認知症の在宅介護は想像以上に過酷だった|介護士の私が家族介護で学んだ「一人で抱えない」という選択

在宅介護って、正直なところ
「大変そうだなぁ」と思っていても、
実際にその立場になってみないと分からないことが本当に多いです。
私自身、20代の頃に祖父の認知症をきっかけに、
仕事とは別に、家の中でも介護に関わる生活を長く経験しました。
当時は「家族なんだから」「できる人がやるのが当たり前」
そんな気持ちで、気づかないうちに無理を重ねていたと思います。
知識があれば何とかなる。
家族で協力すれば乗り越えられる。
そう思っていたはずなのに、心も体も休まる時間はほとんどなく、
朝から怒鳴り声で目が覚める日々が続いていました。
今振り返ると、
あの頃の私は「しんどい」と感じることすら、
どこかで我慢していたのかもしれません。
この記事では、
認知症の在宅介護を家族として経験した一人として、
きれいごとではない現実と、
「もっと頼ってよかった」と今だから思える気づきを、
少しずつ言葉にしていきたいと思います。
もし今、
一人で抱え込んでいたり、
「自分が弱いだけなのかな」と感じている方がいたら、
肩の力を抜きながら読んでもらえたら嬉しいです。


投稿者プロフィール

- よりびと
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■待機時間:月・火・木・金・土の21時~24時
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■年齢:40代
■ キャッチコピー:安心して、リラックスして話せる雰囲気を提供します
■ 得意なテーマ
– 人間関係の悩み・恋愛相談
– 介護の悩み、自宅介護の悩み、認知症の悩み
– ママの働き方の悩み、高齢出産
– 発達凸凹、発達しょうがい、発達に関する悩み
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– 家族関係の悩み
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– 身体のお悩み(疲れやすい、PMS、緊張しやすいなど)
– 頑張りすぎてしまう。ついつい、強がってしまう。無理して、大丈夫。がくちぐせ。
■ 聴き方・スタイル
– どんな話もまるっと受け止めます
– 相手のペースに合わせてゆっくり聴きます
– 話がまとまっていなくても大丈夫
– 否定せず、穏やかに受け止めます
– 沈黙も気まずくしないスタイルです
■ 経験
– これまで20年介護職の仕事をしています。
– 特別養護老人ホーム、認知症対応型グループホーム、老健、ディサービス、有料老人ホームの経験あり。常に、傾聴、共感、受容を大切にしています。現在は、特別養護老人ホームで、パートとして勤務。
– 介護福祉士、認知症実践者研修修了。
– 障がい者ケアホームでの経験もあり。
– 傾聴ボランティア・ハンドマッサージなどでも、高齢者と関わる。
– 自身も祖父の在宅介護の経験あり。9年程していました。
– パニック障害、過呼吸、バセドウ病の経験あり。パニック障害、過呼吸は完治。
– ジストニアの経験あり。薬継続中。
– 10歳、2歳の男の子のママ。
– 10歳児の子供が発達凸凹→小児精神科で、自閉症+ADHDあり。不登校経験あり。
– 療育支援センター→放課後ディサービスを利用している。普通に見えるがゆえの難しさに直面。
– 心理学、コーチング、アドラー流メンタルトレーナー、HSPカウンセラーなどの講座を受講。
■ 大切にしていること
– どんな話でも否定しません
– 話したくないことは無理に聞きません
– 気持ちが整理されていなくてもそのままで大丈夫
– 泣いても沈黙してもOK
– どんなお話もお聴きします
– 話したいように話せるように、あなたのペースに呼吸を合わせます
■ 人柄・ユニークポイント
– 好きなもの:鬼滅の刃 / 心理学、カラー&タロット占い / ラーメン、焼肉、グッズ集め
– よく言われる性格:話やすい。温和。地に足がついている。やさしい。芯がある。愛のある人。
– ちょっとしたこだわり:自分時間を大事にしている。
– 聴き手としての密かな強み:どんな話にも寄り添います。私に話すことで、スッキリ出来ます。
■ メッセージ
ここでは、どんな話をしても大丈夫です。安心、安全の場を作ります。安心してお話ください。自分の感情を感じるお手伝いを致します。
目次
- ○ 介護士でも限界だった|認知症の在宅介護が始まった20代の私
- ・「家族だから頑張る」が当たり前になっていた
- ・仕事と家の介護が重なって、気持ちがずっと張っていた
- ・認知症の症状は“本人のせいじゃない”と分かっていても、きついものはきつい
- ○ 徘徊・被害妄想・家族の衝突…認知症介護で心が休まらなかった日々
- ・「見守り」って、何もしてないようで一番消耗する
- ・徘徊や妄想が起きたとき、こっちの心拍数が一気に上がる
- ・家族のケンカが増えるのは、誰かが悪いからじゃない
- ○ 「家族だから頑張る」は危険だった|在宅介護で気づいた“限界のサイン”
- ・「できる家族がいるほど、頼るのが遅くなる」落とし穴
- ・「介護の知識があるのにしんどい」自分を責めるループ
- ・本当の転機は「祖父が穏やかになった」より、「介護から少し離れられた」こと
- ○ 認知症の在宅介護は「頼っていい」|続けるために必要なのは気合いより仕組み
- ・「一人で抱えない」が最優先|家族で抱えても限界は来る
- ・介護サービスや制度は「申し訳ない」じゃなく「守るため」に使う
- ・イライラが出たら要注意|「自分の心のケア」も介護の一部
- ○ 読者へのメッセージ
介護士でも限界だった|認知症の在宅介護が始まった20代の私
在宅介護って、「家族のことだから」「なんとかなるはず」って気持ちで始まることが多いと思います。私もまさにそうでした。
祖父に認知症の症状が出はじめたのは、私が21歳くらいの頃。本人は病院を嫌がって、母と相談しながら連れて行って、アルツハイマー型認知症と分かりました。
私は仕事でも介護に関わっていたので、「知識がある自分が動かなきゃ」と自然にスイッチが入ってしまって。
気づけば、仕事のあとも、休みの日も、家の中で“見守り”が続く生活になっていました。
でも、知識があっても、家族の介護は別物でした。
寝不足も、イライラも、「わかってるのにうまくできない」感じも、じわじわ積み重なっていく。
当時の私にいちばん足りなかったのは、技術よりも、休むことと頼ることだったのかもしれません。
「家族だから頑張る」が当たり前になっていた
祖母も母も医療職で、私も介護の仕事をしていたので、当時は「できることは家族でやるべき」って、わりと本気で思っていました。
周りから見たら、きっと“恵まれている家”だったと思います。知識もある、動ける人もいる。だからこそ、頼る選択肢が頭から消えやすかったんですよね。
「大変だけど、まあ何とかなる」
「家で見てあげたいって祖母も言ってるし」
そうやって、毎日を回すことが最優先になっていく。
ただ、ここが落とし穴で。
一度「家族で抱える」モードに入ると、外にお願いするハードルがどんどん上がっていきます。
忙しいから手続きが後回しになるし、気力も残ってないし、「今さら誰かに説明するのもしんどい」ってなる。
結果的に、介護そのものの大変さに加えて、
“誰にも弱音を吐けない雰囲気”が家の中にできていった気がします。
今なら言えます。家族だから頑張るのは素敵だけど、家族だからこそ、早めに外の手を借りた方がうまく回ることも多いです。
仕事と家の介護が重なって、気持ちがずっと張っていた
あの頃の私は、仕事でも介護に関わっていたので、頭も体も“オフ”になる瞬間が少なかったです。
昼間は仕事で気を張って、帰ったら家でも介護のこと。休みの日も「今日は休もう」じゃなくて、「今日は見守りの日」みたいな感覚でした。
在宅介護って、分かりやすいイベントだけじゃなくて、
「何も起きないように見ている時間」が長いんですよね。
しかも、何も起きないように頑張っているのに、突然、徘徊があったり、怒りが爆発したり、家族の衝突が起きたりする。
そうなると、「次はいつ?」って不安が常にセットになります。
これが地味にしんどい。ずっと心が構えてしまうから、寝ても疲れが抜けにくい。
さらに当時は、疲労が重なったり、メンタル的にしんどい出来事も重なったりして、心身がすり減っていく感じがありました。
「介護士なんだから協力しないと」って自分に言い聞かせながら、実はギリギリだったのに、ギリギリって認めるのが怖かったのかもしれません。
認知症の症状は“本人のせいじゃない”と分かっていても、きついものはきつい
認知症って、物忘れだけじゃなくて、性格が変わったように見えたり、被害妄想が出たり、幻覚や幻聴、せん妄が出たりすることがあります。
知識としては知っていました。でも、家族として目の前で起きると、想像以上に心が揺さぶられます。
たとえば、祖父が急に「どろぼうが出た!」と血相を変えて外に飛び出して、畑に入っていったことがありました。
止めて、なだめて、落ち着かせて…その一連の流れだけで、こっちはもうクタクタ。
それでも翌日には、また普通に朝が来る。しかも、祖父母のケンカの声で目が覚める。これが毎日続くと、心が削られます。
大事なのは、祖父を責めたいわけじゃないってこと。
「本人のせいじゃない」と分かっている。分かっているのに、しんどい。
この“矛盾”が、在宅介護のつらさを大きくする気がします。
だからこそ、介護している側は「心が狭いのかな」なんて思わなくていい。
きついものはきついし、疲れるものは疲れる。
それを前提にして、休める仕組みや、外の助けを早めに入れていくのが、本当に大事なんだと思います。
徘徊・被害妄想・家族の衝突…認知症介護で心が休まらなかった日々
在宅介護が続いてくると、「忙しい」というより、ずっと“落ち着かない”感じが続きます。
家にいても休まらないし、外に出ていても頭のどこかが家のことを気にしている。私はそんな状態が長く続きました。
認知症の症状って、日によって波があるんですよね。穏やかな日もあるのに、急に不安が強くなったり、怒りっぽくなったり、見当識が乱れたりする。
「今日は大丈夫そう」と思ったその日に限って、突然の徘徊や、強い被害妄想が出たりして、こちらの心が一気に持っていかれることもありました。
さらにしんどかったのは、本人の変化だけじゃなく、家族の空気もピリピリしてくること。
介護って、誰か一人が悪いわけじゃないのに、疲れが溜まると、言い方がきつくなったり、衝突が増えたりします。
「わかってるのに優しくできない」そんな自分に落ち込む日もあって、気づけば心も体もずっと緊張していました。
「見守り」って、何もしてないようで一番消耗する
在宅介護の大変さって、オムツ交換や食事介助みたいな“作業”だけじゃないんですよね。
むしろ、じわじわ効いてくるのは「何か起きないように見ている時間」だったりします。
たとえば、祖父が落ち着いてテレビを見ている。
一見、平和。だけどこっちは、「今は落ち着いてるけど、さっきトイレに行ったから次は…」とか、「玄関の鍵は大丈夫かな」とか、頭の中がずっと巡回モード。
しかも、認知症の方って“こちらの油断”を見計らったみたいなタイミングで動くことがあるんです。
こちらがトイレに行った数分の間に外に出てしまったり、目を離した瞬間に違う行動を取ったり。だから、気が抜けない。
この「気が抜けない」が続くと、体力より先に気力が削られます。
寝てもスッキリしないし、休日でも脳が休まらない。
何もしない時間がないわけじゃないのに、“休んだ感じ”が全然しない。
介護している人が「何もしてないのに疲れる」って言うと、責められそうで言いにくいんですが、むしろここが本当のポイントだったりします。
見守りは立派な負担。そう思っていいんだと思います。
徘徊や妄想が起きたとき、こっちの心拍数が一気に上がる
「徘徊」って言葉はよく聞くけど、実際に起きると本当に焦ります。
祖父も、気づいたら家から出ていってしまうことがありました。探し回って、近所の人に助けてもらったこともあって、そのたびに心臓がバクバクでした。
徘徊が怖いのは、どこに行くか分からないことだけじゃなくて、
本人が「帰り道」を思い出せない状態になっていることが多いから。
しかも、季節や時間帯によっては命に関わることもある。
そして被害妄想。
「物を盗られた」「誰かが狙ってる」みたいな話が出てくると、説明しても通じないことがあります。こちらは落ち着かせたいのに、本人は本気で怖がっているから、言葉が届きにくい。
私が特にきつかったのは、祖父が「どろぼうが出た!」と外で大騒ぎしたとき。
止めて、なだめて、周りの目も気になって…その場を収めるだけで、体から力が抜けました。
終わったあとも、ドッと疲れて、「また起きたらどうしよう」と不安が残る。
こういう出来事が続くと、“起きたときの対処”だけでなく、
“起きないように備える”時間も増えていきます。
それがまた、気持ちを張りつめさせる原因になっていくんですよね。
家族のケンカが増えるのは、誰かが悪いからじゃない
認知症の介護が長く続くと、家族関係もじわじわ変わっていくことがあります。
私の場合、朝起きた瞬間から祖父母のケンカの声が聞こえる日が続いて、それが本当にしんどかったです。
祖父は以前より怒りっぽくなり、祖母も疲れが溜まって余裕がなくなる。
どちらの気持ちも分かるのに、止めに入る自分も疲れて、
「お願いだから静かにして…」と心の中で思ってしまう。
こういうとき、家の空気がずっとピリピリしていて、
誰かが悪いわけじゃないのに、全員が消耗している感じになります。
でも、消耗しているときほど、人は優しくできないんですよね。
しかも介護って、役割が固定されやすい。
「動ける人が動く」
「知識がある人が判断する」
その流れで回っていくと、感情のケアが後回しになって、
気づけば“言い方がきつくなる”“不満が溜まる”“小さなことに爆発する”が増えていく。
今振り返ると、家族のケンカは「仲が悪いから」じゃなくて、
「休めてないから」だったんだと思います。
休めない状態が続くと、人は優しさを出す燃料が切れてしまう。
だからこそ、介護は気合いで回すより、休む仕組みを作る方がずっと大事なんだと感じています。
「家族だから頑張る」は危険だった|在宅介護で気づいた“限界のサイン”
介護って、限界が来た瞬間に「もう無理!」って分かりやすく崩れる…というより、少しずつ、じわじわ削られていく感じがします。
私も最初は「家族で協力できているし、まだ大丈夫」って思っていました。祖母も母も、私も、知識も経験もある。だからこそ、踏ん張れてしまったんですよね。
でもある時ふと、「これって、いつまで続くんだろう」って不安が強くなりました。
朝から家の空気がピリピリして、仕事でも気が張って、家に帰っても落ち着かない。疲れているのに眠りが浅くて、休んだ気がしない。なのに、頭の中では「介護に関わる人間なんだから協力しないと」って声が回り続ける。
そんな状態の中で、少しずつ視点が変わっていきました。
“頑張ること”そのものが悪いんじゃない。
でも、「頑張り続ける前提」で回していると、誰かが倒れてから気づくことになる。
在宅介護を続けるために必要なのは、根性よりも、限界を早めに見つけて手を打つこと。私は後からそう思うようになりました。
「できる家族がいるほど、頼るのが遅くなる」落とし穴
介護の世界って、不思議なもので。
知識がある人、動ける人が家族にいるほど「うちで何とかできる」って思いやすいんですよね。私の家もまさにそうでした。
母は医療職で、私も介護の仕事をしていた。
周りから見たら「心強い体制」だったと思います。実際、できることは多かったです。住宅のことを整えたり、サービスの申し込みを進めたり、手続きや段取りも分かる。だから、回せてしまう。
でも、“回せてしまう”って、けっこう危険です。
回せるからこそ、疲れが見えにくい。しんどさが後回しになる。
「頼るほどでもないかな」って思っているうちに、気力がじわじわ減っていく。
しかも、頼るって行動は、元気がないとできないんです。
電話一本する気力、説明するエネルギー、知らない人に家の状況を話す勇気。
疲れきっている時ほど、そこがしんどい。
今なら思います。
頼るのは“限界の後”じゃなくて、“限界の手前”。
そして、頼るのが遅れやすい家ほど、意識して早めに外の手を入れた方が、結果的に家族みんながラクになります。
「介護の知識があるのにしんどい」自分を責めるループ
介護に関わる仕事をしていると、つい自分に厳しくなります。
「知ってるはずなのに」
「ちゃんと対応しないと」
「プロっぽく振る舞わないと」
こんな気持ちが、無意識に出てくるんですよね。
でも、家族の介護って、現場の介護とぜんぜん違うんです。
距離が近い分、感情が絡む。
相手の変化がショックだし、家の空気も影響するし、逃げ場も少ない。
それなのに「知識があるんだからうまくやれるはず」って思うと、できない自分に落ち込みます。
私も、イライラしたり、余裕がなくなったりするたびに、
「介護の仕事してるのに、これか…」って落ち込む瞬間がありました。
でも今ははっきり言えます。
知識があってもしんどいものは、しんどい。
むしろ、知識がある人ほど「こうするべき」が強くなって、苦しくなることがあります。
そして「こうするべき」と思うほど、現実が思い通りにならない時にダメージが大きい。
だから、知識や経験がある人ほど、
自分の感情を“問題”にしないことが大事なんだと思います。
しんどいと感じるのは、向いてないからじゃない。
それだけ負担が大きい状況にいるってサインなんです。
本当の転機は「祖父が穏やかになった」より、「介護から少し離れられた」こと
転機って、ドラマみたいに一発で状況が変わる…というより、
小さな変化が積み重なって「風向きが変わったな」と感じることが多いです。
祖父の場合、診断を受けて薬を飲み始めたことで、少しずつ穏やかになっていきました。
これも大きかった。家の中の緊張が少し緩むだけで、こちらの呼吸もラクになります。
でも、私にとって本当に大きかったのは、祖父がサービスを利用してくれたことでした。
日中に出かけてくれて、お風呂にも入れてもらえて、気分転換にもなる。
そして何より、私自身が“介護から少し離れる時間”を持てたことが、ものすごく救いでした。
介護って、24時間の連続だと本当に苦しくなります。
数時間でも「気にしなくていい時間」があると、頭の中の緊張がほどける。
それだけで、家の中で優しくできる余裕が少し戻ってくるんですよね。
当時の私は「家でみるのが当たり前」って思っていたから、
外の手を入れることにどこか罪悪感みたいなものもありました。
でも今なら言えます。
外の手を入れるのは、手抜きじゃない。
続けるための工夫です。
そして、もしあの頃の自分に声をかけるなら、こう言いたいです。
「もっと早く、泊まれる施設や短期間の預かりも含めて、選択肢を広げてよかったよ」
抱えすぎないことは、家族を大事にする方法のひとつなんだと思います。
認知症の在宅介護は「頼っていい」|続けるために必要なのは気合いより仕組み
在宅介護って、やっている人ほど「もっと頑張らなきゃ」って思いがちです。
私もそうでした。家族で支えるのは大事だし、できることはしてあげたい。だから踏ん張る。けれど、踏ん張り続けた先に待っているのが、家族全体の疲労や、関係のギスギスだったりします。
祖父は最後は亡くなって、正直に言うと「やっと終わった…」と感じた自分もいました。
この気持ちは冷たいわけじゃなくて、それだけ長い間、心身が張りつめていた証拠なんだと思います。
そして今の私は、当時の自分のように抱え込んでいる人を見ると、心から思います。
「恥じなくていい」「隠さなくていい」「愚痴を吐いていい」「頼っていい」って。
在宅介護は、きれいごとだけでは続きません。
続けるために必要なのは、気合いよりも、休める仕組みと、助けを借りること。
ここからは、私が経験を通して「これが本当に大事だった」と感じるポイントを、できるだけ分かりやすくまとめていきます。
「一人で抱えない」が最優先|家族で抱えても限界は来る
まず伝えたいのはこれです。
認知症の在宅介護は、本人のためにも、介護する側のためにも、「一人で抱えない」が最優先です。
ここでよくあるのが、
「一人では抱えない。家族みんなで頑張ってる」
ってパターン。実はこれも、限界が来やすいです。
なぜかというと、家族で回していると、どうしても“家庭内の体力”だけで勝負することになるから。
体力がある時は回るけど、誰かが風邪をひいたり、仕事が忙しくなったり、ちょっとしたことでバランスが崩れます。
さらに、介護が長期化すると、疲労は確実に溜まる。溜まった疲労は、家族の会話や空気に出てきます。
「家族で支える」って、外の助けを入れないことじゃないんですよね。
むしろ、外の助けをうまく使いながら“家族の役割を続けられる状態に保つ”ことが、本当の意味での支え合いだと思います。
だから、もし今あなたが「家族で頑張ってるから大丈夫」と思っていても、
“頑張れている今”のうちに、外の選択肢を増やしておくのが大事です。
ギリギリになってからだと、判断力も気力も落ちるので、決めるのがしんどくなります。
頼るのは逃げじゃなくて、作戦。
そう考えるだけで、少し気持ちが軽くなる人も多いと思います。
介護サービスや制度は「申し訳ない」じゃなく「守るため」に使う
在宅介護をしている人がつまずきやすいのが、
「サービスを使うのは申し訳ない」
「家族でできるのに頼るのは甘えかも」
みたいな気持ちです。
でも、これは本当に声を大にして言いたい。
制度やサービスは、“ラクをするため”だけじゃなく、“安全に続けるため”にあります。
たとえば、デイサービス。
本人にとっては気分転換になるし、入浴なども含めてケアが整いやすい。
そして家族側にとっては、その時間だけでも「見守りから離れられる」。
この“離れられる時間”が、介護を続けるうえで本当に重要です。
さらに、ショートステイみたいに泊まりで預かってもらえる選択肢があると、介護者の睡眠や回復が全然違います。
当時の私は「そこまでしなくても…」と思ってしまったけれど、今は逆に、
「そこまでしないと、人は回復できない」
と感じています。
サービスって、使ったら負けじゃない。
むしろ、介護している人が倒れないようにする“保険”です。
そして介護している人が元気でいることが、結果的に本人にとってもいちばん安心につながります。
もし「手続きが面倒で後回し」になっているなら、なおさら早めがおすすめです。
疲れてからだと、電話一本が本当に重くなるので。
元気が残っているうちに、未来の自分を助ける準備をしておく。
これは、介護の現場でいちばん効く工夫のひとつだと思います。
イライラが出たら要注意|「自分の心のケア」も介護の一部
介護をしていると、イライラする日があります。
優しくしたいのにできない。言い方がきつくなる。あとで自己嫌悪。
これ、珍しいことじゃないです。むしろ自然です。
ただ、イライラが増えてきたときは、ひとつだけ覚えておいてほしい。
それは「あなたの性格が悪いから」じゃなくて、
“休みが足りてないサイン”であることが多い、ということ。
認知症の方は、周りの空気や表情に敏感なことがあります。
こちらがピリピリしていると、それが伝わって、本人の不安が強くなることもある。
だからこそ、介護のテクニック以前に、介護する側の心身が整っていることが大切なんですよね。
私が役に立ったのは、運動したり、文章を書く時間を持ったり、気持ちを外に出すことでした。
大きなことでなくていいんです。
「散歩する」「深呼吸する」「誰かに愚痴を言う」「一人の時間を10分でも作る」
こういう小さな回復が、長期戦の介護には効きます。
そしてもうひとつ。
認知症ケアの考え方に「その人を中心に考える」という視点があります。
相手の背景や、その人らしさを大切にする。
これって“正しい対応”というより、こちらが落ち着いて接するためのヒントにもなるんですよね。
でも、落ち着いて接するためには、まず自分が落ち着いていないと難しい。
だから、自分の心のケアは後回しにしないでほしいです。
介護している人が元気でいられることは、ちゃんと価値があります。
読者へのメッセージ
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
認知症の在宅介護は、がんばり屋さんほど「自分が踏ん張らなきゃ」って思いやすいです。
でも本当は、しんどいって感じた時点で、もう十分がんばっています。
弱いからじゃないし、向いてないからでもない。状況がハードなだけです。
もし今、
「家族に迷惑をかけたくない」
「愚痴を言ったらダメな気がする」
「こんな気持ちになる自分を責めてしまう」
そんなふうに一人で抱えているなら、まずは言葉にしていいと思います。
正解を出すためじゃなくて、気持ちをほどくために。
まとまってなくて大丈夫。泣いても、言葉が途切れても大丈夫。
「そうだったんだね」「そこが一番しんどかったんだね」って、いったん受け止めてもらえるだけで、心の緊張が少しゆるむことがあります。
そんな“話していい場所”として、傾聴ラウンジ「ここより」もあります。
アドバイスを押しつけたり、無理に前向きにさせたりはしません。
今の気持ちをそのまま置いていけるような、そんな時間になればと思っています。
在宅介護は、気合いで勝ち続けるものじゃなくて、助けを借りながら続けていくもの。
あなたが少しでもラクになる選択をしていいし、頼っていい。
今日この文章が、その一歩のきっかけになったらうれしいです。





