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そこに愛があるかどうかで…

ご訪問ありがとうございます。
リ・ハート代表カウンセラーの佐藤です。

今回は物事の捉え方に「愛」が大きく関係してくることを説明していきたいと思います。
タイムリーなニュースにも通じる内容になっていますので、タイトルで気になった方は是非最後までご覧ください。

目次

「いじり」と「いじめ」の心理的境界線は?

心理的境界線

「いじり」とはテレビのバラエティー番組でMCがゲストに対して茶化したり、プライベートを暴露したりしているあの風景です。
スポーツ選手の場合も先輩が後輩に対して、ちょっかいを出したりきつく当たったりしているケースにも使われます。「かわいがり」とも言われます。

「いじり」の場合は問題にはなりませんが、いき過ぎると「いじめ」に発展してしまうケースが見られます。

「いき過ぎる」「やり過ぎる」といった、「過ぎる」ことでいじられている側に不快な思いをさせてしまうことが「いじめ」となるわけですが、この「過ぎる」はなぜ起きてしまうのでしょうか?

実は「いじめ」になるケースは、「過ぎる」ことで「いじめ」に発展したのではなく、「いじり」の段階からすでに「いじめ」だったのです。いじられる側が笑顔で対応できる状態だったので「いじり」となっていただけで。

そして、いじられる側も最初は自分のためにしてくれているのかもしれない、という気持ちを持っているケースも多いです。先輩が自分の為を思ってきつく当たってくれているのではないか、自分が部署に早く馴染めるようにいじってくれているのではないか、という感じですね。

でも、ある瞬間に「自分のためでなく先輩が楽しむため、満足するために行っている」と気づきます。そこに愛はないとなるわけです。

つまり、「そこに愛があるかどうか」が「いじり」と「いじめ」の心理的境界線なのです。某CMで使われている「そこに愛はあるんか?」というフレーズは、実は凄く大切な判断基準を示しているものと言えます。愛があるのが「いじり」で愛がないのが「いじめ」、「いじめ」になるケースが「いじり」の段階から愛はなかった、だから「いじり」の段階から「いじめ」となるのです。

最初は愛があったが冷めたケースもあるのでは?

愛があるの反対は無関心

「いじめ」に発展するケースでは、いじられる側に対していじる側は最初から愛がなかったと述べましたが、最初は愛を持っていじっていたが、途中から性格などが合わず愛を持って接することが出来なくなった、ということもあると思います。

この場合は「いじる」対象から外れます。「愛」の反対は「無関心」とマザー・テレサは言いましたが、まさにそれですね。関わらなくなります。

いや、最初は仲良くしてたのに途中からいじめられたことがある、と思う方もいるでしょう。もう一度振り返ってみてください。いじられていた時に本当に愛を持って接してくれていたかを。

複雑な人間関係、悩みが絶えません

人間関係

今回は「いじり」と「いじめ」にフォーカスし、判断基準には愛があるかどうかというお話をしました。「いじり」と「いじめ」の話ではありましたが、一般的な人間関係においても同様のことが言えます。

人間関係は非常に複雑に絡み合っていて、人間関係に悩んでいる方は多いですよね。

相手が自分のことをどう思っているか、相手は何をして欲しいのか、考えても結論が出ない、そして考えて行った行為が相手が求めていることではなかった場合、人間関係に変化が生じないか心配になる。行動を起こすのも起こさないのも怖いのです。

人間関係において絶対はありません。しかし、判断基準を設けることはできます。

「そこに愛はあるんか?」

迷った時はそう問いかけてみてください。愛があるところを大切にし、愛がないところには関わらないようにする、これがシンプルな人間関係の構築方法と言えます。

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