、気持ちを言葉にする前に、心の中で裁判が始まるんです。

すると当然、口を開くのが怖くなる。
話して楽になりたいのに、「話したら責められる気がする」。
実際には誰も責めないかもしれないのに、私は自分で自分を責める準備をしてしまっていました。

今思うのは、悲しみには正解なんてないってこと。
泣くのも、笑うのも、思い出すのも、忘れてしまう日があるのも、どれも自然。
でも当時の私は、自然でいることより、“ちゃんとしていること”を選んでしまっていた。

その選び方が、私から言葉を奪って、孤独を深くしていったんだと思います。

話せる人が一人いるだけで、20年分の重さが少し軽くなった

ずっと「母の話はしてはいけない」と思い込んでいた私が変わったのは、特別な出来事が起きたからではありません。
ほんとうに、たった一つ。
母のことを“そのまま”聞いてくれる人が現れたからです。

正しい答えを返そうとしない。
励ましで終わらせない。
「大丈夫?」と急かさない。
ただ、私の言葉を遮らずに、うなずきながら聞いてくれる。

それだけのことが、私にはものすごく大きかったんです。
「こんな話、していいんや」
そう思えた瞬間、胸の奥で固まっていたものが、じわっとほどける感じがしました。

私はそのとき、悲しみのど真ん中を一気に話したわけじゃありません。
最初は、母の好きだった食べ物とか、笑い方とか、何気ない小さな思い出から。
でも不思議と、そこから涙が出てきて、言葉が続いていきました。

話すことは、重さを増やすことじゃなかった。
むしろ、重さを“ひとりで抱えなくていい形”に変えていくことだった。
この感覚に出会えたのが、私の大きな転機になりました。

「整理してから話す」はいらなかった

私が長い間できなかったことの一つが、「ちゃんとまとめてから話さなきゃ」って思い込んでいたことでした。
悲しみを言葉にするなら、落ち着いて、分かりやすく、相手が困らないように。
そうやって“話すための条件”を自分で増やしてしまっていたんです。

でも、実際に聞いてくれる人の前では、その条件がいらなかった。
涙が出てもいいし、話があちこちに飛んでもいい。
途中で言葉に詰まっても、「うん、うん」って待ってくれる。
その空気の中で私は初めて、「整理できてないままでも話していい」と思えました。

むしろ、整理できてないからこそ話す意味があるんだと感じました。
頭の中でぐるぐる回っていたものが、口から出ていくことで外に並び始める。
「私は今、こう思ってたんやな」
「この場面が特に引っかかってたんやな」
そんなふうに、自分の気持ちが“見える形”になっていったんです。

それは誰かに評価してもらうためじゃなくて、私自身が自分を理解するための時間でした。
そして、理解できた分だけ、責める気持ちが少し弱まっていきました。
「未熟だった」「どうしていいかわからなかった」
その事実を、ようやく自分で認められた気がします。

話すって、上手に説明することじゃない。
自分の中のモヤモヤに、そっと名前をつけてあげること。
そう気づけたのは、聞いてくれる人が“答え”じゃなく“私の気持ち”に寄り添ってくれたからでした。

「お母さんのこと、ほんまに好きやったんやな」と気づいた

母の話を聞いてもらったとき、一番驚いたのは、涙の量でも後悔の強さでもなくて、
「私、こんなにお母さんのこと好きやったんや」
という感覚が、はっきり出てきたことでした。

私はずっと、後悔の方ばかり見ていました。
あの一言を言ってしまった自分。
寄り添えなかった自分。
その罪悪感が前に出すぎて、「母が好き」という気持ちすら、どこかに隠れてしまっていたんです。

でも、話しているうちに出てくるのは、母との小さな思い出でした。
料理の匂い、声のトーン、笑い方、気遣い。
「そういえば、母はこういう人やったな」って思い出すたびに、胸が温かくなる。
そして、その温かさがあるからこそ、後悔も大きかったんだと理解できました。

後悔って、愛情がないと出てこない感情なんですよね。
どうでもいい相手なら、「まあ仕方ない」で終わる。
でも大切な人だから、「もっとできたはず」って思ってしまう。
その仕組みを、自分の体感として理解できた瞬間でした。

それから私は、後悔が出てきたときに少しだけ考え方を変えられるようになりました。
「私がダメだった」じゃなくて、
「私は母を大切に思っていた」
そこに立ち戻る。

もちろん、後悔がゼロになるわけではありません。
でも、後悔だけで自分を罰し続けるのではなく、
“好きだったからこそ苦しい”という自然な形で受け止められるようになっていきました。

母の話をすることは、過去に縛られることじゃない。
母を大切に思っていた自分を、ちゃんと認めてあげること。
私はそう感じています。

話せるところからでいい、が一番の救いだった

私にとって大きかったのは、「全部話さなくていい」と許されたことでした。
死別の話って、重たいイメージがあるから、話す側も構えてしまいます。
自分が泣いてしまうのも怖いし、相手を困らせるのも怖い。
だから「話すなら最初から最後まで全部ちゃんと説明しなきゃ」と思ってしまいがちです。

でも実際は、話せるところからでいい。
今日は、母の好きだった花の話だけ。
次は、入院中に交わした会話の一部だけ。
そんなふうに小分けにしても、十分意味がありました。

私が救われたのは、聞いてくれる人が“深掘りしよう”としなかったことです。
「それっていつ?」「どうしてそうなったの?」と詰めるのではなく、
私が止まったら止まったで、急がせずに待ってくれる。
泣いたら泣いたで、「泣いたらあかん」とも言わない。
その安心感があるから、次の一歩が出てきました。

そして、少しずつ話すうちに気づいたんです。
悲しみの真ん中を無理にこじ開けなくても、癒しは起こる。
「言葉にしても大丈夫だった」という体験が積み重なると、
心は勝手に“次に話せる部分”を見つけてくれる。

私は、過去の自分にずっと「早く整理しろ」と言っていたけれど、
本当に必要だったのは、整理よりも安全な場所でした。
そしてその安全は、相手のすごい技術より、
「否定しない」「途中で遮らない」「結論を急がない」
そんな当たり前のようで難しい姿勢から生まれるんだと思います。

話せる人が一人いるだけで、悲しみは“ひとりで抱えるもの”じゃなくなる。
この経験が、私の20年を静かに変えていきました。

何年経っても、大切な人の話をしていい。思い出は今の私を支えてくれる

母が亡くなってから20年。
私は長いあいだ「もう時間が経ったのに、まだ母の話をするのは変かな」と思っていました。
話せば空気が重くなる。相手を困らせる。自分も泣いてしまう。
そんなふうに想像して、言葉を飲み込む癖がついていたんです。

でも、話せる人が一人でもできて、少しずつ言葉にしていくうちに気づきました。
思い出を語ることは、過去にとどまることではなくて、今の自分を整えることでもあるんだ、と。
泣いてもいいし、笑ってもいい。途中で止まってもいい。
「話していい」と自分に許可を出せたとき、胸の奥にあった“ずっと一人で背負ってきた重さ”が、少し軽くなりました。

もちろん、後悔がゼロになったわけではありません。
でも、後悔の中にある愛情も、ちゃんと一緒に抱えられるようになってきた。
今はそう感じています。
だから私は、はっきり言いたいんです。
何年経っても、大切な人の話をしていい。
その人の話をしたくなるのは、あなたがちゃんと大切に思っていた証拠だから。

泣いてしまう日は「弱さ」じゃなくて、自然な反応だった

私は以前、思い出して泣く自分を見つけるたびに、心の中でダメ出しをしていました。
「もう何年も経ってるのに」
「いつまで引きずるの」
「大人なんだからちゃんとしなきゃ」
そんな言葉で、自分を追い込んでいたんです。

でも今は、泣く日があってもいいと思えるようになりました。
泣くのは未熟だからじゃなくて、ちゃんと感じているから。
大切だったから。
思い出が自分の中で生きているから。
ただそれだけなんですよね。

それに、泣けるって実はすごく大事な反応だと思います。
泣かないようにしている時期って、心が固くなっていることも多い。
泣いてしまうのはつらいけど、同時に、心が動いている証でもあります。

私は、泣くことを止めようとするほど、後から余計に苦しくなりました。
逆に、泣きたいときに泣けた日は、少しだけ呼吸が楽になったり、胸の詰まりが軽くなったりしました。
感情って、出す場所があると落ち着くんだなと感じます。

そして不思議なことに、泣けるようになると笑える日も増えました。
母の失敗談を思い出して「そういえば、あれおもしろかったな」って笑える。
泣くのも笑うのも、どちらも“思い出があるからこそ”の反応。
だから、泣いてしまう自分を責める必要はない。
私は今、そう言えます。

話すときは「全部」じゃなくていい。小さく分けると続けられる

死別の話が難しいのは、「話すなら全部話さなきゃ」と思ってしまうからかもしれません。
私もそうでした。
入院のこと、最期のこと、葬儀のこと、後悔のこと…。
全部を一気に話すのは、話す側にとっても負担が大きすぎます。

でも実際は、全部じゃなくていい。
小さく分けていい。
今日は、母の好きだった食べ物の話だけ。
次は、よく言っていた口ぐせの話だけ。
そんな軽めの思い出から始めても、ちゃんと意味があります。

むしろ、軽い話から入れると、心が「ここは安全やで」と理解してくれる感じがします。
そうすると、自然と次の話題が出てくる。
話しているうちに涙が出たら、それもOK。
「今日はここまでにしとこ」と止めるのもOK。
続けることのコツって、気合いじゃなくて“無理をしない形”を作ることなんだと思います。

私は一度、話す相手を間違えて「言わなきゃよかった…」と本気で後悔したことがあります。
だからこそ、相手選びも大事だと学びました。
すぐに深掘りしてくる人、正論でまとめたがる人、軽く流す人。
そういう相手だと、余計に傷ついてしまうこともある。

おすすめしたいのは、
・話の途中で遮らない人
・結論を急がない人
・「そうなんやね」と受け止めてくれる人
この3つが揃っていると、すごく話しやすいです。

そして、話す相手がすぐに見つからないときは、まずは書くのでもいい。
声に出してみるのでもいい。
“外に出す練習”を小さく始めるだけでも、心は少しずつほぐれていきます。

思い出を語ることは、亡くなった人を「今ここ」に戻す時間になる

母が亡くなったあと、私は「もう過去のことにしなきゃ」と思っていました。
でも実際は、過去にできるほど単純じゃなかった。
母は私の中でずっと生きていて、ふとした瞬間に会いにくる。
だから、無理に切り離そうとするほど苦しくなっていたんだと思います。

話せるようになってから感じたのは、
思い出を語ることは、亡くなった人を“悲しい存在”として固定しないことにもつながる、ということです。
「亡くなった人」だけじゃなくて、
「こんな表情をしてた」
「こういうところが好きだった」
「このとき助けられた」
そうやって、その人の“生きていた感じ”を取り戻していける。

それは、供養とか立派なことじゃなくて、もっと日常的なものです。
母の話をすると、私の中の母が少し鮮やかになる。
すると、私の中の寂しさも、少しだけ形を変える。
「会えない」だけじゃなく、「確かにここにいた」にも触れられる。
そのバランスが、私には必要でした。

そして、思い出を語れるようになってから、私は人に頼ることも少しずつできるようになりました。
「自分のことは自分でなんとかしなきゃ」という思い込みが、少し緩んだんです。
悲しみを誰かと分けられると、人生の他のしんどさも分けやすくなる。
これは私にとって、かなり大きな変化でした。

まだ課題もあります。
父や兄と、もっとざっくばらんに母の話ができる関係になりたい。
でも、それも焦らなくていいと思っています。
話せるところから、話せる相手と、話せるタイミングで。

もし今、「話したいけど話せない」と感じている人がいたら。
何年経っても、あなたの大切な人の話をしていいんです。
泣いても、笑っても、途中で止まっても大丈夫。
その話は、あなたがその人を大切に思っていた証で、
そして今のあなたを支える“あたたかい材料”にもなっていくはずです。

読者へのメッセージ

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
大切な人を亡くしたあと、「もう何年も経ったのに、まだ思い出してしまう」「こんな話を今さらしていいのかな」と感じることって、実はすごく自然なことだと思います。

泣いてしまう日があってもいい。
急に胸が詰まって言葉が出なくなる日があってもいい。
それはあなたが弱いからじゃなくて、それだけ大切な人だったから。
忘れられないのは、ちゃんと愛してきた証拠です。

もし今、周りに話せる人がいないなら。
「重たい話って思われそう」「相手を困らせそう」って不安があるなら。
いきなり全部を話そうとしなくて大丈夫です。

母の好きだったものの話だけでもいいし、
最後に交わした言葉が引っかかってる、という一言だけでもいい。
話せるところから、話せる分だけでいいんです。
話しながら泣いてしまっても、途中で止まっても、ぜんぜんOKです。

そして、もし
「否定されずに、遮られずに、急かされずに、ただ聴いてもらえる場所があったらいいのに」
そう思った方がいたら、傾聴ラウンジ「ここより」を思い出してください。

ここよりは、何かを“解決”するための場所というより、
言葉になりきらない気持ちも含めて、そっと置ける場所です。
話したいことがまとまっていなくても大丈夫。
泣いてしまいそうでも大丈夫。
「何年経っても話していいのかな」という迷いごと、そのまま持ってきてください。

あなたの大切な人の話は、していい。
思い出して泣いたり、笑ったりする時間は、あなたの心を少しずつ温めていきます。
その一歩を、無理のない形で踏み出せますように。

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